用心棒たちとの会合は、三十分ほどで終わった。
もはや平行線をたどる事のない話し合いと言う名の恫喝は、しかし悟の心に大きな負担をもたらすだけだった。
げっそりとため息をつく悟とは対照的に、用心棒たちは明るく晴れやかな笑みを浮かべている。猿山の猿のようにも、威嚇する猛獣のようにも用心棒たちの姿は見えた。
「それじゃあ、色よい返事を待ってますぜ、エテ公の兄さん」
「おいおい、エテ公なんて言い方はよせよ。せめてマシラの悟さんって呼んでやらないと」
ひとに対してエテ公とは何という言い草だ。それに俺はマシラの悟じゃなくて升田悟だ。頭の中ではそんな事を思いつつも、相手に言い返す気力など無かった。
それに悟は玃猿の血を引いている。その事を踏まえれば、エテ公だの猿《マシラ》の悟と呼ばれるのも、あながち間違いでも何でもない。
悟が自分の店で抱えている女の子たちを、何人か自分たちの店に斡旋してほしい。その方が彼女らもより多く稼げるし、自分たちにとっても利益になるではないか。悟だってずっとお世話になっている事への恩返しになる。悪い事は無い。三方よしでは無いか。
会合での用心棒たちの主張は、およそこのような物である。何度も女の子の斡旋を打診されていたが、悟はその度に突っぱねていた。用心棒たちが斡旋しようとしている店は、いずれも水商売絡みの店だったからだ。
女の子たちもうちの店で働く事で満足している――毎度悟はそう言っていたのだが、これは建前だった。玃猿たる悟にしてみれば、自分の女になるであろう女の子たちが、他の男との間に肉体的接触が起きてしまう事を許容できないだけだった。悟の父は、母が悟たちを産んだ後に他の男との子供(悟にとっては異父弟に当たる)を産んではいるものの、その事については特に気にしていない。だが若い悟はそうもいかなかった。
いずれにせよ、今まではどうにか突っぱねる事に成功していた。玃猿の血ゆえか、悟は今や精悍な大の男の姿である。喧嘩が得意と言う訳ではないが、相手を威嚇し、委縮させる術は心得ている。流石にゴリラよろしくドラミングする事は無かったが。
だが今回は違った。「エテ公が調子に乗ってやがる」と、用心棒の誰かが笑いながら告げた。その直後、用心棒が連れていたメンバーたちが、人間では無い事を悟は知った。直立したイタチや犬といった、半獣の姿を、連中は晒したのだ。
ショックで言葉も出ない悟の隣を、鋭い烈風が通り過ぎた。化けイタチの右前足が、鋭い刃物のような形状に変質していた。
――升田さんよぉ。あんた、玃猿とかいうエテ公の血を引いているんですってねぇ。へへへ、女の子に執着するのはそのせいですか。
――だったら何だって言うんですか。
――異形の血を引いて、特別な力を持っているのが自分
半獣に取り囲まれ、おのれの正体を暴かれてからは、悟はただただ恐怖と緊張に打ち震える他なかった。だったら女の子を斡旋してくれるよな? 折角だから撮影もやりたいし。用心棒たちの言葉に悟は力なく頷き、彼らは満足しながら去っていったのだ。悟の事を、エテ公だのマシラだのと言いながら。
「ああ、くそ……」
ため息と共に悪態を零し、悟は頭を掻きむしった。彼の心中は錯綜していた。女の子を人身御供よろしく差し出さなければならない事に腹を立てていた。
憤慨しつつも、一方で彼らに表立って逆らおうとも思えなかった。異形の獣を目の当たりにした恐怖とショックが、悟の心を硬直させていた。自分も人外になるのだろうし、人外である父親に会った事はある。しかしあの化けイタチと化け犬は、文字通り異形そのものだった。
本当に、あんな異形の化け物がこの世に存在するとは――悟はただ怯える事しかできなかった。化けイタチなどは、刃と化した右前足を振るって、遠く離れた花瓶を両断すらしたのだ。お前の手足、場合によっては首であっても、同じ事が出来ると言わんばかりに。
悟の脳内で、様々な考えが浮かんでは消えていく。何故こんな事になったのかと言う疑問。目の当たりにした異形たちへの恐怖。今の状況を打開しなければならないという焦燥感。
あれこれ考えているうちに、悟の頭に一人の少女の姿が浮かんだ。古月蓉子。先程採用したばかりの女狐めいた娘。あいつを差し出せば良いのではないか。
気が付けば、悟は会心の笑みすら浮かべていた。用心棒に差し出す女の子として、古月蓉子がうってつけであるように思えたのだ。女に執着してしまう性質を持つ玃猿であるが、数時間前に出会ったばかりの女に対しては、流石にそうでもない。
ましてや、古月蓉子は何処か胡散臭い気配すら漂っているのだ。それこそ、本当に女狐ではないかと思わしめるような物だ。
それに考えてみれば、新入りの娘を別の店にあてがう方が好都合だった。ずっとシルバーコングで働いている娘ならば、この店や悟のやり方をよく知っている。騙されるのではないかと警戒するだろうし、後腐れも出来てしまう。新入りであれば、上手く丸め込めば別の店への出張云々も、ずっといる娘よりも疑問視しないだろう。
頭の中で考えがまとまっていくのを感じた。悟はポケットからスマホを取り出し、操作を始める。連絡相手は、先程まで会合を行っていた用心棒たちだ。
※
午後十一時過ぎ。やや中途半端な時間であるが、悟は蓉子と共に店を後にしていた。ガールズバーはまだまだ営業中であるが、蓉子は早めに上がらせた。元より彼女は初日であり、今日はまだ体験入店の段階である。ガールズバーの勤務経験もこれが初めてという事だから、あんまり働かせすぎるのも考え物だと思ったのだ。
更に言えば、悟も住んでいる社宅に馴染むかどうかも、見なければならなかったのだから。
「……そう言えば、オーナーも他のスタッフの皆さんも、こちらにお住まいなんですね」
ちんまりとしたマンションを見上げ、蓉子が呟く。悟は一度頷いたが、彼女を安心させるべく言葉を紡いだ。
「まぁ、このマンションに住むのは強制では無いんだ。別の所に部屋を借りて、そこからシルバーコングに出勤している子もいるよ。俺としては、みんなで一緒に暮らしていた方が、家事とか料理とか掃除とか分担できるから、都合が良いかなって思ったんだけどね」
蓉子の様子を窺いながら、悟は言葉を続ける。
「そんな訳だから、共同生活が苦手なら無理に一緒に住めとは言わないよ」
「いえ」
ある程度気遣った悟の言葉に対し、蓉子は決然とした口調で応じた。
「社宅の事は存じていましたので、私もここで暮らしたいと思っています。荷物は……新生活に必要な物は、一応鞄にひとまとめにしていますから」
言いながら、蓉子は肩に提げていた鞄をそっと撫でた。修学旅行に出向く中学生が持つ鞄ほどのサイズである。服の替えや日用品などの類は、抜け目なく準備しているであろう事は明らかだ。
ただ……蓉子は物憂げな眼差しを悟に向けつつ告げた。
「可能ならば、個室で寝起きしたいと思っているんです。お風呂とかも……いえ、お風呂は近くの銭湯で済ませますので」
七面倒な事を言いやがる。営業スマイルの裏で、悟は思わず毒づいた。そんな事を思っているのならば、初めからルームシェアなどしようと思わなければ良いのではないか。
そんな事を思っている間にも、蓉子は主張を続けた。
「ええ、ええ。面倒臭い事を申してしまってすみません。ですが私、持ち合わせも無いんです。元々舞台演劇の合間にアルバイトで食いつないでいて、その稼ぎも恋人に管理されていたので……だから他に部屋を借りる事も出来ないんです」
「まぁまぁ。そう言う込み入った話は、中に入ってからしようか」
蓉子をなだめつつ、マンションの中へと二人で入った。何だかんだ言いつつも、彼女をこのマンションに住まわせる事になるだろうな。気弱そうな蓉子の横顔を眺めながら、悟はぼんやりと思った。彼氏に生活を支配され、進退窮まる娘など珍しくも何ともない。マンションとガールズバーを得るためにキャバレーで黒服として働いていた時から、そんな身の上の娘を何人も見てきた。
「部屋が無いというのなら、私は犬小屋でも構いません」
「犬小屋でも構わないって、そんな事を言うもんじゃあないよ。そもそも俺たちは犬なんて飼ってないよ。ウサギはいるけれど」
物憂げだった蓉子の表情が、ぱっと華やいだ。ウサギという言葉に反応した事は明白である。さほど珍しくない話だ。女の子の中には、フワフワした生き物を可愛く思い、こよなく愛する者がいるのだ。
もっとも、件のウサギは、女の子たちを繋ぎとめるために飼っているものでは無いのだが。
ドアを開けると、果たしてそのウサギが玄関先に鎮座していた。飼育小屋で見かけるウサギと大差ない大きさである。但し淡いクリーム色の毛並みと、ブドウ色の賢そうな瞳は、普通のウサギとは違っていた。
「ああ、マカロン。また勝手に出てきたんだな」
呼びかけるも、ウサギのマカロンは目を細めるだけだった。賢そうに見えると言っても所詮はウサギ。人間(悟は厳密な人間ではないが)の言葉は流石に理解していないのだろう。
「この子、マカロンって言うんですね」
蓉子はウサギに興味津々だった。悟は簡単に、マカロンの説明をしてやった。元々野良ウサギで、マンションの敷地周辺をうろついていたのだ。女の子の一人が捕獲して以来、このマンションの住兎《じゅうにん》となったのだ。
マカロンは悟たちにある程度懐いている。危害を加える存在ではないと理解しているようだった。ただ……ゲージに入れていても勝手に抜け出して、マンションの中を闊歩するのが玉に瑕なのだが。
「全く……何だってお前は勝手に外に出るんだ」
言いながら、悟はマカロンを抱え上げた。耳を前方に倒すも、大人しいものだ。悟はふと思い、マカロンを蓉子の方に近付けた。蓉子はウサギに興味を持っていたから、撫でたりするだろうと思っての事だ。それにマカロンも、悟や女の子たちに触れられる事には慣れていた。特に女の子などは、香水と酒の匂いをプンプンと漂わせている事すらあるというのに、だ。
「古月さん。もしよければ撫でてみるか……あっ!」
思いがけぬ事が起きた。マカロンは蓉子に近付けられるや、前歯を剥き出しにして猛然と威嚇したのだ。三キロ足らずといえども、遠慮も何もない暴れっぷりに、悟はマカロンを取り落としそうになった。ウサギは骨がもろいから、大人が抱き上げた状態から落とせば骨折の恐れもある。
仕方なく、悟はしゃがみ込んでマカロンを解放するほかなかった。憤慨したように鼻を鳴らし、マカロンは仄暗い廊下へと去っていく。
悟と蓉子は、しばし無言でそれを見つめていた。
「何かごめんね」
「良いんです。私、動物に怖がられる事が多いから……マカロンちゃんもびっくりしたんでしょう」
ウサギを物珍しそうに見ていた蓉子は、しかし物寂しげに微笑むだけだった。