だからこそ、食屍鬼たちは島崎君と面談を望んだのだよ。夢見の才という言葉を脳内で反芻していた源吾郎に対し、アルテミシアはそう言った。運転中ゆえに相変わらず正面を向いたままであるが、その声は明るく弾み、その顔には爽やかな笑みが浮かんでいた。
「何せ島崎君も、這い寄る混沌とは縁深い存在だろう? それに君も、夢見の才が徐々に目覚め始めているようだからね」
「夢見の才が目覚めるとは、アルテミシア殿も中々面白い言い回しをなさるんですねぇ」
「まぁ桶彦さん。彼女は概ね生真面目ですが、時に茶目っ気を見せる事があるんですよ。きっと今回は、島崎君がやや興奮気味なので、茶目っ気を見せてあげたのではないでしょうか」
後部座席にて、桶彦と萩尾丸が勝手にあれやこれやと話し合っている。アルテミシアと源吾郎は無言だった。アルテミシアの方は、あからさまにため息をついていたから呆れているのかもしれない。
しかし、源吾郎が無言だったのは、何も呆れているからではなかった。おのれの裡に宿る夢見の才という物について、考えを巡らせていたのだ。
実を言うと、源吾郎はここ数日奇妙で明瞭な夢を立て続けに見ていた。這い寄る混沌がおのれに接触しようとしている夢なのだと、源吾郎は解釈している。もっとも源吾郎は、這い寄る混沌の接触に恐れをなし、逃げ回っているのだが。そして未だに、あの恐るべき這い寄る混沌に捕まってはいない。
「アルテミシアさん」
源吾郎はだから、決然とした声で彼女に呼びかけていた。
「おれの裡にある夢見の才は、確かに目覚めつつあるというか伸びつつあるというか……ともかくそんな感じなんです。というか這い寄る混沌に接触するような夢を何回か見ておりますし」
「そうか。それならば話は早いね」
アルテミシアは、相変わらず車を走らせたまま言った。這い寄る混沌と、夢の中と言えども接触している。源吾郎のこの言葉は、しかしアルテミシアの眉を動かす事すらなかった。しかしそれも、彼女の素性を思えばおかしな事でも無いだろう。何せ彼女は、希臘に伝わる冥府の女神・ヘカテーと縁のある夢魔なのだという。夢魔の中でも由緒ある出自の彼女であるから、源吾郎のような仔狐の言葉に戸惑わず平然としていられるのも、ある意味自然な事ともいえる。
※
社用車が駐車場に停められた頃には、空も夜の帳が降りつつあった。出発した時はまだ夕方と言っていい時間だったから、かれこれ四十分ほどのドライブである。
今回も港町の一角だけど、雉鶏精一派の本社やセシルの工房があった所とは違うみたいだな。景色を確認しつつ源吾郎がそんな事を思っていた。
「それじゃ、ここから先は僕が案内するよ」
そう言ったのはネズミ妖怪の桶彦だった。街灯に照らされる彼の顔は生き生きとしており、さも愉快そうな笑みがくっきりと浮かんですらいる。萩尾丸とアルテミシアは互いに目配せを交わしたが、そのまま桶彦の提案に頷き、歩を進めた。もちろん、源吾郎もだ。
今回の面談については、桶彦が主導権を握りたがっているな。萩尾丸たちの表情を眺めながら、源吾郎はそんな事を思っていた。
面談の会場、要は食屍鬼たちの縄張りに辿り着いたのは、車を降りてから二十分ほどの事だった。もちろん、車を降りた先は徒歩で進んだ。しかも地上を歩いていたのはほんの百歩程度の事であり、その後は地下に潜って地下街を進んでいった次第である。
――それにしても、港町には地下街や地下道がたくさんあるもんなんだなぁ。白鷺城界隈とはえらい違いだぜ
セシルの工房に出向いた時の事を思い出しながら、源吾郎は密かにそんな事を思っていた。別に地下街に出向く事に不満があるという訳ではないし、港町の地下街ならば、末の兄に連れられて何度か出向いた事もある。しかしそれでも、煌びやかな摩天楼と壮麗な港を地上に持ち合わせながらも、仄暗く猥雑な地下街が野放図に広がっているという港町の様相に、源吾郎は何とも言えない不思議さを抱いてしまったのだ。
特に食屍鬼たちの根城だという場所に向かうにつれて、地下街の猥雑さや退廃的な気配が強まってきたのだから尚更だ。もちろん源吾郎とて、食屍鬼が地下街の奥や墓場などに居を構えているという事は、あらかじめ調査してはいたのだが。
なお、先頭に立って道案内をしてくれる桶彦は、始終上機嫌だった。地下街の何処か不気味な雰囲気すらも楽しんでいるように思えてならなかった。
だが考えてみれば、彼はネズミの妖怪なのだ。ネズミもネズミで地中に巣を作ったり、それこそ地下街の隅で暮らすような生き物である。彼が意気揚々と食屍鬼の根城に向かうのも、ネズミである事を思うとごく自然な事なのだろう。
獣上がりの野良妖怪たちですら見かけなくなったような地下街のどん詰まりこそが、食屍鬼たちの根城、要は面談の会場だった。
既に先方には話が通っていたのだろう。源吾郎たちがやって来た時には、食屍鬼たちは円弧を描くように勢揃いしていた。その数はおよそ三十ほどであろうか。獣性を丸出しにしたかのような獣じみた面立ちに、異臭を放ちぼろをまとっただけの体躯。それでいて、こうして行儀よく居並ぶ姿には知性が感じられる。食屍鬼たちの不気味で不浄な姿と、理知的な立ち振る舞いとの落差が大きすぎて、源吾郎は頭がくらくらしてきた。
そんな食屍鬼たちの中から、二人の食屍鬼が進み出てきた。匂いからしてどちらも男の食屍鬼のようだ。一方は威風堂々とした足取りで、素肌はやや緑がかった色合いを見せていた。その隣にいるのは他の食屍鬼たちよりも線が細く、人間めいた風貌の持ち主だった。
二人の食屍鬼は、互いに手を伸ばせば触れ合えるまでの距離まで進み出て、そこで足を止めた。緑色の肌の食屍鬼が口を開き、何事か言った。音として聞き取る事は出来たのだが、源吾郎には何を言っているのかは解らなかった。強いて言うならば、イヌ科の獣が唸り、吠えるような声にしか聞こえなかったのだ。
これがあの食屍鬼ならではの言葉なのだろうか。源吾郎はおのれを納得させようとそう思った。とはいえ、食屍鬼だった亜孤姫とは意思疎通ができたので、その辺りは不思議だったのだが。
「皆さん、遠路はるばるよくぞ来てくださった……と、族長は申しております」
と、もう一方の食屍鬼が口を開いた。こちらはややたどたどしいが、明らかに人語、もっと言えば日本語だったのだ。緑色の肌の食屍鬼が族長ならば、こちらの食屍鬼はさしずめ通訳と言った所であろうか。
「いえいえ。こちらこそお忙しい中集まってくださって、誠に嬉しく思っております」
そう言って、友好的な笑みを見せたのは桶彦だった。食屍鬼たちは桶彦の言葉が終わってからも、しばしの間じっとしていた。だが通訳はぎょろりと目を動かし、それから口を開いた。その際に出てきた言葉は、人語ではなく族長と同じような獣の声だったのだ。
やはり食屍鬼というのは彼ら特有の言語を持っており、吠え声や唸り声に聞こえたものが、彼らの言語なのだと源吾郎はようやく気付いた。
そうしている間にも、桶彦たちと食屍鬼との面談は始まっていた。固まって群れていた食屍鬼の一人(こちらはどうやら女性のようだった)から、座るようにとジェスチャーと簡単な日本語でもって促された。座ると言っても椅子もテーブルも特に無い。毛皮で出来た座布団を用意され、そこに座するようにと言われたので、源吾郎は面食らってしまった。もちろん、そのまま地べたに座るよりは遥かにマシだったが。
源吾郎はそれよりも、お茶やお茶請けでとんでもない物を出されるのではないかと、そんな事を心配し始めていたのだった。