羊力大仙《ようりきたいせん》の因子によって作り出した人形には、今では伯洋児《はくようじ》という名が付いている。名付けたのは作り主にして親代わりである玄三羊《げんぞうひつじ》だった。深い意味はない。羊であるという出自と、ちょっとした洒落っ気を織り交ぜた名前だった。
結局のところ、伯洋児は玄三羊の手許に留まる事になった。玄三羊に羊力大仙の因子が残る遺品を持ってきた男は、伯洋児を受け取らなかったからだ。むしろ「羊力大仙様の因子を受け継いでいるこの子は、同じく羊力大仙様に縁があったあなたの許にいるのが一番でしょう」と言ったのだ。
玄三羊の読み通り、男は羊力大仙の因子を受け継いだ存在を生み出した事そのものに満足していたのだ。もしかしたら、玄三羊や伯洋児が行う事を、行った事への見返りを期待しているだけかもしれないが。
「久しぶりです玄三さん。お話とは何でしょうか」
玄三羊が伯洋児を呼び寄せたのは、十月初旬のある晩の事だった。伯洋児は自我が定まって術をある程度覚えると、自由に外出するようになっていた。玄三羊もまた、彼の動きにそれほど干渉せず、ある程度自由にさせていた。玄三羊は姉と同じく、やや放任主義の気質があったためだ。
そんな中で呼び出しを食らったためなのか、伯洋児は少し緊張した雰囲気を見せてもいた。もしかすると、彼が連れていた妖怪たちの緊張が、彼にも伝染しただけなのかもしれない。
久しぶりと言っても、せいぜい十日くらいなものさ。そう言って玄三羊は笑った。
「ああしかし、君にしてみれば十日程と言ってもかなり長い歳月になるのかな。何せ生まれたばっかりだもんね。だけど、外を放浪しつつも元気そうで何よりだよ。いやむしろ、逞しくなったと言うべきかな」
つらつらと語る玄三羊の顔は期待に緩んでいた。
作り出して間もない頃とは異なり、伯洋児の顔には精悍さとある種の狡猾さが具わりつつあった。しかも彼は数名の妖怪たち――それも利発で狡猾そうな連中ばかりだ――を従えている。その点からも、彼の成長ぶりを垣間見る事が出来た。
玄三羊は確かに人形師であり、誰かを従えるよりも誰かを造り出す事の方が多い。それでも、他者を従え統率する事の難しさは知っていた。
玄三羊は伯洋児や彼の配下を眺めつつ、話しかけ始めた。
「それにしても伯洋児。俺の工房を出た時には一人っきりだったと思っていたのに、いつの間にか仲間たちが出来たんだね」
ええ。玄三羊の言葉に、伯洋児は笑みを浮かべた。照れたような、それでいて得意げな雰囲気が見え隠れしている。
「玄三羊様から風狸杖《ふうりじょう》の術を教えて頂いたお陰ですよ。この杖を使えば、どんな荒れくれ妖怪だって……」
「ああ解った、解ったよ」
声を上げて彼の言葉を遮ったのは、そのままだと伯洋児の部下たちも、彼の言葉を耳にしてしまうと懸念したからだ。洗脳や操作術であったとしても、その術を行使しているなどと口にしてしまえば、その効力は失われるのではないか。玄三羊はそう思っていた。
そもそもからして、風狸杖にて妖怪を従えられるというのも、不思議な話ではある。風狸杖は、あくまでも空を飛ぶ者や木の上にいる者を落とす効力を具えているだけなのだから。
とはいえ、あれこれ考えていてもどうにもならない。玄三羊は伯洋児を見やり、言葉を紡いだ。
「伯洋児。君は羊力大仙様の生まれ変わりと称するに相応しい働きをするべく、日夜頑張っていると思うんだ。その進捗と成果について、ひとまずは俺に教えて欲しい。場合によっては、俺の方で手伝ったり、力になったりできる所もあるだろうから、さ」
玄三羊の問いかけに、伯洋児は少し緊張したような表情で答え始めた。
「そうですね。ひとまずは僕たちも巨大な勢力になるように画策している所です。もちろん、玄三さんが日頃より行っているビジネスにも協力しますよ。ですがやはり、妖材派遣《じんざいはけん》や魔道具の取り扱いなども稼ぎになりそうですし……」
「妖材派遣とは、良い所に目を付けたじゃあないか。考えるまでもなく、俺の人形作りがそのまま妖材派遣に直結するとも言えるわけだし」
やはり伯洋児も、俺の許で過ごしてきただけあって、俺が何をやっているのか、何を得意としているのかをきちんと把握してくれているんだな。玄三羊はしばしの間悦に入っていた。探るような声音でもって、何者かに呼びかけられるまでは。
声の主は虎鉄という名の猫又だった。若妖怪であるが、中々に利発そうな顔つきである。
「恐れながら玄三様。妖材派遣の仕事を行うのならば、細心の注意を払った方が良いかと思うのです。そうでなくとも、妖材派遣は老舗の組織や、信頼のある組織が牛耳っていますからね」
「何と、そうだったのか」
うら若き猫又の指摘に、玄三羊は間の抜けた声を上げてしまった。妖材派遣が難しい仕事であるという事よりも、そうした事を若妖怪に指摘された点に対して、玄三羊は驚いていた。
「妖材派遣も手ごわいライバルが多いって事?」
伯洋児の無邪気な問いに対し、虎鉄は重々しい表情で頷いていた。
「特にこの辺りは都会ですからね。妖材派遣で有名な所と言えば、大天狗が運営するナントカの翼とかいう組織ですかね」
真面目くさった物言いとは裏腹に、組織の名前についてはうろ覚えであったらしい。そのちぐはぐさが何とも滑稽で、玄三羊は思わず噴き出しそうになった。もちろん、伯洋児の部下であるわけだから、そんな無礼な真似はしなかったけれど。
虎鉄はしかし、玄三羊の表情の変化に気付いたらしい。ややむっとした表情を浮かべると、咳払いしてから言葉を続けた。
「確か妖材派遣を請け負っている大天狗は、雉鶏精一派の構成員だそうです」
「雉鶏精一派って、あの雉鶏精一派か!」
雉鶏精一派という単語に、玄三羊は思わず声を上げてしまった。伯洋児たちが驚き、目を丸くして玄三羊を見つめている。玄三羊の声に驚いただけの者もいれば、別の意味で驚いているように感じられる者もいた。伯洋児と虎鉄は後者のようだった。
「玄三羊様ぁ。あの雉鶏精一派などと仰りましたけれど、雉鶏精一派なんていう仰々しい組織なんて、この世には一つしかありませんよ。というよりも、雉鶏精一派ほどの組織があれもこれもあると思うと、こちとら身震いがしますよ」
「こら、玄三羊様や伯洋児様の前で、そんな事を言うんじゃあない」
化けアナグマの若者が馴れ馴れしく荒っぽい口調で告げ、それを生真面目な虎鉄が叱りつけている。
実の所、玄三羊は化けアナグマの物言いなど気にしていなかった。既に伯洋児も話し始めていたからだ。
「雉鶏精一派が抱える妖材派遣については、僕もまだそれほど詳しくはありません。ですが雉鶏精一派の組織には、既にコンタクトは取っているんです。魔道具や護符の類も、豊富に取り扱っていますからね」
「そうかそうか。でかしたぞ伯洋児」
玄三羊はにやりと笑っていた。伯洋児たちが雉鶏精一派とコンタクトを取っている。この知らせは、玄三羊にとってはまたとない朗報だった。
既に胡喜媚《こきび》が世を去って久しいが、それでも雉鶏精一派は、妖怪仙人が統率していた巨大な組織に他ならない。頭目は言うに及ばず、幹部やその側近も実力者揃いである事は玄三羊も知っている。
それに何より――玄三羊たちが接触を図れば、雉鶏精一派は受け入れざるを得ないだろうと踏んでいた。玄三羊の姉は、雉鶏精一派の幹部だったメス雉の一羽に、胡喜媚の因子を受け継ぐ妖怪を造る術を伝授した。メス雉は首尾よく術を会得し――胡喜媚の「孫」を造り出したのだ。
メス雉は、その孫を頭目という名の傀儡に仕立て上げ、そして新たな雉鶏精一派の組織を立ち上げた。したがって、胡喜媚の孫の真なる出自は、秘匿しなければならないものになったのだ。
いうなれば、玄三羊と姉は、雉鶏精一派に恩を売っており、ついでに弱みも握っているのだ。
そうでなくとも、雉鶏精一派には仙術や妖術に関するノウハウはある。友好関係を構築し、あるいは従属させればメリットが大きいのは言うまでもない。それこそ、工房に引きこもっている姉ですらできなかった事を、玄三羊と伯洋児で出来るかもしれないのだ。
「引き続き、雉鶏精一派とコンタクトを取るようにな」
「御意に。ですが向こうも用心深そうなので、注意しながら行っていこうと思います」
「いやいや虎鉄さん。それは流石に用心深すぎでしょ。向こうも結局は鳥類とかそんな奴らなんだからさ、こっちも兵隊を集めたらいけるんじゃないかな。伯洋児さんは、それこそ飛ぶ鳥を落とす風狸杖だって持っているんだし」
伯洋児の部下たちも、色々と考えるところがあるらしく口々に意見を出し合っていた。浮かれた玄三羊には、それすらも心地よいBGMになっていた。