古月蓉子がガールズバーのスタッフとなってから四日が経過した。
彼女は特段問題も起こさずに過ごしていた。ガールズバーのスタッフとしても、ルームシェアの一員としてもだ。当初はやれ個室が良いだの風呂は銭湯に行くだのと言っていたのだが、彼女も結局折り合いをつけて動いているらしい。まぁ、風呂は宣言通り銭湯に向かっているようだ。最寄りの銭湯はマンションから徒歩十五分かかる所なのだが、蓉子はその事については何も言わなかった。
そして、用心棒に女の子を差し出す約束の日を迎えていた。
蓉子に対して、悟は「外にもお店があって、そっちは少し人手が足りないから来て欲しい」と説明して丸め込んだ。だから今、悟は蓉子と共に車に乗って、用心棒たちが抱える事務所とスタジオに向かっているのだ。
丸め込んだという言葉を使ったが、実際には蓉子を説得する事にさほどてこずらなかった。「外の仕事」を彼女はあっさりと快諾したからだ。口を滑らせて、ちょっとした
あるいは、蓉子は舞台演劇を嗜んでいたので、撮影という言葉に飛びついてしまっただけかもしれないが。
いずれにせよ、蓉子の言動や考えは謎めいている。個室を希望したりわざわざ銭湯で入浴する事を選ぶほどに神経質なくせに、妙に浮世離れした側面も持ち合わせている。用心深いのか無防備なのかすらも解らなかった。
悟はしかし、蓉子の性格についてあれこれ考察する余裕はなかった。車を走らせて用心棒の許へ向かっているのだが、予想外の事が既に起きていた。何と瑠月が同行すると言い出したのだ。
「古月さんはまだ初心者だから、経験のある私が一緒にいた方が落ち着くでしょ」
涼しい顔でそう言われると、悟も断る事が出来なかった。瑠月はそう言う事に手慣れているのだろうか。俺に好意を示す一方で、パパ活なんぞに手を染めているのだろうか。色々な考えが浮かんでは消え、いびつなマーブル模様を描いているかのようだった。
それでも車の運転をそつなくこなし、目的地へと到着した。悟は気が重かった。別に自分が、撮影やよりしんどい仕事に従事する訳では無いというのに。
「へへへへへ。お待ちしておりましたぜ、マシラの悟さん」
「おいおい失礼だぞ。マシラじゃあなくて升田だろうがい」
出迎えてくれた用心棒たちの漫才めいた言葉をスルーしつつ、女の子を連れてきたのだと悟は説明した。あくまでも差し出すのは古月蓉子だけであり、隣にいる牛原瑠月は付き添いだと説明する事も忘れない。
「よ、よろしくお願いします……」
一通り自己紹介を終え、蓉子は頭を下げる。やはりその顔には緊張の色が滲んでいた。なだめるように瑠月が彼女の肩に手を添えた。
「まぁまぁミクちゃん。そんなに緊張しなくて良いわよ。ハジメテだから大変かもしれないけれど、シルバーコングより稼げるんだし」
瑠月の言葉に同調するかのように、用心棒の一人も声を上げる。
「ミクちゃんだっけ。ちょっと野暮な感じもするけれど、それが可愛いね。二十歳を過ぎても、こんなおぼこい感じの娘がいるなんて……」
ちなみに蓉子は二十一らしい。世間的には若い娘になるだろうが、二十歳前の娘が多く詰めるシルバーコングの中では、比較的年嵩のスタッフという事になった。瑠月だって、今年二十歳になったばかりであるし。
用心棒たちは、品定めするような眼差しを蓉子に向ける。そして思った事を無遠慮に口にしていた。
「テツ。こんな上玉を前に野暮とか言うなよ。指でも詰めるか?」
「まぁしかし、こういう娘の方が人気が出ると俺は踏んでるけどなぁ」
「全くもって兄貴の言う通りですぜ」
※
ともあれ撮影を始める事となった。撮影スタジオに連れられた蓉子は、怪訝そうに視線を走らせている。
用心深い部分もある蓉子が警戒するのも、無理からぬ事であろう。室内は白い壁が目立つ殺風景な部屋だった。椅子は無く、部屋の真ん中にダブルベッドがあるだけだ。
「ミクちゃん。立ったままって言うのも何だから、取り敢えず座りなよ」
「ええ、はい」
座ってくれと言われ、蓉子はさも当然のように床に腰を下ろそうとした。慌てて瑠月と用心棒が声を上げる。
「ちょっとミク。椅子が無いからって、何も床に直に座らなくても良いじゃない」
「そうそう。そっちのお嬢さんの言う通りさ。床になんぞ座ったら間が抜けちまうし、何より服が汚れるじゃあないか」
二人に言い含められ、今度こそ蓉子はベッドに腰を下ろした。手本とばかりに、瑠月は既にベッドに腰を下ろしている。ソファーに座るように。
蓉子は戸惑ったような、釈然としない表情を浮かべてはいた。しかし瑠月が座っているのを見て、納得しようとしているようでもあった。
一方、悟は心の中で不安が募っていくのを感じていた。蓉子は良いとして、瑠月までもがこの度の撮影に参加するつもりなのか、と。少なくとも、用心棒連中は今回の参加者は二人だと思っているようだ。既に彼らは、好色な眼差しを二人の娘に向けているのだから。
カメラマンと思しき、内気で機械いじりが得意そうな男は、悟の斜め後ろで黙々と機材の準備を進めていた。ちらと彼の様子を見た時には、既に準備は終わっていたらしい。思わせぶりな眼差しを、用心棒たちに向けていた。
「……それじゃあ撮影を始めるね」
一人の男がそう言って、笑いながら蓉子たちに近付いた。用心棒たちにしては千が細く、しかし好色そうな気配が強い。撮影のために呼ばれた男優だろうと、悟は推測した。
「二人とも初めまして。本番……じゃなくて本格的な撮影に入る前に、幾つか質問させてもらうね。初対面だから、俺たちも君らがどんな子なのかまだ知らないし」
多少のたどたどしさを滲ませながらも、男優は瑠月たちに言った。インタビュー形式のやつだなと悟は勘付いた。
「ええ、何でも質問しちゃってどうぞ~」
「……解りました」
瑠月は元気よく、蓉子は落ち着いた調子で頷いている。質問される事は解ってはいるものの、どのような内容を問われるかについては、蓉子たちもはっきりと判っていないのだろう。
瑠月たちに投げかけられた質問は、初めのうちは年齢や出身などと言った当たり障りのないものだった。いっそ雑談の気配すらあった。そうして女の子たちを油断させて、徐々に突っ込んだ質問へと進んでいくであろう事を、悟は薄々勘付いていた。
現に質問は、交友関係や趣味という部分から、彼氏の有無についてシフトしている。蓉子の恋愛遍歴は殆ど語るべき事は無かった。今付き合っている恋人の事しか彼女は知らないのだから。
そして、質問が進んでいくうちにアクシデントが発生した。蓉子が質問の内容に疑問を呈したのだ。
「……すみません。何故そんなプライベートな事まで聞かれるんですか」
質問に質問で返す蓉子の姿に、男優のみならず瑠月も悟も驚いて目を丸くした。大人しくしおらしく振舞っていた彼女とは思えぬほどに、凜とした物言いに圧倒されたのだ。
その間に、蓉子は畳みかけるように言葉を続ける。
「それに撮影と言っても、何か様子がおかしくないですか。もしかして……撮影とかそんなのは適当に流すつもりで、私たちにエッチな事をするつもりなんじゃあありませんか」
白づくめの部屋に、舌打ちの音が響く。悟はため息をついただけだったから、きっと用心棒の誰かだろう。男優は表情を崩さない。いや……その目には残忍な愉悦が早くも浮かんでいた。用心棒たちも同じような物だ。
「は、は、は。ミクちゃんだっけ。その事に気付いちゃったかぁ」
そう言ったのは用心棒の一人だった。嗜虐的な笑みを浮かべながら、歌うように言葉を続ける。
「そうだよ。若い娘の撮影といったら、そう言うのしか無いだろう。それであんたは、その事に気付かずに騙された糞間抜けなんだよ。恨むなら、おのれの無知を恨むんだな」
「ちょっと……!」
たまりかねて悟は声を上げた。間髪入れずに用心棒が睨みつけてくる。ドロリとした眼差しに、悟は怯んでしまった。
「んだよ坊主。まさか事ここにきて、女が可哀想だなんて言い出すんじゃあねぇだろうな。お前だって、こいつらをだまくらかして連れてきたんだろう。俺らと同罪だぜ」
「ああ、しかし……」
気付けば蓉子は両手で顔を覆っていた。その肩は震えていた。流石の瑠月も、心配そうな表情で彼女を見つめていた。
「いえ、いえ。あなた方の魂胆は解りました」
くぐもった声が悟たちの鼓膜を震わせる。顔を覆ったまま、蓉子が話し始めたらしい。泣き顔を隠している割には、その声には怯えの色は無い。肩の震えは泣いているからではなく笑っているからなのだと唐突に悟った。
「撮影をなさりたいのなら協力します。私、演じるだけではなくて脚本も手掛けていますからね」
言いながら、蓉子は顔を覆っていた両手を降ろした。その顔は見慣れた少女の顔などでは無い。尖った鼻面と耳元まで裂けた口、そして淡い銀色の毛に覆われた、獣の顔だったのだ。
「な、何だこいつ」
「化け物……狼女じゃねぇか」
無論周囲は騒然となった。清楚な少女だと思っていた者が、獣の頭を持つ異形だと明らかになったのだから。蓉子は、蓉子だったモノがニヤリと嗤う。それから上下二つに裂けたかと思うほどに大口を開けた。
「お、おぎゃぁあああああ」
獣頭から出てきたのは、もはや人間の言葉ではない。赤ん坊の泣き声に似た、名状しがたい音声だった。