九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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夢で嗤うは這い寄る混沌

 源吾郎が居住区に舞い戻ったのは、夜の八時を回った頃の事だった。車での移動時間に食屍鬼たちとの面談も併せて、二、三時間は費やしたという事である。

 普通の仕事の日で、帰りがここまで遅くなる事は殆ど無かった。源吾郎はしかし、時計を見て遅くなったんだなぁ、と思った程度だった。不満を抱かずに呑気にそう思えた理由は二つある。職場から自室までの距離が近かった事と、きちんと残業代を付ける事が出来たためだ。

 それに源吾郎とて十九の若者であり、ひ弱な仔狐などではない。帰宅する時間が遅くなり、周囲が暗くなっている程度の事で、びくびくするような事などはまずありえない。

 せいぜい、使い魔のホップが勝手に鳥籠から抜け出していないかという事が懸念事項として頭に浮かぶ程度だった。使い魔と言いつつも、ホップは源吾郎に完全に服従している訳ではない。源吾郎に対しては親しみや仲間意識を持っているようであるが、彼には彼の考えと私生活があるのだ。それにホップの奔放な振る舞いに頭を悩まされるのは、ほんのわずかなシーンだけだ。基本的には、ホップの奔放さは、源吾郎には微笑ましいものである。

 

 結局のところ、入浴して就寝する時間は、普段よりも小一時間ばかり遅れるだけに留まった。自室に戻る時間が普段よりも二時間ほど遅い事を思うと、一時間近く物事を短縮して行った事になるのだ。というよりも、普段は何気なく行っていた何もしていない時間というのを、切り詰めただけの事かもしれないが。

 そう言う法則があるのを、兄らから聞いた事があるな。そう思いながらも、源吾郎は鳥籠に近付いて、てっぺんの部分をそっと撫でた。自堕落にならずに、きっちりと源吾郎が過ごせるのは、鳥籠の中にいるホップのおかげだからだ。

 ホップは既に眠っていた。ベッドであるつぼ巣の中に入り、目を閉じてじっとしている。一羽きりだから中央に陣取っても良いのだろうが、今日もつぼ巣の隅に身を押し付けるようにして眠っていた。幼い頃からの彼自身の習慣に過ぎない事なのかもしれないが、見ていると心が和んできた。

 

「おやすみホップ。今日は俺も帰るのが遅くなったけれど、良い子で待ってくれていてありがとうな」

 

 思わず感謝の言葉が口を突いて出てきた。ホップは寝ているから返事をしないだろう。そんな事は解り切っていたというのに。

 

「……プ」

 

 ところが、つぼ巣の中でホップがもぞもぞと動き、喉から小さな啼き声が漏れた。もしかして、起こしてしまったのだろうか。源吾郎はぎょっとして、鳥籠の中を覗き込む。ホップの目は閉じたままだった。もぞもぞ動いていたのも、寝ながら身体の位置を調整するためだけの動きだったようだ。

 明日も仕事だし、俺もそろそろ寝ようか。そう思った源吾郎は、そのまま布団の中に入り、手許のスイッチで室内の灯りを消した。

 

 夢見の才とやらがまた発動したのだ。周囲の景色を見やりながら、源吾郎は思わず舌打ちしていた。何がどうという訳ではないのだが、普通の夢とドリームランドに繋がっている夢との区別は、次第につくようになっていた。そして今回の夢は、ドリームランドに迷い込んだ夢なのだ。

 今回源吾郎がいるのは劇場の中央だった。ドリームランドの夢と言えば宇宙空間と思しき場所が多かったので、それはそれで珍しい夢だと思った。

 

「こんにちは、仔狐ちゃん」

「いやいや、今は夜だから、こんばんはじゃあないかな」

「良いじゃん別にぃ。昼なのか夜なのか、そんな事を区別しているようだったら、みみっちいしモテないぞ~」

「それこそどうでも良いじゃん。僕たちってモテるとかモテないとか、そんな事を気にして生きてる訳じゃないし」

 

 スポットライトの届かぬ暗がりから、無邪気な声と共に二人の黒子が姿を現した。小学生ほどの背丈に黒服、それでいて顔を隠す面布だけは曇りなき純白。彼らの姿は、前にも見かけた事があった。

 前に出会った(?)時には、こいつらは俺に踊るように命じていたじゃあないか。過去の事を咄嗟に思い出すや否や、源吾郎の心中で警戒アラートが鳴り響いた。

 こいつらの傍にいても碌な事にはならない。正体は解らないが、こいつらは確か這い寄る混沌の眷属じゃあないか。

 逃れるのが得策だ。そう思ったものの、源吾郎は走るどころか微動だに出来なかった。まるで、その場に足を縫い留められているかのように。

 

「ほうほう。毎度毎度接触を図ろうとしたら逃げてばかりいたようだけど、今回は腹を括って、逃げずに我らが来るのを待つようになったのだな」

 

 ゆったりとした、威厳のある声が源吾郎の鼓膜を震わせる。声の主はやはり、唐突に姿を現した。浅黒い肌に見上げるような長身。端麗な面に清潔そうなスーツに身を包んだ青年姿のそれこそが、新たな出現者だったのだ。

 そいつの姿を目の当たりにした源吾郎は、半ば反射的に顔をしかめてしまった。柔和で壮麗な美青年だったのだが、禍々しい存在である事に気付いてしまったからだ。端的に言えば、這い寄る混沌そのものがやって来たのだと悟ってしまったのだ。

 

「臆病な仔狐かと思っていたけれど、中々お前も賢しくなったようじゃないか」

「……一体、何の用ですか?」

 

 震える声で、源吾郎はそう尋ねるのがやっとだった。文字通り上から目線でこちらを見下ろしてくる彼は、少し呆れたような表情を浮かべながら言葉を紡ぐ。

 

「お前とお前が属する組織の者たちは、道ヲ開ケル者の眷属と闘ったようだな。その事について、少し面白い話をしてやろうと思っただけの事だよ」

 

 言いながら、青年は皮肉っぽい笑みをその面に浮かべていた。相対する源吾郎は笑ってなどいない。尻尾を逆立て頬を引きつらせながら、言葉の内容を吟味するのがやっとだった。

 道ヲ開ケル者の眷属と言えば、怨敵たる八頭怪に他ならない。青年姿の這い寄る混沌はさも愉快そうな表情を浮かべてはいるが、内容が何であれ面白い話などではないだろう。

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