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源吾郎たちに割り当てられた仕事は、大方終わったも同然だった。彼らが任されていたのは、雑兵たちの鎮圧と、鎮圧した敵の後始末だけだったのだから。
鎮圧ないし制圧は言うに及ばず、後始末の方も収束しつつあった。後始末と言っても大した事ではない。大人しく従うものは、妖怪警察の面々に引き渡すだけだ。彼らは然るべき法によって罰せられるのだろうが、その辺りは源吾郎たちの管轄外である。
中には最期まで反抗し、歯向かってくる者もいるにはいた。そう言う手合いは、荒事に慣れた妖怪が生命を奪って黙らせた。その様子を、仲間や先輩妖怪が殺しを行う瞬間を源吾郎が目の当たりにしたのは言うまでもない。
生命が無造作に奪われる恐怖や、血みどろの死体が齎す気持ち悪さ。そうした感情は薄らいでいた。今更ながら源吾郎はその事に気付き、胆の辺りがぞっと冷える感覚を抱いた。平穏な暮らしにはもはや後戻りはできないぞ――誰かがそう言ったのを、源吾郎は今更になって思い出していた。
しかし幸いな事としては、大人しく降伏する者が多かった事であろう。半魚人と思しき手合いも蛇人間みたいなやつも黒山羊めいた風貌の連中も、妖怪たちにすごまれると、大半は素直に平伏したのだ。
つまるところ、邪神に仕えている連中と言っても、所詮は妖怪たちの敵ではないという事だ。聞けば人間から派生したような存在もおり、そう言う意味でも生きている時間も大いに異なっている訳だし。少なくとも、純血の妖怪であれば一人前と呼ばれるには五十年から百年の歳月を要する。半魚人めいた深海ヨリ来ル者も長命であるらしいが、それでも数十年生きれば大人扱いされるらしいのだから。
「とはいえ、比較的少ない被害で彼らを制圧できたのは、私たちの部隊が、ほぼほぼ妖怪たちで構成されていたからなのよ」
邪神の眷属や信者など恐れるまでもない。そんな源吾郎の心中を見透かしたように、鳥園寺さんが呟いた。彼女は生粋の人間であるのだが、術者一族の次期当主である事と、強大な魔力を持つ使い魔を保持している事から、この度の戦闘に駆り出されていたのだ。
もっとも、彼女の使い魔たるアレイは鳥園寺さんの傍にいない。大妖怪には及ばずとも、彼もまた百戦錬磨の猛者である。鳥園寺さんがわざわざ指示を出さずとも、彼自身の判断で動く事など造作もない。何となれば、アレイが鳥園寺さんを見守り、指南する立場ですらあるくらいなのだ。
主戦力そのものたるアレイが傍にいない状態で、鳥園寺さんはというと諸々の雑事を行っていた。すなわち、他の仲間と連携して邪神崇拝者の挙動に目を光らせ、雉鶏精一派サイドの負傷者に簡単な手当てなどを行っていた訳だ。
ちなみに鳥園寺さんは看護師としての資格を持っている訳ではない。しかし生物学を専攻しその手の知識に明るいから、手当なども任されたのかもしれなかった。
そうした雑事も一段落し、また見知った源吾郎の姿を認めたので、鳥園寺さんも少し安堵したのかもしれない。手当ての終わった源吾郎に話しかけてきたのも、そのためであろう。
「妖怪って本当に強いもの。ねぇ島崎君。一尾の妖狐だったとしても、胴体にタイヤを括りつけられた状態でも時速二十キロ以上の速度で走れるんでしょう?」
そう言えば、萩尾丸先輩は若妖怪に対してそんなトレーニングをなさっていたな。鳥園寺さんの問いかけに、源吾郎はふとそんな事を思い出していた。
その事を口にしようとした源吾郎であったが、結局口にする事は無かった。話そうと思った時には、既に鳥園寺さんが喋り始めていたためだ。
「島崎君がどう思っているかは脇に置くわ。今回私たちが制圧した連中もね、本当は手ごわい相手にあたるのよ――私たちみたいな
寂しく切なげに微笑む鳥園寺さんに対し、源吾郎はやはり無言のままだった。彼女に対してかける言葉が何もなくて、無言を貫くしか方法が無かったのだ。
自分が何を言ったとしても、鳥園寺さんの気持ちに寄り添う事は出来ない。人間の血を引き、人間ベースの肉体を持っていたとしても、源吾郎は半妖なのだから。真に人間の事を、人間としての弱さを理解する事は源吾郎には不可能である。そうした事は、源吾郎もきちんと解っていたのだ。
「まぁ確かに、深海ヨリ来ル者も、食屍鬼や蛇人間なんぞも、人間サマには手に余る連中だろうな」
鳥園寺さんの言葉に応じたのは、傍にいた二尾の妖狐だった。何となく見覚えのある顔だから、萩尾丸の部下であろう。と言っても名前までは定かではなかったが。
彼もまた負傷しており、左腕には即席の包帯が巻かれ、生乾きの血の匂いが漂っている。それでも涼しい顔をしているのは、傷が浅かったためなのか、あるいは訓練の賜物なのかは定かではない。
「それに俺たちが取り押さえたのは、あくまでも末端の手駒どもだけだからな。それこそ、頭である八頭怪やその取り巻き連中はまだ――上層部が闘っている最中だろうし」
妖狐の青年はそう言うと、顔を少し上げて遠くの気配を探っていた。
となると、俺たちもこんな所にいるよりも、紅藤様たちの所に加勢した方が良いのではなかろうか。源吾郎は半ば反射的にそう思っていた。
八頭衆へ加勢する事を衝動的に思いついた丁度その時、妖狐の青年と目が合った。
「島崎だったか。萩尾丸さんたちに加勢するって言うのはやめておいた方が良いぜ」
同族の言葉に、源吾郎は目を丸くして硬直した。心中を見抜かれたのか。そう思っている間にも、彼は言葉を続けていた。
「所詮俺たちは若手の雑魚に過ぎないんだからさ。八頭怪に立ち向かったとしても、萩尾丸さんたちの足を引っ張るどころか犬死にしちまうだけだろうぜ。ははっ、狐が犬死にするだなんて洒落にもならないだろう!」
そこまで言うと、妖狐の青年は乾いた笑みを浮かべていた。源吾郎も笑おうとしたが、頬の筋肉が引きつって、上手く笑う事など出来なかった。
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「ああ全く、容赦も糞もないわね」
「当たり前でしょ。この期に及んで容赦する余裕なんて、私にもあなたにも無いでしょう?」
ふらつく足取りをどうにか取り繕いながら、山鳥女郎は言い捨てた。既に気力も妖力も大幅に消耗しているはずだというのに、憎まれ口を叩くほどの元気はあるらしい。紅藤は感心したような呆れたような気分になっていたが、さりとて深く追求する事は無かった。紅藤も紅藤で、その辺りについてあれこれ考える余裕などなかったからだ。
紅藤と山鳥女郎の闘いについては、決着がつきつつあった。軍配は紅藤の側に上がっていた。とはいえ余裕の勝利などではない。山鳥女郎が満身創痍であれば、紅藤だって疲労困憊だった。無限ともいえる妖力を保持しているものの、紅藤の素体は雑魚妖怪と大差ない。それ故に体力がなさ過ぎるのだ。平素ならば仕事の合間に休息や食事を摂ってどうにか誤魔化せるが、戦闘の折にはどうしてもその弱点が露呈してしまう。
ついでに言えば、山鳥女郎は確かに強かった。たとえ途中から、火焔術などと言った初歩的な術や、それすら行わずに肉弾戦でぶつかり合っていたとしてもだ。
何せ紅藤は、山鳥女郎を完全に殺すつもりで攻撃を仕掛けていたのだ。攻撃自体は雑なもの――それこそ、峰白や萩尾丸に叱責されそうなレベルである――ではあったが、威力そのものは生半可ではない。普通の妖怪ならば即死、上級妖怪でも致命傷になるような攻撃ばかりだったのだ。爆発的な妖気を纏わせたがために、稚拙な攻撃にもこれほどの殺傷能力を付加させる事が出来た。
「それにしても、滅茶苦茶な闘い方ね」
「邪神と交わって子供を産んだ事に較べれば、まだまだ大人しい方でしょう」
山鳥女郎は周囲を見やり、呆れたようにため息をついていた。山奥で闘っていたはずなのだが、周囲はさながら土を盛り上げた更地のような様相を呈していた。
いや確かに、この場は草木の生い茂る山奥だったのだ。紅藤と山鳥女郎が闘う前までは。自分たちが齎した惨状に、紅藤の嘴からもため息が漏れた。
「滅茶苦茶な闘い方でもしなければ、あなたを仕留める事は出来なかった。だから仕方がないのよ」
気が付けば、紅藤の口からそんな言葉がまろび出ていた。山鳥女郎に向けた言葉であるのは言うまでもない。しかし、自分の行いを正当化するような響きも伴っている。少なくとも、紅藤はそんな風に感じていた。
しかし感傷的な気分に浸ってばかりもいられない。気を取り直した紅藤は、胸元の羽毛の間に隠していた縛妖索《ばくようさく》を取り出すと、そのまま山鳥女郎を拘束した。
彼女は、確かに八頭怪の側近に他ならない。しかし首魁たる八頭怪は未だに雉鶏精一派と闘っている最中である。ついでに言えば、山鳥女郎と交戦したために、上手く封印予定地に八頭怪たちを誘導できずにいた。
「あら、殺しはしないのね? 闘っていた時は、あれだけ殺気を撒き散らしていたのに」
縛妖索で拘束された山鳥女郎は、小首をかしげて問いかけた。
「下手な動きをしたら、その縛妖索は刃の鎖になって縛っている相手を切り裂くわ。他の安物と違って、大妖怪にも通用する魔道具ですからね。もちろん――胡喜媚様たちを捉えた縛妖索ではないけれど」
問いに応じる代わりに、紅藤は縛妖索の威力を伝えるだけに留めておいた。
捕縛した山鳥女郎をそのまま殺さなかったのは、何も紅藤が仏心を起こしたからではない。山鳥女郎の実子である紫苑とイルマ。この二人が傍にいたから、敢えて殺さずに生け捕りにしたのだ。
特にイルマは見開いた眼を潤ませ、母たる山鳥女郎がどうなってしまうのかとおろおろしている。言動には何処か幼い所があるものの、イルマとて邪神の血を受け継ぐ存在である。ここで山鳥女郎を殺してしまえば、イルマが暴走しかねない。そのように判断したからこそ、紅藤は敢えて山鳥女郎を生け捕りにしたのだ。
一方の紫苑はというと、異父弟のイルマに較べればかなり冷静さを保っていた。彼女の視線はむしろ、山鳥女郎よりもイルマに向けられているのだが。
「安心なさい。あなたたちが妙な真似をしなければ、山鳥女郎の……あなたの母親の生命は保証するわ」
「め、メンドリ野郎。その言葉は本当か!」
やにわにいきり立つイルマを、紫苑がそっと手で制した。
「落ち着きなさいイルマ。彼女が言っている事は真実だと私は思うわ。雉仙女殿はそういう妖《ひと》だから」
そう言うと、紫苑は臆せず紅藤を真っすぐ見やった。その眼差しには憤怒の色は無く、むしろ気だるげで物悲しげでもあった。
紫苑は一体何を思っているのか。湧き上がる疑問を抑え込み、紅藤は声を張り上げた。紅藤の視線の先にいるのは八頭怪だ。本来の姿に戻り、未だに雉鶏精一派の幹部や側近たちと相争っていた。
「八頭鰥夫《はっとうかんぷ》! 側近である山鳥女郎とその子供らは、この私が捕縛したわ。もはや側近も重臣もいないんでしょう。大人しく降伏なさい!」
時を告げるオンドリよろしく、紅藤は声高に叫んだ。八頭怪の動きが一瞬止まる。そのうちの一首がこちらを向き、様子を窺っていた。一首に、いや他の首に浮かんでいるのは焦りの表情ではない。むしろ何かを押し隠したかのような、薄気味悪い笑みですらあった。