雷獣少年、狐芝居に思いを馳せる
「はい、はい。畏まりましたぁ。それでは、明日の面接は楽しみにしておりますね。お忙しい所ありがとうございました」
令和五年、四月某日。
研究センターの事務所内に響くその声は、いわゆる黄色い声と呼んでも遜色のない代物だった。
今やセンターの正式な研究員として立ち働く雷園寺雪羽は、声がした方角をちらと見やり、それからため息をついた。電話についてとやかく言うつもりはない。こちらも仕事をしているが、向こうも向こうでれっきとした仕事なのだから。
雪羽がため息をついたのは、電話の主の姿によるものだった。
古月蓉子《ふるつき・ようこ》という名の通り(?)電話の主は少女の姿を取っていた。宮坂京子とは何処となく似通っているが、宮坂京子よりも垢抜けていて、ほんの少し狡猾そうで、やや派手な見た目の娘である。古月蓉子のパーソナリティから逆算して考えた姿だという事であるが、いずれにしても細かく緻密に考えたものだ。
と、古月蓉子がこちらに視線を向けた。まじまじと見つめていた事に気付いたらしい。目を合わせ、悪戯っぽい笑みを浮かべたかと思うと、その姿が一瞬にして変質した。垢抜けた少女の姿から、見慣れた青年の姿に戻ったのだ。のっぺりとした、穏和でお人好しそうな面立ち。多少の抜け目なさを感じさせる琥珀色の瞳。ややずんぐりとした身体つきに白金の四尾。雪羽のよく見知った姿だ。
青年の名は島崎源吾郎と言う。人間の血を多分に受け継ぐ半妖狐だが、先祖の影響か個人的な才能の為なのか、変化術を得意としていた。
先程までキャピキャピと電話をしていた古月蓉子と言うのも、他ならぬ源吾郎が変化した姿だったのだ。
「お、どうしたんだい雷園寺君」
先程まで使っていたスマホ――個人用ではなく、仕事用の物だった――をぎこちなく白衣のポケットに収めると、源吾郎は雪羽の許に近付いてきた。二、三歩ほどの場所で立ち止まり、雪羽の顔と彼のデスク周りとを交互に見やっている。
「君ってば仕事の最中だって言うのに、俺の姿を盗み見ていたんだな。もしかして、古月蓉子ちゃんの姿にメロメロになっちゃったとか?」
「何言うてんねん」
ニヤニヤ笑いを浮かべながら問いかける源吾郎に対し、雪羽は鋭いツッコミで応じてやった。基本的には真面目な源吾郎であるが、時々茶目っ気たっぷりの言動を見せる事もある。出会って間がない頃よりもその頻度が増えているのは、彼も社会妖《しゃかいじん》としての立ち振る舞いが馴染んできたからなのかもしれない。
もっとも、女子変化に熱意を見せる態度自体は、今も昔も大差ないように思えるが。
今一度ため息をつきつつ、雪羽は言葉を続ける。
「それにしても島崎先輩。潜入先に電話をする時点で、女の子に変化する必要なんてあったんですかね。そりゃあ確かに、潜入捜査をする段階では、女の子に変化して工作活動をするんだろうけどさ」
「昔から、神は細部に宿るというじゃないか」
源吾郎はと言うと、何処か得意気な表情でもって雪羽の言葉を受け止めた。
「この言葉はね、どんな事柄にも当てはまるんだよ。演劇にも変化術にも、ね。そりゃあもちろん、俺だって変化せずに女の人みたいな高い声は出せるよ。しかし見た目が男のままだったら、気分的にも男のままだから、相手に不自然だと思われてしまうかもしれないんだ」
とうとうと語る源吾郎を前に、雪羽はただ黙り込むほかなかった。言いたい事はたくさんあるのだが、ツッコミどころが多すぎて却って何も言えない状態だった。
「……つまるところ、島崎先輩は女子変化をやりたいってだけだよな。先輩ってば女子変化が大好きで、隙あらば京子ちゃんとか女の子に変化するんだからさ」
「いやいや雷園寺君。その言い方じゃあ俺がのべつまくなし女の子に変化しているみたいじゃあないか。多い時でもせいぜい月に三回くらいだから、めちゃくちゃ多い訳でもないぞ」
「それでも多いだろうに」
雪羽と源吾郎はしばしの間、笑い声を交えつつツッコミの応酬を行っていた。
とはいえ、ずっとじゃれ合うように話し合っていた訳でもない。笑い声が大きすぎたためか、サカイ先輩や青松丸から窺うような眼差しを向けられてしまったし。
雪羽は一度咳払いすると、声のトーンを落として問いかけた。
「……冗談はこれくらいにしておくよ。それにしても、島崎先輩も成長したなぁって思うっすよ。なんせガールズバーの潜入捜査を買って出るんだからさ。昔の島崎先輩なら、そんな仕事なんて……とかって言いだしそうだったのに」
「仕事に貴賎なしって昔から言うもんだぜ」
先程とは打って変わり、源吾郎は口早に告げる。照れたような表情を浮かべ、視線は雪羽から逸れている。慣れていると言えども、やはり彼なりに思う所があるのだろう。
「それに今回の案件で……今回俺が潜入するガールズバーでさ、合法か違法かすれすれの事をやらされている女の子とか、それで困っている女の子とかいるんだぜ。そう言う事を見て見ぬふりしたら、男が廃るってもんだぜ」
「お、おう……」
それならば敢えて女の子に変化せずとも、黒服として潜入しても構わないのではなかろうか。改めて雪羽は思ったが、敢えて口にはしなかった。話が堂々巡りになるのは解っていたからだ。確かに、源吾郎は穏和な気質の青年ではある。しかし女子変化の話になると豹変し、熱を帯びた調子で説得しにかかるのだ。その熱意たるや、雪羽もうっかり女子変化に手を染めてしまうほどである。
更に言えば、今回のガールズバーの案件には、言うまでもなく妖怪も絡んでいた。経営者の男が若い妖怪ないし半妖であるそうだ。しかも種族的にも、女に興味を持つ存在であるというし。
「だがまぁ考えてみれば、相手も妖怪だもんな。黒服とかで入るよりも、女の子に化けて潜入した方が、相手の目論見とか思惑を掴むのには有利になるのか……バレなければの話だけど」
「はっはっは。凡夫には俺の変化と演技力は見抜けまい。雷園寺君だって、俺が変化した宮坂京子の事を、本物の狐娘だと思い込んでいたみたいだしさ」
機嫌よく語る源吾郎に対し、雪羽はまたも言葉を失った。呆れたからではない。気まずく、気恥ずかしい事を思い返してしまったからだ。雪羽の心中に関しては、源吾郎も解っているはずだ。いや、解っているからこそ敢えて言ったのだろう。もう六年前の出来事だというのに。
「……まぁ取り敢えず、島崎先輩が無事に潜入捜査を終える事を祈っておくよ。先輩の身に何かあったら、米田の姐さんも悲しむだろうからさ」
雪羽の口から出てきたのは、月並みな言葉だけだった。やはり頭の中には、様々な感情や考えが渦巻いている。高い能力を持つ源吾郎への末恐ろしさも、女子変化に拘泥する事への呆れも、何事もなく任務を終えて欲しいという願望すらも。
源吾郎はそれでも、毒気を抜かれたような表情を見せた。きっと雪羽が、米田さんの名を口にしたからだろう。
「ありがとうな雷園寺君。ははは、俺も幸せ者だなぁ。玲香さんだけじゃあなくて、雷園寺君からも心配してもらっているんだから」
そうして笑いながら、雪羽と共に米田さんの名を口にした。源吾郎と米田さんが交際を始めて、既に五年の歳月が流れていた。付き合いだした頃のように、米田さんだの島崎君だのと呼び合う時期はとうに過ぎているようだ。
源吾郎の幸せそうな笑顔に、雪羽も目を細める。信頼している友達が幸せを噛み締めている姿は、雪羽としても喜ばしい。だがそれでも、仄かな寂しさや虚しさが、彼の胸に去来してしまうのだった。
それはきっと、源吾郎が自分よりも早く大人になっている事を思い知らされるからなのかもしれなかった。