米田さんが戻ってきたのは、それからすぐの事だった。彼女は先程の言葉通り、自販機で購入した缶コーヒーやらペットボトルやらを手にしていた。そしてそれらは、米田さんの手によってすぐにそれぞれの許に配られた。まず誠二郎にブラック微糖の缶コーヒーが置かれ、源吾郎には天然水のペットボトルがやって来た。
そして米田さんの手許に残っているのは、ミックスジュースの缶だった。彼女が飲みたいと思った物であろう事はすぐに感じ取ったし、何とも米田さんらしいチョイスだと源吾郎は思った。米田さんはラクピスと言った乳飲料や、そうでなければ甘酒やお汁粉の類を好む事は、源吾郎も既に知っていた。
「ありがとうね米田さん。あはは、デートの折にお邪魔してしまって申し訳ないね」
「いえいえ、そんな事ありませんわ」
誠二郎ははっきりとデートと口にしたのだが、もはやその事で誰もうろたえたり驚いたりはしなかった。たおやかに上品に米田さんが微笑む中で、誠二郎はいつの間にか財布を取り出し、千円札を一枚引き抜いていた。
そしてそれを、ごくごく自然な流れで米田さんに差し出したのだ。
「飲み物も買ってくれたし、飲み物代なら建て替えるよ」
「島崎さんってばそこまで気を回してくださったんですね。本当に、色々とありがとうございます」
千円だったら飲み物代というにはちと多いんじゃあないのか。源吾郎がそんな風に思っている間にも、米田さんは差し出された千円札を受け取っていた。源吾郎が言葉を挟む間もなく、その千円札は米田さんの財布の中に収まってしまったのである。
※
誠二郎とはその後少し言葉を交わした所で解散した。誠二郎はそのまま言葉通りに家電量販店へと足を運び、源吾郎と米田さんはそれぞれ天然水やミックスジュースで喉を潤し、デートを続ける事になった。
喫茶店に向かうというプランは消滅したが、その分別のお店やらギャラリーに立ち寄る時間が出来たので、特に問題は無かった。元より源吾郎も米田さんも、デートプランは割合流動的なものだった。悪い言い方をすれば、互いにデートに慣れておらず、行き当たりばったりになってしまっているともいえるかもしれないが。
「島崎君。私、少し差し出がましい事をしてしまったかしら」
神妙な面持ちで米田さんが問いかけたのは、二人が飲み終わり、空になったペットボトルや缶を処分した後の事だった。
「苅藻さんやいちかお姉様とは私も交流があるから、私たちが付き合ってる事は知ってるでしょう。だけど、島崎君のご両親やお兄様方はそうでもなさそうだったから……」
「いやいや米田さん。その事は別に、米田さんが気にする必要は無いんです」
源吾郎は米田さんの顔を見つめ、一言一句はっきりとした口調で告げた。
「あくまでも、両親とか兄姉に米田さんの事をいつ頃紹介するかとか、そういう事は僕が一人で勝手に考えている事に過ぎません。ただ、僕らはまだ付き合いだして間がないですし、僕もまだ二十歳にもなってないですし、そもそも結婚とかまだ先の事なので、米田さんを彼女として紹介するのはまだ気が早いかなぁって思っただけなんです。それでちょっと、気まずいなぁって思っただけでして」
「まぁ。島崎君ってばまだ結婚の事とか考えていたのね」
米田さんはそう言ってまず笑った。とはいえ純粋な笑顔ではなく、照れたような笑顔だったけれど。彼女は自分の胸元で思わせぶりに手指を組んでいた。だがそれを眺めているうちに、彼女の手が源吾郎の手許に伸びた。
気付けば米田さんは、源吾郎の手を取っていたのだ。
「島崎君が私の事を好きで好きでしょうがない事は私にもちゃんと伝わってるわ。だけどそれはそれとして、やっぱり時間が解決する問題って言うのも確かにあるのよ。島崎君も、自分がまだ若いって事は解っているでしょう。それに私も、やっぱり心の準備とかがあるから……」
そこまで言うと、米田さんは気恥ずかしそうに目を伏せた。
そりゃあもちろん、現段階で結婚云々を考えるのが早すぎるのは源吾郎も解っている。十八、九の男が結婚するというのは、普通の人間であったとしても相当な早婚と見做されるようなご時世だ。叔父たちなどからは、付き合って十年後ぐらいに結婚出来れば御の字だと言われてもいたくらいだ。
「そうですよね。あはは、僕ってばやっぱり先の事ばかり考えてしまってますね」
そうね。照れ笑いを漏らす源吾郎の言葉に、米田さんは冷徹な声音で応じていた。
「先の事を、未来の事に備えて色々と考えを巡らせるのは悪い事じゃあないわ。だけどね、それ以上に
「それもそうですよね、米田さん」
源吾郎はそう言って頷くと、米田さんの手をそれとなく握り返した。
先の事を考えるよりも、今をどう生きるか考えるべきだ。今日生きていたとしても、明日はどうなるか判らないのだから――その言葉は、米田さんが口にしたからこそ、強い重みを伴っていたのだった。
「大丈夫ですよ、米田さん」
源吾郎はだから、米田さんの瞳をしっかりと見据え、言葉を紡いだのだ。
「俺は急にいなくなったりしません。米田さんのお言葉通り、これからは今どうやって生き延びるかについて考えます。もちろん仕事も頑張ります。そうしてその……米田さんと一緒に暮らせる日に至るまでの日々を、積み重ねようと思うのです」
「うふふ、やっぱり島崎君は島崎君ね。でも私、そう言う島崎君の事が好きよ」
米田さんはそう言うと、源吾郎を見て笑ってくれた。その笑みは屈託のない少女のような笑みであったから、源吾郎も嬉しくなって頬を綻ばせたのだった。
確かに、源吾郎の周囲ではきな臭い連中が蠢いている事には変わりはない。そうした連中との闘いに身を投じ、場合によっては生命に関わる事もあるかもしれない。
そうだったとしても、俺は死んだりせずに生き延びる。生き延びて、そして米田さんと結ばれるのだ。子供のような無邪気な笑みを浮かべながらも、その裏で源吾郎は密かに決意を固めていたのだった。