九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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メランコリックとひりつく空気

 源吾郎は藤森アオイと別れると、そのまま工場棟から研究センターに引き戻っていた。

 但し普段と異なり、その足取りは重かった。足取りの重さは、そのまま源吾郎の今の気持ちを反映していた。源吾郎の心のうちは、メランコリックな暗雲が表層を覆いつくしていたのだ。

 メランコリックな暗雲――要は憂鬱な気分の事であるが――が生成された理由については、源吾郎もはっきりと把握している訳では無い。しかしそれは、訳もなく憂鬱に取り憑かれたという意味とは異なっている。

 憂鬱を感じるであろう原因は、源吾郎の中では複数個存在しただけの話だ。

 

 先程の藤森アオイとの会話にて、おのれが秘匿している事を抉りだされるのではないかと気が気では無かった。

 米田さんに宛てたメッセージを、うっかり長兄に送るという醜態を晒した事が、心の中で棘のように突き刺さっているような感じがしてならなかった。

 少し前の江田島の言葉は、忘れ去らずに時折思い出してしまっていた。途方もない取り越し苦労である事は解っている。それでも、玉藻御前が妲己と呼ばれていた頃から抱えている呪いの事を思うと笑い飛ばせなかった。

 

 あるいはただ単純に、春先だから憂鬱になっているだけなのかもしれない。

 季節性何某という大仰な名前を知る前から、春先や季節の変わり目には憂鬱に取り憑かれる事があるというのを、源吾郎は実は知っていた。それを教えてくれたのはもちろん長兄である。博識で聡明で、実兄ながらも源吾郎の保護者を気取っていたのだから。

 もしかしたらホルモンバランスの関係なのかもしれないな。社会妖やってるけれど、俺もまだ十八で若いし。いやいや半妖だから、純血の人間に換算したら十五、六くらいなのかもしれないし。

 そんな事を考えているうちに、源吾郎はとうとう研究センターに到着してしまった。見慣れた建物を今一度見上げ、それから源吾郎は表情を引き締めた。

 どのような心持であったとしても、研究センターの中では真面目に凛々しく振舞っておきたい。そんな考えが、源吾郎の心の中にはあったのだ。

 

「お、島崎先輩やん」

 

 事務所に戻った源吾郎をまず出迎えたのは雪羽だった。歩み寄るたびに白衣の裾がひらめき、そこから薬品の匂いがかすかに漂っている。

 まだ始業時間前だというのに、雪羽は業務に取り掛かり始めていたのだ。源吾郎は愕然とした思いで彼を見つめていた。

 雪羽は何とも言えない表情でもって、更に言葉を続けた。

 

「んもぅ、月曜日の朝だって言うのに、先輩ったら何だってしけた表情を見せてるんですかね。っていうか、普段通り出社なさっていたんですよね。なのに何で俺に何も言わずにブラブラしてたんですか。ブラブラするのなら、俺にもちょっと声をかけてくださっても良かったのに」

 

 そんな事なんぞ、いちいちお前に報告せんでもええやろ。心の中でツッコミを入れていた源吾郎だったが、口にする事はついぞなかった。ギラギラと異様な輝きを見せる雪羽の翠眼に気圧されてしまったからだ。

 それに雪羽の様子がちとおかしい事にも源吾郎はようやく気が付いた。源吾郎と行動を共にする事を好む雪羽であるが、普段の彼ならばこのような絡み方は流石にしないだろう、と。

 源吾郎の考察をよそに、雪羽は何かを思いついたと言わんばかりの笑みを浮かべた。

 

「もしかして、昨日のおデートで米田姐さんと何かあったんすか?」

「……米田さんとの間でトラブルなんぞ起こる訳がないだろうに」

 

 いささか下世話な雪羽の質問に、源吾郎はため息と共に返答を吐き出した。

 ああだけど。雪羽が少し腑に落ちぬ表情を浮かべている事に気付くと、源吾郎は言葉を続けた。

 

「強いて言うなら、デートの道中で二番目の兄と出くわしてしまったり、米田さんあてのメッセージを一番目の兄にうっかり送ったりしちゃったくらいかな。俺としては、後者のダメージの方がデカいんだけど」

「誤爆って、めっちゃヤバくて気まずいやつじゃんか。そりゃあ凹んでも無理ないわな」

 

 雪羽が親身だったのは言葉の内容だけだった。口調からも表情からも、源吾郎の失態を面白がっている素振りが露わになっていたのだ。もしかしたら、雪羽がそんな態度を見せたのは、源吾郎だけではなく長兄の宗一郎の事を知っているからなのかもしれないが。

 

「てかさ、誤爆がバレた時って宗一郎君はどんな感じだったの? 末の弟に彼女が出来たって事で驚いたとか? しょうもない誤爆をするなって怒ったとか?」

「いいや。兄上はしごく冷静だったよ」

 

 野次馬根性丸出しだった雪羽の表情が、一瞬にして神妙なものへと変貌する。源吾郎はそれが面白いと、知らず知らずのうちに思い始めていた。

 

「もちろん、誤爆には気を付けるようにって冷静に諭されちゃったけどね。あとさ、ホップのせいで誤爆しちゃったって言ったらその事はめっちゃ叱られちゃったんだ。小鳥のせいにするんじゃあないって、ね」

「それはもう、宗一郎君の言うとおりだと思うよ。だって小鳥ちゃんは小鳥ちゃんなんだからさ」

 

 雪羽はもはや面白がっている表情など見せていなかった。小鳥ちゃんは小鳥ちゃんというくだりでは、ほぼほぼ真顔ですらあった。

 源吾郎は僅かに唸りはしたが、雪羽に対して敢えて反論しなかった。勝手に鳥籠の扉を開けて脱出したホップの挙動については話したい所ではあった。だがその話を始めれば話が長引くしややこしくなるであろう事は明白だったのだ。妙に合理的な雪羽の事だから、「それなら鳥籠に鍵か結界でも設けていたら良いんすよ」と、解りきった事を言われるだけかもしれないし。

 源吾郎はだから、自分の話題はこれで終わりにしておこうと思ったのだ。

 

「俺はまぁそんな感じだから、別にしけた表情を見せていたとしても、特段心配する事は無いよ。それよりも雷園寺君。君だって何処か緊張した様子を見せているけれど、一体何があったのさ」

「何があったのさ、なんてとぼけるなよ」

 

 言い返す雪羽の言葉には、いくばくかの興奮の色が滲んでいた。頬も紅潮し、宝石のごとき翠眼が粘っこい光を放っている。雪羽は雷獣だから、目や身体が光るのはよくある事でもある。

 

「今日は月初めの月曜日だろ。それで紅藤様も萩尾丸さんも本部での打ち合わせがあるって事でピリピリなさってるんだよ。島崎先輩。今の事務所の雰囲気がどんなのかご存じですか? もう修羅場そのものっすよ、いやマジで」

「そうか。そうだったんか」

 

 言い放った源吾郎の言葉は、重みを伴わずに何処へともなく漂っていった。修羅場と言われてもピンとこなかったのだ。何せ工場棟に出向く前に研究センターの事務所に顔を出したのだが、紅藤や萩尾丸とはまだ顔を合わせていなかったのだから。

 だがよくよく思い返してみれば、三月の第一月曜日は紅藤と萩尾丸が本部に向かう、という話はあったような気もする。

 

「先輩ももうすぐ社会妖《しゃかいじん》二年目なんすから、上司とか先輩方のスケジュールとかも把握していた方が良いっすよ。それに引き換え俺は、ちゃんと紅藤様たちの打ち合わせの事も覚えていて、その上でお二人の神経を逆なでしないように、大人しく慎ましく試薬を調整していたんすから。へへへ、健気な部下の鑑ってやつだと思いませんかね?」

「そんなん自分で言うもんじゃあ無いでしょ」

 

 思わずツッコミを入れた源吾郎であるが、あくまでもツッコミどころは話の後半部分だけである。源吾郎は真面目な表情を作り、再び口を開いた。

 

「まぁだけど、前半の話は雷園寺君の言うとおりだよ。俺もさ、ちょっとボーっとしてたのかもしれないし」

「ま、まぁボーっとするような事もあるだろうさ。俺だって、色々と不安になる事とかもあるもん。やっぱり、この所ちょっと物騒だし」

「物騒って……やっぱりそうなんか」

 

 雪羽と言葉を交わしながら、源吾郎はふと本部に向かうというスケジュールの事を思い出した。先月のミーティングの時には、本部の打ち合わせとやらは朝一に行われると言っていなかっただろうか。となると、紅藤や萩尾丸がまだこの研究センターにいるのは不自然だ、と。

 そんな疑問を雪羽にぶつけてみると、彼はあっけらかんとした様子で口を開いた。

 

「元々は朝一で本部に集まる予定だったんですけれど、十時半からに変更になったんすよ。何でも、朝一だと全員揃うのが難しいとかでさ」

 

 源吾郎は納得の声を上げながら、雪羽に誘われるままに事務所の奥へと歩を進めた。視界の端では小さな何かがちらりと通り過ぎ、窓の外では鴉がやかましく啼き交わしている。しかしそれらに、源吾郎が意識を向ける事は無かった。

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