物陰から姿を現したのは、日本人形の九十九神だった。黒髪をおかっぱに切り揃え、綺麗な着物を着せてもらっている、典型的な日本人形である。さも当然のように歩いている事、何とも言えない悪い笑みを浮かべている事を除けば、であるが。
源吾郎は身構えた。近付いて来る生き人形が怖かったから、ではない。彼女(?)から、並々ならぬ妖気を感じ取ったためである。下手を打てば、ハルピュイアが沈静化させた蛇帯などよりも格上の存在かもしれない。それで童女を模した姿をしているのだから、やはり妖怪の強さなどは見た目では推し量れぬものだ。
「くっくっく。貴様らの姿、見ていると誠に滑稽極まりないなぁ。錦蛇とハサミ蜻蛉を倒しただけで、もう勝ったも同然だと思っているんだからな」
生き人形は、少しのっぺりとした面に悪そうな笑みを貼り付け、ゆったりとした口調でもって告げた。表情にしろ物言いにしろ、悪としての威厳を知らしめようと彼女なりに思っての振る舞いだったのかもしれない。声自体は子供特有の高い声だったので、それほどおどろおどろしさは無かったが。何となれば、中二病と言う言葉すら浮かぶほどだ。
「錦蛇って、あの蛇帯の事だよな?」
「そらそうだろ。外国産のニシキヘビの事を、何だって話題に出さにゃあならないのさ」
若天狗たちは顔を突き合わせ、ひそひそとそんな事すら口にしていた。
狛犬が前に進み出て、生き人形の正面に立ちはだかる。ある意味敵とも言える彼女を見つめる狛犬の眼差しは、しかし何処か哀しげでもあった。
「おい。我らはあるじに拾われ、この土地に流れ着いたものであるぞ。あるじには仕え、我らは我ら同士で仲間として結束を固めるのが筋ではないか。
それが何だ! お主らは新たなあるじとその客人を害そうと画策しているではないか。あるじより屋敷を護る役を担った身として、お主らの狼藉は見過ごせん!」
「はははははっ」
陶器製の鬣をも逆立てん勢いを見せた狛犬に対し、生き人形は高笑いでもって応じた。
「言うに事欠いて我らの無そうとする事を狼藉呼ばわりか。誠に滑稽な話だぞ似非スフィンクスが。お前はずっと、長い間眠り呆けていただけだろうが」
生き人形の言葉に、狛犬はぐっと言葉を詰まらせていた。源吾郎も実のところ、生き人形の言葉には一理あると思ってしまっていた。
彼らの仕出かした事は褒められるような内容ではないし、端的に言えば悪事ですらある。しかし、今源吾郎たちと共に怪異に立ち向かう狛犬の言動にも、ツッコミどころがあったのはまごう事無き事実だった。
彼も彼で、人の尻に咬みついたり、この屋敷の今のあるじたる鞍本氏の事を知らず、見知らぬ小娘などと言ってのけたりしたのだから。
痛い所を突かれた、とばかりに顔を歪める狛犬に対し、生き人形は言葉を重ねる。
「それにだな。確かに我々は、常に人間の傍にいたのかもしれぬ。しかしだからと言って、必ずしも人間の味方になるべきだとは思っておらぬ。いやむしろ、人間の近くにいたからこそ、我らはやつらの醜さも目の当たりにしてきたようなものだ。
まぁ……狛犬のように、人に愛され人に頼りにされるような輩には解らんだろうがな」
生き人形の主張を耳にした源吾郎は、思わず嘆息していた。
別に彼女の発言で、数年前に話題となった号泣議員などを思い出したわけではない。明確に、人間に対して敵意を持つ妖怪を目の当たりにしたので、新鮮だと感じたのだ。今や妖怪たちに囲まれて仕事を行っている源吾郎であるが、人間を敵視する妖怪などはほぼ皆無だった。彼らの多くは、人間に対して中立ないし友好的な無関心な態度を貫いていたのだ。
「うーん。やっぱりあの子の話を聞いていると、九十九神なんだなって感じがするよね」
「そうだな。何だかんだ言いつつも、あいつらはやっぱり道具だし。人間への思いや執着も、俺らとは違うんだろうな」
他の妖怪たちも、源吾郎と同じような事を考えていたのだろう。目配せしあい、互いに耳打ちを行っていた。
「ま、待って」
狗賓天狗たちの耳打ちは、生き人形にも聞こえたらしい。彼女はやにわに声を上げた。声音と物言いは思いがけずあどけないものである。あるいは、これこそが彼女の素の物言いなのかもしれない。
「今、ひそひそ話をしている最中に『俺ら』って言っていたのが聞こえたんだが、お主らはもしかして……いやもしや、人間では無いのか?」
「……」
「……?」
妙に切羽詰まった表情で放たれた生き人形が問いかける。周囲には微妙な空気が漂っていた。こいつそんな初歩的な事にすら気付いていなかったのか。皆がそう思っているであろう事を、源吾郎は肌で感じ取っていた。
そうだよ。短い返答が何処からともなく上がって来る。短いながらも、呆れと若干の侮蔑が入り混じった声音だった。
「ははは。まさか俺らが人間な訳無いだろう。非力で弱っちい人間ならば、お前の仲間であるハサミ蜻蛉や蛇帯が出てきたとしても、おろおろとしてマトモに闘えんだろうからな」
「ま、俺ら天狗からしたら、あんな連中は物の数には入らねぇけれど」
鴉天狗がそう言ってケラケラと笑う。やはり天狗は天狗なのだ。源吾郎がそう思っている間もなく、生き人形は表情を引き攣らせた。
「天狗? もしかしてあの天狗?」
「そうだとも。他にも妖狐……それも九尾の狐の子孫とかもいるがな。その口ぶりじゃあ、世間知らずのお嬢ちゃんは、今の今まで気づかなかったようだけど」
生き人形の表情は目まぐるしく変化していった。天狗や妖狐と言った強い妖怪に対する怯えと、天狗に馬鹿にされた事への憤怒とが、交互に浮かんでは消えている。
結局彼女は、引き攣った怒り顔をこちらに見せていた。見下したような笑みを浮かべようにも、心中の動揺が反映されているような、そんな表情だった。
「くそ、くそがくそったれ共が。まぁ良い。うちを、いや我を子供扱いしおって、お前ら生きて帰れると思うなよ! こっちは白龍様がいらっしゃるんだからな! かれこれ七十年は生きているんだ。凄いんだぞ、お前らなんかイチコロだぞ!」
世間知らずのお嬢様と言うのは、確かにその通りなのかもしれない。口には出さなかったが、源吾郎はついついそう思ってしまった。
白龍様とやらの強さがどうであれ、七十年生きた
実際に妖怪たちの事を知っていれば、そうした事ももちろん把握しているはずだ。しかし生き人形は九十九神であり、ずっと蔵の中にいた。だからこそ、そうした知識が欠落しているのだろう。
敵と言えども悪事を働いていると言えども、生き人形の事が、段々と憐れに思えてきた。
だが、そんなセンチメンタルな思いも、蔵の奥から轟く咆哮と湧き上がる異臭によって吹き飛ばされた。
本当に龍が潜んでいたのか。雷鳴のごとき声を耳にした時に、源吾郎はついそう思ってしまった。煙のように漂う生臭い悪臭も、ある意味龍の特質とも言えなくもない。
そう思っている間にも、生き人形の言う白龍様は姿を現した。全長は六、七メートルほどと、ハルピュイアの仕留めた蛇帯よりも二メートルほど長い。頭部は爬虫類ながらも立ち上がった耳と鬣を具えて獣じみた特徴を示しており、細い四肢の先にはそれぞれ鉤爪を持つ三本指が生えていた。
首にぶら下がった玉が玉虫色に光る。あざ笑うかのように口を開けたそれは、まさしく白龍そのものであった。