獣たち 花より団子で盛り上がる
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妖怪たちにも色々な身分の者が存在する。
島崎源吾郎や雷園寺雪羽のように、血筋も才能も恵まれた貴族妖怪の子弟がいれば、山野を遊ぶ鳥獣が変化したような、有象無象の野良妖怪もいる。
大きな影響を周囲にもたらすのは、力を持つ妖怪かもしれない。しかし、市井の状況をはっきりと見出すのは、有象無象などと呼ばれるような、ごくありふれた存在なのだ。それは人間でも妖怪でも変わらない。
なればこそ、普通の妖怪たちから見た視座もまた、必要なのだ。
港町西部。中心である繁華街からは離れているものの、下町らしい独特の活気に包まれていた。
団地と団地の間に挟まるようにしつらえられた公園の片隅に、四匹の獣妖怪がたむろしている。化けアライグマのラス子(本名:熊谷リン)が、妹分であるフェネック妖狐のユーリカやその他の知り合いと共に、少し遅い花見に洒落込んでいたのだ。
獣妖怪と言っても、別段不気味な異形の姿という訳ではない。人型に変化し、きちんと服を着ている。遠目から見れば、中学生から高校生ほどの少年少女に見えるだろう。
強いて言うならば、腰から毛に覆われた尻尾がはみ出していたり、瞳の形が横長ないし縦長に裂けていたりしているくらいだろうか。フェネック妖狐ならば瞳孔は縦長に裂けており、管狐ならば逆に横長に裂けているという塩梅だ。
なお、管狐は狐の名を冠するが、分類的にはイタチに近い生物らしい。少なくとも、ラス子と親しい管狐のメメトはそうだった。
あずまやに花見という名目で集まっているものの、ラス子たちの関心は遅咲きの桜やぼってりした花弁の椿や茶色く朽ちかけた山茶花と言った花ではない。囲んだテーブルの上に並べた料理にこそ、関心を向けていた。
花より団子とはまさにこの事であろう。更に言えば、獣妖怪の大半は赤と緑の区別がつかない。香りを楽しむのならばいざ知らず、わざわざ花を目で見て楽しむ事はしないという訳だ。
ああしかし、だからと言って彼らを学のない畜生呼ばわりするのはお門違いというものだ。人間たちだって、桜の花を見て盛り上がるのではなく、桜の下で食事や飲酒を楽しんでいるだけなのだから。
して思えば、ジュースや水や甘酒と言ったソフトドリンクで喉を潤している獣たちの方が、泥酔して迷惑行為におよぶ事もある人間様よりもお行儀が良いと言えるかもしれない。
「ねぇリン」
フェネック妖狐のユーリカがラス子に呼びかける。彼女は猫缶を食べる手を止め、隣にいるラス子に視線を向ける。稲穂のようなふさふさとした一尾が緩く揺れていた。ずっと一緒に暮らしているためか、ユーリカはラス子の事を本名で呼ぶのだ。
「私の猫缶も、リンが食べてるジャーキーも、普段食べているものなのに、お花見しながら食べていると、普段以上に美味しく感じる。不思議。とっても不思議」
その言葉を聞くや、ラス子はユーリカの華奢な肩を軽く叩きつつ豪快に笑った。勢い余ってか、腰の付け根から生える太い尾がプロペラのように乱舞する。縞模様の尻尾は、彼女がまさしくアライグマである事を示していた。狸の尾には縞模様などないのだから。
「あっはっは! ユーリカってばそんな事を考えながら食べていたのかい。本当に真面目だねぇ!」
ラス子が笑ったのは、ユーリカの言動が他愛なく、可愛らしいものだったためだ。妹分が存外思い悩む性質である事をラス子は知っていた。彼女自身の気質なのか、フェネック妖狐という種族特有のものなのかは解らない。そもそも他のフェネック妖狐には、ラス子はまだ出会った事が無かった。
「ユーリカ。別に難しい事なんて考えなくて良いんだよ。アタシたちは獣なんだ。難しい事なんて要らない。ご飯が美味しければ美味しい、眠ければ眠い、危ないやつが来たら怖いから隠れる。好きなやつとは側にいて仲良くする。それだけだ。それだけで良いんだよ」
「ラス子姐さんにユーリカちゃん。やっぱり外で食べているから美味しいんじゃない?」
浅黒い肌と丸くくりくりとした瞳が特徴的な少年が、自分の考えを口にした。彼が頬張っているのはベビーカステラやキューブ上のゼリーだった。猫缶に舌鼓を打つユーリカや湯でふやかしたジャーキー(もちろん犬猫用)を味わうラス子と異なり、幾らか人間的な食事とも言える。
鼻と耳を器用にぴくぴくと蠢かせながら、少年は続けた。
「ほらさ、ラス子姐さんが言ったとおり、俺たちって獣だろ。こうして人間様の食事も美味しいって思うけどさ、外にある食べ物の香りとかも楽しんでいたら、どうしても食欲って増すじゃん。そういう事じゃない」
「タマキも獣あがりの妖怪だもんねぇ」
タマキと呼ばれた少年は、ハクビシンが変じた獣妖怪だった。権能を持つ相手の肉を喰らうと、その権能を取り込む事が出来るのだ。もっとも、権能を取り込む事は魂の一部を取り込むと同義である。取り込んだ魂に自我を乗っ取られる事もありうるし、タマキは既にそんな状況に何度か陥っている。
ゆえにタマキは、けったいな力を持つ幼い獣妖怪のままだった。ラス子としては、弟分として接するにはその方が平和だとすら思っている。
ある意味食べる事への執着の強いタマキは、ベビーカステラをまた一つ頬張りながら微笑む。
「もぐ、むぐ……そりゃあ俺も、人間様の食事には慣れたよ。だけどそれでも、獣だった頃の食事も恋しいもん。果物は勿論だけど、甘い香りの花とかがあると、ついつい気になっちまうんだよな」
「ははは、花より団子とはこの事だねぇ!」
「タマキ君。お花を愛でて美味しそうと思うのは結構ですが、勢い余って花を食べようとするのは危ないですよぅ。サツキの蜜は確かに甘くてタマキ君の好みでしょう。ですが花びらには毒が含まれてますので……」
「え、でもメメトお姉さんも、サツキの蜜を食べた事があるって事?」
「そりゃあ、メメト姐さんが子供だった頃は、昔よりも人間様も色々とお目こぼししてくれてたって事だろうさ。まぁしかし、タマキみたいに獣だった頃の食事を懐かしく思うのも良い事だろうねぇ。人間様の食事は、アタシらにとっちゃあ味が濃すぎるからさぁ。美味しく思う時もあるけれど、それで内臓をやられたらおしまいさぁ」
この中では最年長――と言っても、妖怪的にはまだまだ若者だが――のメメトも会話に加わり、あずまやの中は平和で和やかな空気に包まれていた。
元よりラス子たちは、昨日まで仕事をこなしていた。日払いという事で給金を貰い、それ故に今日はちょっとした御馳走を買って花見という名の打ち上げを行っているのだ。宵越しの金は持たぬという言葉は、野良妖怪たちにも当てはまる。
獣に近い野良妖怪たちは、貯蓄などと言うみみっちい事を殆ど行わない。将来の展望どころか、明日生きているかどうかすら解らないのだ。であれば、得た金を実用的な物に交換し、その時を楽しむ。これこそが獣の生き様なのだと、ラス子は信じて疑わない。
さて宴もたけなわとなった頃、ラス子の耳がピクリと動いた。
宴の場にはそぐわないノイズを、彼女の耳は早くも拾い上げていたのだ。ノイズとは人間の泣き叫ぶ声である。きっと幼子であろう。甲高く耳障りで、聞いている者の苛立ちを掻き立てるような、そんな声だった。
舌打ちしつつ立ち上がるラス子に、三対の視線が向けられる。心配しているような、あるいは咎めるような眼差しだ。
「いやなに。様子を見に行くだけさぁ。別に人間様に楯突いたり、危害を加えようなんて――」
ラス子の言葉は、宙ぶらりんのまま途中で切れた。泣き声の主が、いつの間にかあずまやに入ってきたのを目撃したからだ。
やはり幼子だ。歳の頃は四、五歳ほどであろうか。トレーナーとズボン姿の男児だ。ラス子は獣だから、服装だけではなく匂いの類でも人間の雌雄は識別できる。トレーナーの左下には、デフォルメされた無駄に可愛らしいウサギの顔のアップリケか何かがくっついていた。
ひた、と刺すような視線が向けられているのを感じた。ラス子が男の子を観察していたように、男の子もまたラス子を見つめていたのだ。メメトが印を組み何事か唱え、認識阻害を発動する。顕現していた獣妖怪の尾は見えなくなった。
「……どうしたんだい坊や。ママと一緒じゃあないのかい?」
涙の匂いをたっぷりと放つ男の子に、ラス子は優しく問いかけた。無害で上品そうな物言いもまた、野良妖怪として具えている処世術の一つだ。
「ぼくの……ぼくの
きなこ。きなことは何ぞや。ラス子の思考は一瞬フリーズした。
お姉ちゃんもてつだってくれるよね? 無垢さと図々しさの同居した声音で男の子は言い、ラス子のスカートの裾に縋りつく。幼子の指の力は存外強く、振り払う事は叶わなかった。