雉鶏精一派の幹部たる八頭衆は、頭目の胡琉安と共に八頭怪そのものに直接闘いを挑んでいた。しかし八頭衆の重臣や側近たちの全てが、上司と同じく八頭怪と直接闘っていた訳ではない。彼らにはそれぞれ持ち場が割り当てられていたのだ。
もちろん、上司と共に八頭怪に攻撃を仕掛ける役割を担う者もいる。だがそれは全体としては少数に過ぎない。他の者たちは、おおむね別の役割を任されていた。
ある者はおのれの部下を率いる指揮官としての役目を負っていた。そして別の者は、八頭怪の封印予定地に詰めている、といった塩梅である。
封印の任を任された妖怪たち。彼らこそが今回の闘いで最も重要な役目を担っている事は言うまでもない。何しろ、雉鶏精一派は八頭怪を封じる事が最終目的なのだ。その事を思えば、八頭怪と直接闘う幹部陣すら単なる勢子に過ぎないのである。
ともあれウミワタリを頭とする封印部隊は、八頭衆の擁する部下たちの中でも精鋭揃いである。戦闘能力が高い者だけではなく、封印術などの妖術に長けた者、用心深く危険を素早く察知出来る者など、様々な妖員をバランスよく配置していたのだ。
八頭怪を封じるにあたって、どのような事があるか解らない。だからこそ、取り乱さずに冷静に対処する。封印部隊はそのような事を胸に刻んでいた。
それでも、紅藤たちもろとも八頭怪が転移術で突如として姿を現した事には、さしもの封印部隊の面々も若干驚いた素振りを見せてはいた。
とはいえ、精鋭揃いの彼らがたじろぎ、戸惑っていたのは一瞬だけである。封印部隊の面々はすぐに気を取り直し、八頭怪たちをこの世ならざる処へと封じるべく、術式の発動を始めた。
封印部隊に託された封印術もさることながら、灰高の、文字通りおのれの身を削っての術式は強力な物だった。何せ八頭怪たちは拘束されているだけに留まらず、山鳥女郎やイルマ、紫苑をもひとまとまりになるようになっていたのだから。
彼らの肉体が融合してしまっているという、過度にグロテスクな状況になっている訳ではない。それでも八頭怪たちはおのれの意志とは無関係にその場に押しとどめられ、ただただ封印されようとしていた。
「ふ、ふ、封印って、こ、この世界とは違う所に飛ばされるって事だよなぁ?」
封印。灰高の口にしたその単語に反応したのはイルマだった。八頭怪ないし山鳥女郎に向けて放たれたその問いは、しかし何故か陽気さを伴っていた。目を輝かせ、山羊めいたその容貌に喜色を滲ませているように見えたから、一層そう思えたのかもしれない。
息子のそんな表情に、母親にして使役者たる山鳥女郎は、あからさまに顔をしかめた。
「イルマ、そこは喜ぶところじゃあないでしょ」
キョトンとした表情を浮かべるイルマに対し、渋面を浮かべたまま山鳥女郎は言葉を続ける。頭の羽毛を全て逆立て、叩くように翼を打ち鳴らすその様からも、苛立ちの念がありありと滲み出ていた。
元より彼女は感情を表に出しやすい性質であるし、その事も紅藤は知っていた。だがそれでも、彼女の態度は何処か芝居がかって見えたのだ。今更になってそんな事を気にしている場合ではないのだろうけれど。
「私は悔しいわよ! 黄帽子様の……この地を統べていた黄帽子様の娘として生まれたのに、何処の馬の骨とも解らないぽっと出のメス雉に、何もかも先を越されたんですから。しかも邪神の息子であるイルマを手に入れても、イルマ入るまで思っていたように役には立たないし……」
「碧松姫ちゃん」
未だに嘴を噛み締めて恨み言を紡ごうとする山鳥女郎に対し、八頭怪が声をかけてきた。彼のその声は、思いがけぬほど冷ややかな物だった。
「キミは本当にイケナイ娘だねぇ。所詮は自分が鳥畜生でしかない事を棚に上げて、イルマ君の事をあしざまに言うなんて」
鳥畜生という言葉に衝撃を受けたのは、何も紅藤だけではない。山鳥女郎もまた、驚愕の色を滲ませて目を見開いていたのだ。
「いかな碧松姫ちゃんと言えども、イルマ君の事を馬鹿にするのは赦せないなぁ。キミだってさ、腹は借り物って言葉くらいは知ってるでしょ?」
硬直した山鳥女郎の瞳に熱が宿る。それを見届けるや、八頭怪は歌うように言葉を続けた。
「そりゃあもちろん、ボクだって悔しいよ? あの糞忌々しい胡喜媚がとうにくたばったというのに、そいつに心酔していた取り巻き連中はまだこの世にいて、しかもそいつらにこうして追い詰められているんだからさ」
八頭怪もまた、その八つの顔に悔しげな表情を浮かべていた。
紅藤はここで、どうした訳か八頭怪と胡喜媚の事を思い出していた。と言っても、胡喜媚や他の幹部たち――八頭衆の事ではない。もっと前の、胡喜媚が存命だった頃の幹部勢だ――から聞かされたレベルの話ではあるが。
胡喜媚と八頭鰥夫は実の姉弟だったのだが、何千年も前に仲違いをし、相争い殺し合う関係になっていた。胡喜媚が金毛九尾を、野良の哺乳類妖怪でしかない狐畜生を義姉として慕いはじめた事が発端であった。そんな事を、紅藤はふと思い出していたのだ。
もっとも、今はもう金毛九尾も胡喜媚も現世にはいない。だから考えを巡らせても詮無い事であるのだが。
「悔しがったとしてももう遅いのよ。全ては過去の事なのですから」
気が付けば、紅藤は言葉を紡いでいた。悔しがる八頭怪に山鳥女郎。彼らの姿を見て、自分たちの勝利を確信したためであった。
実際問題、封印術は発動しつつあったのだ。元より灰高の術によって拘束されているのだが、光の鎖めいたものが八頭怪たちに向かって伸びていき、そして元の拘束術を上書きするように、彼らの身に絡まっていく。
本命たる封印術もまた、顕現し始めていた。すなわち、空間が裂け青黒い宇宙の闇のごとき別の空間が顔を覗かせていた。八頭怪たちは間もなくその空間に囚われ、そして空間の裂け目ごと封じられる。
それで、全てが、終わるのだ。
「ご覧ください八頭鰥夫殿! あなた方の為にご用意した封印は、もうここまで準備が出来ておりますよ」
鳥妖怪の若者が、おどけたような調子で言い放つ。大陸というよりもむしろ和風の神官めいた衣裳に身を包むその若者は、雉妖怪のウミワタリだった。胡琉安の影武者にして、ニワタリ神の権能を受け継いだとされるオンドリ。
先程まで激闘を繰り返していた紅藤たちとは異なり、ウミワタリは人型を保っていた。その変化した姿もまた、もちろん胡琉安に生き写しである。
ウミワタリは明るい喜色に顔を輝かせ、八頭怪を眺めていた。かれこれ百七十年ばかりの付き合いになるが、彼がここまで嬉しそうにしている姿を見たのは、初めての事のようにも思えた。
「不肖このウミワタリが、八頭鰥夫殿の道逝きを案内いたしましょう」
「そうか、そうかい……」
朗々としたウミワタリの言葉に、八頭怪はぼんやりとした声で応じるだけだった。もはや封じられる事を目前にして、呆然自失の状態になっているのだ。紅藤はそう思っていたし、八頭衆の面々もそう思っているようだった。
ただ、峰白だけが声を上げようとしていた。何かを察したと言わんばかりに。
しかし結局のところ、峰白が声を上げる事は無かった。
それよりも先に、八頭怪が動いていたからだ。
鋭い金属音に肉が裂ける音、そして頬に飛び散る生暖かい液体。これらに紅藤が気付いた時には、事は既に終わっていた。
「がぐっ……おのれ、八頭鰥夫。この期に及んで……」
「そりゃあボクだって悔しいよ? 悔しくてしょうがないから、腹いせにキミをいたぶってやる事に決めたんだよ。あはは、本当は胡張安や胡琉安を虐めたら面白いだろうけれど、キミは胡琉安にそっくりだから、それで我慢してやるよ」
八頭怪の二首は絡み付いていた拘束術を無理やり引き千切り、その上でウミワタリの身体に喰らいついたのだ。喰らいつかれた右肩と左腰は、鮮血と共に軋む音が聞こえている。
封印術を解除してウミワタリを救出せねばならないのか。だがそうしたら逃れる八頭怪をどうやって御するのか……紅藤たちがそのように思案を巡らせる暇などは与えられなかった。封印術が完成し、口を開いた異空間がそのまま八頭怪たちを飲み込んだからである。
最後に見た時、八頭怪はウミワタリを咥えたまま、けたたましい哄笑を上げていた。最後の最期に意趣返しが出来た事がよほど嬉しかったのだろうが、それを差し引いても異様な光景だった。
いずれにせよ――雉鶏精一派は犠牲を出したものの、八頭怪を仲間諸共封じ込める事と相成ったのである。