九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

501 / 601
戻りし妖狐、強さと孤独の因果を思う

 ※

 ああ、俺、ちゃんと戻ってこれたんだ。おのれの意のままに握っては開く行為を繰り返す両の手を眺めながら、源吾郎は思っていた。戻ってきたというのは妙な言い回しかもしれないが、そうとしか表現が出来なかった。

 何しろ先程まで、源吾郎の肉体の主導権は、這い寄る混沌の物だったのだから。

 

「しま、ざき、くん」

「……?」

 

 たどたどしい声音で、誰かが源吾郎に呼びかけてきた。萩尾丸や三國と言った八頭衆の誰かではない。もっと若い、青年妖怪の声である。

 顔を上げると、化け狸の青年が目の前にいた。ウェイターめいた服装の彼は、水の入ったグラスを丸盆に乗せて持ってきている。源吾郎は、水の入ったグラスをしばし眺めていたが、その視線を青年の顔へと向けた。

 

「あ。今津さんですよね。一体どうされたんですか」

「何だ島崎君。俺の名前を知ってるのか? 驚いたぜ」

 

 名前についてはうろ覚えだったのだが、青年の反応を見るに当たっていたようだ。だがそれにしても、自分から声を掛けておいて、名前を当てられて驚くとはどうなんだろう。源吾郎はついついそんな事を思ったが、おくびにも出さずに言葉を続ける。

 

「どうしても何も、今津さんも萩尾丸先輩の所で働いてらっしゃるじゃあないですか。僕が戦闘訓練をやる時も、今津さんも顔を出しているみたいですし」

「そうか。それなら覚えていても当然だよな。まぁ、島崎君は狐だから、穂谷さんとか白川先輩とか野柴さんたちとかと仲が良いのかと思っていたけれど……」

 

 今津の言葉は、源吾郎に伝えるというよりも殆ど独り言のような物だった。だが彼は、源吾郎の視線に気が付くと、丸盆に乗っていたグラスを差し出した。

 今津と目が合う。最初に呼びかけた時に、何故たどたどしい物言いだったのか、この時解った。源吾郎を見つめる今津の瞳には、怯えと戸惑いの色がありありと浮かんでいた。まるで恐ろしい物と相対しているかのような、そんな目だった。

 

「今しがた萩尾丸さんから聞いたんだ。お前、いや君は、何かヤバいやつに身体を乗っ取られていたんだってな」

「あ、はい。まぁ……そんな感じですかね」

 

 砕けた口調で喋りかけていた事に気付き、慌てて丁寧な物言いで応じた。だが砕けた口調と言えば、今津も同じだった。這い寄る混沌について、今津が根掘り葉掘り聞こうとしない事に気付いたのちに、源吾郎はふと思った。

 

「それで皆、島崎君が大丈夫かどうかって心配なわけ。それで俺が、水を運んできたんだよ。水でも飲めば、少しは落ち着くだろうからさ」

「落ち着くも何も、僕は冷静ですよ」

 

 何故かからかわれたような気分になって、源吾郎は拗ねた子供のように口を尖らせてしまった。もしかしたら、相手が自分とさほど変わらぬ精神年齢の若妖怪だった事も起因しているのかもしれない。

 ともあれ源吾郎は今津からグラスを受け取り、水を飲んだ。ほのかに甘い水が喉を通り抜け、胃の腑の中へと溜まっていく。その事を感じながら、源吾郎は確かに落ち着きを取り戻していた。経緯はともあれ、ある意味今津の言う通りだった。

 

「このお水、美味しいですね」

「そうか。島崎君も半妖だけど狐の血が濃いもんな。君も水の味が判るクチだな」

 

 冗談とも世間話ともつかぬ今津の言葉に、源吾郎は顔を綻ばせて頷く。

 この分じゃあ、島崎君も大丈夫そうだな。ぽつりと呟いた今津の顔には、安堵の色がはっきりと浮かんでいた。

 

 打ち合わせは、今津が源吾郎に水を持ってきた数分後にはお開きになってしまった。這い寄る混沌が説明を終えたために話すべき内容が無くなったためなのか、源吾郎の身を案じての事なのかは解らない。そこまで考える余裕は、残念ながら今の源吾郎には無かったのだ。

 

「今津君が言っていたように、島崎君も元気そうで何よりだわ」

「あっ、はい……」

 

 急に右隣から声を掛けられた。何事かと思ってびくっと身をすくませたのだが、紅藤が話しかけてきただけなのだと気付いた。

 しかしそれにしても、今津が水を持ってきてから声を掛けられるまでの間、隣に紅藤がいる事を失念してしまっていた。それももしかしたら、這い寄る混沌に身体を乗っ取られた影響なのだろうか。這い寄る混沌が源吾郎の肉体を操っている時も、一応意識はあるにはあったのだが。

 と、紅藤が再び口を開いた。紫の瞳は澄んでいて、源吾郎の心中を見透かしているかのようだ。

 

「ごめんね島崎君。驚かせてしまったかしら。実は今津君が、島崎君にお水を運んできたところから、妖術を使って気配を隠していたの。私って、若い妖《こ》から怖がられる事が何かと多いから……」

 

 若い妖《こ》から何かと怖がられがちだ。そう語る紅藤の横顔を、源吾郎はただただ見つめているだけだった。物哀しそうな表情を浮かべる紅藤に、何か声を掛けたかった。しかし薄らぼんやりとした若狐の頭では、気の利いた言葉など浮かばなかった。

 それに――他妖事《ひとごと》ではないという考えが首をもたげてもいた。紅藤が恐れられているのは、彼女が並外れた妖力と能力を保有しているからだ。八頭怪との全面戦争の折には山鳥女郎と闘ったのだが、その余波で山の半分が更地になったのだという。いかな大妖怪と言えども、闘っているついでに山を更地にするなどと言うのは尋常な事では無い。

 そして並外れた力を持つという事は、皆が無邪気に尊敬の眼差しを向けてくれるという事などではない。疎み、忌み嫌い、利用する。()()()そちらの方が自然な流れなのだろう。世知辛い話ではあるが。

 源吾郎は現時点でも同年代の妖怪たちよりも突出した妖力を保有しているし、強くなる事を目標として生きている。いや、強くなり集団の長にならねばならないのだ。その事に不満はないし、もはやそれ以外の道を選ぶような状況ではないのだと源吾郎も解っている。それでも、強いがゆえに皆に馴染めず、微笑みながらも孤独を胸に抱えなければならない日が来るのではないか。紅藤を見つめているうちに、そんな考えが去来してしまったのだ。

 ましてや自分は、這い寄る混沌の権能を受け継ぎ、その上這い寄る混沌に憑依されもした。その状況を見て、普通の妖狐だと思う者は誰もいないだろう。

 その事が源吾郎には恐ろしかった。恐ろしいと思う事が情けなくもあった。元より源吾郎は、最強の妖怪になるために妖怪の世界に飛び込んだはずだった。だというのに、邪神の権能を受け継いだ程度で怖気付いてしまうなんて。

 紅藤や萩尾丸の目を盗み、源吾郎は頭を振った。ずっと頭の中で奇妙な考えが浮かんでいるが、それはきっと我に返った直後だからなのだ。自分にそう言い聞かせて、心を落ち着かせようとしたのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。