桜餅のツブツブした生地の触感と桜茶の香りを楽しんでいた源吾郎であったが、リビングにいる母や長兄の姿を見ながら、ふと口を開いた。
「母様。今日は他の兄上たちや姉上は帰ってくる予定とかは無いのかな?」
「双葉や誠二郎たちがこっちに来るって予定はないかな」
返答したのは母ではなくて兄の宗一郎だった。母も母で、宗一郎と源吾郎を交互に見つめながら頷いているだけだ。
「まぁ、双葉も誠二郎もそれぞれ仕事というか自分の事で忙しいみたいだからさ、中々実家に顔を出す事も無いんだよ。双葉たちももう大人だし、ね」
それもそうだよな。口には出さずとも源吾郎は即座に思った。源吾郎と兄姉らの年齢差は大きい。一番
「もしかして、庄三郎が来るかもって思ってたとか?」
「う」
末の兄の名前を出され、源吾郎は思わず唸り声を上げた。どういう理由かは解らないが、末の兄の事を考えると、心がざわついてしまう時があるのだ。
「でも宗一郎。庄三郎ならこの前、源吾郎の部屋に行くとかって言ってなかったかしら。もしかして、結局行かなかったとか?」
「いや母様。兄上なら、庄三郎兄様なら、ちゃんと部屋に来たよ」
のらりくらりとした様子で憶測を口にした母に対し、源吾郎は反論していた。
母が宗一郎と顔を見合わせる中で、源吾郎は更に言葉を続ける。
「庄三郎兄様も、俺の事をかなり心配していて、それでわざわざ料理とかも作ってくれたんだ。俺も俺で……八頭怪とかいう糞野郎との全面戦争の後は、丸一日寝てたらしいんだけど」
全面戦争。特に気にせず口にしてしまった単語に、宗一郎の片眉がぴくりと跳ねた。実直にして聡明な長兄は、玉藻御前の血を引いているにも拘らず暴力的な事や争いを烈しく忌み嫌っていた。
源吾郎はだから、ぐっと身をかがめて宗一郎の様子を窺った。おのれの発言が小言を誘発するであろう事を想定していたのだ。
ところが、宗一郎が何か言よりも前に母が微笑みながら言葉を紡いだ。
「宗一郎。源吾郎も少し心細くて、それで庄三郎とか他の兄弟が来ていないか気になったのよ。源吾郎は甘えん坊で寂しがりやな所があるし、そうでなくても大変な仕事が終わって一段落した所なんだから、ね」
なだめ、諭すような母の言葉に、宗一郎も納得したような表情で頷いているではないか。
「ああ。確かに母さんの言うとおりだね。源吾郎も末っ子だもんね。そうでなくても、庄三郎とは特に仲が良かったからさ」
母と宗一郎は、各々自分の中にある源吾郎の気質を口にして、自己完結的に納得していた。
俺は寂しがり屋でも甘えん坊でも無いぞ。源吾郎は半ば反射的に、心の中で呟いていた。末っ子の仔狐として庇護され甘やかされていた源吾郎であるが、母や兄姉は源吾郎の事を必要以上に甘ったれの寂しがり屋だと思い込んでいるのだ。
とはいえ、源吾郎はその事についてとやかく言及する事は無かった。もちろん甘えん坊だとか寂しがり屋などと思い込まれた状態である事には思う所はある。しかしわざわざ声を上げて、それは違うと説得したり説明したりするのも面倒だった。
それに源吾郎が甘えん坊だなどと思われていても、実の所源吾郎自身へのデメリットは殆ど無い。説明している間に小言を追加で喰らうであろう事を思うと、多少源吾郎の事について誤解されていても、黙ってニコニコしていた方が色々と消耗せずに済むのだ。
「ああ、源吾郎」
宗一郎は、源吾郎の方に視線を向けて声をかけた。
「僕さ、実は昼からちょっと出かけようと思ってるんだ。ちょっと買いたい物とかがあるからね。もしも源吾郎も一緒に付いて行きたいって言うなら、一緒においで」
「あ、別に大丈夫だけど……」
長兄からの申し出に目を白黒させつつも、源吾郎はそう言った。宗一郎は、源吾郎の言葉を特に深く追求することは無く、ニコニコしながら解ったと頷いただけだった。もしかしたら、寂しがっていたのはむしろ宗一郎の方なのかもしれない。何の脈絡もなく一緒に出掛ける事を提案した事に対し、源吾郎はそんな風に解釈していたのだった。
※
思いのほか時間はあっという間に過ぎていき、気が付けば昼前になっていた。母や長兄との挨拶がてらの雑談を終えた後も、色々な事をやったからなのかもしれない。色々な事と言っても、手土産に持ってきたマロンパイ(吉崎町を擁する市の名物土産なのだ)を家族に渡したり、書斎に籠っている父の許に顔を出したりしていたくらいである。
もしかしたら、吉崎町から姫路の実家まで出向くのに時間がかかったから、余計に時間が過ぎるのが早いと感じたのかもしれない。源吾郎もそれを見越して早めに出発したものの、到着したのは朝の九時過ぎだったのだから。
ともあれ十二時を少し過ぎた所で、源吾郎は両親や長兄と共に食卓を囲む事と相成ったのだ。書斎で書き物をしたり資料を調べたりしていたらしい父は、昼間ながらも若干疲れたような表情を浮かべていた。しかし末息子たる源吾郎がリビングにいる事に気付くと、早速笑顔になったのだ。しかも少し元気が戻ったような笑みだった。
それを見ていると、源吾郎も嬉しくなった。
「ああ、すまんな源吾郎。源吾郎がわざわざ戻ってきていたのに、母さんや宗一郎みたいにあんまり話が出来なくて。ちょっと原稿の進捗とか色々あってな。いや……それは単なる言い訳になっちゃうよな」
嬉しさと申し訳なさの入り混じった父の言葉に、源吾郎は首を振った。
「いや、大丈夫だよ父さん。父さんが忙しい事は俺も解ってるもん。それに俺も……まぁ都合が付けばちょくちょくこっちに戻って来る事も出来るから、さ」
この時源吾郎は、父の為にもう少し実家に戻る頻度を上げるのもやぶさかではないと本気で思っていた。遠出や宿泊の際の懸念はホップの留守番であるが、日帰りならば問題はない。それに吉崎町から姫路ならば、日帰りで十分行き来できる距離である。同じ県内で、しかも播州エリア内なのだから。
と、ここで母が口を挟んだ。
「良いのよ源吾郎。別にそんなに頻繁に帰ってこなくても。源吾郎にも源吾郎の都合があるでしょうから、ね」
そこまで言うと、今度は隣にいる父の方に顔を向けて、母は言葉を続ける。
「それにお父さん。源吾郎は今回日帰りじゃあなくて、うちに泊まる事も考えているそうなのよ。だから今回は、色々と源吾郎と話す時間はたっぷりあるわ。先月来た時は、ちょっとバタバタしちゃったけれど」
話す時間はたっぷりある。母はこの部分を殊更に強調していた。父親だけではなく、源吾郎にも聞かせるように。
母も母で、俺に対して聞きたい事とか話したい事はあるだろうしな。そう思いながら、源吾郎は長兄が作った料理を、家族とともに味わうのだった。