時間が経つのはやはり早いものだ。昼休憩のチャイムが鳴ったのを聞きながら、源吾郎は感傷的な思いに浸っていた。
とはいえ、今日は朝からミーティングや個別の打ち合わせなどが立て続けにあったため、それらが時間の流れを早める要因にもなっていたのかもしれない。特に紅藤に呼び出された個別の打ち合わせでは、小一時間ほど話し込んでいた訳だし。
いずれにせよあっという間に休憩時間に入った。源吾郎としても、昼休憩は癒しの時間である。食事を摂るのはやはり楽しいし、その後は始業時間になるまで自由に過ごせるからだ。
源吾郎は弁当と水筒の入ったランチパックを右手に提げつつ立ち上がった。事務所の出入り口には、同じくランチパックを提げた雪羽が控えていて、源吾郎に向かって手招きすらしていた。
「おいおい雷園寺君。あんまり急かさないでくれよ。焦るじゃあないか」
雪羽のせっかちさに思わず微苦笑が浮かんでしまう。それでも小走り気味に歩み寄ると、雪羽は真面目な表情で言い返した。
「良いっすか島崎先輩。昔から時は金なりって言うんすよ。それって、人間サマだけじゃあなくて、妖怪たちの世界にも当てはまるんだぜ」
「そうなのかい?」
雪羽の言葉に、源吾郎は思わず首を傾げた。
「そりゃあまぁ俺だって、時は金なりって言葉くらい知ってるよ。ビジネス用語の一つでもあるんだしさ。しかし雷園寺君。妖怪たちも時間を大切にしているだろうけれど、君ら妖怪たちの時間感覚と、人間のそれとじゃあ大きな違いがある事もまた、事実じゃあないのかい」
妖怪と人間とでは時間の感覚が異なっている。この事を指摘したのは、先程の紅藤たちとのやり取りが心の中に引っかかっていたからだった。そうでなくとも、源吾郎は半妖であり二十年も生きてはいない。自分の中にある時間間隔は、残念ながらまだ人間に近いものであるという自覚もあった。
雪羽はと言うと、源吾郎の言葉を聞くや、即座にこすっからい表情を浮かべた。
「んだよ、急に理屈っぽい事を言っちゃってさ。んな事ばっかり言ってたら、休憩時間どころか日が暮れちまうぜ」
源吾郎の言葉に、雪羽が興奮しているのは明らかだった。顔を赤らめ、しかも早口にまくし立てていたのだから。興奮させちゃったかな。そう思った時には、雪羽の手が源吾郎の手首を掴んでいた。見た目にそぐわぬ力強さが伝わってきて、やはり純血の妖怪なのだと思い直した。
「先輩の言う通り、人間サマと妖怪じゃあ時間の感覚は違うかもしれない。だけど時間が貴重な資源だって事には変わりないんすよ。解りますよね」
「……そうだね、雷園寺君の言うとおりだよ」
「解れば良いんすよ、島崎先輩」
顔を近づけて言い募る雪羽に対し、源吾郎は納得した素振りを見せておいた。雪羽は悪辣な性格ではないものの、多少気短で感情を爆発させてしまうきらいがある。特に自分の意見が通らなかったときなどに機嫌を損ねてしまう事がままあるというのを、源吾郎は思い出した。
だからこそ、源吾郎は折れて納得しておいたのだ。時間の感覚が違っていたとしても、妖怪にとっても時間は大切なのだから。
それにもっと言えば、雪羽も約一カ月ぶりに源吾郎に会えた事を喜んでいるのだ。ついでに鳥園寺さんとも食事を囲もうという話にすらなっているのだが、そんな彼の気持ちに水を差すのも野暮という事だろう。
そう言う事もあり、源吾郎は雪羽に引きずられる形でもって、工場棟の休憩スペースへと向かった。工場勤務の鳥園寺さんは、概ね工場棟の食堂か休憩スペースにて食事を摂るためだ。
※
「ユキ君に島崎君。こっちこっち」
工場棟の休憩スペースの一角。周囲を見渡す源吾郎たちに対して、明るく弾んだ声がかかる。鳥園寺さんは、既に丸テーブルの一角に腰を下ろしていた。さも人懐っこそうな様子で源吾郎たちに手招きしている。それでもテーブルに置いたコンビニ弁当は手を付けておらず、開封されていない状態で彼女の手許に置かれている。勝手に食べ出していない所に、鳥園寺さんの育ちの良さが垣間見えた気がした。
「おお、鳥姐さんはもう到着なさっているぜ」
解りきった事を雪羽が告げ、そのまま鳥園寺さんの許に向かう。源吾郎も一つ頷いて雪羽の後を追う。解りきった事を、などとは言わない。解りきった事を、心の思うままに口にしてしまう癖が雪羽にはある事を、源吾郎は既に知っているためだ。
「久しぶりねぇ島崎君。ユキ君とはちょくちょく会って世間話をしたりしていたけれど、島崎君はここ一か月ほど余所で研修していたって話だったもの。元気にやってる?」
テーブルに向かうや否や、鳥園寺さんは矢継ぎ早に話しかけてきた。グイグイと来る彼女の態度に気圧されつつも、源吾郎は頷いた。
「ええ、はい。僕は見ての通り元気ですよ」
言いながら、それとなく視線を鳥園寺さんの方に向ける。彼女はテーブルに肘をつき、半ば身を乗り出した状態で源吾郎を見つめていた。珍獣でも観察するかのような眼差しが気になりはしたが、その瞳が童女のように輝いていたので、咎める気にはなれなかった。何でもついつい許してしまうような底なしの無邪気さもまた、鳥園寺さんの特徴であり武器でもあった。源吾郎は彼女の無邪気さに、時折気圧され疎ましく思う事もあったのだが。
「鳥園寺さんもお変わりないようで何よりです」
源吾郎の言葉に、鳥園寺さんはにんまりと笑いながら首を振った。
「あらやだ。お変わりないようだなんて。確かに私も元気だけど、でも結構変わった所とかあるのよ?」
いつになく興奮した調子――と言っても、鳥園寺さんは概ねテンションの高い人物なのだが――で告げ、これ見よがしに左手をかざした。薬指には指環が嵌められていた。彼女が手指を動かす食べに、指環の中央にある宝石が、照明を反射して鋭い光を放っている。光は、情け容赦なく源吾郎と雪羽の目を突き刺した。
何も言えずにいると、鳥園寺さんが焦れたように告げた。彼女は、交際し今や婚約者となった柳澤と結婚する事となったらしい。これから始まるであろう結婚生活に対して期待で胸が膨らんでいるのだろう。鳥園寺さんは、独身妖怪二人に対し、結婚に至る経緯や今後の事などを、嬉々とした様子で語っていた。
鳥園寺さんの結婚話は自慢話に他ならなかった。しかしそれでも、三人を囲むテーブルの空気は険悪な物にはならなかった。むしろ彼女の陽気さに引きずられたかのような和やかさに包まれていたのだ。
それはやはり、話を聞いた雪羽と源吾郎の反応が大きいだろう。雪羽は無邪気に、鳥園寺さんの慶事を喜んでいた。雪羽は雷獣らしい雷獣という気質の持ち主であり、喜怒哀楽がはっきりとしている半面、むやみに他人をひがんだり貶めたりする事は無い。しかも鳥園寺さんの事を友達として好いている。好きな男と結婚できるという話を聞いて、喜ぶ以外の選択肢など、彼の中には無いのだろう。
一方の源吾郎も、鳥園寺さんの結婚話は良い事だと思ってはいた。しかし彼の心中にあったのは、ある種の安堵感だった。源吾郎は知っていた。鳥園寺さんが無邪気に源吾郎と接触すると、彼女の恋人である柳澤が陰でヤキモキしている事に。
柳澤とて、別に源吾郎に何か嫌がらせを行う訳ではない。しかしヤキモキしているという事を知るだけでも収まりが悪い。今までは恋人同士で不安定な関係であったが、結婚すれば二人の関係は安定する。そうすれば、柳澤さんも安心するのではないか。時々ホームセンター等で柳澤と顔を合わせる源吾郎は、そんな事を思っていたのだ。
あれこれと思案に暮れつつ食事を摂る源吾郎の傍らで、雪羽と鳥園寺さんは食事を摂りながらも歓談を続けていた。
「おめでとうございます鳥姐さん。それにしても、俺らの中で真っ先に、所帯を持つようになったのは鳥姐さんになるんすね。今年二十四ですっけ。人間の中でも、割合早い結婚なんじゃあないっすか?」
「まぁ確かに、晩婚化とか何とかって言われているから、早いと言えば早いかもね。でもまぁ、人間の女は色々あるから、結婚も早めにやっておいた方が良いのよ。妖怪で、しかもオトコノコのユキ君には難しい話かもしれないけれど」
「あー、でも鳥姐さん。俺ら妖怪の世界でも、子供のうちに結婚相手を決めておくって事は貴族の間じゃあままある事ですぜ。現に異母弟の時雨には、婚約者がいるんですから」
「そう言えば、前にそんな話をユキ君から聞いたわねぇ」
話しながら食事を摂るなんて、本当に二人は器用だなぁ。源吾郎は弁当と二人の顔を交互に見やりながら、そんな事を思っていた。源吾郎とて、付き合いとなれば食事中に雑談する事も出来るには出来る。だがそうなると、食べる事の方がややおろそかになってしまうのだ。
そうしているうちに、源吾郎は二人の視線を感じた。しまったと思ったがもう遅い。あまりにもじろじろと二人を見つめていたから、二人もその事に気付いたのだろう。いやそもそも、雪羽と鳥園寺さんは、先程まで色恋沙汰について盛んに話し合っていたではないか。そうなると、源吾郎にも話を持ち掛けるのは自明の理であろう。何せ源吾郎には恋人がいるし、その事を隠さずにむしろ公言しているのだから。
そんな事をつらつらと思っていると、鳥園寺さんが口を開いた。想定通りの事なので、特に驚かずにその姿を源吾郎は見つめていた。
「そう言えば島崎君。島崎君は妖狐の米田さんと付き合っているけれど、最近どうなの」
「どうって、まぁ普段通りですよ。定期的に連絡を取り合ってますし、タイミングが合えばもちろんデートもしていますし」
デートのくだりで、源吾郎はふとある事を思い出し、口早に言い足した。
「そう言えば、今度のデートでは僕の部屋に遊びに行きたいって仰っていたんです」
言い添えた源吾郎の言葉もまた、自慢でも何でもなかった。恋人の米田さんが部屋に遊びに来るのだが、その際はどうすれば良いか。その旨を尋ねる相談を兼ねていたのだ。
鳥園寺さんと雪羽は顔を見合わせ、興奮したように声を上げていたから、言葉を続ける事はままならなかったのだけど。