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舞台は再び屋敷の庭に戻る。山鳥女郎の屋敷が半ば崩落し、そこから八頭怪や山鳥女郎、そして彼らを追う雉鶏精一派の幹部たちが飛び去った――物理的に空を飛ぶ機能を持たない妖怪であっても、浮遊術・飛行術によって空を飛ぶ事は可能なのだ――後も、青松丸たちは紫苑と闘っている最中であった。
と言っても、その闘いもそろそろ終盤に近付いていた。紫苑が度々召喚していた異形たちも青松丸や双睛鳥によって大方狩られた。紫苑自身の動きも、キレと鋭さが鈍り始めている。疲労の色が見え始めていたのだ。
一方の青松丸は、多少羽毛がほつれたり擦り切れたりしていたが、闘うにあたっては気力も体力も十分に残っていた。
半不死の肉体を実現できるほどの、無尽蔵の再生能力の持ち主である。五、六回ばかり「
ましてや今回は、雉鶏精一派の存亡がかかった大切な局面でもある。自分の心と五体には意欲と闘志が満ち満ちていた。
更に言えば、紫苑の召喚した触手やよく解らない異形たちも多少は腹の足しになってくれた。そうした物も臆せず喰らったためだ。
未だ戦闘中ではあるものの、青松丸たちの闘いも決着がつきそうな局面を迎え始めていた。と言っても、青松丸も紫苑と闘ってそれで終わりではない。八頭怪を追い立てている幹部勢とも合流したかった。ましてやこちらは、第七幹部の双睛鳥と、第八幹部の三國までが紫苑を打ち負かすべく加勢してくれているのだから。
「相変わらず戦闘スタイルは滅茶苦茶だけど、まぁそれでも及第点ね」
嘴の先から血混じりの痰を吐きながら紫苑は言った。両者の間合いは五、六メートルほどだ。憎まれ口をたたき、シニカルな笑みを浮かべてはいる。しかし痰を吐き振り返ったその時に、彼女がよろめいたのを青松丸たちは見逃さなかった。
「流石は八頭衆を嘱望されただけの妖怪ね。いいえ違ったわね。雉仙女の息子だし、八頭衆よりも上の地位にだってなれたんでしょう?」
「そんな事はどうでも良いだろう」
青松丸の言葉が尖る。自分は八頭衆のような幹部とは一線を画す存在だ。本来ならばそうなっていたはずだ――そんな話など、青松丸にとっては無意味極まりない物だった。
実際には、紅藤たちが拾った――それも血筋も素性すら明らかではない――萩尾丸が大成し、幹部としての任を全うしている。のみならず、第二幹部たる紅藤に忠実に仕え、支えているのも彼の役割だった。
それで何ら問題はないし、青松丸も不満などない。上に立ち紅藤の参謀としての役目は、自分よりも兄の方が向いていた。ただそれだけの話に過ぎない。
「それで」
青松丸は翼を畳み直し、今一度口を開いた。鋭い眼差しが互いに交差する。
「紫苑さん。貴女はこの後どうされるんです?」
「言うに事欠いてどうするかを聞くの。愚問だわ」
言い捨てた紫苑の眼差しが鋭くなる。それでいて、その顔にはやけっぱちめいた笑みが浮かんでいた。
「あんたたちと同じよ。私は私のやりたいようにやる。そうでなければ、今この瞬間まであんたたちと闘いなんかしないわよ。
そうね、はっきりと言っておくわ。私を投降させようと思っても無駄よ。私を、私たちを止めたければ――
ああ、そうかい。押し殺した、冷え冷えとした男の声が青松丸たちの鼓膜を震わせた。この言葉を放ったのは青松丸ではない。第七幹部の双睛鳥だった。準備運動とばかりに両翼を伸ばす彼の瞳には、明瞭な殺意の色が浮かんでいた。
雉鶏精一派に加わる前は、生態兵器として利用されてきた過去もある彼だ。情緒不安定で自罰的な所はあるが、敵と認定した相手への殺しには躊躇いなどない。そうした気質である事を青松丸はよく知っていた。
「だったらここで殺してやるよ。裏切り者のメンドリさん、地獄に堕ちると良いよ」
声高に、しかし妙に畏まった口調で言い放つと、双睛鳥はそのまま紫苑の方へと突っ込んでいった。嘴からは薄紫の毒気が漂っており、確実に彼女を仕留めんとする気概に満ち満ちていた。邪眼で有名なコカトリスであるが、実際には血液や体液にも毒が含まれている。進化の過程で弱毒化し、尚且つ任意で毒を調整できる双睛鳥であっても例外ではない。
一方の紫苑はというと、毒を纏った黄色い矢を前にして微動だにしなかった。青松丸であっても、ブレているようにしか見えぬ速度で双睛鳥は動いているのだ。気力も体力も消耗した紫苑では、どのみち回避は難しいだろう。
もしかしたら、もはや彼女に回避する意志すらないのかもしれないが。
「やめろーっ! あ、姉上を、いじめるなーっ!」
「!?」
黄色い矢が紫苑に突き刺さらんとするまさにその時、その紫苑と双睛鳥の間に何者かが割り込んできた。流石の双睛鳥も一瞬戸惑ったようであるが、しかしそれで攻撃が止まる事は無かった。
肉に刃物が突き刺さる鈍い音と共に、液体が飛び散る湿った音が響く。双睛鳥の嘴は、確かに獲物を捉えていた。
但し、彼の毒嘴を受けたのは紫苑ではない。イルマだった。紫苑の前に割り込んできたのは、邪神の息子にして紫苑の異父弟である彼だったのだ。
双睛鳥は既に嘴を引き抜いていたようだが、イルマは鎖骨の辺りから黄緑の粘液を噴出させ、紫苑の前でうずくまっていた。黄緑の粘液こそが、イルマの血液なのだろう。所謂赤い血は彼の身体からは一滴も流れていなかった。
一方で攻撃を終えた双睛鳥もまた、イルマたちから少し距離を置き、頭を振るって粘液を振り払っていた。元より双睛鳥は、コカトリスゆえに毒物への耐性は具えている。しかし邪神の血を引く者の体液は、そんな彼を以てしても異質なものなのかもしれない。
あれこれ考えつつも、青松丸は構えていた。紫苑は言うまでもなく、イルマだってまだ完全に仕留めたとは言えない状態だ。油断せずに警戒した状態を維持するのはごく自然な事であろう。
そうして構えているのは、もちろん青松丸だけではない。上空では相変わらず三國が本来の姿で遊弋しているし、緑樹の部下である鬼や猿妖怪たちもこちらにはいるのだから。
「なんでよ」
そんな状況下で、紫苑がぽつりと呟いた。その顔には先程までのやけっぱちめいた笑みは無かった。物悲しさとそこはかとない怒りがブレンドされたような表情で、イルマを見つめていた。
いや、紫苑は今、イルマしか見ていなかった。
紫苑の問いに気付いたイルマが、ゆっくりと首を動かす。半ば触手と化した右手はまだ傷口に添えられている。溢れる粘液の量は若干落ち着いているようだったが、傷が癒え始めているのか溢れる粘液自体が枯渇しているのかは解らなかった。
「り、り、理由なんて無いさぁ。き、兄弟で助け合う事は、姉上を助ける事は、当たり前の事で大切な事だって、お、俺は知ってるよぉ」
「そんな……」
途切れ途切れのイルマの言葉に、紫苑の目が大きく見開かれる。窮地に立たされている事に気付いた異父弟が自分を救ってくれた。その事が信じられないとでも言わんばかりの表情だ。
「イルマ、あんたも馬鹿な事をしたわね」
「馬鹿? あ、姉上、俺は馬鹿じゃないよぉ。母上の、いや碧松姫様や八頭怪様の言いつけで、色々と勉強をして……」
「そう言う事じゃあないの。イルマ。私もあんたもあいつらに……」
あいつらに、八頭怪たちに――何をされているというのだろうか。だが結局のところ、紫苑はその後の言葉を吐き出しはしなかった。次の瞬間には、イルマ共々その姿をくらませてしまったためだ。
彼女が用いたのは転移術の類だった。それも、かつて灰高が言っていた内容のものである。
「すみません青松丸さん。すんでのところで取り逃がしました」
「畜生、メス山鳥だけじゃあなくて、邪神の倅まででしゃばって来るとは」
双睛鳥や緑樹の部下が、申し訳なさそうに詫びたりイルマの行動に憤慨したりしている。青松丸は目をすがめて周囲を見渡し、それから自分たちも八頭怪を追跡する事を皆に提案した。
実際のところ、転移術を用いた紫苑が何処へ向かっているのか、青松丸には解らない。妖気の追跡は出来なかったからだ。しかし傷ついたイルマがいるのならば、八頭怪の許に向かうのだろうという推測自体は可能だった。
結局のところ、八頭怪たち敵勢力は、それも主だった連中は一か所に固まる事になったのだ。一気にまとめて封じ込める作戦を考えている雉鶏精一派にしてみれば好都合な話であろう。
それでも残党や伏兵がいないかに気を配りつつも、青松丸はそんな事を考えていたのだった。