それにしても。橙色の照明のもとで、誰かがおずおずと声を上げた。
「鞍本さんのお祖父様が蒐集していた物って、曰く付きの物品とやらって、一体全体どのような物なんですか?」
「それは……」
鞍本氏は口ごもりつつも、問いかけに応じた。
「申し訳ありません。実は私も、祖父が何を蒐集していたのか、どういう物が曰く付きなのか、詳しくは存じていないのです」
ただ蔵の中に入ってみると、何とも言い難い気配を感じたから曰く付きの物があるのかもしれない。そもそも大人になってからソフトの交流は減っていた。そうした胸の言葉を、鞍本氏は何処かもごもごした口調で説明を付け足した。
「解ります。解りますよ」
のんびりとした、しかし明確な意思を宿した言葉が、源吾郎の耳朶を打つ。声の主は、末の兄たる庄三郎だった。
「いくら親族であると言っても、身内がどのような物を蒐集しているかなんて、ちょっとやそっとでは解りませんよ――たとえそれが、親兄弟だったとしても、です」
庄三郎の言葉に、蔵の中に居合わせた人間たちは、感じ入るものがあったらしい。彼らの吐き出す嘆息の声や、不規則に蠢く白目を源吾郎は見聞きした。庄三郎の父や姉が、妖怪学者やオカルトライターである事を知っているが故の反応だろうとすぐに思った。
しかしながら、庄三郎の実弟である源吾郎は、兄の言葉を鼻で笑っていた。
――兄上も迂闊な事を仰るではないか。父さんや姉上は用心深いから、真に危険な事柄に首を突っ込んだり、危険な呪物を持ち帰るなんてへまはしないというのに
「ま、危険そうな物があったとしても、私どもがいるから大丈夫ですわ。並大抵のものでなければ、除霊なり瘴気の浄化は出来ますので」
次に上がったのはハルピュイアの声だった。彼女の声の後に、失笑とも忍び笑いともつかぬ声も聞こえる。きっとハルピュイアの配下たちの物であろう。
とはいえ、ハルピュイアの言葉にも一理ある。何せ彼女は双睛鳥の側近なのだ。幹部陣よりは劣るかもしれないが、強大な力を持っている事には変わりはない。
更に言えば、今回蔵掃除を行うスタッフは、種族を問わずに魔除けの札がメメトによって配布されていた。その事も併せて考えれば、並大抵のモノであれば、こちらに悪さをしてくる事は無いだろう。
しかし、だ。世の中には並大抵ではないモノ――例えば八頭怪や這い寄る混沌と言った邪神、あるいは玉面公主のような九尾の大妖怪などだ――が確かに存在する。そしてそいつらは、時にこちらに干渉してくる事もあるのだ。何のかんの言いつつも油断大敵なのだ。
ああだこうだと考えつつも、作業は粛々と続いていった。取り敢えず、蔵の中にある物、特に処分したいものは蔵から運び出され、母屋の一室に並べられる形となった。確かに蔵は広いが、要る物と要らない物を仕分けるには狭すぎた。しかも暗い。また九月と言えども残暑が厳しい時期でもある。分厚い壁のお陰で外よりも暑くないとも言うが、それでも熱中症の可能性を考慮して、細々とした作業は冷房の利いた部屋で行う事となっていたのだ。
その辺りは、鞍本氏や先に集まっていた者たちの方で、あれやこれやと調整してくれていた。流石に物を運ぶ台車は用意されていなかったが。源吾郎たちも、と言うよりもハルピュイアたちも特に台車は用意していない。民家で台車を使うのは野暮だと思ったからだろう。実際問題、この日本庭園で台車に荷物を載せて運ぶ情景など、源吾郎にはうまくイメージできなかったのだから。
「さて皆様。荷物を運ぶのには、こちらの台車を使ってくださいな」
ところが、である。源吾郎の妙にセンチメンタルな考えを打ち破るかのように、メメトが台車を用意した。しかも押して運びやすいように持ち手が伸びているタイプのやつだ。
源吾郎は純粋に驚いた。だが他の者たちはこれ幸いとばかりに台車に荷物を置こうとしていた。メメトは少し困ったような笑みを浮かべながら、しかし彼らを手で制した。
「ああ、焦らないでくださいませ。こちらの台車は、耐荷重が三十キロ程なので。あまり重い物を載せすぎると、めんでしまいます」
「あ、そうなんだ」
「それじゃあ、軽いやつから載せて行ったら良いかな」
「軽いやつは自分で運びましょうよ。三十キロもあるものなんて、あんまりありませんし」
鞍本氏や他の芸術家の面々は、メメトの説明を聞くや、談笑しつつ自分で運ぶ物と台車に乗せる物とを選別し始めていた。
源吾郎はと言うと、庄三郎の方に視線を向け、周囲に聞こえぬような声量で問いかけた。
「ねぇ兄さん。耐荷重が三十キロの台車なんてあったっけ?」
庄三郎は、その顔に微苦笑を浮かべると小さく首を振った。
「いやまさか。工場で使うような台車は耐荷重が百キロとか二百キロとかがザラなんだけどね。ほらさ、材料とか製品ロットとかになると、一箱で十キロから二十キロくらいになる事もおかしくないし。誠二郎兄さんも言ってたでしょ?」
源吾郎は、庄三郎の言葉に頷いた。やはり単発バイトと言えども、庄三郎は工場勤務も経験している。だから工場内部の事情にも、自分や他の芸術家たちよりも詳しいのだと思った。誠二郎の事を引き合いに出したのも、説得力を増す材料になっているように感じられた。
「それよりも、僕らも運ぶ事に意識を集中させようよ。源吾郎もこれを持って」
言いながら、庄三郎は源吾郎の二の腕を撫でた。穏やかながらも、有無を言わせぬ気配を漂わせている。
まさか庄三郎兄様に、こんな風に言われるとは。少し戸惑いつつも、源吾郎は目の前にある荷物を運ぶ事に専念した。幸いにも、彼が持ち上げた箱は数キロ程度の代物であり、台車のお世話にならなくても良さそうだ。男だからこの程度の物は運べるし、何より多少は筋トレになるかもしれない。台車に関しては、何故耐荷重が三十キロまでなのか、後でメメトに聞いてみれば良いだろう。源吾郎はそんな風に思っていた。
「おやま。台車を用意したのですが、あんまり使われる方はいらっしゃらないみたいですね……」
いつの間にか、源吾郎の傍らにはメメトがいた。彼女はさも当然のように台車を押している。台車の上には、木製の箱や段ボールと思しき箱、そして古めかしい書物などが載せられていた。
「台車をご用意いただいたのは有難いのですが、耐荷重が三十キロですからね……」
意地の悪い物言いにならなかっただろうか。そう思いながら、源吾郎はメメトの様子を窺った。幸いな事に、彼女は特に気分を害した素振りは見せていない。敢えて自分を露悪的に表現する癖のある妖《ひと》だから、そうした言動に耐性があるのかもしれなかった。
「そうですよね。皆様も大変だろうと思ってご用意したのですが、やっぱり――」
メメトは途中で何かを言いかけ、そこで言葉を打ち切った。言いにくいから言いよどんだ訳ではない事は、彼女の頭の動きを見ていれば明らかだった。彼女は何かに気付き、そして言葉を切ってそちらに注意を向けた。ただそれだけの話だ。
現に彼女は、源吾郎から視線を逸らしている。いや、首を巡らせて、蔵があった方を凝視してすらいる。
「どうされました?」
蔵の方を見ようかどうかと一瞬悩み、ひとまずメメトに声を掛ける。彼女は弾かれたようにこちらを向いた。彼女は獣の瞳で源吾郎を見つめ、怪訝そうな表情で口を開く。
「いえ。先程蔵の方から、嗅ぎ慣れない臭いを感じ取りました。それで気になったのです」
「嗅ぎ慣れない、臭い……」
メメトの言葉を源吾郎も繰り返す。そう言われてみると、確かに生臭いような、何処か饐えたような臭いが漂っているようにも感じられた。