檻の向こうには飛ばないカモメ
四月下旬と言う事もあって、春の終わりを過ぎて初夏の雰囲気をそこここに感じていた。街路樹のヒラドツツジは薄紫や白色の蕾をあちこちで伸ばし、日当たりの良い所では既に花が咲いている所すらあった。オレンジ色のポピーの花も、道路の合間から不意打ちのように茎をのばし、薄い四枚の花弁を揺らしている。
連休前の土曜日。源吾郎は米田さんとデートを楽しんでいた。今回は姫路界隈をぶらつく事にした。実のところ、ここ二か月で姫路に出向くのは三度目である。しかし一度目と二度目は、用事があって実家に戻っていただけだ。純粋な観光や遊びで姫路に出向くのは、春になってからは今回が初めてとも言えよう。
ついでに言えば、米田さんと姫路でデートする事も初めての試みである。
いつになく女性的な装いの米田さんの隣で、源吾郎は意気揚々と歩を進めていた。姫路は源吾郎の庭のような物だし、何より白鷺城がある。
「ふふっ。普段会う時は大阪か参之宮か、それか島崎君のおうちの近くだったけれど、姫路で会うのも新鮮ね」
「そうでしょう米田さん。ええ、姫路は本当に良いですよ。白鷺城があるのは勿論の事、水族館も植物園も動物園もありますからね。センターパークはちと遠い上に値段が張りますが……いずれにせよ、姫路駅周辺は良いですよ。僕も高校を出るまで暮らしていたので、良い所を知っていますし」
センターパークの話を変に持ち出したから、しみったれたやつだと思われただろうか。しかしセンターパークの入場料が高い事、バス代もそこそこかかる事は事実であるし。何より源吾郎は、白鷺城内にある動物園が地味に好みだった。キツネがいるからなのかもしれないが。
幸いな事に、米田さんは源吾郎を嗤う事は無かった。その代わりに、何処か思案するような表情で告げただけだ。
「島崎君はこの辺の出身だったものね。だけど地元だったら、この間みたいにご家族に鉢合わせしてしまうかもしれないけれど、島崎君は大丈夫かしら?」
「もう大丈夫です。兄上たちと鉢合わせしてしまっても、もう気まずい事なんてありませんよ!」
米田さんの問いに、源吾郎は半ば食い気味に応じた。
「兄たちは既に、僕と米田さんが付き合っている事は知ってますからね。上の兄から末の兄まで、三人ともです。ですから米田さん。もしも今ここで宗一郎兄様に、一番上の兄に出くわしたとしても、僕はもう驚いたり慌てたりしませんよ。実を言うと、この前上の兄に、米田さんへ送るメッセージを誤爆してしまった所ですし」
「誤爆って、あの時の事ね。そんな事になっていたなんて」
源吾郎の話が終わると、米田さんは淑やかに笑った。誤爆の顛末は、聞いていてクールな米田さんも面白いと思ってくれたのだろう。しかし今の源吾郎は、米田さんの心情よりも、米田さんが笑ってくれた事そのものに喜んでいた。
いずれにせよ、源吾郎は米田さんと交際している事を隠すつもりはなかった。
二人の交際がバレても仕方がないという、消極的なものではない。自分が米田さんと付き合っている事を知らしめたいという、より積極的なものだったのだ。
確かに少し前までは、親兄姉や親族には、米田さんとの事はもう少し仲が深まってから伝えた方が良いかと思っていた時期もあった。しかし紆余曲折あって考えが変わった。
そもそもからして、米田さんは源吾郎の叔父叔母と交流しているのだ。だがそれ以上に、デートの折に誠二郎とばったり出会った事や、宗一郎に米田さんあてのメッセージを誤爆してしまった事が、源吾郎の意識を変えるきっかけになったとも言える。言い方は悪いが、開き直ってしまったのだ。とはいえ大きな問題はない。米田さん自身は、自分たちの関係を源吾郎の親族に知られる事を嫌っている素振りは無いからだ。むしろ叔母のいちかに源吾郎との事を話している節すらあるのだから。
なお、米田さんのメッセージを宗一郎に誤爆してしまった件であるが、直後に「誤爆に気を付けるように」と注意されたきりである。その後宗一郎とは二度顔を合わせているが、米田さんの事や源吾郎が女狐と交際している事について、とやかく言及されなかった。源吾郎にとっては有難い話だった。
※
白鷺城の天守内を一通り見終わった源吾郎と米田さんは、そのまま動物園へと向かった。山頂にある事で有名な水族館や植物園とは異なり、動物園は白鷺城の敷地内に存在している。従って、白鷺城を観た後にすぐに出向けるのは動物園だったりするのだ。しかも入場料が大人料金であってもとんでもなく安い事もまた、気軽に足を運ぶ理由になっていた。
源吾郎は実のところ、米田さんが動物園に行くのを嫌がるのではないかと言う懸念も抱いていた。今でこそ妖狐として暮らしているものの、米田さんは元々は獣のキツネだった。人間の手によって檻に入れられ、半ば晒し者になっている動物たちを眺める事に嫌悪感を抱くのではないか。そのような懸念を、源吾郎はごく当然のように抱いていたのだ。
ところが幸いな事に、米田さんは動物園へ行く事を嫌がりはしなかった。むしろ
「動物園は中々出向く事も少ないし、お城の中にある動物園も珍しいじゃない」
と言って、白鷺城内の動物園に向かう事を面白がっているようでもあった。
なお、源吾郎は動物園で動物を見る事は結構好きだったりする。動物好きだと漠然と思っていたが、特に虎やライオンや狼やキツネと言った、食肉目に分類される獣たちが源吾郎は好みだった。猛獣の勇ましさに心を惹かれるのか、単に源吾郎がキツネの遺伝子を継いでいるからなのかは定かではないが。
とはいえ、今回はキツネを見るのはやめておこう。流石に米田さんも、同族が降りに入っている所を見るのは嫌がるだろうから。動物園へ向かう道中、源吾郎は密かにそんな事も思っていた。昔ながらの動物園だからなのか、キツネやタヌキと言ったごくありふれた動物も、ここではお目にかかる事が出来るのだ。
「カモとか鷺みたいな水鳥はともかく、カモメなんかも、あんまり飛び回らないんですね」
播磨灘付近の水鳥たちを集めたスペースにいる鳥たちを眺めながら、源吾郎はぽつりと呟いた。水鳥の集まったスペースと言っても、他の動物と同じく彼らは檻の中に収容されている。強いて言えば、鳥である事を考慮して天井が数メートルとかなり高く設けられている事と、水鳥であるという事で亀やら魚やらが泳ぐ水場がある事くらいが、他の檻との違いだった。
床面積にして八畳から十二畳と思しき檻の中で、水鳥たちは何をやっていたのか。
彼らは水の中に入ったり、餌を探したり、時には他の水鳥を突き回したりとせわしなく過ごしている。
しかし、二十羽近くいる水鳥たちは、一羽として空を飛ぶ素振りを見せなかった。翼を広げて羽ばたく事すらなかったのだ。せいぜい、気の強いカモメにいじめられたカモメが、逃げる際に慌てて翼を広げた程度である。しかもそのカモメは片翼を痛めており、飛べそうにないのは明白だった。
「……鳥って空を飛ぶ生き物だって思いがちだけど、鳥にとって空を飛ぶのは結構しんどい事だって、昔何処かで聞いた事があるわ」
源吾郎の呟きを拾った米田さんは、静かにそう言った。それまで彼女は、熱心にカモメや鷺たちを見つめていた。と言っても、源吾郎も鳥を見るのに集中していたのだけど。
米田さんは、源吾郎の方に視線を向けたまま言葉を続ける。
「それかもしかしたら、自分たちのいる所がどれくらいの広さなのか知っていて、それで飛ばなくても良いって思っているだけなのかもしれないわ」
「それって……」
水鳥たちが檻の中にいる事を知っていて、それで飛ばないだけだ。米田さんの淡々とした言葉に、源吾郎は胸の痛みを覚えた。水鳥たちを憐れんでいるのか、米田さんの言葉に驚いているのか、自分でもいまいち解らなかった。
解らないと言えば、米田さんがどういう気持ちなのかも解らない。もしかしたら米田さんは、檻の中で滑稽に走り回る水鳥たちを憐れんではいないのかもしれない。自分たちも所詮は似たような存在だと思っているのかもしれない。
「ま、まぁでもそう言うものなのかもしれませんね」
源吾郎はだから、当たり障りのない事を言って微笑むだけだった。
よくよく考えたら、我が家にいる十姉妹のホップも、飛ばずに跳ねまわる事が多いではないか。ホップには不自由な暮らしをさせている訳ではないし、あのカモメたちも同じだろう。今回の件については、そう思う事にしておいた。