久しぶりだな源吾郎。十月前半の日差しが入り込むオフィスの中で、叔父の苅藻は歯を見せて笑った。
オフィスに溜まった魔道具類の仕分けをするから手伝いに来て欲しい。謝礼として欲しい魔道具や護符の類はプレゼントするから――そうした旨の事を告げ、苅藻はこのたび源吾郎をオフィス兼自宅に呼び寄せていた。
「こうして顔を合わせるのは、裏初午の時ぶりだったかな。ともかく、かれこれ半年くらいは源吾郎の顔を見ていなかった気がしてならないんだ。ははは、三國君が羨ましいよ。あいつの所の雪羽君は、週末になれば必ず戻ってくるんだからさ」
「雷園寺君を引き合いに出すのは違うと思うけどな。だって三國さんは叔父だけど、雷園寺君の親代わりとして面倒を見てらっしゃるんだからさ。
でも俺は父さんと母上が面倒を見てくれたから、そもそも親代わりなんていないし」
「ははは、源吾郎も言うようになったじゃあないか」
生真面目な調子でツッコミを入れた源吾郎に対し、苅藻は快活に笑うだけだった。笑う叔父の姿に、源吾郎は拍子抜けしつつも安堵していた。正論と言えども小生意気な事を言うんじゃあないと、叱責される事も考えていたためだ。
「それでもまぁ、可愛い甥っ子に会いたいと思うのは自然な事だろう。三國君みたいに、俺は実の甥を育てている訳じゃあない。だが源吾郎。お前の事は弟みたいに思っているんだよ」
源吾郎は黙って頷いた。苅藻が源吾郎を弟のように扱う事は十分に理解している。源吾郎も源吾郎で、苅藻には兄に接するような態度を取るのだから。むしろ、謹厳実直な実の兄たちよりもフランクな態度を見せているくらいだ。
「ともあれ、源吾郎も元気そうで何よりだよ。変に痩せている感じも無さそうだし」
何故痩せているかどうかについて言及したのだろうか。不審に思っていると、苅藻は笑いながら言葉を続ける。
「源吾郎は、具合が悪かったりストレスが溜まったりすると、すぐに食欲が落ちて痩せちまうだろう。そういうのは、姉さんも宗一郎君たちも心配していたみたいだぜ」
「ああ、まぁ……」
俺は多少痩せたとしても、そんなに問題は無いんだけど――心の中でぼやきながらも、源吾郎は曖昧に頷くだけに留めておいた。思っていた事を率直に言いすぎると、小言を食らう羽目になる事を、源吾郎はいやというほど知っていた。
案の定、苅藻は自分の言葉に源吾郎が納得したと思ったらしい。満足げな様子で何度か頷いてから源吾郎に話しかける。
「折角来てくれたんだから、すぐに作業に取り掛かるんじゃあなくてさ、お茶でも飲みながら少しのんびりしようか。お互い積もる話もあるだろうし」
そう言うと、苅藻はコンロのある台所の方に向かい、お茶とお茶請けの準備を始めたのだった。源吾郎が来訪した事を心から喜んでいるであろう事は、台所から見える後姿からも明らかだった。
苅藻が出してくれたのは、妖怪向けにカフェインの入っていない緑茶と茶請けの練り切りだった。芋と栗を使ったであろう練り切りは今の季節にぴったりとマッチしていた。やはり叔父は色々と抜かりないのだなと、今更ながら源吾郎は思った。
「時に源吾郎。仕事の方は頑張っている事は解っているんだが、プライベートの方は充実しているかい?」
源吾郎がお茶を飲みかけていた丁度その時、苅藻が問いかけてきた。タイミングや言葉が微妙に違えば噴き出すところだったかもしれない。源吾郎は湯呑を置き、苅藻を見やった。甥を見つめる苅藻の顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。
「何で急にプライベートの事なんか聞くのさ」
「仕事の事を聞くよりも、いっそプライベートの話を聞いた方が、妖となりとか心身の健康状態が解りやすいからな。それに源吾郎だって、俺と会うなり仕事の事についてとやかく詮索されるのも嫌だろう?」
言い切ってから練り切りをつつく苅藻に対し、源吾郎は頷いた。もっとも、問いかけ自体も形式的なものだった。聞かれたのだから、自分が話せる範囲で話す心づもりはできていたのだから。
「プライベートの方も充実しているよ。そりゃあまぁのんびり過ごす日もあるけれど、仲間の妖狐たちと遊んだりする時もあるし、米田さんとも月に一、二回はちゃんとデート出来てるし」
「そいつは良かった」
源吾郎の返答を聞くや、苅藻は笑みを深めた。今やいたずらを思いついた悪童のごとき表情すら浮かべている。米田さんについて言及したからだと源吾郎は思った。
「という事は、源吾郎も同世代――実年齢じゃあなくて精神年齢的な意味だな――の同族との交流も欠かしていないし、米田ちゃんとも上手く行っているという事だな。安心したぜ源吾郎」
「……やっぱり米田さんと俺がどうしているか、そこが一番気になったんじゃあないんですかね」
思わず口を尖らせて源吾郎は告げた。苅藻は米田ちゃんという単語の部分を、殊更に強調していたのだ。苅藻はというと、拗ねたような態度を見せる源吾郎を見ても、動じる事は無かった。
「もちろん、お前が米田ちゃんと上手く行っているかどうかは気になる所だ。お前にゃあ中学生の頃から女友達は何人かいたみたいだけど、米田ちゃんは初めての恋人だもんな」
女友達って、それは単に部活の仲間だったから一緒にいた事が多かっただけなんだけれど。源吾郎は心中でぼやいたが、口にする間もなく苅藻は言葉を続ける。しかも顔からは笑みが消え、真面目な表情を浮かべながら。
「それに米田ちゃんがお前と一緒にいて、心が落ち着いたり幸せに思えたりしているという事も、俺にとっては喜ばしい事なんだ。俺たちにとっては、米田ちゃんは妹みたいな存在だからな」
源吾郎は無言のままに頷き、お茶を飲むという口実で視線を落とした。苅藻の視線の鋭さに怖気づいてしまったのだ。苅藻もまた、玉藻御前の血を色濃く受け継ぐ存在なのだと、今一度思い知った。
顔を上げると、苅藻は困ったような笑みを浮かべていた。
「ああ、何。そんなに緊張するなよ源吾郎。別に俺は、米田ちゃんとの事でお前を咎めたり叱ったりするつもりはない。そういうのはいちかが率先してやるだろうしな。いちかも今のところは、特に何も言ってこないから、まぁ上手く行ってるんだろうって事は解ってるよ」
「……まぁ、お互い忙しいから、会うのは月に一、二回くらいなんだけどね」
苅藻が態度を軟化させたからだろうか。気付けば源吾郎は米田さんとのデートの状況を語っていた。
苅藻は興味深そうな様子で頷き、口を開く。
「月に一、二回か。普通の、特に人間のカップルとして考えればちと少ない頻度だな。源吾郎は不満とか無いのかい?」
苅藻の問いに面食らいつつも、源吾郎は首を振った。
「不満だなんて、滅相も無い話だよ。俺だって、米田さんが忙しいのは十分解っているよ。米田さんは傭兵で、だからいついかなる時だって声が掛かれば仕事に行かないといけない訳なんだし。
それに正直な所……俺も別の事で忙しくって、都合がつかない時もあるし。そりゃあもっと会いたいって思う時もあるけれど、そういう物だと割り切ってるよ」
「源吾郎がそう思っているだろう事は、俺も察しはついていたよ」
苅藻の言葉は断定的な響きを伴っていた。しかし彼の面に浮かぶ表情は、柔らかく優しげなものだった。
「そもそも源吾郎は、甘えん坊の割には一人で過ごす時間も大好きな所があるもんな。だがそれよりも重要なのは、源吾郎が米田ちゃんの生活やスタンスを尊重しているかどうかなんだ。そこが俺は知りたかったんだよ」
苅藻に見つめられ、源吾郎は背筋を伸ばし居住まいを正した。遠くを見やり、あるいは何か思案を重ねるような表情で、苅藻は言葉を続けた。
「良いか源吾郎。米田ちゃんは、確かに源吾郎を愛している。彼女なりのやり方かもしれんがな。だがな、源吾郎を愛しているからと言って、他の事がおざなりになったりするような狐では無いんだ。米田ちゃんにとって、今までこなしてきた仕事や生活も、お前への愛情と同じくらい重要なんだよ。それはお前だって同じだろう?」
「いや、俺の場合は――」
心の中には、強烈にして揺るがぬ答えがあるにはある。源吾郎はしかし、かぶりを振って言葉を紡いだ。
「うん。確かに俺も同じだよ。米田さんの事は大好きだけど、だからと言って仕事とか他の事はないがしろに出来ないもん」
「そうだよな。お前ならそう言うと思っていたよ」
苅藻は満足げな笑みを浮かべているように見えた。しかし彼の眼差しは鋭く、源吾郎の心中を見透かしているようにも感じられた。源吾郎の本心など、老獪な叔父にとってはお見通しなのかもしれない。
※
さて本題に入ろうか。苅藻がそう言ったのは、お互い練り切りを平らげ二敗目のお茶を継ぎ終えた所だった。
源吾郎は戸惑って目をしばたたかせた。先程まで休日の過ごし方などをあれこれ話していたので、世間話や雑談の類を行っているだけだと思っていたのだ。しかし苅藻は今真剣な表情を浮かべている。冗談を言ったり、からかったりしようとする気配は一切無かった。
「源吾郎。そう言えばさっき研修がどうと言っていたけれど、今は研究センターで働いている訳じゃあないんだな?」
「うん。双晴鳥様の事業所で研修しているんだ。双晴鳥様は雉鶏精一派の幹部の一人で、コカトリスっていう鳥系の魔族なんだけど」
双晴鳥について説明すると、苅藻は笑って手をひらひらさせた。
「大丈夫だ源吾郎。双晴鳥君の事なら俺も知ってるよ。一応俺も、短期間とはいえ雉鶏精一派にいたんだからな。まぁあれだな。双晴鳥君の所の事業所って事は、この近辺で働いているって事になるか」
「まあね。言うて今月いっぱいまでだから、あと半月くらいだけど。それがどうしたの」
問いかけると、苅藻は再び真剣な表情を浮かべた。
「いやな。最近また野良妖怪たちの動きに、きな臭いものを感じたんだよ。まぁ、あいつらは儲けというか暮らしのためなら何でもするような連中だ。だから活動内容がきな臭く思える事もあるのかもしれん。だが念のために、その事をお前に伝えておいたんだ」
苅藻はそこまで言うと、不意に顔をほころばせて言い添えた。
「源吾郎は若くてちと油断しがちな所があるだろう。口の上手い野良妖怪連中に丸め込まれて、騙されたりしても可哀想だと思ってな。まぁ、そういう事はもうないだろうとは思うけれど」
苅藻の言葉に、源吾郎は何も言い返せなかった。もしかしたら、就職してすぐのころに起きたぱらいその件を持ち出しているのではないか。そんな考えが脳裏を渦巻いていた。