全身がずしりと重たくなる感覚に包まれたのは、潜入捜査がついに終わったと思った直後の事だった。
疲労感を覚えるのも無理からぬ話だ。何しろ潜入捜査に、丸々四日も費やしたのだから。しかもその時間の大半を、古月蓉子に変化して過ごし続けていたのだから尚更だ。
変化術に長けているとされる妖狐であっても、変化術を使っている間は妖力を消耗してしまう。それは四尾を具える源吾郎も例外ではない。
いや、源吾郎の変化は大半の妖狐たちとの変化術とは一味違う。変化術と並行して認識阻害術も展開する事も珍しくないのだから。古月蓉子として振舞っていた時は、認識阻害術をほぼフル稼働させていた。変化術と演技だけでは、正体を見抜かれるかもしれないと思っての事だ。それが万に一つの可能性だったとしても、用心する事に越した事は無い。源吾郎はそんな風に考える性質なのだ。
それに何より、連日連夜女の姿に変化し続け、悟や瑠月といった女の子たちに正体を見抜かれぬように振舞ってきた事自体への精神的な負荷が大きかった。
ともすれば、若い男の中には女の子たちの傍にいるんだから楽しいだろうと思う輩もいるかもしれない。だがそれは馬鹿げた浅はかな考えだ。今回女子変化を連日行っていたのは、遊びや暇つぶしではなく、潜入捜査の一環なのだから。
更に言えば、彼は他者との接触に神経質なきらいもある。身内や心を許した相手ならいざ知らず、見知らぬ相手と同じ部屋で共同生活するというのは、それだけでも緊張するしストレスがかかるのだ。女子に変化し、見破られないように気を張っているのだから尚更だ。
つまるところ、源吾郎の全身を覆う疲労感と倦怠感は、妖力の消耗と精神的な緊張の反動が来たものなのだ。
「おう、島崎じゃあないか」
「島崎君もお疲れ様。ははは、文字通りお疲れモードに入ったみたいだね」
歩を進めようとした源吾郎に、二人分の飄々とした声が投げかけられる。ふっと見やると、二人の男妖狐が佇立していた。野良妖狐の北斗と萩尾丸の部下である白川先輩だ。所属は違えど、どちらも源吾郎が良く知る妖狐たちだ。
「あ、白川先輩に北斗さん。お疲れ、様です……」
二人の傍に歩み寄り、手を挙げて挨拶を返す。少したどたどしい物言いになってしまったが、それを気にして恥じ入っていたのは源吾郎だけだったようだ。
白川が身を乗り出し、源吾郎の姿を無遠慮にじろじろと眺めている。
「潜入捜査の方は首尾よく行ったのかい」
「ええ、まぁ」
「おいおい白川君よぉ、島崎も潜入捜査を無事に終わらせたからこそ、今こうして俺らに会えるんじゃあないのかい」
「それは違いないですね」
疑わしげな表情で問いかけた白川だったが、北斗に言われて納得した表情を見せていた。
それにしても。白川は今一度源吾郎を見やる。感心したような呆れたような顔つきでもって言葉を続ける。
「島崎君も随分と逞しくなったよなあ。今回だって、人間の女とつるむ玃猿を取り締まるって、大分意気込んでいたって聞いたしさぁ。昔の君なら、その手の話を聞いただけで、赤面して尻込みしていただろうに」
「ええ、まぁ。昔はそうだったかもしれませんね」
白川の言葉に、源吾郎は曖昧に頷くだけに留めた。他の妖には、今までと同じように意気込んでいたように見えたのだろうか。悪事に加担していたと言えども、相手はかつてのクラスメイトだった男だ。親しくないとはいえ、寝覚めの悪い仕事だった。無言のままに、源吾郎はつらつらとそんな事を考えていた。
いずれにせよ。悟の顔を思い浮かべながら、源吾郎は思案を続ける。
玃猿というのは難儀な種族だ。男しかいないがゆえに、繁殖の折には人間や鬼、女天狗や山姥などと言った異種族の女と交わるしかない。しかも生まれた仔と一緒にいる事は叶わず、母親が育てるにゆだねるしかないという。生まれた仔も、女児の場合は母親と同じ種族になるそうだが、男児であれば玃猿となるために、また同じ事が繰り返される事となる。
もっとも……伝承と違って必ずしも女を攫う訳ではないから、玃猿も穏便に子孫を残す事は出来るらしい。とはいえひとり親家庭となると世間の目は厳しい――誰あろう源吾郎とて、ひとり親は難儀だろうという偏見を持っていたのだ――から、やはり人間とつるむとなると色々と困難はあるだろう。
升田悟はガールズバーを運営し、ついで自分のマンションに女の子を住まわせていた。ガールズバーはややグレーな雰囲気があるが、女の子たちとの共同生活は上手く行っていたように思う。
もしかしたら、升田も振る舞いや行動がほんの少し違っただけでも、しょっ引かれる事無く女の子たちと交流できたのかもしれない。ああしかし、その事を俺が考えてももはや詮無い事なのだ。考えれば考えるほど気が重くなった。
そんな中、北斗が顎を撫でながら口を開く。
「そもそも島崎って、働き始めてどれくらい経つんだっけ」
「働き出して、丸六年が経ちました。なので今は七年目です」
この問いには確信をもって即答できた。源吾郎が就職したのは、平成二十九年の事である。延々と続くと思われた平成の世も終わり、令和も五年目である。入社した時には十八の子供だった源吾郎も、二十四の若者に成長していた。
最初の二年は八頭怪どもとの抗争もあり、激動の日々ではあった。その後は妖しい組織のきな臭い動きやちょっとした小競り合いがある程度だが、概ね平穏といっても問題は無かった。
平穏で、ともすれば退屈にも思える日々の中で、源吾郎は相変わらず仕事と修行を続けていた。初めの三年ほどは研究センターや雉鶏精一派の事業所などの内勤が殆どだったが、ここ最近はエージェントとして外部組織の調査を請け負う事も度々あった。
つまるところ、今回の仕事もまた修行の一環なのだ。そしてそうした仕事が割り振られるのは、源吾郎が成長した証とも言えるかもしれない。