九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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若狐と恋人、そしてセカンドルーム

「米田さん。今日はわざわざ吉崎町に、しかも僕の部屋に遊びに来てくれてありがとうございます」

 

 良いのよ。源吾郎の、必要以上に畏まり敬語混じりの言葉に対し、米田さんはふわりと微笑んだ。彼女と最後に会ったのは生誕祭の場での事だったので、およそ一か月半ぶりの再会である。

 妙に堅苦しい言葉が示す通り、源吾郎は緊張してしまっていた。それはやはり、米田さんを部屋に招いたためだ。既に米田さんとは何度もデートを重ねてはいるものの、部屋に来てもらうのは今回が初めての事だったのだ。

 しかも元々は、今回もいつものように大阪か港町のどちらかでデートをする予定だった。ところが米田さんから「島崎君も疲れているみたいだし、私がそっちに向かうわ。島崎君の部屋にも興味があるし」と言われ、現在に至るのだ。

 米田さんと部屋でデートする。下世話な話だが交通費はかからないし、出掛ける事によって時間を消費する事もない。しかも米田さんが源吾郎を気遣って提案してくれた。源吾郎は素直に喜んでも良かったのだ。

 ()()()実際には、嬉しさよりも戸惑いと気まずさが心の中を支配していた。米田さんが源吾郎に気を遣っていると気付いた時、源吾郎の心中では感謝と共に気まずさが浮き上がってくるのだ。気遣われるたびに、自分がまだ幼い仔狐なのだと思い知らされるのだ。彼女に義弟がいた事を知っているのだからなおさらだ。

 それと共に、俺は米田さんに対して何も出来ていないじゃないか、とも思ってしまう。だからと言ってすぐに気の利いた事を思いつくわけでもない。源吾郎はだから、人知れず懊悩していた。それこそが源吾郎の幼さなのかもしれないが。

 源吾郎は何度か瞬きを繰り返し、不毛な考えを振り払った。考え事は後だ。今は米田さんがここにいる。その事に集中しなければ。

 

「まぁその、何もなくてむさくるしい所ですが、米田さんには――」

「むさくるしくなんか無いわよ」

 

 米田さんにはくつろいで欲しいんです。そう言おうとした源吾郎の言葉を、米田さんはやんわりと遮った。彼女はゆったりと首を巡らせ、室内を一瞥する。源吾郎は米田さんを見つめているだけだった。改めて部屋の内部を確認するまでもない。週に一、二度ほどしか訪れない別宅といえども、何が置かれているかは大体把握しているのだから。

 

「それにこっちの部屋は、島崎君が実際に寝起きしている所じゃあなくて……セカンドルームみたいな所なんでしょう」

「セカンドルームって、何かお洒落な響きがありますね」

 

 言ってから、源吾郎は頷いた。ずっと別宅などと呼んでいたが、セカンドルームと言った方がかっこいい気がした。

 少しばかり気分が高揚するのを感じながら、源吾郎は言葉を続ける。

 

「実を言えば、元々はこっちの部屋で暮らしていたんです。就職してすぐのころは、研究センターに居住区がある事なんて知りませんでしたし。知っていたとしても、あの頃は一人で暮らすという事に固執してもいたので」

 

 引き続き、源吾郎は研究センター内の一室に居を構えた事情を米田さんに話した。話し終わると、米田さんは興味深そうな表情を見せてくれた。

 

「島崎君にもそういう事情があったのね。私はてっきり、就職したときからずっと研究センターの一室を間借りしているのかと思っていたわ。紅藤様や萩尾丸様も、島崎君の事は何かと注目しているみたいだから」

「ええ、まぁ。居住区に移り住む前にも、紅藤様から提案はありましたけどね」

 

 苅藻の叔父上などから、米田さんに俺の住宅事情がリークしたわけでも無いんだな。言葉を紡ぐ一方で源吾郎はそんな事を思ってもいた。

 

「セカンドルームがあるっていうのも良いと思うわ。もちろん、維持費とかが大変な事もあるでしょうけれど……あったらあったで便利だもの」

「それは僕も思います」

 

 米田さんも、あるいはセカンドルームに類するものを持っているのだろうか。そんな事が脳裏をよぎったが、もちろん問いただしたりなどはしない。代わりに彼女の言葉に頷いて同意しただけだった。

 

「何せ本宅は、居住区と言えども研究センターの内部にありますからね。友達とかを招くにしても、向こうならば気を遣うんですよ」

「ええ、ええ。島崎君がそう思うのも解るわ。何せ紅藤様たちのテリトリーでもあるんですから」

 

 実際には、研究センターの居住区に友達や恋人を招いても構わないのかどうか、正確に知っている訳ではない。紅藤に対して質問を行っていないからだ。そもそも質問を行おうとも思わない事こそが、研究センターに源吾郎が誰かを招かないでおこうと思う心の表れでもあるのかもしれない。

 そういう意味でも、別宅を確保しているのは良い事だった。たとえ家賃を払い、週に二、三回ほど部屋の掃除やメンテを行わなければならなくても、だ。すっかりくつろいだ米田さんを前にして、源吾郎はそんな事を思ったのだった。

 

 さてここで、源吾郎と米田さんがくつろぐ一室について説明しよう。

 源吾郎は先程「何も無い」と言いはした。確かに家電や家具の類はほとんど存在しないが、全くもって何も無い訳でもない。本宅である居住区に持っていかなった物や持っていきたくないと思ったものなどが、そこここにあった。

 例えば小さな本棚には源吾郎の蔵書の中でも特に俗っぽいと判断したものが収められていたし、棚の上にはマリーと名付けたマリモが入った瓶が鎮座していた。ついでに言えば、壁には庄三郎の描いた絵が二枚ほど掛けられていたのだ。

 したがって、源吾郎の別宅は生活感が無いものの殺風景ではなかった。一人暮らしの若者がつましく暮らしているのだといっても通用しそうだとも、半ば他人事のような考えすら浮かんだほどだった。もしかしたら、米田さんが傍らにいるから、余計にそう思えたのかもしれないけれど。

 そして米田さんが、棚の上のマリモや壁に掛けられた絵などに興味を示した。その度に、源吾郎は目を輝かせながらそれらについて話した。マリモにしろ絵にしろ、源吾郎にとっては話すべき物語があるものたちだった。特にマリモのマリーは、ホップほどではないにしろ、大切に面倒を見ているペットなのだから。

 

「うふふ。こっちのセカンドルームの方も、意外と島崎君の性格とか色々と見えてきて面白いわ」

「あはは、言うてこっちは週に二、三回ほど出向くほどなんですけどね。でもやっぱり、米田さんには色々とお解りになるんですね」

 

 源吾郎の言葉に、米田さんは少し考え込むような表情を見せた。自分の言葉が、米田さんを考え込ませてしまったのだ。源吾郎は焦ったが、その時にはもう米田さんは口を開いていた。

 

「……気にしないで。ちょっとした特徴から妖《ひと》の性格とかを考察して分析するのは、私の職業病みたいなものだから、ね」

 

 職業病。この単語を、源吾郎は瞬きしながら頭の中で反芻していた。その間に、米田さんは源吾郎から一瞬視線を外した。彼女は壁に掛けられた絵を、庄三郎が描き源吾郎が買い取った油絵を見つめていたのだ。

 米田さん。彼女の視線がこちらに戻ってきたのを見計らい、源吾郎は声をかけた。

 

「末の兄が描いた絵が気になりますか」

「気になるといえば気になるかもしれないわ」

 

 源吾郎の問いに、米田さんは素直に答えた。彼女はそれから、視線を絵と源吾郎の間を緩やかに往復しつつ、遠慮がちに言葉を続ける。

 

「どういう物を描いたのかっていう好奇心をそそる絵だと私は思うの。その……輪郭とか色使いも特徴的だから」

 

 俺だけではなく、庄三郎兄様が描いた絵に対しても気を遣っているのか。源吾郎の心の中で、何かが弾けるのを感じた。それは無遠慮な笑いとなって、米田さんに対して表出された。

 

「どうもこうも、絵を飾っている俺自身にも、兄上が何を描いたものなのか、まったく解りませんよ。というか抽象画ですから、何を描いているのかなんて、はっきりしないものだと思うんです」

 

 米田さんは、急に笑い出した源吾郎に対して流石に驚いたらしい。目を見開いて源吾郎の顔を凝視していた。

 

「抽象画ね。単語はたまに聞くけれど、私はその方面には疎くって……」

 

 そこまで言うと、米田さんは思わせぶりに言葉を濁した。しかし彼女の顔には、何処かいたずらっぽい笑みも浮かんでいる。珍しい表情をなさるものだと、源吾郎は思った。

 ねぇ島崎君。目を上げて米田さんが呼びかける。彼女の声音はいつになく甘く、こちらを見つめるその顔は不思議なほどにあどけなかった。

 

「はいっ、何でしょうか米田さん」

 

 アルバイトに入ったばかりのコンビニ店員よろしく源吾郎が応じる。米田さんはあどけない笑みを浮かべたままに、言葉を続けた。

 

「そういえば、島崎君の三番目のお兄様って、来月か再来月に新たにオープンしたアトリエかどこかで、作品を出すのよね。その時に、私も見に行きたいなと思っているんだけど、構わないかしら」

「それは大丈夫ですよ。ですが……」

 

 驚きのために心臓の拍動が早まるのを感じながら、源吾郎は米田さんに問うた。

 

「米田さんが、末の兄が個展を出す事をご存じだったとは。何処でその事を知ったんです?」

「メメトちゃんに教えて貰ったのよ」

 

 そういう事だったのか。怜悧だが胡散臭い言動の目立つ管狐の姿を思い浮かべながら、源吾郎は納得してしまった。

 メメトの名を口にした米田さんの顔に浮かぶ笑みは、今はもう大人びたものへと変じていた。メメトの事を単なる知り合いではなく、妹分と見做しているであろうことが、その表情からうかがえるのだった。

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