魔道具屋に通じる妖怪向けの小径はすぐに見つけ出す事が出来た。母に連れられてやって来たのが一か月ほど前の事であるから、何処からどう行けば良いかなどは迷う事など何一つなかった。
しかしながら、店舗を構える小径の雰囲気は、母や兄姉と共に出向いたあの日とは異なった様相を示していた。小ぢんまりとした空間ながらも、明るく賑やかな雰囲気を放っていたのだ。要するに、店舗の間から店員や店長と思しき妖物が往来を行く妖怪に声を掛けたり、地元民であろう子供妖怪が道の端っこでじゃれ合ったりする光景がそこかしこで見受けられたのだ。
もしかしたら、前に入った筋とは違う所から入ったのかもしれない。そんな風に思いもしたが、張り紙や電柱の位置からして、違った所から入った訳でも無さそうだ。
「どうしたの島崎君。きょろきょろしちゃっているけれど」
せわしない源吾郎の態度は、米田さんにも勿論気付かれた。源吾郎の挙動は、あまりにも落ち着きがなかったのかもしれない。不思議そうな表情で、米田さんは源吾郎を見つめていた。
まただ。また米田さんそっちのけで考え事をしてしまったんだ。心の中で反省し、源吾郎は米田さんを見つめ返した。
「いえ、この間通った時とは雰囲気が違うなぁと思いまして」
前はもう少し静かな感じだったのです。最後の一文を付け加える時に、源吾郎は声のトーンを落とした。地域住民が見聞きしている中で、暗にうるさいと口にするのは気が引けた。
それに今の賑やかな雰囲気は、決して不愉快などではない。むしろ好ましく感じられるほどだ。
「多分だけど、前に島崎君がここを通った時は、商店街全体がお休みの時だったのかもしれないわ」
そこまで言うと、米田さんは活気づく商店街の通りと源吾郎の顔とを交互に見やった。
「この前島崎君が奥の魔道具屋さんに行ったのは、三月の中頃だったでしょ。そうでなくとも、三月と言えば年度末だから、お店の方も色々と忙しくなるのかもしれないわ」
「それは一理ありますね」
年度末。学校や会社で馴染み深い単語を耳にした源吾郎は、呟きつつ頷いていた。年度末らしいイベントが職場であった事を思い出してもいたのだ。
「確かに、僕の職場も三月に棚卸がありましたよ。まぁ、実際に作業をなさったのは、工場に勤めている方たちだったんですけれど」
ともあれ、年度末かどうかと言う部分については、源吾郎も見落としている所だった。母に連れられてやって来た日も、今日も土曜日だから、条件的には同じだと思い込んですらいたのだ。
しかし三月の年度末の事を考慮すると、米田さんの仮説も有力なものであるように思えてきた。
「それかお彼岸が近かったというのもあるかもしれないわ。あの時は三月の中頃で、島崎君の誕生日の前だったから」
「はい……」
誕生日の前。米田さんのこの言葉に、心臓が大きくうねるのを感じた。米田さんが俺の誕生日を覚えてくれている。その事が嬉しかった。喜びの念が大きいはずなのに、その中にいくばくかの気恥ずかしさが入り混じっている事に気付き、源吾郎は戸惑ってしまった。
源吾郎はだから、米田さんの目を見て言葉を紡いだ。話していれば、少なくとも思案に暮れて視野が狭まる事はないためだ。
「言われてみれば、あの時期はお彼岸ですよね。家族からも、お彼岸の少し後に生まれたよねって時々言われます。と言っても、僕としては相当な早生まれだなって思う程度ですけれど。三月生まれなのに牡羊座ですし」
そこまで言うと、源吾郎は頭を掻きつつ照れ笑いを浮かべた。三月二十三日生まれの源吾郎は、早生まれと言う事に対するコンプレックスも大きかった。とはいえ、就職した現在ではむしろ同い年の存在を探す方が難しい訳だから、早生まれがどうと言う話すら持ち上がらないのだが。
話の流れで誕生日の事が出てきた訳であるが、それに伴って源吾郎の頭に一つの疑問が浮き上がってきた。
「米田さん。そう言えば米田さんのお誕生日っていつでしたっけ」
「誕生日、ねぇ……」
源吾郎の問いかけに対し、米田さんは思案顔となってから答えた。
「九月八日、と言う事で通しているわ」
「九月生まれ、なんですか?」
源吾郎は丸く目を見開いて米田さんを見つめていた。九月生まれと言う回答は予想だにしないものだった。ホンドギツネの繁殖期が春先である事を知っていたからだ。米田さんは代を重ねていない、キツネから変じた一世代目の妖狐である。であれば、誕生したのも三月から四月の間であろうと普通に思っていたのだ。世代を重ねた妖狐ならば獣の特徴も薄れ、固定した繁殖期を持たなくなる事もある。しかし一世代目、二世代目だとそうはいかないらしい。
困惑する源吾郎の姿に気付いたらしく、米田さんは言葉を続ける。
「ちょっとややこしい話になるけれど、私が物理的、に九月八日に生まれたって訳じゃあないの。キツネだし、実際には三月が四月ごろに生まれたんだろうと思っているわ」
ではなぜ、敢えて九月八日を誕生日としているのだろうか。その疑問を口にするまでもなく、米田さんは理由を教えてくれた。
「米田家に養子として引き取られた日が九月八日なの。それでその日を誕生日って事にしているのよ」
「ああ、そうだったんですね」
噛み締めるように、ゆったりとした口調で源吾郎は言った。心の中には納得と驚きの念が同時に浮き上がり、混じり合っていた。米田さんは、米田玲香と名乗る妖狐は、今では米田家から離れて暮らしているという。だがそれでも、米田家にいた頃の縁を完全に捨て去っている訳ではない事が、こうした所からも明らかになっていた。
「島崎君は驚くかもしれないけれど、本当の誕生日じゃなくて別の日を誕生日として扱うって事は、妖怪たちの中ではままある事なのよ」
しばし無言で考えていたために、不審に思っているように米田さんには見えたのだろう。静かな口調で米田さんは告げた。
「私たちみたいに、普通の動物から変化した妖怪だったら、私たちが使っているカレンダーの存在なんて知らないもの。そう言う場合は、何がしかの手続きをした日とか、印象に残った日とかを、誕生日にするそうよ。
と言っても、私もあんまり親しくない妖たちには、何でその日を誕生日にしたのかとか、そこまでとやかく聞いたりはしないんですけどね」
「……」
俺は今、自分の知らない世界の話を耳にしているんだ。ごくごく自然な事のように語る米田さんを見つめながら、源吾郎は思わずそんな事を考えてしまった。
誕生日を自分で考える。そんな事は源吾郎には考えられない話だった。半妖として生まれ、人間として出生届を出された源吾郎にしてみれば、誕生日は不変のものなのだから。
驚きつつも、誕生日にまつわる小話などは、少ししてから思い出していた。標的の生年月日と生まれた時間を把握する事で、悪心を持つ術者は呪いをかける事が出来る。だから人々は、呪いを恐れて生年月日、要は誕生日を秘匿する事もあったという。何処かで仕入れた知識を、源吾郎はぼんやりと思い出していた。
とはいえそれを口にすることは無かった。それよりも先に、米田さんが再び口を開いていたからだ。
「そうでなくても、私たちより上の年代だと、旧暦を使っていたヒトも出てくるのよね。その場合は、誕生日も今の暦では年によって日が違う事も珍しくないわ」
「それはそうですよね」
旧暦云々の話については、源吾郎も自信をもって頷く事が出来た。
源吾郎自身は平成生まれであるため、普段使っている暦は新暦もといグレコリオ暦ではある。しかし周囲には旧暦を知る妖怪たちが大勢いた。と言うよりも、明治時代以降に生まれた妖怪は、若輩者か子供扱いされてしまうのが妖怪の世界でもある。
具体的な例を挙げれば、第八幹部の三國は江戸末期の生まれ、サカイ先輩が恐らくは明治時代の生まれと言った塩梅であろうか。
「そう言えば、胡琉安様の生誕祭も、旧暦を基準にして考えているみたいなんですよ。僕、最初はその事に気付かなかったので、去年と生誕祭の日付が違っていたから、驚いてしまったんです」
「胡琉安様なら、旧暦に馴染みが深い世代だものね。私は大正の生まれだから、旧暦も多少知っているという程度かしら」
小径が活気づいているという所から何故か暦の話に飛躍してしまったが、いずれにせよ和気あいあいと会話は進んでいた。源吾郎と米田さんは外様ながらも、小径の明るく賑やかな雰囲気を作る一助になったのである。
「ね、あのお兄ちゃんとお姉ちゃん、夫婦かなぁ?」
「夫婦じゃなくてアベックやろー」
「アベック何て言い方古いわ。今風に言ったらカップルやで」
和やかな空気に浸っていられたのも一瞬の事だった。化け狸や化け猫などと言った子供妖怪たちが、源吾郎と米田さんを物珍しそうに見つめ、ああだこうだと言い始めたことに気付いてしまったからだ。
源吾郎と米田さんの関係をあれこれと考えている彼らの言葉は、子供らしく忖度も何もない。無邪気と言えば聞こえはいいが、要は思った事を躊躇いなく口にしているだけである。
気恥ずかしさと気まずさで、源吾郎は顔を赤らめて目を伏せた。ここで子供らを叱り飛ばすという考えは浮かばなかった。バイオレンスな事が苦手であるという気質が、良くも悪くも発動していたのだ。それに相手は子供だが、実年齢的には年長の可能性もあるとすら思っていた。
しかし米田さんもいるのだから、俯いてばかりもいられない。源吾郎は意を決して顔を上げた。
米田さんはと言うと、子供たちに対して手を振り、笑みさえ浮かべていたのだ。その笑顔は屈託のない物であり、源吾郎は毒気を抜かれたような気分で、その横顔をしばし眺めたのだった。