今回の仕事場である一軒家は、依頼主が祖父から譲り受けたものだった。譲り受けたと言っても、祖父の死後に親族たちと話し合い、彼女が住む事となったそうだ。更地にして売りに出すよりも、家に住む者がいて家を維持し続ける方良いと、彼女の親族たちは思ったのだろう。源吾郎はまだ若く、ある意味借家暮らし――本宅は研究センターの居住区であるし、別宅に至ってはアパートの一室を借りているのだ――であるため、詳しい事は解らないが。
そして一軒家を譲り受けた人物と言うのは、二十代後半の芸術家だった。関東だか北陸だかにある美大を出、その後はギャラリーに出展したり雑貨屋に作品を売り出したりと本格的な活動を行っていたらしい。
郷里を離れて活動していた矢先に、祖父の家を護るために親族たちに呼び戻された形になる訳だが、意外にも彼女も満更でもないらしい。と言うのも、祖父の家を改修し、「懐かしの家」と言った雰囲気の雑貨屋兼アトリエにしてしまおうと画策しているためだった。
ただ、祖父は若い頃から蒐集家であり、蔵には自分や親族たちも解らぬ物が収められている。処分については一任されていたが、曰く付きの物がある事に気付いたため、自分で処理するのは恐ろしい。だからこそ、双睛鳥たちに依頼を持ち掛けたのだという。
依頼主の鞍本は、生粋の人間である。異形たちとあらゆる意味で渡り合う術者の血筋でもない。それでも霊感が強かった。それ故に、曰く付きの物品にも気付けたし、異形そのものである双睛鳥に依頼するという結論に辿り着いたのだろう。
術者でないにしろ、霊感のある人間が妖怪や魔族に頼る事は珍しい事では無い。全ての異形が人間に対して有害な存在ではない事、いざと言う時は助けてくれる事などは、むしろ普通の人間よりも詳しかったりするらしい。
源吾郎たちが、双睛鳥やハルピュイアから聞いたのは、およそそのような話だった。妙に馴染みのある話だなと思いながら、源吾郎は説明に耳を傾けていた。源吾郎は研究センター勤めのサラリーマンであり、芸術家などではない。それでも他人事のように思えなかったのは、やはり芸術家の身内がいるからに他ならない。
「こんにちは鞍本さん。本日はお邪魔致します」
「こ、こんにちは……」
依頼主たる鞍本氏は、既に門の向こう側で待機していた。彼女の様子を見るに、数分前から十数分ほど前から、門扉の奥で佇んでいるように思えた。彼女からは汗の香りが僅かに漂っていたし、何より額や首筋にタオルを当てていたのだから。
ハルピュイアや他の妖怪たちと同じように挨拶しつつ、源吾郎は鞍本氏の様子をそっと観察した。まじまじと見つめるなどと言う不躾な事はしない。要らぬトラブルの種を蒔かないように注意を払っていた。それに鞍本氏の内面と言うか気質のような物は、一瞥しただけでもうかがい知れるものだった。
やはり資産家の令嬢であり、その上で芸術家なのだ。源吾郎はまずそう思った。それから、内気で用心深い側面も具えているのだなと感じた。彼女はハルピュイアたちに挨拶を返したが、その声には何処かおどおどとした気配が滲んでいたのだ。自分の方から依頼してきたにも拘わらず、である。
鞍本氏は、先頭に立つハルピュイアの女性を見やりながら、申し訳なさそうな表情で再び口を開く。
「申し訳ありません。差し入れのお飲み物とか、そうした気の利いたものをご用意できなくて……」
「いえいえ鞍本さん。別に大丈夫ですわ」
差し入れの飲み物を用意できなかった事を告げる鞍本氏に対して、ハルピュイアは笑いながら首を振る。やって来た来客に差し入れのお茶やコーヒーを用意するというシーンは、源吾郎も知っていた。両親(特に母)が、洗濯機や冷蔵庫の業者がやって来た時にそうしていたのを、子供の頃に見ていたためだ。
「私どもはどうしても……飲み物とか食べ物の好みが、ヒト様に較べて偏っている節がございますからね。なのでもしかしたら、鞍本さんが折角お出しした物であっても、飲めないとか食べられないとか、そんな可能性もあるのです」
「そ、そうだったんですね」
ハルピュイアの言葉はいささか直截的でフランクなものだった。傍で聞いている源吾郎の方が、果たして大丈夫だろうかとドキドキしてしまうほどには。
しかしその一方で、彼女の言葉は嘘でも何でもない事もまた解っていた。妖怪と言うのは獣妖怪であれ鳥妖怪であれ人間とは別種の生物になる。そのため人間が普通に口にしている飲食物が、妖怪にとっては有害であるという事も珍しくはない。それこそ、コーヒーやお茶の類は、含まれているカフェインが悪さをしてしまうのだ。
鞍本氏は、その手の知識には疎かったのかもしれない。ハルピュイアの言葉に、気を悪くする素振りを見せずに素直に驚いている姿を眺めながら、源吾郎はそんな事を思った。
「それでは鞍本さん。立ち話も何ですし、蔵に向かいましょうか。私どもに引き取っていただきたい物品は、蔵の中にあるのですよね?」
はい。鞍本氏はハルピュイアの言葉に頷いた。彼女の顔にはしかし、何処か当惑したような、あるいは申し訳なさそうな表情が貼り付いている。
「蔵に向かうのは大丈夫です。ですが……他の方にも声を掛けていて、その方ももう既に来ているんです。あ、でも、あなた方みたいな業者の方ではないんですけれど」
「この人、俺らを呼んだうえで他の連中にも来てもらっていたのか」
「何と言うか、けったいな話やな」
鞍本氏は、もごもごとした歯切れの悪い口調でもって告げた。それを聞いた狗賓天狗や鴉天狗が、彼女に聞こえないほどの声量で耳打ちしあっている。
実のところ、源吾郎も鞍本氏の挙動はけったいだと思った。しかし彼女の挙動を非難したり、糾弾したりする気持ちは湧き上がらなかった。それは鞍本氏が芸術家であると知っているためだ。芸術家と言うのはけったいな事を平然とやってのける生物である。実の兄が芸術家である為に、芸術家の生態について、ある程度の知識は持ち合わせていた。
いずれにせよ、一行は門から蔵へと向かう事と相成った。何がどうと言う訳ではないが、依頼主の鞍本氏や上司たるハルピュイアを先頭とし、一列に並んで歩き始めていた。源吾郎は当然のように最後尾である。
歩きながらも、源吾郎はきょろきょろと周囲を見渡し庭の様子を観察した。対象が草木や装飾と言う事もあって、鞍本氏を見た時よりは無遠慮に、あるいは大胆に視線を走らせたり凝視したりする事が出来た。蔵があると聞かされた時点で察してはいたが、やはり落ち着いた雰囲気の日本家屋である。
屋敷と言っても過言ではない家屋と同じく、庭もまた純和風の佇まいであった。曲がりくねった松やイヌマキ、大人の腰ほどの高さで丸く刈り込まれていたイヌツゲ、そして秋になれば紅葉が楽しめそうなモミジなどが見受けられた。
さも当然のように据え置かれた石燈籠の合間に咲いている色とりどりの百合は、鞍本氏が手ずから植えたもののように源吾郎には思えた。
純和風と言えども、庭は調和がとれた状態であるとは言い難かった。松にしろイヌマキにしろイヌツゲにしろ、枝葉が伸びすぎており、整えられた形が崩れつつあった。よく見れば、苔むした石灯籠や信楽焼の狸の置物の間には、百合やキンギョソウとは明らかに異なる雑草も繁っているではないか。
それはもしかしたら、先を歩く鞍本氏の、現在の状況を反映しているようでもあった。元より彼女は、郷里から遠く離れた場所で美大生として過ごし、芸術家として身を立てていた。若い身空で家を丸々受け継ぐ事が出来たと言えども、やはり身一つで新たな事業を行うとなると、色々と苦労が絶えないだろう。日々の暮らしと、事業の立ち上げだけで手いっぱいなのだろう。
源吾郎が見たのは、ただただ枝葉を伸ばした草木たちである。しかしそれらを眺めながら、気付けばあれやこれやと考えを巡らせていた。
「こちらが蔵になります」
囁くような声が、数メートル先から聞こえてきた。鞍本氏の声だと気付いた時には、一行は既に歩みを止めていた。門扉から蔵までは、おおよそ三十歩ほどだろうか。庭園内を歩いたと思えばそこそこの距離かもしれない。しかし庭の景色を眺めていた源吾郎にしてみれば、あっという間に到着したというのが正直な感想だった。
ハルピュイアや鳥妖怪たちの間に立つような形で、源吾郎も蔵を見上げた。木の肌目が露わになっている母屋とは対照的に、漆喰で塗り固められた壁はやたらと白い。白鷺城もかくやという白さだとついつい思った。
そして蔵の入り口付近には、数名の男女が佇立していた。源吾郎はここで、鞍本氏が自分たち以外に声を掛けた人がいると言っていた事を思い出した。
そうか、鞍本さんがお声がけした人は、あらかじめ俺たちが来るのを待機していたのかな。呑気にそんな事を思っていたのは、ほんの数秒の間だけだった。誰が待機しているのか。その事に気付いた源吾郎の心は、強い驚きに支配されてしまったからだ。