枝垂れた藤が房状の花を咲かせる休憩所にて、源吾郎はバッグから弁当箱を取り出した。風呂敷に包まれたそれは、普段職場に持って行っている物と変わりない。作っている料理も含めて、だ。
「島崎君は料理が好きって聞いていたけれど、今日も本格的なお弁当を持ってきたのね」
風呂敷をほどいていない状態ではあるが、米田さんは源吾郎の弁当箱を一瞥して言った。嗅覚の優れた妖狐であるから、中身を見ずとも源吾郎の弁当箱に何が入っているのか、手に取るように解るのだろう。
源吾郎はだから、素直に頷いた。もしかしたら、頬が火照っているかもしれないなどと思いながら。
「はい。余程の事がない限り、お弁当は作って持参してますね。所謂弁当男子って呼ばれる存在なのかもしれません」
「作ってって事は、出来合いのおかずを詰めているんじゃあなくて、自分で調理した物を入れてるって事かしら」
「大体そんな感じですかね」
米田さんとの問答にて、源吾郎は弁当を作る習慣が出来たいきさつや、どんな感じで弁当を作っているのかについて少しばかり語って聞かせた。それはもう得意気に。
いっそ調子に乗っていると思われかねないほどの語りぶりを見せていた源吾郎であるが、何も弁当作りや料理が楽しくて、それを米田さんに伝えたいという理由だけではない。
自分は毎日、それも毎朝料理を作るのを苦にしていないし、むしろ楽しんで行えるだけの素質がある。その事を米田さんにアピールしたかった。そんな考えが脳裏にあったからだ。と言うよりも、そちらの理由の方が本命ですらあった。
前にデートした時も、料理は両親や兄らに仕込まれた事、一人暮らしを始めてからほぼほぼ自炊している事は少しだけ話していた。しかしその仔細を語るのは、今回が初めてのようだった。
「……とまぁ、こんな感じで、僕は毎日自炊をやっているんです。流石にしんどい時とかはお惣菜に頼る事もありますけどね」
「社会妖《しゃかいじん》二年目で、しかも一人暮らしでほぼ毎日自炊って凄いわ。島崎君がマメな性格だからって言うのもあるでしょうけれど……私だと難しいかもしれないわ」
「僕の場合、職場のすぐ近くに住んでいるという事も大きいですけどね。おかげで、出勤前にスーパーに出向く事も出来るんですから」
「まぁ、それは素敵な住環境ね」
そこまで言うと、源吾郎と米田さんは互いに見つめ合いつつ笑い合った。源吾郎が研究センターの居住区を本宅としている事、それ故に出勤時間がほぼゼロである事は、米田さんも知っているのだ。だからこそ、バレンタインの折に研究センターの傍まで車で乗り付けてくれたわけであるし。
「それじゃあ、そろそろお昼にしましょうか。お喋りはご飯を食べながらでも出来るもの」
弁当箱ないしそれに準じる物が入った巾着袋をテーブルに置きつつ、米田さんは言った。ふと何かを思い出したのか、彼女は今一度源吾郎を見つめる。
「もしかして、島崎君のお宅って食事中はお喋りが駄目だったとかかしら?」
「いえいえ。そんな事はありませんよ。むしろ誰かしら何か話してましたけどね。兄姉が大勢いたので」
「それなら良かったわ」
食事中の会話が問題ない環境で育った。その事を確認できた米田さんは、再び穏やかな笑みを浮かべてくれた。
※
「米田さん。米田さんはお稲荷さんをランチになさったんですね」
「唐揚げとかも一緒に持ってきたんだけどね」
源吾郎は、米田さんの持ってきていた弁当の中身を見て、思わず声を上げてしまった。長方形の弁当箱の中に納まっていたのは、稲荷寿司二つと唐揚げ、そして付け合わせのサラダだったのだ。
特に源吾郎が目を引いたのは稲荷寿司である。
妖狐は稲荷寿司や油揚げが好物であるとまことしやかに語られているが、これは事実とは言い難い。妖狐の食性は、キツネ同様肉食性の近い雑食である。従って鶏肉やマウスなどの肉類を好む妖狐の方が多いのだ。
そもそもからして、お狐様に油揚げや稲荷寿司を備えるというのも、ネズミの天ぷらの代用品であるという事に過ぎないのだ。実際問題、妖狐の血を引く源吾郎は唐揚げやマウスの天ぷらの方が好物であるし、源吾郎の周囲にいる妖狐たちもそんな感じである。
だからこそ、生粋の妖狐である米田さんが、稲荷寿司を弁当に持ってきていた事に驚いたのだ。それにデートの折にはカツサンドや鶏料理など、やはり肉メインの食事だった気もするから尚更だ。
「どうしたの島崎君。もしかして、稲荷寿司が欲しいのかしら」
「いえ、いえ。そういう事じゃあないんです」
自分の稲荷寿司を譲ろうとした米田さんに対し、源吾郎は両手を前に突き出しつつ首を振った。いかな恋人同士と言えども、相手の食事を奪うような横暴な真似を行うつもりなど毛頭ない。互いのおかずを交換するだけならまだしもであるが。
「米田さんが、稲荷寿司を召し上がるのが珍しいなと思っただけなんです。鶏料理とかお肉がお好きなのかなと思っていましたので」
稲荷寿司が好物なのですか。源吾郎の率直な問いに、米田さんはしかし思案顔となった。好物です、と返答する事を予想していたので、米田さんの反応に源吾郎は少し戸惑ってしまった。
「そうね、島崎君の言う通り、私もどちらかと言えば鶏料理とかお肉の方が好物ではあるわ。稲荷寿司は……好きかどうかというよりも、食べる事が若い頃からの習慣として染みついているって感じかしら」
「習慣、ですか……」
米田さんの言葉をぼんやりと反芻する。食べる事が習慣になっている。あるいは習慣として特定の食べ物を口にする。そんな話を、過去に何処かで聞いた事があった。記憶の引き出しをまさぐっても、どの料理の事を指しているのか思い出せなかったが。
米田さんはと言うと、源吾郎のオウム返しに頷き、言葉を続けている。
「前も少しだけ話したけれど、私って米田家にいた事があるでしょう。その時は、週に二度か三度ほど稲荷寿司が出ていたの。流石に私も、週に三回も稲荷寿司を食べている訳じゃあないわ。だけど、週に一回は稲荷寿司が油揚げを食べておかないと、何となく落ち着かないから……」
「米田家にいらした時の習慣だったんですね」
それならば、米田さんが稲荷寿司や油揚げを定期的に口にするのも自然な事だと、源吾郎は思い始めていた。彼女がかつて身を寄せていた米田家と言うのは、稲荷の眷属を輩出する妖狐の家系であるという。
先程、妖狐は油揚げや稲荷寿司を特別好む訳ではないと言ったのだが、それはあくまでも野狐に限った話である。稲荷の眷属たる妖狐たちは、野狐たちよりも稲荷寿司や油揚げを口にする機会が多いのだという。人間の僧侶で言う所の精進料理に近いのだろうか。しかし稲荷の眷属だからと言って、別段肉食を禁じられている訳でも無いのだが。
米田さんが米田家にいた頃となると、彼女の言う通り若い頃の話になる。それならば、米田家から離れて野狐になったとしても、稲荷寿司や油揚げを口にするという習慣が抜けないのも自然な事かもしれない。
あるいは、米田家とのよすがを忘れないために、わざわざ稲荷寿司を食べる習慣を、自発的に維持している可能性だってあるかもしれない。
果たして米田さんがどう思っているのか。現時点では定かではない。だが一つだけ明らかな事がある。米田さんと一緒に暮らすようになったら、週に一度稲荷寿司を振舞えば良いという事だ。稲荷寿司を食べる曜日を決めているのならば、今回それとなく聞いてみるのもアリだなと思っていた。
と、米田さんが何かを思い出したらしく、小さく声を上げた。そしてそのまま、彼女は言葉を紡いでいったのだ。
「あ、あとね島崎君。稲荷寿司って言いはしたけれど、お揚げに詰めているご飯は酢飯じゃあないのよ。だから厳密には、稲荷ご飯って言った方が良いのかしら。ごめんなさいね、何かややこしいわよね」
「いえ別に、何となくそうだろうなって思ってましたもん。と言うよりも、僕も家族も酢飯は苦手なので、酢飯じゃあない恵方巻とかお稲荷さんとかはよく食卓に上がりましたよ」
自分が食べている稲荷寿司は、実は酢飯ではない普通のご飯を用いている。米田さんは何処か申し訳なさそうに告げたのだが、源吾郎は特に気にしなかった。元より源吾郎自体も酢飯は苦手であるし、妖狐たる米田さんが酢飯が苦手であろう事は解っていたからだ。
動物の多くが酸味を苦手とする事は、有名な話である。それこそ肉であれば、腐敗が進んで危険な状態である事を示しているのだから。
獣のキツネだった経歴を持つ米田さんが、獣としての過去を未だに覚えている彼女であるならば、そうした本能もしっかりと残っているはずだ。源吾郎はそのように推論していたのだ。そもそもからして、代を重ねた妖狐であったとしても、酸味のある食材は苦手な者が多いのだから。
源吾郎はそれから、食事と米田さんの会話を楽しんだ。そこで彼は、米田さんは概ね土曜日か日曜日に油揚げを使った料理を食べる事、関東式の稲荷寿司も食べるが中に