目を覚ました源吾郎は、全身汗みどろになっている事に気付いた。ついでに口の中も渇いていて、妙な味がする。
外はまだ夜中だろうし、水でも飲んだら寝直すか。頭から被っていた布団をまくり、部屋の電気を付けようとした。
「っ!」
まばゆい蛍光灯の光を直視してしまい、思わず目を細めた。部屋の照明がついていたのだ。明るさに目が慣れてきた源吾郎は、訝しさに首をひねった。普段彼は、就寝する前に部屋の電気は消灯している。あるいは、昨晩はそれを忘れたのだろうか。
「島崎の兄さん!」
甲高い声が響き、源吾郎の横腹に何かが飛びついてきた。使い魔のホップである。飛びついてきたという事は、鳥籠の外にいるという事だ。こちらも夜は鳥籠の中、それも常時設置したつぼ巣の中で眠るというのにだ。
一体全体どうしたんだろうか。人型に化身したホップがまとわりついて来るのをそのままに、源吾郎はぼんやりと思案していた。
ぼうっとしているのが伝わったのだろう。ホップは眉を寄せ、源吾郎をじっと見つめている。瞬きもせずに。
「ねぇ、今さっき物凄い声を上げてたよ。何かあったの」
「声……だって」
言われてみれば、物凄い悲鳴が上がったのを聞いた気がする。だがそれは、他ならぬ自分の悲鳴だったとは。
ホップは相変わらずこちらを見つめている。若い頃の源吾郎に似た姿を取る彼を見ていると、少し幼い弟と相対しているような気分になった。源吾郎はだから、ホップの肩を撫でて囁く。
「ごめんなホップ。驚かせたよな。でも大丈夫。変な夢を見て、それで叫んじゃっただけだから」
話しているうちに、自分が奇妙な夢を見ていた事を思い出した。連鎖的に、曖昧だった夢の輪郭が徐々に明らかになっていく。
あの時自分は、戦争の様子を目の当たりにしていた。人間同士の闘いではない。異形と異形の闘いだった。杵や銃器やモーニングスターを携えた化けウサギが、猫又と共に奇怪な化け物と殺し合っていたのだ。
化けウサギと猫又も無論異形の類である。しかし彼らが殲滅せんとしていたモノの方が、異形らしい姿を具えていた。中型犬ほどもあろうかという大きさの、猫というにはけばけばしく煌びやかな腫瘍や触手を具えた獣。そして槍を携え、頭部から桃色の触手を生やした、白くずんぐりとした巨躯を誇る怪物。
夢で見た怪猫や怪物が何であるか、源吾郎には解らない。しかしあれは絶対に――
「変な夢を見たの?」
源吾郎の思考は、ホップの頓狂な声によって打ち切られた。何度も瞬きを繰り返し、小鳥らしく首を揺らしている。
「変な夢の話なら、ぼくも鳥園寺さんから聞いたばかりだよ。旦那さんとか、アレイ先生がしらべてるんだってさ。変な夢を見て、妖怪とか獣人がパニックを起こしたらしいから」
「……何だって」
源吾郎は瞬きせずに、ホップの顔を見つめた。数日前のやり取りが脳裏を掠める。鳥園寺さんたちと野良ウサギやウサギブームについて話していたあの時、アレイは結局やってこなかった。センターの偉い妖怪たちと話し込んでいると鳥園寺さんは言っていたが、獣人たちが錯乱する事件について話し合っていたのではないだろうか。
少し考えたのちに、手許のスマホを手繰り寄せる。四時前だった。ホップの変化を解き鳥籠に戻し、自分も寝ると言って布団の中に戻った。
ホップがつぼ巣に入ったのを見届けてから、源吾郎もまた頭から布団を被る。
寝直すため――ではない。スマホで調べ物をするためだ。布団を被って寝たように装ったのは、ホップが傍にいるからだ。弟分のような使い魔の前で、夜中に寝ずに過ごす姿を見せるのは、教育上よろしくないし。
普段目を覚まして活動する時間よりも早いから、多少調べ物をして二度寝したとしても問題は無かろう。一方で源吾郎はそんな風に思っていた。つまるところ、自分のやっている事は無意識のうちに正当化してしまっていたのだ。
いずれにせよ、源吾郎は調べ物を始めた。「変な夢」で検索をかけると、ツブッターにアップされた呟きが幾つもヒットした。しかも投稿日の多くは、今年の三月から四月にかけて集中している。
そう言えば、アレイさんが調べている錯乱事件も、三月から四月にかけて発生したという話では無かったか――裸眼(眠る時はコンタクトを外している)ゆえに目を細め、眉間に皺が寄るのも気にせずに、液晶画面に広がる呟きたちを、順繰りに確認し始めた。
『昨日は思いのほか原稿が進まなかった 変な夢を見たせいだ 』
『ウサギがガマガエルみたいな化け物に虐殺される夢を見た 思わずうちの子を抱っこした』
『自分は猫と怪物が闘っている夢だったな』
『変な夢を見ている奴多くてほんと草』
『不眠症ワイ、低みの見物』
『四月七日に#変な夢がランク入りしていると思ったら、そう言う事だったのか』
『撲殺ウサギもランクインしているんだよなぁ』
『そうそう。ウサギが化け物を撲殺している夢だったなぁ』
『撲殺ウサギは関係ないだろ! いい加減にしろ!!』
「……っ」
変な夢にまつわる呟きを前に、源吾郎は喉を鳴らした。様々な投稿者がいるにもかかわらず、見た夢の内容が似通っている事に気付いたのだ。それはまるで、何者かが複数の人間に、同じ夢を魅せたかのように。
源吾郎はスマホを裏返し、きつく目を閉じた。心臓の拍動がいつも以上に明瞭に感じられる。夕食は既に消化しきったはずなのに、鳩尾の辺りが重く気だるく感じてしまう。
早々に意識を手放して、眠ってしまいたかった。しかし緊張すればするほど脳内に取り留めも無い考えが浮かび、眠気を遠ざけてしまう。
※
「ああ、どうしたんだい兄ちゃん。大慌てでやって来たみたいだけど」
「ええと、そんな風に見えますか?」
研究センターに併設された工場棟内部。源吾郎は休憩スペース内にあるコンビニで弁当を購入していた。会計を済ませようとしている最中に、レジ打ちを行う化け狸からそんな事を言われた。
慌てて問い返すと「眼鏡も髪も雨で濡れちまってるじゃあないか。しかもちょっと息も上がってるし」と言って更に笑われた。何かと踏み込み過ぎではないか。そう思いつつも、源吾郎は素直に白状した。こちらは彼の名を知らないが、きっと向こうは源吾郎が誰なのか知っているはずだ。玉藻御前の末裔である事も、コンビニで弁当を買う事が珍しい事も。
「ちょっと寝過ごしてしまったんです。普段はお弁当を作っているんですけどね」
「寝過ごしたと言っても、島崎君は研究センター勤務でしょう。まだ始業時間まで三十分近くあるのに……」
「もうみんな来ているんですよ」
「そりゃあ大変なこった。はい、三百円のお釣りね」
化け狸は器用に肩をすくめつつ釣銭を渡してくれた。源吾郎も短く礼を言い、持参した袋にコンビニ弁当を詰める。
あの後源吾郎は寝過ごしてしまった。ホップに起こしてもらい、出勤時間が迫っている事に気付いたのが、ほんの十分前の話だ。ゆえに大慌てでコンビニに駆け込み、昼食を確保した次第である。
昼食なら朝一で急いで購入しなくても良かったのではないか。ふいに冷静な考えが頭の中から湧き上がってきた。仕事が始まった後も、午前中にも休憩時間が十分間設けられてある。最悪昼休憩に入ってから、コンビニで弁当を買うなり食堂に駆け込むなり出来たのだ。
そうしておけば、朝の身づくろいにもっと時間をあてる事が出来たじゃあないか。ださい眼鏡をかけなくとも、コンタクトを入れる事だって出来ただろうし。考えが脳裏を巡り、源吾郎は思わずため息をついた。レジ袋が、先程よりもずしりと重くなったような気さえしてしまう。
しかし過去の事をああだこうだと考えていても仕方がない。源吾郎は気を取り直し、コンビニを後にした。
「あ」
ゆっくりと歩いていた源吾郎の足取りが止まる。研修生の望玉蘭もまた、コンビニで食品を買おうとしていたのを目撃したためだ。先程まで気付かなかったのは、早く買い物を済ませようと慌てていたからだろう。
玉蘭もまた、どの弁当を買おうかと思案しているらしい。だが彼女が今いる所は、確か唐揚げとかハンバーグとかがメインのおかずになるような弁当ばかりが置かれているエリアだったような気もするが。