冥府の化鳥と連結意識
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世界は欺瞞と自分以外の死で彩られている。平沓丸《ひらくつまる》はそう思いながら常々生きてきた。
きっとそれは、彼の種族によるものなのかもしれない。彼はホトトギスが変じた妖怪だった。化けホトトギスたる平沓丸がこの世に欺瞞と死を見出すのは、死者の魂を冥府に運ぶという伝承によるもの――ではない。
単純に、ホトトギスが托卵する性質を持ち合わせているためだ。彼らは近縁種であるカッコウやツツドリなどと同じく、他の鳥の巣に卵を産み付け、ヒナを育てさせる。元の巣の卵やヒナをことごとく押し出してからだ。
平沓丸自身は、その時の記憶を持っている訳ではない。しかし畜生道に棲まう畜生のごとき浅ましさは、彼の細胞一つ一つに刻まれていた。それゆえの考えである。
だが彼が、他のホトトギスと異なっていた点はある。托卵された先が、夜鷹だったという事だ。ただの夜鷹ではない。大いなる化鳥・八頭怪に仕える一族の夜鷹に、彼は育てられたのだ。
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「ふーん。アホ……いや芳芭丸《ほおばまる》の上官殿も、あのおぞましい戦場を生き延びて、ついで忌々しい敵の手に落ちる事なく今の今まで悠々自適な暮らしが出来ていたって事なんすね」
「ま、まぁ、端的に言えばそうなるのかな」
十二月初頭。寒々とした景色が広がるこの場所に、平沓丸は夜鷹の芳芭丸を呼び寄せた。
寒々とした光景が広がっているように感じるのは、何も冬だからではない。平沓丸たちは知っていた。ここは強大な力と邪悪な心根を持つ鳥妖怪の女が、屋敷を構えて暮らしていた事を。
しかしそれも過去の話だ。今年の春に起きた妖怪同士の戦争によって、屋敷は悉く破壊しつくされた。屋敷にいた女あるじとその子女たち、そして食客である八頭怪たちの安否も定かではない。敵は八頭怪たちを次元の彼方に封じたという事だが、とっくにくたばっているのではないかと平沓丸は思っている。
かつて八頭怪に仕えていた平沓丸たちにしてみれば、この場所は単なる更地などでは無かった。芳芭丸に至っては、涙をこらえながら周囲を見渡しているではないか。八頭怪に揺るがぬ忠義を抱いていた彼らしい事だ。理解こそすれ共感する事などないが。
「しかしね、悠々自適な暮らしとは言い難いよ。何せ八頭怪様は今となっては大罪妖《たいざいにん》扱いだ。あのお方に仕えていたという事が解ったら、とんでもない目に遭ってしまうからね。最悪、殺される可能性だってあるんだ」
芳芭丸は、物憂げな眼差しで告げた。平沓丸にとっては解りきった話だった。八頭怪の軍勢が負け戦である事が解ってからというもの、付き従っていた鳥妖怪共は散り散りになったのだから。その大半は、八頭怪の配下だった事はおろか、そんな輩は知らぬ存ぜぬと言った塩梅で過ごしている。平沓丸もその一羽だ。
表情を歪め、芳芭丸は言葉を続けた。
「……いや、殺される事は別に構わない。僕が真に辛いのは、自分の気持ちを、八頭怪様への忠義を、押し隠して生きないといけないって事さ」
「……芳芭丸殿は俺たちの上官だったもんな。そりゃあ辛いだろうな」
愚かだ。この男はとんでもなく愚かしい鳥頭ではないか。殊勝な表情を浮かべつつ、腹の底で芳芭丸を嘲笑する。芳芭丸はしかし、平沓丸の本心に気付いていないようだ。愚かである事に加え、八頭怪の事に思いを馳せているからなのだろう。
八頭怪様……今この次元にいないはずの主君に、芳芭丸は呼びかけてすらいる。はぐれた幼子が、親を求めて呼びかけるような声のようだと、平沓丸は思ってしまった。
「ああ、だけどね平沓丸さん。僕は信じている。八頭怪様が、あの大いなる邪神の御子と共にこちらに舞い戻る日が必ず来るとね。その希望に縋って、今の僕は生きているような物なんだ」
顔を上げた芳芭丸は、真っすぐ平沓丸を見つめている。黒目がやけに目立つのは、ガラス玉みたいな瞳を持つ夜鷹だからだろう。それはまぁ良い。芳芭丸の大きな瞳には、狂信の色がありありと浮かんでいた。誰に対しての狂信か? それは勿論八頭怪に対してである。
道ヲ開ケル者とその係累。それ以外の者をことごとく下賤な畜生と見下すようなおぞましき化鳥の事を――芳芭丸は全身全霊を以て崇拝しているのだ。狂信者と呼ばずして何と呼べば良いというのか。
しかしだからこそ――付け入る隙があると言っても過言ではない。
端的に言おう。平沓丸は、芳芭丸を殺すために彼をここに誘い出したのだ。芳芭丸は危険視されていた。並の妖怪とは言い難い力を持ち、尚且つ八頭怪を崇拝しているのだから。もはや八頭怪が逆賊と見做されている妖怪社会では、八頭怪に与する者は討伐対象にすらなっている。
その事が解っているから、先の戦争で生き残った者たちの殆どは、八頭怪への忠義をかなぐり捨て、野良妖怪として糊口をしのいでいるのだ。中には、八頭怪に仕えていた事を逆手に取り、かつての仲間を屠る者もいる。平沓丸がまさにその一羽だった。
罪悪感など無かった。元より互いに強固な仲間意識を抱いた訳でもない。そもそも八頭怪に忠誠を誓うつもりなどさらさらなかった。ただただ、養父母やその係累が八頭怪に付き従い、彼に利用されていたから、それに従っただけに過ぎない。八頭怪を敵に回せば恐ろしい事だけは、解っていたのだから。
だが今は、その八頭怪もこの世にはいない。自由になったのだ。なれば八頭怪に仕えていた「仲間」に遠慮する義理などない。むしろ彼らは、平沓丸の妖生の汚点であるとすら思えていた。
「芳芭丸殿。あんたの八頭怪サマへの忠誠心、俺にも嫌と言うほど伝わったよ。そんなに忠誠を誓っているというのなら、地獄に逝けば――」
「八頭怪様が地獄にいらっしゃるだと? 戯言を」
芳芭丸の動きは、平沓丸の予想よりも早かった。平沓丸が攻撃するよりも、いや「地獄に逝けば会えるだろう」と言い切るよりも前に、反撃に転じたのだから。
口早に冒涜的な呪文を唱え、火球を二、三個発生させる。中心部には禽獣の頭骨や腐りかけた頭部が見え隠れしている。単なる火球では無かった。
かつて生命を奪った者の魂を火球として操り、敵にけしかける。魂を吸い取る夜鷹らしい術だった。
「畜生! いつ俺の本心に気付――」
またしても、平沓丸の言葉が途切れる。火球はそのまま平沓丸を覆いつくし、燃やし尽くしてしまったのだ。中心部にある頭部は、浅ましくも平沓丸の肉を齧り、骨を砕かんとしている。平沓丸が焼き尽くされるまでに、数秒ほどしかかからなかった。
僅かな憐れみと悲しみの入り混じった眼差しでもって、芳芭丸は告げる。
「生憎と、僕は数秒後の未来を見定める事が出来るんだ。普段はあの鋭角のイヌ共が厄介だから、あまり使わないんだけどね」
芳芭丸の視線は、もはや焼け落ちた残骸には向けられていなかった。射抜くような眼差しで言葉を続ける。
「隠れてないで姿を現したらどうだい? 平沓丸。僕とて先の一撃で、君を仕留めたなんて思っていない」
「やっぱり気付いちまったか」
景色が揺らぎ、そこから平沓丸が姿を現す。全くの無傷だ。それもそのはず。彼自身は火球に襲われたのではないのだから。
それでは火球が襲ったのは何か。平沓丸の替え玉だ。火球にけしかけられた刹那、自分のいた場所に幻術の分身を作り、本体は身を隠していたのだ。芳芭丸には見抜かれていたようだが。
「言っただろう。八頭怪様にお仕えしていた僕たちは、それ故に生命を狙われているとね。僕を殺そうとした輩は、何も君が初めてじゃあない。狐も狸も鶏も兎も、僕を殺そうと狙って来た。その度に撃退したり返り討ちにしたりしているんだ」
芳芭丸は真っすぐこちらを睨む。敵意に満ち満ちた、鋭い眼差しだ。
「……良いか。たとえかつての仲間だとしても、僕はもう容赦しない」
抜かせ。芳芭丸の言葉を、平沓丸はせせら笑う。
「俺は初めから、お前らの事なんぞ仲間だと思っていない。それにな、俺はお前などに殺されはしない。絶対にな」
芳芭丸の顔に、戸惑いの色が浮かぶ。平沓丸はその隙を見逃さなかった。
平沓丸の幻影が燃やされてから十数分後。化鳥同士の闘いは終わりつつあった。どちらも傷だらけで、周囲には血と羽毛が飛び散っている。一方は二本の足で立ち肩で息をしている。もう一方は立つ事もままならず、這いつくばっていた。
立っている方が平沓丸で、這いつくばっているのは芳芭丸だ。
「……勝負、あった、な」
「おのれ……八頭怪、様……」
平沓丸は喘ぐように言葉を絞り出し、そのまま血混じりの唾を吐き捨てる。芳芭丸は恨み言を漏らしつつも、それでもなお八頭怪の名を呼んでいた。しかもよく見れば、ぎくしゃくと手足を動かしながら、平沓丸から距離を取ろうとしてすらいた。
生き汚い。実に生き汚い姿ではないか。平沓丸は一歩前に進んだ。芳芭丸を屠るために。強かったから、中々に骨の折れる作業だったと思いながら。
芳芭丸もまた、迫る平沓丸に気付き、どうにか後ずさった。無駄な事をと平沓丸は笑う。もはや満身創痍の身で、半歩ほど逃げたとしてもどうにもならぬだろう。今回は俺の勝ち戦なのだから。
隠し持っていた短剣の鞘を抜き、振り下ろした。芳芭丸の首に突き刺すために。
平沓丸の動きは、しかし中ほどで止まった。芳芭丸の妖気が、雰囲気そのものが塗り替えられたのだ。妖怪とは思えぬほどに禍々しいその気配は、しかし平沓丸もよく知っている物だった。それは八頭怪の気配だったのだから。
芳芭丸は顔を上げ、半身を起こして胡坐をかいた。満身創痍とは思えぬほどに滑らかな動きだ。ついでに言えば傷も癒えているようだった。
「――はは、ははは。意識連結の方は問題ないみたいだね。まぁこれも、この子がボクの魔導符に触れてくれたからなんだけどね。僥倖、僥倖」
ケラケラと笑うその姿は、もはや芳芭丸などでは無かった。別の存在が、芳芭丸の肉体を乗っ取って、操っている事は明らかだ。そしてその操っている存在は、他ならぬ八頭怪だったのだ。
「八頭怪様、まさか……」
平沓丸は目を瞠り、芳芭丸だったものを凝視する。そいつはニタリと笑った。
「そうだとも。ボクとイルマ君はすぐにはこっちに戻って来れそうにないけれど、でも元気にやってるから安心してよね。しかも今回は、意識を連結できる器も見つけ出せたんだからさぁ……」
ただの夜鷹だと思っていたら、八頭怪の意識を受信する依り代になってしまったのか。平沓丸はもはや、芳芭丸を殺そうなどと言う意識をかなぐり捨てていた。
ただただ、目の前の男の怒りを買ってはならない。許しを請うしかない。そんな考えしか浮かばなかった。
そうしていると、八頭怪は少し残念そうな表情を見せた。
「ああだけど、ボクもこの器を長時間使ってもいられないみたいなんだよね。今はちょっと耐久力が落ちているみたいだし。でも、また少ししたら戻って来れるから。それじゃあね」
気軽な声と共に、禍々しい気配が霧散した。芳芭丸本体の意識もぼんやりとしたものなのだろう。彼はしばし、呆けたような表情を見せていた。
数秒ほどで意識が戻ったらしい。芳芭丸が平沓丸の顔を見た。既に敵意は無い。それどころか恍惚とした表情すら浮かべていた。
平沓丸。甘ったるい声で彼が呼びかける。
「君は……君は八頭怪様のお声を聴いたんだよね。僕も解るよ。少し意識がぼんやりとしているけれど、でも確かに、あのお方の意識が、僕の身体に宿ってくださったんだから」
「ああ、うん。聞いたさ。八頭怪様のお声を、俺ははっきりと耳にしたよ」
平沓丸はそのまま、平伏し芳芭丸に忠義を誓う事を宣言した。もっとも、八頭怪や芳芭丸に対して抱いているのは、無尽蔵の忠誠心ではなく、底なしの恐怖心だったけれども。
彼はそれから、芳芭丸を屠るように依頼した連中を始末する算段について考え始めていた。欺瞞と騙し合いに身を置いている彼であるから、裏切る事に対して、精神的抵抗など何一つ持ち合わせていないのだ。
かくして、八頭怪の残党たちは動き出す。