祝日を交えた三連休が過ぎると、そのまま出勤日に突入した。
双睛鳥の運営する事業所での仕事や雰囲気にも馴染んできていた。しかしここで働くのも、今週一杯までの事だ。お盆明けから二か月間、双睛鳥の事業所で研修と業務の応援を行うという約束の為である。
来週からは、再び研究センターでの業務になる。紅藤と萩尾丸たちの監督下で、雪羽と共に仕事を行うのだ。時に戦闘訓練も行うだろう。安心したような、何処か物寂しいような気分だった。
「そう言えば、島崎君も来週から研究センターに戻るって話だよね」
双晴鳥は、わざわざ源吾郎のいるデスクに近づいて告げた。その面には穏やかな笑みが浮かんでいる。源吾郎が戻るのを名残惜しく思っているのか、嬉しく思っているのかは解らなかった。
「お疲れ様。僕の事業所でも色々な事があったかもしれないけれど……よく頑張ってくれたと僕は思っているよ」
「そんな、もったいなきお言葉です」
過剰に褒められたような気がして、源吾郎はもったいぶった謙遜の言葉を口にしていた。難儀な話なのだが、源吾郎は他人に褒められるとどうにも気恥ずかしくなってしまう。母親や兄姉たちに、おのれの素行についてあれこれ躾けられたためだ。
「僕は大丈夫ですよ双晴鳥様。ご存知の通り、僕は玉藻御前の末裔です。他の妖怪たちに注目されたり、色々な事に巻き込まれたりしてしまうのは、自然な事だと解っていますので」
言い添えた源吾郎の言葉に、双晴鳥は無言で耳を傾けるだけだった。世間知らずの若狐が下らない事を言っていると、馬鹿にするのではなかろうか。双晴鳥はそんな事をするお方ではないだろう。
あれこれと考えが脳内を駆け巡っていくのを感じつつ、源吾郎は再び口を開いた。話題を逸らせるのが得策だと気付いたのだ。しかも今、丁度話題を思いついたところだった。
「ところで双晴鳥様。新規取引先の話ってどうなりました?」
「新規取引先? 何の話かな」
「……この間、事業所に面談に来た羊妖怪の事ですよ」
確か猫又の側近も連れていましたっけね。首をかしげる双晴鳥に対し、源吾郎は言い足した。
「彼らと取引をするにあたって、幹部たちと打ち合わせをして決めるというお話だったと思うんです。あの後どうなったのかな、と思いまして」
最後まで言い切れずに、源吾郎は言葉を切った。自分で口にしておきながら、話していると心臓がざわつく感覚を抱いてしまう。野良妖怪の動きに注意せよという、叔父の言葉が頭の中でまたリフレインしていた。
双晴鳥は顔を少し前に出し、覗き込むように源吾郎を見つめていた。それから彼は笑みを浮かべて首を揺らした。
「ああ。あの伯洋児さんの件だね。それなら今週の中頃にでも、八頭衆の方で打ち合わせて正式な取引先にするかどうか決定するところさ。
と言っても、僕らの方でもちょっと気になる相手でもあるし、萩尾丸さんたちもそういうだろうから、まずは相手の身辺調査を行って、それで問題が無ければ取引をするって感じかな」
一度言葉を切ると、双晴鳥は昏く鋭い眼差しで遠くを眺めた。
「――僕らが取り扱う魔道具は、使い方を少しでも間違えればとんでもない事をもたらしかねないんだ。始めから邪悪な、悪意を伴って使おうと画策する輩の手に渡ってしまったのなら尚更ね」
だからこそ、魔道具や護符を購入する相手もこちらで選ばねばならないんだ――双晴鳥の言葉に、源吾郎は見開いた眼を何度かしばたたかせるのがやっとだった。無造作に製品を販売しているように見えて、きちんと双晴鳥たちの方でふるいにかけていたという事を、源吾郎は今ここで知ったのだから。
だが考えてみれば、双晴鳥らしい商売のやり方であるともいえる。邪眼を宿したコカトリスが、相手の邪悪さを見抜く眼力を具えていたとしても、何もおかしい事など無いのだ。
※
昼下がりから夕刻にかけて、源吾郎は教育訓練報告書と議事録を作成していた。研修を行っている身分ゆえに、目新しい業務を行うたびに作成せねばならなかったのだ。しかも今回は社内打ち合わせを実施したので、源吾郎が議事録を書く番が回ってきてもいた。源吾郎には議事録の作成実績はあったし、その事は双晴鳥も知っていたためだ。
一通り作成が終わったところで、席を立ちプリンターに向かう。教育訓練はさておき、議事録の方はチェックが入って書き直さないといけないだろうか。そんな事を思いながら、印刷された紙が吐き出されるのを源吾郎は待った。
動作音と共に報告書と議事録がプリンターから吐き出される。源吾郎は用紙を手に取った。
何気なく印字された文字を眺めながら、源吾郎は短い声を上げた。一枚上に会った用紙は、源吾郎の印刷した書類とは異なっていたためだ。
用紙の右肩には「雉鶏精一派第七事業所 双晴鳥様」と記されていた。大方組織外の者が、ファックスか何かでこちらに送ってきたものであろう。双晴鳥に渡さねばと思いつつも、源吾郎は書類の文字をざっと眺めていた。渡すにしても、どのような書類なのか確認した方が良いのかもしれない。好奇心に駆られての行動を、源吾郎は正当化しようとしてもいた。
ありていに言えば、その書類は見積書の類だった。購入したい魔道具の種類や戸数が記されており、中ほどには「納期とコストを回答願います」という定型文が記されている。そしてこの見積書の差出人は、伯洋児だったのだ。
源吾郎は軽く驚きながら見積書を眺めていた。今朝伯洋児の話を双晴鳥と行ったのだが、まさかその彼から、見積書を貰うとは。噂をすれば影とはこの事だとも思っていた。
源吾郎はともあれ、見積書を双晴鳥に渡す事にした。
「双晴鳥様。伯洋児さんからの見積書です。プリンターに置き去りにされていたので……」
「ありがとう。別の書類も印刷していたから、取り忘れちゃったんだね」
見積書について手短に説明し、双晴鳥に手渡す。源吾郎とは異なり、伯洋児の名を耳にしても、双晴鳥は特に驚いた気配は無かった。
普段と変わらぬにこやかな双晴鳥の笑みは、しかし受け取った見積書を眺めている間にこわばり始めた。成程とかふむと言った、短く単体では特に意味をなさない言葉たちが、双晴鳥の口から漏れ出ている。
「伯洋児って、この間面談に来ていた化け羊でしたっけ」
双晴鳥の傍にいた鳥妖怪が、怪訝そうな様子で問いかける。双晴鳥は目を動かし頷いた。
「取り敢えず、見積もりの回答は僕の方で行っておくよ。と言っても、種類も数も多いから、回答するのに時間がかかると連絡しないといけないかもしれないけれど」
胡散臭い相手たる伯洋児からの見積依頼だというのに、双晴鳥は特に気負った様子を見せずにそう言った。彼の顔に、何処か悪戯っぽい笑みが浮かんでいるように見えたのは気のせいなのかもしれない。