雪羽がにわかに真面目な表情を浮かべたので、源吾郎はぎょっとして半歩ほど後ずさってしまった。雪羽の表情や気分がコロコロと変動しやすいのは源吾郎も知っている。それでも、目の当たりにすると戸惑ってしまう時もままあるのだ。
「それで島崎先輩。先輩はどうして浮かない顔をなさっているんです?」
結局その話に戻って来るのか。反射的にそう思った源吾郎であったが、はぐらかそうという気分にはならなかった。それはきっと、雪羽の瞳が澄んでいて、誤魔化したりはぐらかしたり出来なさそうだと思わしめるものがあったからなのかもしれない。
「いやさ、俺が料理を選ぼうと思って近づいたら、それまでここにいた先輩たちが、みんなすぐに別の所に移動してしまったんだ。それでちょっと思う所があってね」
「あははっ。先輩って寂しがり屋ですもんね。そりゃあ、他の妖怪たち、特にお狐様たちに避けられたら、やっぱりショックはデカいでしょうね。
だけどさ、俺がいるんだから、先輩も別段寂しがらなくても良いんじゃないの?」
雪羽の、おどけたような物言いに、源吾郎はしばし言葉が出てこなかった。寂しがり屋ではないと言い返すべきか、お前と俺はそんな間柄かよとツッコミを入れるべきか、何となくとはいえ考えていたのだ。
「いやいや、さっきのは冗談さ」
源吾郎が考えている間に、雪羽が言い添える。もう彼はふざけたような表情を浮かべてなどいなかった。むしろ真顔で、先程以上に真剣みが増していた。
「島崎先輩が、自分をどういう存在だと把握しているのかは俺にはよく解らないけれど。でも先輩の考えはさておき、普通の妖怪連中から気兼ねされたり今みたいに孤立しちゃったりするのは、まぁ自然な事なんだぜ。だって先輩は――並外れて強いんだからさ」
並外れて強い。雪羽のこの言葉に、源吾郎はぐっと瞳孔をすぼませただけだった。色々な意味で好敵手たる雪羽に強いと評されたのだ。だから素直に喜んでも良かったのかもしれない。だが雪羽の眼差しと表情を見ていると、そんな気持ちにはなれなかった。むしろ嫌味の類なのではないか、という考えすら浮かんだほどだ。
そして奇妙な事に、嫌味ではないかという考えと共に、源吾郎の口も滑らかに動いた。
「並外れて強い、かぁ。ふふふ、雷園寺君にそう言って認められると嬉しいなぁ」
まぁな。短く頷いた雪羽の表情が、真面目くさったものから僅かにほころんでいた。
「そらまぁ俺自身もさ、自己評価ではあるけれどそこそこ腕は立つと思っているぜ。だけど先輩も、戦闘訓練でそんな俺に
「ま、まぁ勝てるのは時々だけどな」
雪羽が時々、という部分を強調していた事に源吾郎は勿論気付いていた。源吾郎の強さを称賛しつつも、自分の強さについても自慢する事を忘れない。その辺りは彼らしさが滲んでいて、何というか面白かった。
それに源吾郎も、雪羽の戦闘能力の高さには敬服していたのだから尚更だ。
「時々だとしても勝てるのは凄い事だし、そもそもこの俺に挑もうと思える事
「ああ、確かにそれはそうだね」
真面目さを取り戻した雪羽の言葉に、源吾郎は素直に頷いた。
血の気の多い若妖怪と言えども、強すぎる相手には無闇に挑みかかることは無い。その事は、源吾郎も既に分かっていた事だったからだ。
「そう言えば萩尾丸先輩も、俺の戦闘訓練で対戦させる相手を選ぶのに、結構難儀していたって仰ってもいたからさ。まぁ言うて、雷園寺君が研究センターにやって来る前の話だけどね」
後になって知った事なのだが、萩尾丸には源吾郎の戦闘訓練において、対戦相手になる妖怪の選定に頭を悩ませていた事があったらしい。
それもこれも、源吾郎が若くして四尾の妖力を具えるという、中途半端な強さの持ち主だったからである。精神的に同年代の妖怪の大半は、一尾か二尾程度なので、相手が源吾郎に委縮して勝負にならないためだ。かといって、同程度の妖力を持つ四尾であれば、源吾郎と相手との経験値が異なるためにやはり勝負にならない。もっと言えば、源吾郎は余程の事が無い限り年長者には敬愛の念を示す事が多い。そうなると源吾郎の闘志を剝き出しにする事は余計に難しくなる。
そう言う意味では、経緯はどうあれ雪羽が研究センターにやって来たのは、源吾郎の妖怪的成長としては良い事であった。若妖怪ながらも三尾と妖力も豊富。戦闘経験もあり源吾郎に対して委縮しないし、何よりグラスタワー事件の影響もあって源吾郎も闘志を抱きやすい。戦闘訓練の相手としては、雪羽こそがうってつけの存在だったのだ。もっとも、研究員として雇い入れた源吾郎よりも、成り行きで再教育を行った雪羽の方が研究者の適性が高いというのは、萩尾丸としても誤算だったかもしれないが。
「まぁ何というかさ。そんな訳だから、俺らは普通の若い妖怪たちと気軽につるむのは難しいって話だよ。とはいえ、それでもそう言う連中と交流したり、集団の長としてリーダーシップを発揮しないといけない時が、俺たちには必ずやって来るんだけどな。
というか今回の祝賀会でも、出来るだけ同年代の妖《ひと》たちと交流するようにって、萩尾丸さんから言われているんだ」
「そっかぁ……」
呟く源吾郎の脳裏には、様々な考えが駆け巡っていた。祝賀会の場でも抜かりなくそんな事を告げる萩尾丸は、やはり根っからの指導者・教育者なのだとまず思った。
そして次に、同年代の者たちとの交流という点で、自分の対妖スキルについて思いをはせ、少し気が重くなってしまった。
「言うて俺は、リーダーシップを取ったりするのは苦手なんだよな。もちろん、そう言うのは克服しないといけないって解っているんだけど」
「リーダーシップを取るのが苦手なのは、やっぱり島崎先輩は末っ子だからなんだよな」
探るような眼差しで尋ねられ、源吾郎は素直に頷いた。
源吾郎の対人コミュニケーション能力には、実の所ムラがあった。年長者に可愛がられたり甘えたりする事を得意とする半面、同年代や年下の相手とのやり取りは若干ぎこちなくなってしまうのだ。
そうなってしまうのは、雪羽の指摘通り末っ子であったためである。兄姉らは源吾郎が物心つく頃には既に成人していた者もおり、しかも面倒見も良い。そうした兄姉らと関わっていくうちに、源吾郎の独特なコミュニケーション能力が発達したと言っても過言ではないだろう。
「そうそう。雷園寺君も知っての通り、俺は年の離れた兄姉に構われて育ったからさ。年上のヒトたちの前ではあんまり緊張しないんだけど、年下の相手とかになるとちょっと緊張しちゃうんだよ。それにリーダーだからと言って、偉そうに振舞うのも柄じゃあないと思うんだ。意外だと思うかもしれないけれど」
年下って言うのは、実年齢だけじゃあなくて精神年齢も考慮した話だけど。相手が妖怪である事を思い出した源吾郎は、口早にそんな言葉を付け足した。
雪羽は翠眼を見開いて源吾郎をまじまじと見つめていた。それから思案する様子を見せつつ口を開いた。
「島崎先輩自身が、偉そうに振舞うのは苦手だって思ってるのはそんなに意外じゃあないけどなぁ。まぁ、お調子者やなって思う所はあるにはあるけれど。
それに俺、島崎先輩とこうやって話している時とかに『お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかな』って思う時は時々あるぜ」
源吾郎が息を呑むと、雪羽はニヤリと笑いながら言い添えた。
「まぁ、島崎先輩が俺の事を弟分だって思えないのなら、無理して思わなくても大丈夫だよ。兄貴分みたいだって言うのは、
「いや、まぁ、大丈夫だって」
それとなく雪羽に気を遣われたのだと気付き、源吾郎も微苦笑を浮かべて応じた。兄と弟の関係が、疑似的な父親と息子の関係にもなりうる。源吾郎の実体験に基づいた、しかし一般的とは言い難い兄弟の概念を持つ事を、雪羽も十分理解してくれているのだ。
とはいえ申し訳ないような何となく気まずいような気持ちもあって収まりが悪い。そんな事を思っていると、雪羽は自分の皿のフルーツサンドを摘まみ、咀嚼して飲み下してから再び口を開いた。
「てかさ、思ったんだけど島崎先輩が島崎先輩の姿として祝賀会に出席してるから、それで皆気後れしちゃっただけなんじゃあないかな」
「それってどういう事だよ」
源吾郎が問うと、雪羽はいたずらっぽいニヤニヤ笑いを浮かべて続けた。
「どうもこうも無いじゃないか。先輩は変化術が変態的に得意でしょ。それなら別の男狐の姿とか、それこそ宮坂京子の姿にでも変化していたら、他のお狐様たちの態度も違ってたんじゃあないかなって思ったんだけど」
「いや、まぁ、それもそうかもしれないけれど」
一体何を提案しているんだ。確かに源吾郎はそう思いはした。しかし変化して祝賀会に紛れ込むのもそれはそれで面白そうな気がしたのだった。今から変化するという訳ではないが。
そんな風にして雪羽と二人して盛り上がっていると、別のテーブルにたむろしていた女妖怪たちが、数名ばかり源吾郎たちの許に近付いてきたのだった。