九月初旬。源吾郎は応援要員である狗賓天狗の若者と共に社外での仕事に駆り出される事と相成った。研修中ないし応援要員でありながら、出張業務を請け負うとは。ハルピュイアの女性が運転する車の中で、源吾郎は緊張と戸惑いの為に身を硬くしてしまった。
緊張するまでもない事だと、心の中で自分をなだめてもいた。
研究センターと異なり、双睛鳥の事業所は商社としての性格が強い。外部からの来客も多いし、逆に事業所の者たちが社外に出て業務をする事もままあった。双睛鳥自体は源吾郎を営業マンとして使う心づもりは無かったようだが、それでも妖手が足りないとあらば、源吾郎を妖手の一つとして使う事を考えてもおかしくは無かろう。
それに今回は応援要員だけではなく、双睛鳥の配下たちも出張に同行している。また双睛鳥の配下としては、源吾郎の隣でハンドルを握るハルピュイアと共に、鴨の妖怪や鶏の妖怪なども同行してくれているのだ。
だから本当に、源吾郎や天狗たちは、猫の手を借りるような感覚で連れ出されたのだろう。源吾郎は狐で天狗たちはそれぞれ鴉と狼なのだが。
「緊張してるのかな、島崎君」
「はひっ」
ハルピュイアに声を掛けられ、源吾郎は間の抜けた声を上げた。緊張を落ち着かせようとしている際に声を掛けられたので、プチパニック状態に陥ってしまったのだ。源吾郎は集中力が高い方だが、それ故に他の事が見えなくなる事がままある。今回もそうだった。
何と言えばいいか、取り敢えず謝っておこうか。そんな事を考えている間にも、ハルピュイアは言葉を続ける。
「まぁ、そんなに気負わなくて大丈夫よ。外での仕事と言っても、私たちがするのはゴミ掃除の一環なのですから」
そこまで言うと、ハルピュイアはいたずらっぽい笑みを浮かべ、更に言葉を続けた。
「ゴミ掃除と言えば、島崎君が
「なっ……!」
思わず源吾郎は声を上げ、ついで背筋を伸ばして前のめりになってしまった。つがいと言う言葉に、若き源吾郎は反応してしまったのだ。
「あ、あの……つがいという言葉を使うのは勘弁してください。つがいだなんて言われると、僕たちが獣のような存在だと言っているようなものじゃあないですか。せめて、せめて夫婦とかカップルと言っていただいた方が……」
しどろもどろに語る源吾郎の言葉は、途中で掻き消されてしまった。後部座席に控える鳥妖怪や狗賓天狗たちが、声を上げて大笑いしたためである。
「そうは言っても島崎君。私たちにしてみれば、狐であるあなただって十分獣の範疇に収まりますわ。もちろん、私たちもあなたたちと同じく動物である事には変わりないのでしょうが」
ハンドルを握るハルピュイアまで、澄ました表情でそんな事を言ってのける始末である。そうだそうだ、俺らは狼と狐なんだから立派な獣じゃあないか。獣であろうと、畜生とかケダモノにならなければ大丈夫なんだ。狗賓の若者が飛ばすヤジを、源吾郎はただ黙って聞いているだけだった。イヌ科である彼らまでそう言うのだから、源吾郎には反駁する言葉など何一つ無かった。
とはいえ、鴉天狗の青年からは特にヤジは飛んでこなかった。哺乳類のやり取りをあほらしいと思っているのかもしれない。鳥妖怪はそう言う所があるのだ。
「だけどね」
車内のざわめきが落ち着いたところで、ハルピュイアが呟いた。声のトーンが、先程までとは異なっている事に、源吾郎は勿論気付いていた。
「本当のことを言うと、島崎君が熱愛している狐のお嬢ちゃんが、私には少し羨ましいわ。相手の子が、つがいとかカップルって言葉を使っても、『そう言う関係じゃない』って頭ごなしに否定するような事は無いんですから」
「……?」
謎めいた彼女の言葉に、源吾郎は静かに首を傾げた。言っている事は解るのだが、何故彼女がそんな事を思うのか、その意図がよく解らなかった。
「私は双睛鳥様とは長い付き合いだけど、つがいとかそう言う関係になれるかどうかって言われると、そんな感じでもないから……」
アンニュイで何処か物憂げな彼女の言葉を聞くや、源吾郎の疑問は即座に氷解した。つまるところ、彼女は米田さんに自身の状況や心境を投影していたのだ、と。
更に言えば、源吾郎は双睛鳥とハルピュイアの関係性についてもうっすらとではあるが知っていた。言われてみれば、ハルピュイアが恋心を抱き、双睛鳥に甲斐甲斐しく仕えているようにも見える。当の双睛鳥はと言うと、彼女の事を信頼できる側近・仕事上でのパートナーとして扱っているだけなのだが。
女の方が恋心を抱き、男の方がそれに無関心である。そんな二人の姿は、萩尾丸とミツコの関係性にもよく似ていた。もっとも、ミツコは萩尾丸が自分に恋愛感情を持っていない事について割り切っているという点が決定的に異なっていたのだが。
ともあれ源吾郎は無言だった。何とも言い難い話だったからだ。と言うよりも、外様で若狐である源吾郎に、何故彼女はそんな話を打ち明けたりしたのだろうか。
「まぁまぁ部長。双睛鳥様もお若いですし、あと二十年くらいしたら気が変わって、彼女が欲しいって思うようになるかもしれませんよ。そうなれば、晴れて部長もあのお方の恋人の座を射止める事が出来るでしょうに」
「そうそう。そもそもコカトリスでフランス出身なんですから、恋愛とか結婚に縛られないお方なのかもしれませんし」
他の妖怪たちも気まずいと思ったのだろう。おずおずとした口調でフォローが飛んできてもいた。
ハルピュイアも納得したのか、二度三度頷いてからその頬に笑みを浮かべていた。
「そうよね。自由妖をやっていた三國君だって、雪羽君を引き取る時に彼女と結婚したし、今じゃあ三人の子供のパパですもの。結婚とか、父親とかから一番遠かったあの妖だって落ち着いたんだから、そりゃあ双睛鳥様だって変わるわよね」
三國を引き合いに出したうえでの話であるが、ともあれ彼女は納得したらしい。まぁ三國が結婚に踏み切ったのは何かと特殊な事情があっての事なのだが、その事について言及するような野暮な輩はいなかった。もちろん源吾郎もだ。
ともあれ、緊張したりハルピュイアの女性の言葉に戸惑ったりと、今回のドライブは紆余曲折あったかもしれない。それでも車は繁華街を抜け住宅街を通り過ぎ、目的地へと到着した。
繁華街のような栄えた所はごく一部である事、住宅地などでも少し抜ければ閑散としたところに行き当たる事。それらは故郷でも港町でも同じ事なのだ。
今回の仕事場となる、やけに広々とした一軒家を見上げながら、源吾郎はそんな事を思ったのだった。