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この状況下で、一体俺はどうすべきなのか。恨めしそうに上空を見上げながら、源吾郎は唇を噛んだ。未だにハルピュイアと白龍の闘いは続いている。空中で絡み合いもつれ合い、互いの頭を潰さんと相争っている。
彼女の配下である鳥妖怪や、灰高の配下である鴉天狗の若者も、本来の姿でもって加勢しようと飛び回っている。しかし状況は芳しくなかった。近付いてきた鳥妖怪たちを、白龍は頑として寄せ付けなかったのだ。
ある時はウロコで覆われた尾で弾かんとし、またある時は唾を吐き鳥たちを攪乱してすらいた。
源吾郎は妖狐の半妖であるため、空を飛ぶ権能は具えていない。しかし飛び道具は何種類か持ち合わせている。持ち合わせていながら尻込みしていた。理由は三つあった。宙を舞う白龍の動きが素早すぎるために、狐火などを命中させる事が出来る自信が無かったのだ。また、目測を誤ったり白龍が弾いたりなどした際に、源吾郎の攻撃がハルピュイアや他の鳥妖怪に当たったら大事だ。そうでなくとも、鞍本氏の家や庭を破壊しかねないし。
元よりハルピュイアと白龍は、蔵をぶち破って乱闘を繰り広げているのだ。人的被害は無いと言えども、これ以上派手に大暴れするのははばかられた。
俺はどうすれば良いんだ。とはいえ、ここでこうして突っ立っているだけではどうにもならない。思考が堂々巡りに入りかけたと思っていた丁度その時、白くて小さな塊が、矢のようにこちらへと向かってきた。
白い矢は、源吾郎の斜め前にある小さな岩の上で立ち止まる。三本の尾と白い毛並みを具えたそれは、管狐のメメトだった。彼女は母屋で鞍本氏たちと一緒にいたはずなのだが……源吾郎は僅かに首を傾げた。
メメトは口で自身の胸元を探ると、黒々とした小さな鎖を白龍に向かって放り投げた。瞬く間に、小さな鎖は巨大な蜈蚣へと変化した。
今や黒光りする巨大な蜈蚣は、金属が擦れ合うような音を立てながら、白龍に躍りかかっていた。白いものの何処かくすんだ印象が拭えぬ白龍とは対照的に、大蜈蚣の全身は真っ黒で、しかも油でも塗りたくったかのような光沢を具えていた。
「管狐のお出ましか。お嬢ちゃん、あんたは確か人間たちのお守りをやっていたと思ったんだが……まぁ加勢してくれた事は有難い。思えばあんたも空を飛べるもんなぁ」
「それにしてもメメトさん。今あなたが放ったものは何かしら?」
母屋にいたはずのメメトが駆け付けた事に気付いたのは、何も源吾郎だけではない。やはり地上で様子を窺っていた狗賓天狗たちも、メメトの存在にはもちろん気付いていた。犬山と伏原の二人もまた、本来の姿のままでメメトを見つめている。
「昔から、龍や蛇の天敵は蜈蚣と相場が決まっております。なので今回、鎖分銅を蜈蚣に変化させてけしかけたのです」
急遽姿を現した大蜈蚣は何か。狗賓天狗たちと源吾郎の疑問にメメトは応じた。その言葉には誇らしげな気配は無い。ただ淡々と、事実を口にしているだけだった。何とも彼女らしい物言いだと、源吾郎は思ってもいた。
変化術によって作られた大蜈蚣は、メメトの目論見通り、白龍に絡みつき、食らいつかんとしていた。蜈蚣は龍を屠り、喰らう。その特性を、メメトがきちんとあの大蜈蚣に付与していた事が源吾郎の目には明らかだった。
変化術は、術の使い手のイメージが大きな意味を持つ。自らも変化術を多用する源吾郎は、その事もきちんと心得ていたのである。
「え、何、何ですかこの大蜈蚣は!」
「それはあのメスイタチ、いや管狐の娘が繰り出した大蜈蚣ですよ。ほら、蜈蚣は龍の天敵と言いますから」
大蜈蚣の出現に驚いたのは、何も白龍だけではない。ハルピュイアもまた、驚きと戸惑いの声を上げていた。すかさず狗賓天狗の伏原が、天に鼻面を向けて説明してくれたのだが。
ハルピュイアは少し考えるそぶりを見せてから、すっと白龍から離れようとした。大蜈蚣が白龍を襲うのであれば、自分が離れていた方が良いと思ったためであろう。
「そ、そうなんですね。私はてっきり、龍や蛇の天敵は猛禽や鴉だと思っておりましたが……後で双睛鳥様に聞いてみます」
気付いた時には、ハルピュイアの身体は白龍や大蜈蚣から離れていた。先程まで白龍と絡み合っていたように見えたから、やけにあっさりと離れられたのだと源吾郎は驚き、感心した。やはり白龍も、天敵である大蜈蚣に立ち向かうのにやっとという事なのだろうか。
白龍と大蜈蚣から離れたハルピュイアは、そのまま庭へと着陸した。その足が地面に接したときには、既に彼女は巨鳥の姿ではなく、人間の女性の姿に変化していた。あれだけの激闘を繰り広げていながらも、すぐに変化できたのは、膨大な妖力ないし魔力を具えているからなのだと、源吾郎は静かに思った。
「ひとまず、あの白龍を地面に引きずり落とそうと思っております。飛べるという事もあって白龍も空中戦を行っておりましたが、それはそれで私どもも難儀しますので」
メメトはハルピュイアの許に近付くと、彼女に細い鼻面を向けつつそう言った。狗賓天狗は鳥系統の異形とメメトの顔とを交互に見やっている。その顔には気まずさが浮き上がっていた。特に伏原の顔には。
「……ああ。俺らも天狗の端くれだから、第七事業部長みたいに飛んで応戦出来れば良かったんですけれど」
天狗の名を冠しているだけあって、狗賓天狗も空を飛ぶ術を心得てはいる。とはいえ、鴉天狗や鳥妖怪などのように、自由自在に飛べる訳でも無いのだろう。特に伏原たちのように若い狗賓天狗であればなおさらだ。
何処か自嘲的・自罰的な伏原に対し、ハルピュイアその鳥が笑顔で首を振る。
「まぁまぁ伏原君。そんなに気に病まなくて大丈夫ですよ。あなた方も天狗の前に四つ足の獣ですもの。それなら、空中戦よりも地上戦の方が得意だとしても、何もおかしな事はありません。
それに私たちだって、地上では全く闘えないという訳でもありませんし」
言いながら、ハルピュイアは戻ってきた自分の配下や鴉天狗などを見やっていた。鴉天狗が鴉の姿なのは言うまでもない。彼女の配下である鳥妖怪が、どのような種の鳥であるのか、源吾郎には解らなかった。だがしっかりした脚や身体のわりに小ぶりな頭部を見る限り、キジ科の鳥であろう事は推測できた。
海鳥に近いハルピュイアは別として、キジと鴉ならば、地上でもある程度は動き回れる。加えて源吾郎や狗賓天狗たちもいるのだから、白龍を討つために地上戦にもつれ込むのもやぶさかでは無いのだろう。
「キシャァーッ!」
「ぐうっ、おのれぇ……!」
大蜈蚣の奇怪な吠え声と共に、白龍の悔しげな悲鳴が迸る。大蜈蚣と白龍は、もつれ合った形のまま地面に墜落したのだ。数メートルの巨体を誇る長物同士であったが、墜落した時の物音は小さく、舞い上がる土埃も予想以上に控えめな物だった。見た目ほどの重さは無いのだろうか。そんな事を思いつつも、源吾郎は白龍を取り押さえるべく歩を進めた。縛妖索の準備も出来ているし、狗賓天狗たちだって白龍に躍りかからんとしている。であれば、源吾郎だけがぼうっとしている暇など無いのだ。
源吾郎はこの時、大蜈蚣がきちんと白龍を抑え込んでいるものだと思っていた。何せ相手は鎖を変化させたものと言えども、龍の天敵である大蜈蚣だ。天敵に抑え込まれていたのであれば、白龍も手出しできないだろうと、源吾郎は無邪気に思っていたのだ。
実際問題、大蜈蚣はらせん状に絡みつき、白龍の動きを抑え込んでいる。凶悪な牙を具えた口許が、白龍の頭に迫っている。噛み砕かんとしているようだった。あるいは自分たちが手出しせずとも、大蜈蚣が手を下すのではないか。そんな考えが、源吾郎の脳裏に浮かんでしまった。
だからだろう。源吾郎の集中力が僅かにブレてしまったのだ。そのまま攻撃すべきか否か、様子を見てみようなどと、色々な考えが脳裏に浮かび、どうすべきかと悩みさえした。
「ああっ」
甲高い悲鳴がすぐ傍で迸る。メメトの声だった。彼女は別に、白龍の攻撃を受けたわけではない。それならば何故悲鳴を上げたのか。
その答えはすぐに解った。軋むような悲鳴と鎖が引き千切られるような高く軽い音が響き渡ったのだ。
白龍を拘束する大蜈蚣はもういない。いや……単なる鎖に戻り、しかもズタズタになった状態で、白龍の周囲に散らばっていたのだった。
「ふん、小賢しい真似を」
口許から涎を垂らしつつ、白龍が告げる。彼の吐いた唾によって、大蜈蚣はただの鎖に戻ってしまったようだ。蜈蚣は龍の天敵であるが、唾が弱点である為だ。
怪しい光と妖気を纏わせながらも、白龍の眼差しはハルピュイアやメメトではなく、何故か源吾郎に向けられていたのだった。