賓客という立場でビュッフェを楽しむのはいつぶりだろうか。皿を片手に少し大仰な事を考えていた源吾郎であったが、中学三年の修学旅行にて、一日目の夕食がやはりビュッフェ形式である事を思い出してしまった。
中学三年の事であるから、およそ五年ぶりの事である。源吾郎はしかし、大昔とは言わずとも久しぶりの事だと思った。十年一昔という言葉があるからだ。何より源吾郎は齢十九である。二十九や三十九の大人ならばいざ知らず、二十歳前の若者にしてみれば、五年前も相当昔の事だ。
僅かにおのれの腹の音が鳴るのを感じ、源吾郎は料理に視線を転じる。
源吾郎が控えていたのは、肉料理のコーナーであった。チキンステーキやミニハンバーグ、あるいは揚げ物ながらもあっさりとしたフリッターなどが並んでいる。
ちなみにこれらは獣妖怪向けの味付けであり、その味に物足りない者向けにソースや塩などの調味料も、テーブルの隅に配置されていた。
やっぱり肉料理こそメインディッシュだよな。源吾郎はそう思いながら、肉料理の並ぶテーブルに近付いた。食べ盛りの若者であるし、そもそも肉食獣たる妖狐の血を引いている。肉類に興味を持つのはごく自然な事だった。
「あ」
「島崎さんだ」
「ほんまや」
源吾郎が半歩ほど近付いたところで声が上がる。肉料理のテーブルには、実は源吾郎以外にも妖怪たちが数名集まっていた。獣妖怪、特に狐狸妖怪の青少年たちばかりだ。彼らの名前まで知っている訳ではないが、萩尾丸か他の幹部たちの部下であろう。
「あ、先輩たちじゃあないですか」
ひとまず源吾郎は空いている方の手を挙げて、若者たちに挨拶をしようとした。名前の解らない妖怪たちに対しては、ひとからげに先輩と呼ぶのが源吾郎の癖だった。新入社員である源吾郎にしてみれば誰も彼も先輩であるから、間違った言い方などではない。
こんにちは、という単語が喉からせり上がってきて、源吾郎はそれをぐっと押し戻した。既に夜を迎えているから、むしろこんばんはの方が適切であろう、と。
ところが、源吾郎が挨拶をする事は無かった。挨拶をすべき若者たちは、源吾郎の姿を見るや遠慮した様子でテーブルを離れたからだ。
「あははっ、島崎さん。俺らの事なんて気にせずに好物を好きなだけ取ってくださいよ。なんせ玉藻御前の末裔で、家柄の良いお貴族様なんですから」
いかにも狐色の毛並みを持つ妖狐の青年は、不自然なほどにこやかな笑みを浮かべながらそう言った。言うとすぐに、ミニハンバーグを二つほど皿に取り分けてそのまま立ち去ってしまったのだ。
立ち去った狐狸妖怪たちの姿を見ながら、源吾郎は思わずため息をついた。実のところ、源吾郎はビュッフェ形式は苦手だったりする。妙な所でぼんやりしてしまう気質なので、がっついて料理を取るという事が中々出来ないためだ。
だから他の妖怪たちがいないのは、好きな料理を取り分けるという点では有利ではある。しかし源吾郎を見て露骨に立ち去った狐狸妖怪たちを見ると、複雑な気持ちになってしまうのも事実だった。
祝賀会とは言いつつも、やはり参加している者たちは、自分や相手の家柄や力量についてもあれこれと考えを巡らせるものなのだろうか。そんな風に思うと、妙に気が重くなってしまうのだった。
※
「あれ、どうしたんすか島崎先輩。浮かない顔をしてますけれど。祝賀会の場でそんなしけた表情をしていたら、それこそ萩尾丸さんたちに怒られますよぅ」
しばしぼんやりしていた源吾郎の傍らに、雪羽がやってきて話しかけてきた。彼の視線は、源吾郎の顔から皿へとスライドしていた。
「この前みたいに好きな料理が取れなくてしょんぼりしていたのかと思ったんだけど、そんな感じでも無さそうだし」
「雷園寺。君は俺をどういうやつだと思っているんだよ」
言いながら、源吾郎もふと雪羽の持つ皿を見やった。雪羽の皿にはキャベツやブロッコリーの温野菜に花形にカットされたニンジン、黄桃の挟まったフルーツサンドなどが整然と並んでいた。ビュッフェとはいえ、きちんと料理を見栄えよく並べる所がいかにも雪羽らしい。
そんな事を思いつつ雪羽の皿を眺めていた源吾郎は、思わず目を丸くした。
「それはそうと、真ん中にあるのは魚のフライじゃあないか」
そうだよ。軽い驚きを見せる源吾郎に対し、雪羽はこだわりのない様子で頷いた。
「雷園寺君ってさ、魚とか海産物が苦手だと思っていたんだけど」
「まぁ確かに、海産物はちょっと苦手だよ。だけどそれは、生モノが多いからって言うのもあるけどな。というか俺が苦手なのは生モノだし」
源吾郎の言葉をそれとなく訂正し、雪羽は挑むような眼差しでこちらを睨む。
「でもフライみたいにしっかりと火が通っていたら、海の魚でもエビでも怖くないよ。イカとかタコはちょっとアレだけど。それにフライとかてんぷらは好きだから、それで魚のフライも食べてみようかなって思っただけだよ」
話している内容自体はあっさりとしていたが、言い方やその態度には仰々しさが伴っていた。とはいえ、雷獣の食性や雪羽の食の好みを思うと、それほどおかしな事でもない。
雪羽は生モノや海産物が苦手なのだ。雷撃を自在に操る雷獣の多くは、生モノを食べる事に抵抗感を抱くという習性を持つという。特に雪羽は幼い頃に三國に引き取られ、若干過保護気味に育てられた。それ故に、生モノや海産物を口にする事への抵抗感は、他の雷獣よりも強いらしい。
しかしその一方で、サワガニやザリガニ、あるいはタニシなどと言った川の生き物や、カタツムリや昆虫などと言った陸生の無脊椎動物については、完全に火を通してあれば喜んで食べるのだという。海産物が苦手なのにカタツムリとか虫とかは平気なのかと思う事もある。だが雷獣が山奥に暮らす妖怪である事を思うと、そう言う食性になるのも自然な事なのかもしれない。
「確かに、フライトかてんぷらは美味しいもんねぇ。作るのはちと大変だけど、俺も大好きだよ」
小難しい事はさておき、源吾郎は雪羽の意見に同意した。源吾郎自身も、揚げ物は好物の一つだったためだ。
雪羽の表情が和らぎ、笑みが浮かんだのを見届けてから、今度は質問を投げかけた。
「それにしても、フライとはいえ魚料理を選ぶなんてどうしたんだい? 萩尾丸先輩に何か言われたんか?」
源吾郎が問うと、雪羽は笑いながら首を振った。
「だからさ、気まぐれというか何となく魚のフライを食べたいなぁって思ったから、この白身魚のフライを選んだだけだってば。別に、萩尾丸さんは関係ないよ。というかあの妖、俺が魚とか生モノが苦手な事については、とやかく言わないもん」
「マジで! マジかよ!」
あっけらかんと語る雪羽を前に、源吾郎は思わず声を上げてしまった。周りの妖怪たちがおのれに注目しているのを感じ、気恥ずかしさを感じてしまう。
一方の雪羽は、他の連中の視線など知った事かと言わんばかりの表情で頷いていた。
「マジだよマジ。先輩が萩尾丸さんをどう思っているのかは、まぁ、何となく解るけどさ。だけどあの妖も結構優しいというか、結構理解がある方なんだぜ? 俺が生モノとか海鮮モノが苦手でも『他の食品で栄養を補えるのなら問題は無いよ』と言ってくださるんだよ」
「そっか。そうだったんだな」
萩尾丸の事であるから、好き嫌いなどでごねたりしたら、ねちっこく追求されてしまうのではないか。実のところ、源吾郎はそんな風に考えてもいたのだ。だが雷獣が生モノを恐れるのは感染症や寄生虫への被害を恐れての事でもある。そう思えばワガママなどではなく本能だから受け入れるのが筋というものなのだろう。
気が付けば、源吾郎はまたしても思案を重ねていた。そして雪羽もそれに気づいたらしく、いたずらっぽい笑みを向けたのだ。
「まぁだけど、萩尾丸さんも生モノというか、生臭いものはあんまり好きじゃあないからね。そう言う事もあって、大目に見てくださるのかもって思ってるんだよ」
「ああそうか。確かにそれもありうるなぁ」
内緒話でもするかのように告げられた雪羽の言葉に、源吾郎は納得しつつも笑いだしてしまった。納得したのは萩尾丸の食事を思い出したからである。萩尾丸は成人男性の中でも長身な方であるが、優美にして威圧的な体躯の割には少食だった。肉や魚を全く口にしない訳ではないが、都会のOLよろしくあっさりとしたものばかり昼食にしていたような気もする。
そして源吾郎が笑ったのは、萩尾丸の俗っぽい一面を垣間見たような気がしたからだ。生モノや生臭いものが苦手というのは、やはり天狗という種族の特徴である事を、源吾郎はきちんと知っていたのだ。
源吾郎と雪羽はしばし笑いあっていたのだが、真面目な表情に戻ったのは雪羽の方が先だった。