九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

592 / 601
 残酷描写があるのでご注意ください。


ウサギとネズミと青い獣

 どうしたのだろうか。望玉蘭《ぼう・ぎょくらん》の叫びを耳にした源吾郎は、飲みかけのコップをそのままに給湯スペースを後にした。

 

「俺もついていくよ、島崎先輩」

「切羽詰まった声じゃあ無さそうですが、念のため、僕も見に行きましょうかね」

 

 雪羽たちには何も言わなかったが、二人とも源吾郎に付いていくつもりらしい。玉蘭の叫びが悲鳴ではなく、むしろ驚いただけの物である事は、源吾郎も気付いていた。だからこそ一人で向かっても大丈夫だろうと思い、特に何も言わなかったのだ。

 

「どうしたんです望小姐さん。叫び声が聞こえましたが」

 

 給湯スペースにいた源吾郎たちとは異なり、玉蘭は事務所の片隅で本を読んでいたようだ。やはりと言うべきか、危険なものが接近したような形跡はない。血の臭いなどは無いし、玉蘭自身も怯えている素振りは無かったからだ。

 とはいえ、彼女は驚いた表情を浮かべていたし、源吾郎たちを見て気まずそうに目を伏せてもいたが。

 

「ああ、島崎さんに雷園寺さん。驚かしてしまってすみません。休憩時間に勉強しようと思っていたら、何処からともなくネズミが飛び出してきたので……それでびっくりして、声を上げちゃったんです」

 

 言いながら、玉蘭はデスクの一角を指し示した。その先には、確かに一匹のネズミが鎮座している。大きさはハツカネズミほどだ。灰褐色の毛並みはやけに艶やかで、肉付きも良いようだ。しかも妖狐である源吾郎たちを前にしても、怯えたり逃げたりする素振りは無い。

 ネズミを見て、真っ先に動いたのは雪羽だった。彼は無造作に手を伸ばし、未だデスクに留まるネズミを捕獲したのだ。

 

「望小姐さん。うちの事務所には、時々こうしてネズミちゃんが出没するんすよ」

「ね、ネズミが出没するって……コンタミとかの危険は無いんですか?」

「大丈夫ですよ。このネズミちゃんは綺麗なネズミなんで」

 

 今や手のひらの上に収まったネズミを撫でながら、雪羽は言った。ネズミを撫でる手つきは優しげで、いかにも彼らしい撫で方だった。余人は彼を叔父に似て粗暴だの喧嘩っ早いなどと評するが、実際には優しく繊細な心根の持ち主なのだ。源吾郎などよりも、ずっと。

 いずれにせよ、だ。玉蘭は怪訝そうにネズミを見ていた。ネズミが不潔だという考えは別段おかしなものではない。綺麗なネズミという方が珍しいのだから。

 雪羽はだから、このネズミが何者であるかを玉蘭に伝えた。すなわち、第五幹部たる化けネズミ・真琴の使いとして立ち働くネズミである、と。彼らも小さな諜報員として外で立ち働いているのだが、人や他の動物に有害な病原菌ないしウィルスを保有している事はほぼ無いという。真琴が眷属たちに虫下しでも飲ませているのか、妖術による加護なのかは定かではないが。

 あるいは、仮に病原菌を保有していたとしても、センター長の紅藤が密かにどうにかしてくれているのかもしれない。源吾郎には詳しい事は解らないが、そう思って過ごしていた。

 

「紅藤様や、このネズミの親玉だというお方が、使いであるネズミに宿っているかもしれない病原菌を駆逐しているのね。ええ、ええ。私はその言葉を信じるわ。紅藤様なら、難なく出来そうだもの」

 

 雪羽や源吾郎の説明はたどたどしかった。しかし玉蘭は納得してくれたのだから問題無かろう。

 そわそわした様子で雪羽が壁掛け時計に視線を走らせる。休憩時間が後わずかである事を読み取った彼は、少し上ずった声で源吾郎たちに告げた。

 

「それじゃ、俺はこのネズミちゃんを放流するよ。きっとこいつも、真琴様の所へ情報を持って帰りたいだろうからさ」

「チュウ。チチチ……」

 

 よもや雪羽の言葉に呼応した訳では無かろうが、彼の手のひらの上でネズミが啼いた。雪羽にはネズミの啼き声は聞こえなかったらしい。吹き出してしまった源吾郎に首を傾げつつも、ネズミを手に乗せたまま事務所を後にした。

 あとには玉蘭と、妖狐二人が取り残された。源吾郎と穂谷先輩は大丈夫であろうと判断し、仕事に備えて持ち場に戻った。

 

「――丸々として、美味しそうだわ」

 

 玉蘭に背を向け、自分のデスクに向かおうとしたときに、囁き声が聞こえてきたような気がした。振り返って玉蘭の顔を確かめたかったが、そんな事をすれば怪しまれるし良い思いをしないだろうと考え直し、何事も無かったかのように歩を進めた。

 

 源吾郎にとって、スーパーの特売は欠かせないものだった。食品や日用品などと言った、日々購入し消費するものの出費は抑えたいと思っているためだ。

 恥ずかしい話であるが、源吾郎は貯蓄が苦手だった。曾祖母のように、酒食に溺れ、贅を凝らした暮らしを送っているから……ではない。

 魔道具や護符の調達。いまやいっぱしの術者とも見做される源吾郎は、そうした事に給料の多くをつぎ込んでいた。四尾の中級妖怪であれば、護符や魔道具で身を固めずとも、大抵の相手はどうにかなるという考えもあるだろう。

 生憎と、源吾郎が対峙する相手は、源吾郎の力のみでどうにかなるような相手は殆どいない。仕方のない事だった。源吾郎は野望を抱き、野望の奴隷になったのだから。大いなる力には大いなる責任が伴い、権力を欲すれば欲するほど、厄介な敵が立ちはだかるのは、世の習いというものだ。

 ともあれそうした事情から、源吾郎は魔道具や護符の類には金を惜しまなかった。ついでに言えば、ホップを養育するための費用もかさんだ。ゆえに切り詰められそうなところを切り詰めるべく、今宵もスーパーの特売に向かうのだ。

 幸いな事に、特売に向かうべく定時で仕事を上がっても、上司たちは特に何も言わない。理解ある上司がいるというのは、やはり良い事でもあった。

 

 安堵したような表情を浮かべつつ、源吾郎はスーパーの駐輪場へと向かった。右手に提げたエコバッグはずっしりと重い。買うべきものを購入できた重みに、源吾郎は思わずにんまりとした。

 親兄姉を伴わず、たった一人でスーパーの特売に挑むようになってから、かれこれ六年が経過していた。初めのうちは目当ての品を買いそびれる事もあったが、ここ数年は首尾よく出来ているように思う。

 あるいは、店員や買い物客が源吾郎の事を覚えてくれているのも大きいかもしれない。店員にしろ客にしろ、人生経験豊富なご婦人が多い。自分の息子や甥ほどの年齢の源吾郎を見ていると、親しみや情愛を感じるようになるのかもしれない。

 源吾郎は、年長者の心を捉え、可愛がられる術を知っていた。玉藻御前が持っていた籠絡術ではない。末っ子として生まれたが故の特性だった。

 取り敢えず、家に帰って鶏肉の下ごしらえでもしようか。玲香さんはまだ仕事で遠征だけど、もしかしたらこっちに立ち寄るかもしれないし。

 そんな事をつらつらと考えながら、ママチャリを解錠しカゴに荷物を入れる。

 スーパーから居住区までは、自転車で僅か十分足らずの場所である。向かうルートについても頭に入っているから、特段問題はない。

 源吾郎はだから、特に気負わずに自転車を走らせた。

 

 妙だなと感じたのは、自転車を走らせて少ししてからの事だった。見慣れた光景が広がっているようなのだが、何かが違う。もしかしたら、うっかりして一つ二つ違う筋に入ってしまったのだろうか。

 よしんばそうだったとしても、この辺りの道は途中で合流するようになっている。だから途中で違う道に進めば、元の場所に戻れるかもしれない。

 源吾郎は自転車をこぐ速度を落とし、やがてハンドルを持って自転車を引く形で歩き始めた。引き返せば良かったのかもしれない。しかしこの町の道筋を既に熟知しているという自負心が、進んで別の道を探すという事を選んでしまった。

 進んでいるうちに、違和感めいたものが胸の中で暴れ始めた。先程も抱いた感覚だ。しかし先程よりも一層強まっている。

 これは大人しく引き返した方が良いのではないか。ついにそんな考えが脳裏をよぎる。だが源吾郎の身体は源吾郎の意思を裏切って、前進し続けていた。

 異変がある事、その異変に近付いている事は既に明らかだ。何しろ源吾郎の鼻は、複数の臭いを嗅ぎ取ってすらいた。奇怪な異臭と、血の臭いを。

 

 そして、ついに、源吾郎は目の当たりにした。

 

 ささやかな星明りと街灯に照らされた地面には、何羽ものウサギたちが輪を描くようにして集合している。彼らが取り囲んでいるのは、四つ足と尾と頭部を具えた、しかし見た事も無い獣だった。

 光の加減で碧、青、群青、紫と毛皮の色は変化していき、そもそも胴体の側面には宝石ともリンパ液の塊ともつかぬものが浮き上がっている。鉤爪を具えた四肢は、頭部の反対側から伸びている尻尾に似ていた――つまるところねじれており、普通の獣の関節とは違うようだった。

 そして青い毛皮の獣は、おびただしい量の血を流して倒れていた。よく見れば、ウサギたちのクリーム色の毛皮にも、血が飛び散っている。

 これは一体何なんだ。俺は何を見ているんだ。進む事も引き返す事も忘れ、源吾郎は棒立ちとなっていた。自転車を倒さなかった事だけでも大したものだろう。

 と、謎めいた獣を取り囲むウサギの輪が、にわかに崩れた。ウサギたちは耳を動かし横を向き、一羽また一羽と跳ね始めたのだ。

 

「ああ、それにしても、※※猫のやつはこんな所にまでやって来ていたのね」

 

 ウサギたちが進んでいく方角から声が聞こえる。人影が立っているのがかろうじて見えた。しかし人影の輪郭はひどく曖昧で、何者なのか解らない。

 

「ええ、ええ。作戦は昨晩話したでしょ。首尾よくやるのよ。そうすれば、私たちは※※センターの連中を……できるんだから」

 

 声はウサギたちに何か話しかけている。若い女と思しき声だが、所々ノイズが入って聞き取れなかった。しかし今、研究センターと言わなかったか。

 詳しく話を聞こうと思い、源吾郎は一歩踏み出した。枯葉を踏む音が、思いがけぬほど大きく響く。

 

「!!」

 

 ウサギたちが、得意げに話していた影が、源吾郎の存在に気付いた。

 これはマズい。源吾郎は半ば本能的に身構えた。誰も何も言わないが、見てはいけない物を見てしまったのだと直感的に悟った。

 女の声で喋っていた影が、二歩ばかり源吾郎の前ににじり寄る。その姿がおぼろに見えた気がした。

 次の瞬間、つむじ風が源吾郎を取り巻き、視界を覆う。源吾郎は思わず顔を覆った。購入した肉や野菜を入れた袋は落とさなかったが、弾みで自転車のハンドルを手放してしまった。

 すぐ隣で、ガシャンと大きな音が響く。ママチャリが横転し、車輪がむなしく回転していた。

 それでママチャリが壊れたりしないだろうか――屈みこんで様子を見る。

 源吾郎はその時、自分が何故か研究センターの前に戻っている事に気が付いた。

 

※コンタミ:研究所や製造現場にて、意図しない物質が混入する事。

 俗にいう異物混入や汚染とほぼ同義。研究所でよく使われる言葉である(筆者註)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。