側近と顔を見合わせていた双睛鳥は、やにわに向き直り真剣な表情を作って口を開いた。
「まずは、鞍本様の屋敷を襲撃した悪妖怪について、掘り下げてお話します。こちらの悪妖怪は、白うねりという布製の九十九神だったのですが、這い寄る混沌の権能を宿した宝珠によって、強大な力を保持していたと報告に上がっています」
双睛鳥《そうせいちょう》が言い終えるや否や、会議室の空気が一変した。驚愕、疑念、そして恐怖。各妖の中で膨れ上がった思いが、室内を満たしていった。
「這い寄る混沌の権能が宿った宝珠ですか。それにしても、まさかそんなピンポイントで、そんな輩に双睛鳥さんの部下たちは出くわしてしまったんですか」
緑樹の側近である五尾の妖狐が、不思議そうな調子で呟く。双睛鳥の事を疑っている訳ではなく、ただ純粋に不思議だと思った事を口にしたという物言いだった。
彼の言葉には、萩尾丸の隣に控えるアルテミシアが応じていた。
「陸丸殿が驚かれる気持ちも解ります。ですが、這い寄る混沌は千なる化身を持つと称されているのですよ。そしてそのそれぞれが司祭や信者を擁しているのですから、這い寄る混沌にゆかりのある存在は、それ程珍しくは無いのでしょう」
「ええ、確かに」
這い寄る混沌の司祭や信者。この言葉に、妖狐の陸丸は納得したらしい。腑に落ちたと言わんばかりの表情で頷いていた。
だがそれだけではない。双睛鳥の側近であるハルピュイアが、得意げな表情を浮かべつつアルテミシアに対して頷く。
「白うねりが力を得た宝珠は、確かに這い寄る混沌と関連性があると断言できますわ。彼自身は混沌神と言っていましたが、状況を考えるに、這い寄る混沌と考えても差し支えありません」
「証拠はあるのかい」
第五幹部の補佐にして化けネズミである桶彦が、さも興味深そうな様子で問いかける。ハルピュイアは得意げな表情を浮かべて頷いた。元より彼女は、双睛鳥と異なり白うねりの騒動に居合わせたのだ。主たる報告者である双睛鳥よりも、当時の現場に詳しいのは言うまでもない。
「ええ。何しろ彼は、島崎君の事を仲間と見做していたのですから。厳密に言えば、同じ混沌神にゆかりのある存在であるからこそ、仲間として自分の野望に協力してくれると考えていた感じです」
桶彦自身は、納得したように成程、と呟いただけだった。しかし他の幹部妖怪たちは、互いに顔を見合わせ、それからおのれの意見を口にし始めた。
「まぁ確かに、島崎君は今や這い寄る混沌の若き司祭と見做されているもんなぁ。この間も、やつに身体を乗っ取られていたし」
「無数の化身を同時に顕現させているという這い寄る混沌だけど、やはり互いの化身や信者たちと連携を取るように動くのか。それは厄介な話だぞ」
「それが島崎君の宿命なのでしょうね。思えば彼も、雉鶏精一派に就職してからというもの、様々な事に巻き込まれているようですし」
「しかしそうなると、島崎君の事が心配だなぁ。灰高様の仰る通り、星の巡りってのもあるのかもしれない。でもあんまり変な事に巻き込まれて、しんどい思いをしているのなら、雪羽も心配して気に病むだろうしさ」
島崎源吾郎。玉藻御前の血を引く彼は、やはり直属の上司以外の雉鶏精一派の面々の興味を引くような存在なのだ。幹部やその側近たちの言葉に耳を傾けながら、萩尾丸は静かに思った。
静観していた峰白が再び声を上げる。
「ちょっとあんたたち。島崎源吾郎についてあれこれと喋っているみたいだけど、あの仔狐について、あんたたちは少し大げさに考えすぎなんじゃあないかしら」
「峰白殿……」
源吾郎の存在など、取るに足らぬ仔狐に過ぎない。そう言わんばかりの峰白の言葉に、流石の胡琉安も狼狽していた。
だが源吾郎の値打ちがどうであれ、峰白が彼を単なる仔狐だと思っている事は紛れもない事実なのだ。彼女にとって、価値のある存在は胡喜媚とその孫である胡琉安だけなのだから。長い間彼女の傍にいた萩尾丸だから、その事は既に解っていた。
「様々な事に巻き込まれていると言っても、私たちが雉鶏精一派を再興した頃に較べれば、あの仔狐が体験した諸々の出来事なんてものの数なんかじゃあないわ。萩尾丸。あんたが雉鶏精一派に入ったのは、丁度今の仔狐か雷園寺の仔猫くらいの歳だったけれど……あんただってそう思うでしょ」
「え、あ、はい……」
峰白は何と、唐突に萩尾丸に話題を振ってきた。いかな萩尾丸といえども、不明瞭な声で頷くのがやっとだった。確かに自分は、新体制となった雉鶏精一派の黎明期を知る数少ない妖怪だ。頭目の胡琉安は生まれておらず、紅藤が作り出した妖怪も、まだ幼いひな鳥だったのだから。
峰白の意図は解る。しかし当時を思い返して源吾郎や雪羽と同じくらい幼かったなどと言われると、どうにも収まりが悪かった。
「ええ、ええ。確かにあの頃に較べれば、今の雉鶏精一派はまさに平和そのものと言っても過言ではないでしょう」
ひと知れず気まずさを覚えていると、思いがけぬ所で助け舟が出た。峰白の言葉に同意し、今は平和だと言い放ったのは、第四幹部の灰高だった。厭らしい笑みをその顔にべったりと貼り付けたまま、彼は言葉を続ける。
「確かに今も、私どもの組織を良く思わぬ敵対勢力は多数存在しております。ですが新体制を立ち上げたばかりの頃は、今以上に敵だらけではありませんでしたか。そもそも仲間も……頭目たる胡琉安様もまだお生まれになっていなかったのですから」
「そうそう。そうだったのよねぇ」
灰高の言葉に、峰白は満面の笑みを浮かべながら頷いていた。灰高の笑みとは異なり、何処か晴れやかな表情ですらある。それはそれで不気味なのだが。
「何せ当時は、都の周辺でも主流だった勢力が、私たちを不穏分子と見做して排除しようとしていた事もあったんだから。どこぞの狐畜生に唆されて、私たちを討とうとした鴉天狗の軍勢があった事も、灰高なら知っているでしょう」
「はっはっは。言われてみれば、そんな事もありましたね。いやはや、今となっては懐かしい限りです」
峰白と灰高は何やら上機嫌で語り合い笑い合ってすらいた。萩尾丸としては笑える話では無かった。狐に唆された鴉天狗というのは、他ならぬ灰高とその眷属なのだから。つまるところ、峰白は灰高に向けて厭味を口にしたに過ぎないのだ。
とはいえ、厭味と嫌がらせの入り混じった会話などは、峰白や灰高などが好んで多用するものだ。萩尾丸だって度々行う事があるのだが。
いたたまれなくなり、萩尾丸はそっと周囲に視線を向けた。第三幹部の緑樹と目が合った。のみならず、峰白と灰高のやり取りを止めて、話を進めて欲しいという旨のアイコンタクトを受け取りもした。彼もまた、現存の雉鶏精一派の古参メンバーであるから、峰白たちと灰高との争いについては嫌というほど知っているのだ。
話題を変えるべく、萩尾丸は口を開いた。
「ところで双睛鳥君。這い寄る混沌の権能が宿っているという宝珠は、現時点では何処にあって誰が保管している事になっているのかな。君らの事だから、クライアントから買い取った可能性も十分あると思っているのだけれど」
「いえ、萩尾丸さん。あの宝珠は僕たちで買い取った訳ではありません」
問いかけに対し、双睛鳥は即座に首を振った。やや怯えたような、遠慮がちな上目遣いでこちらを見つめながら、彼は言葉を続ける。
「宝珠に関しては、メメト氏が買い取る事となりました。もちろん、僕たちのクライアントである鞍本さんの了承を得たうえで、ですが」
宝珠の在処について双睛鳥が語ると、今再び他の妖怪たちの間から声が上がった。
「メメトと言えば、あの管狐の娘だな。どうにも掴みどころのない、胡散臭い小娘だが……そんな輩が這い寄る混沌の権能を持つ宝珠を保有していても、一体大丈夫なのかね」
「いやまぁ大丈夫でしょ。メメトちゃん、ちょっと言動はアレな所はあるけれど、根は善良そうだし。そう言えば、あの娘って飯綱さんの親戚とか妹とかじゃあないの?」
「同じ種族だからと言って、すぐに親族だと考えるのは短絡的ですよ、三國様」
「噂じゃあメメトって娘は身寄りのない管狐だって聞いたけどね。というよりも、変な能力を持っているって事で、一族郎党根絶やしにされただけかもしれないけれど。皆さん、害獣には厳しいでしょ」
あの。双睛鳥が再び口を開いた。おどおどとした仕草でもって皆を見やり、おずおずと言葉を続ける。
「やはり、宝珠に関しては彼女のあるじに申し出て、こちらで買い取った方がよろしいでしょうか。よくよく考えれば、這い寄る混沌の権能が宿る宝珠などは、然るべき存在が持っていないと濫用されかねませんし」
「買い戻すまでもないと、僕は思うけれど」
切羽詰まった表情を浮かべる双睛鳥に対し、萩尾丸はそう言って僅かに微笑んだ。
「良いかい双睛鳥君。僕はメメトさんだけではなく、彼女のあるじについての妖なりも一通りは知っているんだ。彼女は蒐集家ではあるが世捨て妖《びと》めいたところがあるから、仮にあの宝珠が手許にあったとしても、妙な事は起こさないだろうと僕は踏んでいるんだ」
「私も、萩尾丸の言葉には賛成よ」
説明が終わった所で、峰白も言葉を紡ぎ始めた。
「そもそも買い取るって単純に言っているけれど、モノがモノなんだから、そんな安値で買い取る事も難しいでしょう。あるじが無欲な天狗だったとしても、その天狗に仕える管狐の方は、金銭面にも敏感なんだし……」
「ねぇ双睛鳥君」
峰白が思案顔を浮かべる傍らで、紅藤が声を上げる。彼女は僅かに身を乗り出しているのが、萩尾丸には見えた。
「あなた方が遭遇した白うねりが、這い寄る混沌の権能を受けていた事、その宝珠の在処についても、さっきまでの話で十分理解したわ。その上で質問があるの。あなたたちは、どうやって這い寄る混沌の権能を受けた白うねりを、斃す事が出来たのかしら」
「その件については、私どもも説明する予定ですわ」
紅藤の問いに、ハルピュイアは堂々とした様子で応じる。彼女はそれから、テーブルの下から布製のバッグを取り出した。そこから漂ってくる妖気に、萩尾丸はふいに懐かしさを覚えた。
出てきたのは、一つの羽箒だった。萩尾丸の、そして峰白や紅藤と言った古参幹部たちの瞳が大きく見開かれる。山鳥の尾羽を束ねたそれからは、見知った妖怪の妖気を感じ取ったのだ。
ハルピュイアは気圧された様子で息をのんだが、まなじりを釣り上げ決意を固めた表情で言葉を続ける。
「こちらの羽箒でもって、私どもは白うねりを鎮圧したのです。
ハルピュイアの説明に耳を傾けていた者たちは、すぐには誰も何も言わなかった。時間を操る権能。それがどういうものであるのかは、雉鶏精一派ならば嫌というほど解っている。
でかした。でかしたぞ……萩尾丸は思わず心の中で叫んでいた。
そこから先の打ち合わせは、比較的スムーズに進んだ。重要な話があらかた片付いたので、後は些末な連絡事項のみとなったからである。
その話の中で、羽箒は一旦紅藤が預かって妖気を解析する事や、源吾郎を来週の月曜日だけ研究センターに呼び戻す事などを決定しあったのである。