雉鶏精一派が繁栄するというのは、預言ではなく一般論だ。ともすれば含みをも感じられるその言葉を放ったセシルは、しかし朗らかな笑みを見せていた。
折しも雉鶏精一派の幹部たち、特に若妖怪たちが神妙な表情を見せているので、より一層セシルの朗らかな表情が際立ってしまっている。
「先程は、ありがたいお言葉を頂き、心より感謝しているわ」
そんな中で、峰白がやや改まった口調で告げ、頭を下げた。
「一般論と言ったけど、貴女の先の言葉は十分信頼できるものだと私は思うわ。何せ私たちよりも長い年月を生きているんでしょう。そうなれば、一般論だろうと独り言だろうと、ちゃんとした説得力を伴っているだろうから」
畳みかけるような峰白の言葉に、セシルの笑みに照れと困惑の色が混じりだした。
「あはは、そこまで褒められるとくすぐったいなぁ。それに峰白さん。確かに私は千年近く生きてはいるけれど、その歳月の大半は引きこもって暮らしていたようなものだから、経験値で言えば、峰白さんや紅藤さんの方が豊富なんじゃあないかな」
峰白は何も言わず、曖昧に微笑んでいるだけだった。だが紅藤には解っていた。そうした態度こそが、セシルを上位の存在だと認めている何よりの証拠である、と。
元より峰白は、胡喜媚や胡琉安以外の存在は半ば見下し、利用価値や敵であるかどうかを判断するようなメス雉である。
その彼女が、尊大な態度を演じずに下出に出ている。それこそが、相手を上位の存在だと認め、彼女なりに敬意を表しているのだと紅藤は解釈していた。
「預言と言えば、一つお尋ねしたい事があるのです」
曖昧な笑みを消して真顔になると、峰白は身を乗り出してセシルに問いかけた。
「隣の紅藤や、その配下である萩尾丸に聞いた話だけど。双睛鳥の偏光眼鏡を新調した時に、ついでに雉鶏精一派の今後について預言してくれたそうね」
「ああ確かに。そんな事もあったねぇ」
セシルが鷹揚に頷いたところで、峰白は紅藤の横っ腹を肘で突いてきた。
「預言については、あんたから話しなさいな」と、ご丁寧に耳打ちまでしてきたのである。
と言っても、相手はドラゴンであるから聴覚も鋭い。耳打ちだったとしても、セシルには先程の峰白の言葉ははっきりと聞こえているだろう。もっとも、峰白もそんな事まで気にしないであろうが。
そんな事をつらつらと考えていた紅藤だったが、軽く咳払いしてから話し始めた。
「以前、セシル様が下さった預言の手紙は、確か『敵は思いがけぬ所に存在する。場合によっては、まさかと思う相手・心底信頼していた相手が該当する可能性もあるから心せよ。或いは――用心していた相手、思いがけぬ相手が心強い味方になる可能性もある』というものでしたよね。その預言は――確かに的中しておりました」
そこまで言って、紅藤は思わず息を吐き出した。長々とした文言を思い出すのに疲れて、息切れした訳ではない。ただ、話している間に色々な思いがこみ上げてきて、それで胸が苦しくなっただけだ。
「――裏切り者は、確かに内部に存在しておりました。それもよりによって、私どもが姪のように思っていた相手なのです。もちろん、雉鶏精一派に彼女を引き入れたのは、私の責任です」
「実を言えば、私や兄も、彼女の事は姉のように慕っていたのです。兄も……その件では意気消沈していました」
絞り出すようにして放った紅藤の言葉に続き、胡琉安も紫苑の事について言及した。隣に座する胡琉安の顔は、やはり陰鬱としたものだった。その陰鬱さと同質のものが、もちろん自分の顔も覆っているのだろうが。
そんな中で、双睛鳥がにわかにいきり立った様子で口を開いた。
「本当に、あのメス山鳥は罪深い畜生ですよ。僕たちを裏切り嘲笑うような真似をしでかしていただけでも業腹だというのに、彼女は手下たちを利用するだけ利用した挙句にあっさりと殺し、しかもその骸を操るという事までやってのけたんです。ああ……あの恥知らずの畜生を殺せなかったのが、本当に悔しい限りです」
周囲の空気がひりつき、紅藤はその違和感の為に全身の羽毛が逆立ちそうだった。感情の昂った双睛鳥から、毒気なり瘴気なりが漏れ出しているらしかった。空気がひりつくな、と呑気に思っただけに過ぎないのは、あくまでも紅藤の妖力が大きいためだ。厳密に言えば、無尽蔵の妖力が毒気によるダメージを即座に回復させているために、ひりつきを感じる程度で済んでいた。
「まぁまぁ双睛鳥君。君も落ち着きたまえ」
未だに怒気と毒気を放つ双睛鳥に対し、萩尾丸が見かねたように声を掛けた。双睛鳥の肩を叩くふりをして、護符を貼り付けているのが紅藤には見えた。毒を抑えるというよりも、精神を強制的に落ち着かせる類の護符であろう。
件の護符は中々に強力な物だったのかもしれない。偏光眼鏡の奥にある釣り上がった瞳が、にわかに鋭さを失った。その代わりに浮かぶのは、安堵ではなく戸惑いだ。双睛鳥は、貼り付けられた護符によっておのれの心が揺らぐ事に、目ざとく気付いたのだろう。
萩尾丸はしかし、言葉を挟む暇を与えなどしなかった。そのまま双睛鳥の顔をじっと覗き込み、言葉を続けた。
「君が仕留めそこなった事を悔やんでいるのは、僕もよく解るよ。確かに今回は勝ち戦ではあった。だけど、それでも、もう少し上手く立ち回る事が出来たのではないか、もっと良い戦略が無かったか、思い悩む事は僕にもある」
「萩尾丸、さん……」
呟く双睛鳥の表情が、にわかに和らぐ。萩尾丸は尚も言葉を続けた。
「だけどね双睛鳥君。君の悔恨も僕の反省も、既に過去の事なんだ。八頭怪たちは一応封印されて、僕たちは当初の目的を果たした事になる。だから、あまり過去の事についてくよくよ考えない方が良いよ。なすべき事を、見失ってしまうから」
「そう、ですね。仰る通りですよ」
双睛鳥はたどたどしく呟き、それからぎこちなく微笑んだ。双睛鳥が笑うと同時に、彼の背中に貼り付けられていた護符は音もなく剥がれた。その護符は、即座に萩尾丸が回収した事は言うまでもない。
紅藤は少しの間双睛鳥の姿を眺めていたが、大丈夫そうだったのでセシルの方に向き直った。
預言云々の話は、まだ終わってないためだ。
「セシル様。先程の話は預言の……よくない事についてのお話です。もちろん、良い方の話もあるんです」
口早にそう言うと、紅藤は一旦唇を湿らせてから言葉を紡ぐ。
「まさかと思う裏切り者は、私が姪のように思っていた、紫苑という名の山鳥妖怪です。ですがその一方で、私どもが一方的に用心していた相手が、味方として動いてくれたのもまた事実なのです」
「用心していた相手、か……」
君のような呑気なメス雉でも、用心するような相手がいるんだね。セシルが言外にそう言っているように、紅藤には思えた。
「灰高のお兄様が……第四幹部の鴉天狗の長である浜野宮灰高が、この度の全面戦争での功労者だったのです」
「浜野宮、か。その鴉天狗殿が、君の言う用心していた相手という事で良いんだよね?」
「灰高は雉鶏精一派にとっては外様、それどころか敵対していた存在だったのよ」
さも呑気そうな口調で問いかけるセシルに対し、峰白は硬い表情でもって応じた。
「あの鴉も元々は、私たちを討つために雉鶏精一派に殴り込みをかけてきたのよ。もちろん、私たちの方で返り討ちにして、その上で雉鶏精一派に取り込んだんですけれど。ともあれ、そんな成り行きで雉鶏精一派の構成員になっていたから、私たちと灰高とは、互いに嘴や蹴爪を突き合わせているようなものだったのよ。まぁそれでも、力は強いし目端が利くし外部調整も巧いから、私たちの役には立っていたんだけど」
「そんな相手が心強い味方になってくれたって事だ。それなら良かったじゃあないか」
「手放しに、良かったと言えるのかどうかは難しい所だわ」
セシルは相変わらず呑気な物言いを続け、それに対して峰白の表情は硬いままだ。特に「良かったと言えるかどうかは難しい」と言ったあたりでは、うっそりとした昏い翳りが露わになっていた。
「何せ先の戦争で、灰高は翼を片方失ったの。八頭怪が胡琉安様を喰い殺そうとしたのを防いで、それで片翼を喰いちぎられたんだけど……傷口から流れ出る血を、術式の媒体に利用していたのよ。そのお蔭で、八頭怪たちを逃れられないように拘束して、その上で封印する場所に転移させる事が出来たんですけれど」
峰白の口調には、普段の彼女らしからぬじっとりとしたものが多分に込められていた。片翼を犠牲にして、しかも流れる血すら術式に使用したという灰高の所業について、何も思わないでいる事など不可能だろう。
紅藤だって、もちろん灰高の事については色々と思う所はある。翼を喪ってまで闘いに身を投じた勇気は賞賛すべきだと思っていた。しかしその一方で、翼を喪ったのは気の毒な事だとも思っている。しかも紅藤や青松丸のように、欠損した部位を再生できないから尚更だ。
「いずれにせよ、あなたが紅藤に託した預言は、概ね当たっているものばかりだと私は解釈しているわ。その上で、聞きたい事があるの」
峰白はもはや、うっそりとした表情などは浮かべていなかった。日頃の冷徹な女帝らしい眼差しでもって、セシルを見据えていたのだ。
セシルもまた、宝石の瞳でもって峰白を見つめ返している。その顔には怯えの色など無かった。
「八頭怪を封じるという作戦自体は成功したわ。だけど――八頭怪と私たちの因縁は、これで本当に終わりなのかしら?」
「お姉様、それって――」
峰白の、セシルに対する問いかけに、紅藤は思わず声を上げてしまった。
八頭怪との闘いはまだ終わっていない。八頭怪を封じ込めた直後であるにもかかわらず、峰白がそう言っているように思えてならなかった。