月曜日。およそ一か月ぶりに研究センターの事務所に入るや否や、雷園寺雪羽が転がるような勢いでもってこちらに駆け寄ってきた。
「久しぶりっすね島崎先輩! 元気そうだけど、俺と会う機会が普段より少なくて、寂しい思いをなさったりしませんでしたか?」
しばらくぶりだな。そう言おうと思っていた源吾郎だったが、雪羽の勢いに押されて何も言えなかった。寂しい思いをしていたのはむしろ雪羽の方では無いかとか、この間外部イベントで出会ったばかりだろうとか、心の中でツッコミは入れていたけれど。
「ま、俺は元気だし、特に寂しい思いをした訳でも無いから安心しなよ。休みの日とかもさ、雷園寺君も忙しいだろうと思ってね」
「別に忙しいって訳でも無いけどなぁ」
頭を掻きながら、何処かぼんやりとした口調で雪羽は告げる。それから翠眼を巡らせ、源吾郎を見やった。
「ああだけど、島崎先輩は休みの日も忙しいか。なんせ米田の姐さんとおデートしないといけないんですからね」
「俺はそんなに米田さんとデートばっかりしてないぞ!」
ニヤニヤ笑いながらからかってくるので、源吾郎は思わず吠えてしまった。
案外大声が出てしまったらしく、既に作業中の青松丸やサカイ先輩が一瞬こちらに視線を向けた。
ばつが悪くなった源吾郎は、視線を落としつつ言い添えた。
「確かに、毎週二回くらい米田さんに会えたら嬉しいよ。だけど、それこそ米田さんはお忙しいから……この間の週末は、叔父の事務所の手伝いをしたり、末の兄のアトリエに遊びに行ったりしたんだ」
源吾郎は素直に、この間の週末何をしていたのか雪羽に白状した。雪羽も源吾郎の話に興味を持ってくれた。特に庄三郎が、新たに出来たアトリエで作品を出展すると言うと、顔を出したいと言ったのだ。
これは源吾郎の兄だからと気兼ねしている訳ではない事は、源吾郎も十二分に解っていた。雪羽は芸術や美術を愛好する気質の持ち主なのだ。
ともあれお客さんが多ければ、庄三郎兄様もそれなりに喜ぶだろうな。そう思いながら、源吾郎は話を続ける。
「あとさ、叔父から『街中にいる野良妖怪たちの挙動にきな臭いものがあるから、十分注意するように』と言われたかな。吉前町はのどかな所だから、繁華街とか歓楽街とは勝手が違うかもしれないけれどね」
「叔父って言うのは、苅藻さんの事だよな!」
「あ、うん。そうだけど」
食い気味に問う雪羽に驚きつつも、源吾郎は頷いた。源吾郎には苅藻以外にも叔父が何名かいる。しかし苅藻以外の叔父たちとは交流が殆ど無かったのだ。
さて雪羽に意識を戻すと、彼は興奮のために目を血走らせ頬を赤く染めながら言葉を続けた。
「苅藻さんならこの間の土曜日に会ったばかりなんだよ。というか、先輩の言うきな臭い動きとやらも目の当たりにした所だぜ。いや……あれはまだきな臭い動きというほどじゃあなかったかもしれないけどな」
「何だって」
今度は源吾郎が驚いて目を丸くする番だった。いかな雪羽と言えども、まさかきな臭い動きとやらにピンポイントで目の当たりにしていたとは。
驚く源吾郎に対し、雪羽は事のあらましを語ってくれた。土曜日にオトモダチ連中と共にゲームセンターで遊んでいたところ、店に難癖をつけるチンピラが現れたのだという。
ところがそのチンピラは、後で入店してきた男妖怪に諭され、そのまま彼に屈服し大人しくなったのだそうだ。
ちなみに叔父の苅藻が雪羽の話に出てきたのは、チンピラ男が店に難癖をつけているのを見たラス子が、助けを求めて連絡したためだった。
「それはまぁ大変な事に巻き込まれたんだね」
話を聞き終えてから、源吾郎は嘆息と共に告げた。雪羽は笑顔だったが、取り繕ったような笑みに見えた。
「言うて俺やオトモダチは直接被害に遭った訳じゃあないから大丈夫だよ。しかし、島崎先輩はその場に居合わせなくて良かったかもね。先輩は怖がりだから、チンピラが店員をどやしつけている所を見たら、びっくりしちまうだろうからさ」
「まぁな」
雪羽の言葉はいくらか不躾でざっくばらんなものだったが、源吾郎は素直に頷いた。怖がりだと言われても事実だからそれほど腹は立たない。何よりチンピラ騒動の話は、顛末も含めて気になる所がいくつもある。
「それよりも雷園寺君。さっきの騒動については萩尾丸先輩とか三國さんもご存じなのかい?」
「うん。苅藻さんが後で連絡してくれたんだ。オトモダチは野良妖怪だから良いとして、俺は叔父貴だけじゃあなくて萩尾丸さんの許で厄介になっているからね。苅藻さんも、俺の事は気にかけて下さっているんだ。
ああ、もしかして、俺がそんな事を言ったら、やきもち妬いちゃいますかね?」
「いや別に。叔父上がよその妖を可愛がるのは俺も知ってるし」
雪羽の言葉にはからかうようなニュアンスが僅かに漂っていたが、源吾郎は特に気にしなかった。口にした通り、苅藻が身内ではない若妖怪を可愛がり、気にかけるのは特段珍しい話ではないためだ。
しかも相手は三國の甥にして、萩尾丸の許で厄介になっている雪羽だ。個妖的にも、苅藻は三國の事を弟分と見做している。更には若いころ、叔母のいちか共々萩尾丸に指南を受けた身分である。であれば雪羽が遭遇した出来事について彼の保護者たちに連絡するのは、ごく自然な事だった。
「だがそれにしても、けったいな話だよな」
「けったいな話って、何処が?」
叔父の事を脇に置き、事件のあらましについて源吾郎は今一度感想を述べた。雪羽は不思議そうな表情で問いかけてきた。
「何というかさ、チンピラにしてもチンピラを大人しくさせた妖怪にしても、やろうとしている事がぼんやりしているように思えたんだ」
「やろうとしている事がぼんやりしているって、どういう事?」
雪羽はなおも問いを重ねる。勘の鋭い彼であるが、流石に先程の源吾郎の言葉は、それこそぼんやりとした代物だったのだろう。
源吾郎は少し考えを巡らせ、言葉を紡いだ。
「そもそも論だけどさ、何でチンピラはゲームセンターの店員にケチをつけて、しかも暴れたりしたんだろうって思ってるんだ」
「何でって、そりゃあチンピラも気に入らない事があって、暴れたいと思ったからだろう」
気に入らないから恫喝し、暴れたかったから暴れた。それをさも当然の事であるかのように、雪羽は言ってのけた。ぎょっとして瞠目するばかりの源吾郎を見やりつつ、雪羽は言葉を続ける。
「島崎先輩。妖が何かをするときに、何か考えとか理由があるんだろうかって、理屈っぽく考えすぎっすよ。思い付きとか、単なる衝動で動くってだけの妖も、世間には結構多いんですから。俺だって、衝動に身を任せているから、結構刹那的な生き方をしているわけだし」
「……そう言えばそうだったな」
笑みを浮かべながら語る雪羽に対し、不本意ながらも源吾郎は納得してしまった。宮坂京子に絡む雪羽の姿は、確かに衝動に身を任せていたと言っても過言ではない。
「チンピラと言えば、そいつの挙動でもう一つ気になる事があるんだよ」
源吾郎は一呼吸置くと、チンピラがあっさり妖怪男に屈服した事に対しても疑問を抱いていると告げた。
「雷園寺君。君はさっき、妖怪たちの中には、刹那的な衝動でもって暴れたり、欲望を満たそうとしたりする輩がいるって教えてくれたよね。そういう手合いがさ、暴れるなと言って大人しく言う事を聞いて屈服してしまう事ってあり得るのかな。そういうやつの場合、却って食って掛かると思うんだけど」
源吾郎の問いに、雪羽はすぐには応じなかった。少しの間思案するそぶりを見せてから、ゆっくりと口を開く。
「それは状況によるかな。先輩の仰る通り、気の向くままに暴れるやつだったら、見知らぬ誰かがやって来て『暴れるのはやめたまえ』と言ったとしても、大人しく頷きはしないよ。
だけど……相手が強くて恐ろしげだったら話は別さ。そういう時は素直に平伏する可能性もあるだろうね」
「チンピラを大人しくさせた相手は強そうだったのかい?」
「強いというか、何か得体の知れない雰囲気の持ち主だったかな」
質問を重ねると、雪羽は考え込む素振りを見せてから頷いた。
「思い出したよ。そいつは細い棒というか杖みたいなのをチンピラに突き付けたんだ。そうしたら、急に戦意喪失しちゃったんだよな」
「それじゃあ妖術か何かで相手を従えたって事か」
源吾郎が言うと、雪羽は驚いたように目を丸くしていた。そんな事は思いつかなかったと言わんばかりの表情だった。源吾郎だって、妖術で相手を洗脳するとかそうした事はあまり考えない。紅藤や萩尾丸が、そうした術を忌み嫌い、使う事を禁じているからなのかもしれない。
それにしても、相手を操る術を使うなんて、一体どんな存在なのだろうか。
あれこれと思案し始めていた源吾郎だったが、近くを通りかかった青松丸に呼びかけられ、はっと我に返った。
気になる出来事を聞かされたと言えども、源吾郎は今研究センターにいる。であれば、業務に専念しなければならないのは明らかな事だった。
今年最後の投稿になります。
皆様良いお年を。