九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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若妖狐と夢の手がかり

 研究センターに戻った時には、既に始業時間まであと十分という所になっていた。もうこんな時間か、とは思いはしたが、慌てふためくほどでもない。今日は萩尾丸が不在であるためだ。時間に遅れただの何だのと小言を言うのは、大抵の場合萩尾丸だ。 

 その彼がいないとなれば、始業時間内であれば紅藤や青松丸はとやかく言わないだろう。

 

「あの、島崎さん」

 

 いずれにせよ、コンビニ弁当は冷蔵庫に入れておこう。そう思っていると、ふいに声を掛けられた。声の主は望玉蘭《ぼう・ぎょくらん》である。

 

「望小姐《ぼうしゃおじぇ》さん。どうされましたか」

 

 尋ねると、彼女は源吾郎と手にしているレジ袋とを交互に見やりながら口を開く。

 

「私も今日は食堂でお弁当を買ったのですが、食べるまで何処に置いていたら良いのか解らなかったんです。教えてくれるでしょうか」

「ええ。お弁当とか飲み物とかを入れておく冷蔵庫がありますので、一緒にそこに入れておきましょう」

 

 普段と異なり、玉蘭の物言いはしおらしかった。源吾郎はしかし、その事について特に深く考える事もなく、素直に購入した弁当の保管場所を彼女に伝える。

 敢えて飲食物を入れるという部分を伝えたのは、センター内にはそれ以外の用途に使う冷蔵庫ないし冷凍庫が二台ほどあるからだ。そうした所に食品を入れたら、それこそ紅藤に説教を喰らうであろう。

 玉蘭はホッとしたような表情を浮かべ、礼を述べた。

 望小姐さんは俺や雷園寺よりもうんと大人っぽいけれど、この研究センターにやって来てからは日が浅いもんな。そりゃあ解らない事もあるし、それで不安に思う事もあるか。

 二人で給湯室に向かいながら、源吾郎はそんな事を思った。

 袋に入れた弁当をブラブラさせる源吾郎とは対照的に、玉蘭はさも大切そうにレジ袋を抱えている。何か世間話でもした方が良いのかしら。そんな事を思っていると、玉蘭の方から口を開いた。

 

「島崎さん。今日は島崎さんも、何か雰囲気が違いますね」

 

 え。短い声が源吾郎の喉から漏れる。彼女の謎めいた言葉が何を意味するのか解らずに、思わず目を瞬いた。

 眼鏡のずれをたどたどしく調整し――そこで気付いた。眼鏡をかけているからなのだろうか、と。

 

「今日は寝過ごしてしまったので、それで眼鏡をかけてるんです。普段はコンタクトなんですけどね」

 

 そこまで説明すると、玉蘭は納得したらしい。彼女の視線は、今や源吾郎の顔や眼鏡ではなく、何故か弁当が入ったレジ袋に向けられている。

 

「寝過ごしてしまったんですね。それでさっき、コンビニでお弁当を買っていたんですね」

「あ、そこまでご存じでしたか」

 

 軽く驚きつつ問うと、玉蘭は頷いた。

 

「昼食を選んでいる最中に、島崎さんの姿をお見かけしたので……普段お弁当を持参されているので、ついつい珍しいなと思って見てしまったんです」

 

 丁寧な口調で、しかし淡々と語る玉蘭を前に、源吾郎は何とも言えない気分になった。コンビニを出る時に、源吾郎も玉蘭の姿を見ていた。しかし向こうもまた、源吾郎の姿を盗み見ていたとは。決まりの悪さと気まずさといくばくかの罪悪感が、源吾郎の脳裏で渦巻き始めた。

 そんな源吾郎の心の機微に気付いたのだろう。玉蘭が伏し目がちに言い添える。

 

「すみません。コンビニで島崎さんが買い物をしている事には気付いていました。ですが、お忙しそうだったので声を掛けなかったんです」

「いえ。そういう事なら大丈夫ですよ」

 

 玉蘭が心底申し訳なさそうな様子で告げたので、源吾郎も首を振った。

 それに自分が嫌でも注目されてしまう事も、源吾郎は十二分に解っていた。玉藻御前の末裔で力も強く、かつては野望を抱いていたのだから。玉蘭とて西王母に仕えている身なのだから、源吾郎の出自などについても知っているに違いない。

 あれこれと、解りきった事について考えていても仕方がない。そう思い直した源吾郎は、玉蘭の持つ弁当に視線を向けた。

 

「そう言えば、望小姐さんはどんなお弁当を買われたんですか? 僕は唐揚げとかフライが好きなんですけれど」

「わ、私はサラダで十分ですよ! だって草食のウサギなんですから」

 

 半ば被さるように玉蘭は応じた。言われてみればその通りだ、けったいな事を聞いてしまっただろうかと源吾郎は思った。

 冷蔵庫に各々の弁当を入れたのだけど、玉蘭が手にしていたのは、確かにキャベツやニンジンやクレソンの入ったミックスサラダだった。

 そうなるとやはり、肉料理がメインの弁当コーナーに彼女がいたのは気のせいだったのだろう。よく考えれば、源吾郎もコンビニの配置を熟知している訳でも無いし。

 

「島崎先輩の眼鏡姿って、珍しいっすねぇ」

「雷園寺君の言う通りだね。僕も、島崎君の眼鏡姿はたまにしか見ないかな」

 

 休憩時間。源吾郎たちは給湯スペースにたむろして、自販機で購入した飲み物やポットの湯で作った紅茶(妖怪向け)などと思い思いの飲み物を味わっていた。

 源吾郎の眼鏡云々に言及したのは雪羽だ。今回仕事の手伝いに来ていた穂谷先輩も、雪羽に同調して頷いている。

 余談だが、今回穂谷先輩が手伝いに来たのは、萩尾丸が所用で研究センターから離れたためだ。たいていの場合は理系筋である白川がやって来る事が殆どだ。但し今日は白川も体調不良という事らしく、代わりに穂谷先輩が来てくれた次第だ。

 

「ああ。今日は寝過ごしてしまって、それでコンタクトを入れる時間が無かったんだよ」

 

 源吾郎の言葉に、雪羽は肩をすくめて渋い顔をした。

 

「いっつも思うけどさ、島崎先輩ってばよくぞまぁコンタクトを入れたり外したり出来るよな。目玉に何かを貼り付けるなんて、俺は怖くて出来ないぜ」

 

 いささか大げさな物言いであったが、源吾郎は乾いた声で笑うだけだった。

 雷獣の名家の御曹司たるものが、コンタクトレンズに臆するとは――などとは思わない。雪羽どころか、ホップや米田さんも、源吾郎がコンタクトを入れる所を恐る恐る観察し、驚いたり痛がったり(?)するのだ。

 

「コンタクトを入れた方が、見た目がマシになるからと思ってやってるだけなんだけどね。それにしても穂谷さん。やっぱり妖怪の皆さんにしてみれば、コンタクトって怖いんですかね。雷園寺君だけじゃあなくて、米田さんもコンタクトを入れる所はこわごわ見てらっしゃるので」

「……まぁ、僕らは生まれつき近眼みたいなものだし、眼に何か入れてまで視力を矯正しようとは思わないかもね。よくよく考えたら、紅藤様や双睛鳥様だって、眼鏡をかけてらっしゃるじゃあないか」

「言われてみればそうですね」

 

 穂谷先輩の思いがけぬ指摘に、源吾郎は心底から納得してしまった。

 そんな中で、雪羽がふいに声を上げた。集まっている中で、妖狐二人が会話に没頭しているように見えて、疎外感でも覚えたのだろうか。そう思わしめるような気配が、彼の声にはあった。

 

「そもそもだけどさ、島崎先輩が寝坊するってのも珍しいっすね。先輩ってばホップちゃんの影響で朝方で、しかも夜更かしも殆どしないみたいだし」

「変な夢を見て、それで寝過ごしちゃったんだよ」

 

 変な夢、という単語を、源吾郎は何のこだわりもなく口にした。雪羽が寝過ごした事に対し、ごくごく自然に尋ねてきたからかもしれない。

 雪羽と穂谷先輩の表情はしかし、先程とは一変した。雪羽も思案顔を浮かべているし、穂谷先輩も何かがあると確信したような面持ちである。

 

「変な夢、か。言われてみれば、最近そう言う話はオトモダチの間でも話題に上っていたかな」

 

 変な夢が話題に上っている。雪羽の言葉に、源吾郎は思わずコップを強く握りしめた。薄暗い布団の中で見た、スマホの画面が、そこに記された呟きの数々が脳裏を掠める。やはりあれは夢や幻では無かったのだ、と。

 雷園寺君。手と声を震わせながら、源吾郎は尋ねる。変な夢というのがいかなるものなのか、聞いておかねばならない。源吾郎が予想しているものか否か確認しなくては。

 若い女性の、短い叫び声が聞こえたのは、丁度その時だった。声の主は望玉蘭である事は、わざわざ確認せずとも明らかな事だった。

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