源吾郎は雉鶏精一派の構成員であるが、彼の所属しているコミュニティはそれだけではない。若藻会という、玉藻御前の子孫を騙る妖狐たちのコミュニティの特別会員――「特別」と付くのは源吾郎が本当の玉藻御前の子孫だからだ――でもある。
それに何より、地元妖怪たちが構築しているコミュニティもまた、源吾郎にとっては重要な存在である。こちらは休日のみではあるが、何がしかの寄合やイベントがある時には、ちょくちょく顔を出すようにしている。
職場と地元のコミュニティ。そして後は趣味などに由来する交流。一つの存在が複数のコミュニティと関りを持って過ごすのは、人間であれ妖怪であれ同じ事なのだ。
日曜日。ともあれ源吾郎は妖怪向け交流センターへと足を運んでいた。彼が居を構えていたアパートにほど近い場所であり、今暮らしている部屋からでも自転車で十分足らずの位置にある。それ故に、暇な時や何か催し事がある時などにはちょくちょく顔を出していた。
今回は源吾郎単体ではなく、ホップも伴っている。猛禽を恐れたホップであるが、妖怪たちを怖がる事は意外と少ない。自分を襲わない存在であると解っているからなのかもしれなかった。
緩く出迎えてくれた職員のヒトたちに挨拶し、目ぼしい機関誌やチラシをチェックする。ホップも隣にピタリと貼り付いているから、特段注意する事は無さそうだ。
「あら、島崎君じゃない。今日はホップちゃんも一緒なのね」
と、後ろから声を掛けられた。声の主は鳥園寺さんだ。落ち着いた色味のワンピースの上には薄手のカーディガンと、ひところとは異なりお洒落で女性らしい服装に身を包んでいる。だがそれでも、源吾郎とホップに向ける朗らかな笑顔は、出会った時と何一つ変わらなかった。
「こんにちは鳥園寺さん」
「トリニキのお姉さん、こんにちは!」
「二人ともこんにちは。ホップちゃんは今日も元気ねぇ」
挨拶を聞いた鳥園寺さんは、さも満足げに目を細めていた。「トリニキのお姉さん」という言葉は何なんだよ、と心中でツッコミを入れていた源吾郎とは対照的だ。鳥園寺さんはネット上では「トリニキ」と名乗り、男性として振舞おうとしているのだからまぁ致し方ないのだが。
しかしそんな事で、何時までも渋い表情を浮かべている場合でもない。表情を引き締め、鳥園寺さんに向かって告げた。
「鳥園寺さん。先日はありがとうございました。あなたとご亭主殿がホップの面倒を見て下さったお陰で、僕も任務に専念できましたので」
「水臭いわね島崎君。ホップちゃんの事なら、もうかれこれ三年くらい私らも関わっているんだから。ああ、後面倒を見たヒトたちの中にアレイも入れないと駄目じゃない」
鳥園寺さんはそう言って明るく笑った。ホップがそれを見て笑い、結局源吾郎もつられて笑った。
聞いたところによると、鳥園寺さんもまた、夫である鳥園寺悠斗(旧姓:柳澤)や使い魔のアレイと共に、交流センターに来たところだそうだ。来週末は用事があり、連休中は夫の実家に出向かねばならないために、前もってこちらに顔を出したという事だった。
みんな大体同じ事を考えるものだな。源吾郎がそう思っていると、鳥園寺さんは少し物憂げな表情で言葉を紡ぐ。
「ほら、私も悠斗さんに色々と気を遣わせているでしょ。向こうのご家族に対しても……だからまぁ、嫁じゃあないけど嫁としての務めをやらないといけないのよ。島崎君は男子で、しかもまだ独身だから、まだ解らないかもしれないけれど」
源吾郎は肯定も否定もせず、ただ相槌を打つだけだった。鳥園寺家の女当主となったがために、彼女は夫の家に嫁入りしなかった。代わりに夫である柳澤悠斗を、婿として鳥園寺家に引き入れたのだ。
自分が女あるじとして君臨し、伴侶を婿として引き入れた事について、色々と思い悩んだり気をもむのは、人間だからなのだろうか。無言のままに源吾郎は思った。妖怪たちの間では、女あるじが立とうが婿を貰おうが堂々としているのだから。
気まずい空気を払拭しようと、源吾郎は声を上げる。
「あ、あの鳥園寺さん。お時間があるようでしたら、少し話したい事があるんですが大丈夫でしょうか。もちろん、ご亭主殿やアレイさんもご一緒の上での話ですが」
「大丈夫よ。悠斗さんはちょっとトイレに行ってるだけで、すぐに戻って来るから。アレイの方は……情報交換している所だからすぐには戻ってこないけれど」
手洗い場の方に視線を向け、鳥園寺さんは答えた。
彼女の言葉に、源吾郎はホッと胸をなでおろした。互いに何かと話し合う間柄とはいえ、鳥園寺さんは異性である。しかも今となっては既婚者だ。源吾郎はだから、鳥園寺さんと話すときはサシにならないように気を付けていた。
さて柳澤が合流した所を見計らい、源吾郎は二人に昨日の事を話した。猛禽に恐れをなしてホップが変化を解いてしまった事は言うに及ばず、高校生のカップルが兎に菓子パンの類を与えていた事もだ。
鳥園寺さんは、真剣な表情で源吾郎の話に耳を傾けてくれた。夫の柳澤もだ。しばらく思案する素振りを見せたのちに、彼女は口を開いた。
「ホップちゃんとの散歩やお出かけの件は、あまり焦って事を急いではいけないわ。島崎君もホップちゃん自身も、ね。確かに私は、島崎君に対して過保護すぎるって常々言っていたかもしれない。だけどだからといって、無理だとかしんどいって思っているのに、外に出たり人間向けのお店にチャレンジするのは違うものね」
鳥園寺さんもそんな事を言うんだ。安堵したような、驚いたような不思議な感覚を抱きながら、源吾郎は相槌を打っていた。
何故か一度夫の方に視線を向けつつも、鳥園寺さんは言葉を続ける。
「島崎君は根が真面目だから、ちょっとお堅く考えちゃう事があるでしょ。自分に対する事だけならそれでも構わないかもしれないけれど……相手がいる時は、やっぱり相手の様子を見て、柔軟に対応しないとね」
「はい。やっぱりそうですよね」
頷くついでに、源吾郎は視線を落とした。考えが頑固で、どうしても四角四面な発想に辿り着いてしまう。鳥園寺さんの指摘には、思い当たる所しかなかった。それはやはり、くそ真面目な兄たち(特に長兄)の影響が大きいのかもしれない。
いや、自分の気質が出来た原因を他人に求める態度こそがいけないんじゃあなかろうか。やっぱり色々と、自分も改善点があるよな。米田さんとの事もあるし、ホップとの事もあるんだから。
島崎君。呼びかけられて顔を上げる。先程までとは打って変わり、鳥園寺さんは明るい笑みを見せていた。
「ごめんごめん。私も思った事を言っちゃっただけだから、あんまり深く考えすぎないで。島崎君が結構思いつめる所もあるって言うのは、私も知っていたのに……取り敢えず、ホップちゃんが興味を持った漫画は、私が買ってプレゼントするわ。それならお店まで行けるかどうかって島崎君たちもやきもきしないでしょうし」
「プレゼントって、そんな滅相もありません!」
良いのよ。戸惑って声を上げた源吾郎に対し、鳥園寺さんは笑みを浮かべつつゆっくりと首を振った。
「大げさに考えなくたって良いじゃない。漫画本なんだから、せいぜい一冊五百円くらいよ。私だって同人誌を買うのを控えたら捻出できるもの。それに島崎君とホップちゃんにはずっとお世話になっているから、そのお礼も兼ねていると思ってちょうだい」
「ええと……そうですか」
「それに島崎君だって、色々と入用でしょ。米田さんとも頻繁にデートしているみたいだし、これからの事も考えているんでしょうから。今のうちに蓄財しておいた方が良いわ」
「それはその通りだぞ島崎君。特に君はまだ若いんだからな」
そこまで言われると、源吾郎も頷く事しかできなかった。
なお、鳥園寺さんが同人誌を引き合いに出したのは、彼女がサブカルチャーを嗜む趣味があるためだ。聞く所によると、三十ページ足らずの漫画が、九百円ほどで販売されているのだそうだ。
いずれにせよ、ホップが買いたがっていた漫画は、鳥園寺さんが購入してプレゼントするという話で合意する事となった。多少申し訳ない気持ちになりはしたが、ここは鳥園寺さんの厚意を受け取る事にした。
「ホップちゃんの漫画の事は良いとして、ウサギの話も気になるわね」
おっとりホンワカしていた鳥園寺さんの表情に、再びシャープな冷徹さが戻る。ですよね、と源吾郎は即座に頷いた。しかし顔を上げてみると、鳥園寺さんは険しい表情で源吾郎を見つめているではないか。
「だけど島崎君。アホな高校生か中学生がウサギに菓子パンをあげてたんでしょ。それを目撃したのなら、止めないといけないじゃない。というか私なら止めてたわ」
「ええ、ええ。仰る通りですとも。ですがうっかり声を掛けて、不審者扱いされても良くないので……」
頷きつつも自分の考えを源吾郎は述べた。鳥園寺さんは、半ば呆れたような表情を浮かべて言葉を続ける。
「まぁ。玉藻御前の末裔ともあろう島崎君が、不審者扱い云々なんて事を気にするなんて。本当に小市民ねぇ」
「まぁまぁ飛鳥。島崎君の小市民ぶりは彼の美徳だと俺は思うよ。そう言う心持ちだからこそ、吉崎町の平和は保たれていると思わないか」
「言われてみれば、悠斗さんの言う通りでもあるわね……」
たしなめるような柳澤の言葉に、鳥園寺さんは少し甘えたような表情を見せている。仲睦まじい夫婦の姿を前に、源吾郎は気恥ずかしくなったり羨ましくなったりしていた。
源吾郎の心中に気付いたのだろう。柳澤が咳払いし、真面目な表情を浮かべてみせた。
「少し話は逸れてしまったけれど、島崎君が野良ウサギの事を心配している事は、俺たちには十分伝わったよ。俺たちも、ウサギを飼った事は無いけれど、それでも菓子パンの類をやったら良くないって事は解るからさ」
「ですよね、そうですよね」
柳澤の言葉に、源吾郎は嬉しくなって何度も頷いた。見れば鳥園寺さんも頷きつつ、「人の食品は動物の身体には悪いものね」とフォローしてくれている。
気を取り直した源吾郎は、更に言葉を続けた。
「そもそもからして、野良ウサギがいるって事自体がけったいな話なんですよ。野良猫とかはちょくちょく見かけますが、野良ウサギなんて殆ど見かけないですし……」
源吾郎の言葉に、鳥園寺さんと柳澤は何故か目配せしあった。それから向き直り、柳澤が言葉を重ねる。
「島崎君。野良ウサギなら、俺たちも最近ちょくちょく見かけるんだけどなぁ……」
「今年って卯年でしょ。それで安直にウサギブームが到来して、安直に飼って安直にウサギを棄てる人が増えたのかもしれないわ。嘆かわしい話よ」
ウサギについてあれこれ語る二人の姿を、源吾郎は瞠目しつつ眺めるだけだった。
野良ウサギが増えているという言葉を脳内で反芻してみると、思い当たるシーンがあるように思えてならなかった。