お盆明けの八月十七日。かねてより教えられていた通り、源吾郎は双睛鳥の事務所での研修が始まった。もちろん萩尾丸から前もってアナウンスがあった訳であるが、それよりも前に源吾郎は双睛鳥や青松丸から話を聞いてはいた。
それ故に、研究センター以外での研修と言うアナウンスを、特段驚く事無く素直に聞き入れる事が出来た。のみならず「実は双睛鳥様や青松丸先輩からお聞きしていたんですよね」と、実に呑気な調子で言ってのけたほどである。
萩尾丸は少しだけ呆れ、ややあってから「先に事情を聞かされていたのなら話が早いね」と言っただけだった。
「やぁ島崎君。第七事業所へようこそ」
研修先に到着した源吾郎をいの一番に出迎えてくれたのは、双睛鳥その妖だった。源吾郎は少しの間、面食らったように双睛鳥の姿を見つめていた。と言っても、別に彼の魔眼にやられた訳ではない。クールビズ対応ながらもスーツ姿である双睛鳥の服装に、源吾郎は半ば感嘆していたのである。研究センターの面々は、萩尾丸を除いて白衣姿でいる事が常だからだ。しかも白衣には薬品や培養液の染みで汚れてすらいた。
入社してすぐに研究センターに入ったために、サラリーマンながらも所謂サラリーマンらしい姿を見る事が少なかったのだ。
「お疲れ様です、双睛鳥様。数か月間ですがよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね」
畏まった態度で頭を下げる源吾郎に対し、双睛鳥は気軽な様子で声を掛けてきた。穏やかな表情は崩さぬままに、しかし偏光眼鏡の奥で瞳を光らせながら、双睛鳥は言葉を続ける。
「うちの事業所も、ここ一ヶ月くらいで退職者が何人も出ちゃってね。それなのに仕事の方は増えちゃったから、それで島崎君にも応援で来てもらったんだ」
双睛鳥の言葉に、源吾郎は相槌を打ち頷いた。彼が語った内容も、前半部分はあらかじめ萩尾丸や青松丸に聞かされていた物と大差ない。だから驚く事無く素直に話を聞く事が出来たのだ。
但し、「応援のために来て貰った妖材は島崎君以外にもいる」と言うくだりは、源吾郎にとっては初耳だった。しかも応援に来ているのは灰高が抱えている部下たちの数名であるらしい。
果たして彼らが何処にいるのか。源吾郎は少しだけ気になって周囲を見渡したが、それらしい妖怪は見当たらない。既に他の妖怪たちから説明を受けて、仕事を始めているのかもしれなかった。まぁ、同じ事業所で働くのだから、今探さずとも後で合流するかもしれない。
と、双睛鳥が言葉を続ける。
「正直言って、島崎君には僕も色々と期待しているんだ。君は研究センターに勤務しているけれど、むしろ営業向けだと思っているからね。萩尾丸さんもそう仰っていたよ」
「そうですか。そうですよね」
双睛鳥の言葉に、源吾郎も軽い口調で応じて頷く。研究センターに勤務し研究職である源吾郎だが、研究職としての適性の有無は別問題である事は、自分でもよく解っていた。何となれば、懲罰として再教育を受けている雪羽の方が、むしろ研究者向きの素質を多分に持ち合わせていた。元々彼は、三國の許で経営者(要は三國の跡継ぎだ)として扱われていたにも関わらず、だ。
双睛鳥はそのまま、源吾郎が営業向けであるという論拠を何点か挙げていった。コミュニケーション力が高い事や、年長の妖怪相手でも物怖じしない度胸がある事などである。双睛鳥様はコカトリスゆえに魔眼の持ち主だけど、物事の本質を見極める眼力の持ち主でもあったんだな。やっぱり、目に魔力が宿っていると、眼力も養われるのかもしれない。言葉遊びめいた考えを、源吾郎は頭の中で巡らせていたのだ。
「……そんな訳で、島崎君は新入社員だけど、案外上層部の覚えがめでたいんじゃあないかと僕は思っているんだ。もちろん、玉藻御前の末裔っていうネームバリューもあるだろうけどね」
そこまで言うと、双睛鳥はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「もしかしたら、君も玉藻御前の末裔だし、魅了の力でも使って――」
「魅了の力ですって! 滅相もない話です」
魅了。その言葉を聞いた源吾郎は、思わず双睛鳥の言葉を遮り叫んでいた。不躾な行為である事は自分でも解っている。しかし自分が、魅了の力を濫用していると思われるのは心外だった。
「双睛鳥様。そもそも僕には、相手を魅了する能力は持ち合わせていないんです。変化や認識阻害、結界術は得意ですけれど。そうですね、魅了の力を使えるのは、兄姉たちの中では末の兄だけです」
そこまで言うと、源吾郎は一呼吸置いた。結果的にはため息をついたような形になってしまったが。
「末の兄も、そもそも魅了の力に頼ってなどいませんがね。いいえ違います。魅了の力で他人を利用するくらいならば、末の兄は死を選ぶでしょう。そう言う男なんですよ。全くもって、不器用で泥臭い生き方しかできないんです」
いささか過激な言葉も入っているが、源吾郎は嘘を言ったつもりはない。誇張も入っていない。魅了の力について、庄三郎が実際にそう思っているのだから。そしてそれを源吾郎は知っている。弟として、庄三郎の傍にいたからだ。庄三郎の考えも理解できるし、今更彼の考えを変えようなどとも思わない。だが時折、あまりにも頑なな考えに固執しているのではないかと思う事もあるにはあった。
末の兄の事についてしばし思いを馳せてしまった。そんな源吾郎の思考を現在に引き戻したのは、双睛鳥の忍び笑いだった。ひっそりとした、ひどく静謐な笑い方だ。そう思った時には、双睛鳥の右手が源吾郎の肩に添えられていた。手指は人間のそれと同じ形であるが、服越しでも熱く感じられる体温の高さが、彼を化鳥である事を知らしめているように感じられた。
「ごめんね島崎君。さっきのはほんのちょっとした冗談だったんだよ」
そこまで言うと、双睛鳥は源吾郎を静かに見下ろした。彼の側近と思しき鳥妖怪は何処か呆れたような表情を浮かべていた。だが双睛鳥の、偏光眼鏡越しの眼差しは優しげなものだった。
「もちろん、君が先天的な魅了の力に頼っていない事は、僕も十分解っているよ。そもそも君は、君のお兄様方も、そう言う力に飛びついて依存するような輩じゃあないもんね」
「そう……ですね」
頷く源吾郎の声はぼんやりとしていた。自分や兄姉たちの、魅了の力に対するスタンスを、双睛鳥は違わず言い当てていると感じていた。その一方で、生まれつき魔眼を持って生まれた双睛鳥は、魔眼や魅了の力を善いものと捉えている訳ではない。先の彼の言葉で、言外にその事を感じ取ったのだ。
その後は双睛鳥の事務所での業務内容について軽く説明を受けた。それが昼休憩までの話である。
休憩後は昼一でちょっとしたテストを実施し、テスト後に簡単ながらも実務に入るという話だった。
テスト。学生時代の名残で半ば緊張してしまった源吾郎に対し、双睛鳥たちは鷹揚な笑みを見せるだけだった。曰く妖材の査定を行うようなお堅いものでは無く、あくまでも源吾郎の現在の適性や素質を見るためだけの物であるのだ、と。
従って堅くなる必要など無いのだと、双睛鳥は言った。前にもこんな事があったなと、源吾郎は思った。と言っても緊張が薄らいだ訳でも無いが。
※
昼休憩後。割り当てられたオフィスの空席で待機していた源吾郎は、双睛鳥によって応接室へと連れられた。午前中に話していたテストは、応接室で行うとの事だった。何が何だか解らないうちに、二人は応接室に辿り着いた。本部と同じく、応接室は調度品が飾られている。もっとも、本部は内装も調度品も大陸風であり、こちらはやや西欧風であると言う違いはあったが。
やや背の低いデスクの上には、二つの壺が置かれていた。花瓶かもしれないと咄嗟に思った。高さは二十センチ程度であり、中ほどは丸く膨らみ取っ手も付いている。ベースの色は群青色で、表面には金色の釉薬にて人や獣の姿が描かれている。童話か希臘神話の一場面を再現しているように思われた。
それは、何の変哲もない壺のように見えはした。しかし源吾郎には、単なる壺には見えなかった。高級品である事を看破したという訳ではない。一方には念が籠っているように感じられたという話だ。
「さて島崎君」
傍らにいた双睛鳥が口を開いた。源吾郎を見やり、何処か思わせぶりな表情を浮かべている。
「この二つの壺なんだけど、同じものに見えるかな? それとも全く別物かな?」
思わせぶりな表情を浮かべたまま、双睛鳥は世間話でも行う調子で、源吾郎に問いかけたのだった。
コカトリスには魔眼があるから、眼力もあるんだろうなと思いました(小並感)