かくして、玉兎の望玉蘭《ぼう・ぎょくらん》もまた、研究センターの一員に加わった。いつまで研修なのか、研修が終われば研究センターの正式な研究員になるのか、源吾郎にはその辺りは解らない。解るのは、彼女が研修生として源吾郎たちと共に働くという事だ。
大人しそうな風貌とは裏腹に、玉蘭は物怖じしない性質である事が判明した。
その事が判明したのは、薬の調合の最中での事だった。青松丸が説明した調合方法に対し「私の方が、より効率的な方法を存じてますわ」と言ったのだ。のみならず、彼女は自身の調合方法を、青松丸に教えようとすらしていた。
外様の妖《ひと》、それも西王母様にお仕えする玉兎だから、やはり自分たちの知らぬ事を知っているんだな。すぐ傍で書類を捌いていた源吾郎は、呑気にそんな事を思うだけだった。人の好い青松丸が、玉蘭の話を聞き出してプロトコルとして記録しようとしていたから尚更だ。
萩尾丸がそばを通りかかった事で、そうした流れが一変した。あるいは彼には、青松丸と玉蘭が言い合っているように見えたのかもしれない。玉蘭の顔を見るや、彼は渋い表情になった。そして厳しい口調で言い放ったのだ。
「望小姐どの。あなたが好意でもって、僕たちに知識や技術を提供しようとしている事は解ってるし、そうした気持ちは有難く思うよ。だけど、うちで扱っている薬剤の調合や配合に関しての権限は、君ではなくて紅藤様にあるんだ。君だって、そうした事は解っているだろう?」
次に萩尾丸は青松丸の方を見やり、「望小姐どのが口にしていた方法は紅藤様に確認してもらうように」と命じた。
結局のところ、玉蘭が提案した内容は、手順を精査したうえで採用するかどうか判断するとの事だった。
このような部分からも、玉蘭が物怖じしない事、むしろ気の強い妖怪であろう事が伺えた。しかも言い含められた直後、彼女は萩尾丸を睨んですらいたのだ。
ただ単に悔しがっていただけなのかもしれない。しかし敵意を以て睨んでいたようにも感じられてしまったのだ。
玉蘭の挙動について、源吾郎が注意深く観察するようになったのはそれからだった。もっとも、源吾郎や雪羽に対しては親切で、源吾郎たちも姉や先輩妖怪と接するかのように振舞っているのだが。
※
今回行われる戦闘訓練は、普段のそれとは異なり物々しい雰囲気に包まれていた。
強いて言えば、源吾郎が初めて戦闘訓練を行った時の雰囲気に似ているかもしれない。
戦闘訓練を行うにあたり、大勢の見物客が揃っていたのだ。萩尾丸の配下である若妖怪たちは言うに及ばず、幹部やその側近の姿も見受けられる。流石に頭目である胡琉安の姿は無かったが。
見物客たちは、萩尾丸が招集した者もいれば、戦闘訓練の話を聞いてやってきた者もいた。
一体なぜ、ただの戦闘訓練で、ここまで妖怪が集まっているのか? それは――望玉蘭もまた、戦闘訓練に参加するためだった。
研究センターで定期的に行われる戦闘訓練は、源吾郎と雪羽のタイマン勝負か、萩尾丸の配下が源吾郎や雪羽と闘う事が殆どだった。
今回は違う。源吾郎と雪羽、そして玉蘭。この三者による、三つ巴の形式となったのだ。望玉蘭が紅藤に派遣された事、彼女の許で研修を受けている事は既に幹部たちも知っている。だからこそ、戦闘訓練行われると聞いて、参加できる者は顔を出したのだろう。西王母の配下である彼女の力を見るために。
「望小姐どの。あなたは実務や座学の方面でも、優秀な成績を収め膨大な知識を具えている事を、僕たちに知らしめて下さいました」
今回のデスマッチ形式を考案した萩尾丸が、司会進行者として言葉を紡ぐ。彼の顔には、相変わらず妖を試すような笑みが浮かんでいた。
笑みを崩さぬままに、彼は言葉を続ける。
「ですが、我々妖怪の世界を渡り歩くには、知識だけでは心もとないものなのです。敵に立ち向かい打ち倒す強さがあなたにもあるのか。それが気になりましてね」
にたりと笑う萩尾丸の言葉は、普段以上に毒気が強い。若妖怪が恐れをなし峰白たちが呆れたような表情を見せている。そんな中で、さしもの玉蘭も、当惑したような笑みを浮かべるのがやっとだった。
「ええ、萩尾丸さん。我々玉兎も、時には敵と闘う事があります。ですが私は、見ての通り闘いは不得手ですので……お手柔らかにお願いいたします」
玉蘭の言葉に、源吾郎と雪羽は思わず顔を見合わせた。戦闘訓練にてどのように振舞えば良いのか。そんな考えが、ノイズのように源吾郎の脳内を駆け巡ったのだ。雪羽とて同じだろう。
萩尾丸はしかし、あの意地の悪い笑みを浮かべたまま頷いただけだった。
「望小姐どの。闘いが不得手であったとしても、それは別に構わないんだ。ただ、皆が見ているから本気を出して欲しい。殺すつもりで戦闘訓練を行う二人に立ち向かって欲しいんだ」
玉蘭の顔に、戸惑いの色が更に広がっている。萩尾丸はしかし、その時には既に彼女を見てはいなかった。
「ああ。島崎君に雷園寺君。殺すつもりで立ち向かえというのは、君らも当てはまる事だから、ね」
ああ、ともうう、ともつかぬ声が、雪羽の喉から漏れる。喧嘩は好きだが殺し合いは大嫌いな雪羽にしてみれば、先の萩尾丸の言葉はいささかきついものに違いない。源吾郎は緊張しつつも頷いたのだが。
※
三つ巴での戦闘訓練の勝者は雪羽だった。真っ先にリタイアしたのは玉蘭であり、源吾郎は雪羽との攻防に押し敗けた形である。
今では真面目な研究員として立ち働く雪羽であるが、悪ガキとして血の気の多い若妖怪を、おのれの腕力でもって従えていた過去がある。その時に培われた戦闘力と喧嘩のセンスは今も健在だ。いや……萩尾丸や紅藤たちの監督下で、今もなお研ぎ澄まされていると言っても良いだろう。
しかも雪羽は、身体能力に優れた雷獣なのだから、彼が強いのはごく自然な事だろう。無論源吾郎とて鍛錬は続けている。それでも、戦闘訓練で雪羽を出し抜く事は難しかった。
して思うと、玉蘭が雪羽や源吾郎に敗けてしまったのも致し方ない話だろう。彼女自身、戦闘は不得手だと言っていたのだから。
「いやはや、お二人とも強いですね」
しゃがみ込んでいた玉蘭が立ち上がり、源吾郎と雪羽に賛辞の言葉を投げかけた。訓練着であるジャージは所々破れているのがちらと見え、源吾郎は気まずさを覚えた。女妖怪である事は別として、やはりインテリめいた彼女にしてみれば、先の戦闘訓練は荷が重かったに違いない。
思案に耽る源吾郎とは裏腹に、雪羽は玉蘭に対し無邪気な笑みを見せている。強かったと褒められるのが嬉しいのだ。
玉蘭は、申し訳ないような、あるいは思いつめたような表情でもって言葉を続ける。
「島崎さんは九尾の末裔で、雷園寺さんは雷獣の名門でしたものね。それに引き換え、私は抹香臭い業務を請け負うだけの玉兎に過ぎません。萩尾丸さんに言われて戦闘訓練に参加しましたが、やはりお二人の足許には及びませんでした……」
「いやいや望小姐さん。あなたも大分奮闘なさったじゃあありませんか。まぁ、ウサギが狐を前にして怖がる事は自然な事でもありますし。先輩だってそう思うでしょ」
「ああ、まぁ……」
雪羽に話を振られ、源吾郎は小さく頷いた。玉蘭はいつも以上に卑屈な態度をとっていて、それがどうにも気になった。後、両の瞳が妙な輝きを見せたように見えたのは気のせいだろうか。
戦闘訓練が終わっても、皆がすぐ解散する訳ではない。椅子の片づけだとか、そうでなくとも他の面々との意見交換などがあるためだ。
今回も、源吾郎と雪羽の許に三國がやって来た。玉蘭は傍にはいない。少し前に、幹部である峰白や緑樹に呼ばれ、そちらに向かったためだ。
三國の姿を見た源吾郎は、思わず居住まいを正した。珍しく渋い表情を浮かべているからだ。叔父の事を慕う雪羽も、戸惑った様子で三國を見ていた。
「……さっきの娘が、紅藤様の許で研修を行っている玉兎の娘だよな」
「そうだよ。そうだけど……?」
問いに応じた雪羽の言葉には、疑問符がするりとぶら下がった。
三國の事だから、雪羽の闘いぶりや成長ぶりについて言及するだろうと、源吾郎は思っていたのだ。雪羽だってそうだろう。しかし実際に彼が口にしたのは、望玉蘭の事だった。ゆえに雪羽の戸惑いも深まったのだ。
戸惑っているのは雪羽だけではない。源吾郎もだ。
「あの娘は雪羽や島崎君にあっさり敗けたみたいだけど、あれって実は演技なんじゃないかと思うんだよ」
「ええっ!?」
「三國様、それって――」
思いがけぬ言葉に、源吾郎と雪羽は揃って声を上げた。
二人の若妖怪が喰いついたのを見るや、三國も説明を続けた。
「そりゃあもちろん、雪羽や島崎君は気付かなかったとしても無理はない。なんてったって訓練に集中していたんだからな。だけど俺には解る。雷獣だからな。そうでなくとも、あの動きは――」
「三國君。雷園寺君たちに、一体何を吹き込んでいるんだい?」
三國の説明は、しかし最後まで行われる事は無かった。丁度良いタイミングで萩尾丸が通りかかったためだ。問いかけるその顔には笑みが浮かんでいたが、細めた目は笑ってなどいなかった。
萩尾丸の鋭い眼差しに、さしもの三國もたじろいでいた。しどろもどろに指を動かしながら、彼はそれでも話していた事を白状した。
「萩尾丸さん! あなたも雪羽たちの戦闘訓練を見ていて思いませんでしたか? あの玉兎娘はボロ敗けだったけれど――」
「望玉蘭は西王母様の配下に当たるお方なんだ。要らぬ嫌疑を抱いてはならないよ」
有無を言わせぬ口調で、萩尾丸は告げた。三國はまだ何か言いたそうな表情を浮かべていたが、言い返す事はついぞ無かった。
その様子を見届けてから、萩尾丸は源吾郎たちに視線を向ける。
「そう言う訳だから、島崎君も雷園寺君も、さっきの三國君の言葉は気にしないように。解ったね」
念押しするように言われ、源吾郎と雪羽は頷くしかなかった。
このやり取りが、それこそ望玉蘭の耳に入っていたらややこしい事になりそうだとも思った。だが、話をしていたのは萩尾丸だ。本妖《ほんにん》の耳に入らないように、それとなく調整してくれているのかもしれない。源吾郎はそう思う事にした。