九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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 残酷描写があるのでご注意ください。


入り込みたるは異形の魔獣

 工場棟内部の説明については、特段問題なく進んだ。源吾郎たちが玉蘭に説明するように命じられたところは、現場作業なれど源吾郎たちもよく知っている部分だったからだ。

 更に言えば、萩尾丸は特に真面目そうな作業員(正社員でもある)に声を掛け、彼ら彼女らに説明するように命じてもいた。

 いつの間にか萩尾丸の側近よろしく歩を進めていた玉蘭は、工場棟内部の説明に目を輝かせていた。彼女が旺盛な探求心の持ち主である事は、無論源吾郎も知っている。何せ紅藤に、薬剤調整のやり方を進言しようとしたほどなのだ。

 流石に今ではそうした振る舞いはなりを潜めている。しかし紅藤や萩尾丸が行う業務に、好奇心を持って取り組んでいる事は言うまでもない。

 彼女は今も、化け狸の娘の話に耳を傾けながらメモを取っていた。

 雪羽と源吾郎は勉強熱心だなぁと密かに感心し、萩尾丸は鷹揚に笑っていた。

 

「望小姐《ぼうしゃおじぇ》どのには教育訓練を書いていただこうかなと思っていたんだけど、その調子だと議事録も書けそうだね。

 ああ、ちなみに教育訓練も議事録も、日本語で書くのが大変だったら中国語でも構わないよ。紅藤様や青松丸君は、もちろん中国語が読めるからね。それに島崎君や雷園寺君の勉強にもなるってやつさ」

「いえ、いえ。日本語で書くつもりですが……」

 

 萩尾丸の言葉に、さしもの玉蘭も驚いた様子を見せていた。化け狸の少女などはおったまげたようで目を瞬かせているではないか。

 と、玉蘭が何かに気付いたように身を震わせる。白衣のポケットにメモ帳とボールペンをしまい込むと、何処か決然とした表情で彼女は告げた。

 

「あの、すみません萩尾丸さん。少しお手洗いに行きたいのですが、大丈夫でしょうか」

 

 出し抜けに玉蘭が言うものだから、源吾郎は化け狸の少女と共に目を丸くしてしまった。しかし萩尾丸は涼しい顔で、別に構わないと言うだけだ。

 一礼し、玉蘭は小走り気味に一行から離れていく。彼女の姿が見えなくなったところで、化け狸の少女がぽつりと呟いた。

 

「あのう、望さんって中国からの研修生なのですか」

「まぁ確かに、彼女は大陸の妖怪ではあるかな」

 

 萩尾丸の返答は、何ともぼやけたものだった。彼の事だから、玉蘭が西王母の眷属である事を公言するものだと思っていた。何故隠したのだろう。ふいに浮き上がった疑問は、しかし化け狸の少女を見ているうちに霧散した。

 

「そうですか。やっぱり望さんって凄いお方なんですね。遠い国からやってこられたのに、綺麗な日本語も話しておいでですし、島崎さんたちと一緒でも気後れする様子もありませんし……」

 

 うっとりとした口調で、化け狸の少女は語った。言葉の奥にあるのは、望玉蘭に対する憧れの念、だけではない。幸か不幸か、源吾郎はその事に気付いてしまった。

 表情を変え、化け狸の少女は続ける。

 

「私なんかは、望さんに仕事の説明をするだけでも緊張してしまいました。とても……」

「佐伯ちゃん。もしかして望小姐さんの事を()()って思っちゃったのかい?」

 

 口ごもる少女に対し、雪羽が軽い口調で尋ねてくる。その面には、悪戯を思いついた子供のような笑みが広がっていた。しかし厭味な雰囲気を伴わないのは、見目の良さとからりとした気質ゆえの事だろう。雪羽は今でも粗暴で気短な節はある。しかし陰険さとは無縁の若者だ。

 

「でもさ、佐伯ちゃんは化け狸じゃあないか。狸と言えばイヌ科なんだからさ、ウサギを怖がってちゃあ世話ないぜしかも最近は、ブームか何かであちこちでウサギを見かけるようになったんだからさぁ」

 

 雪羽の口から飛び出したのは、これまた無邪気な正論だった。狸はイヌ科で肉食の性質もあるし、ウサギとて捕食する事はあるという。雪羽は間違った事を言っている訳ではない。しかし素直に受け取れるかどうかは別問題だった。当事者たる化け狸の少女も、困ったような表情を見せているし。

 

「元の動物ならばいざ知らず、妖怪化してしまうと、食物連鎖のくびきから逃れてしまう事とて出来てしまうんだよ」

 

 化け狸に助け舟を出し、ついで雪羽を諫めたのは萩尾丸だった。いつもの小馬鹿にするような表情でもって、雪羽と源吾郎とを交互に眺めている。

 

「雷園寺君。よぉく考えてみたまえ。我々は雉鶏精一派という雉妖怪が設立した組織に所属し、第二事業所の責任者は雉仙女たる紅藤様だ。紅藤様は確かに雉ではあるけれど、その辺の犬猫や狐狸の類を恐れると思うかい?」

「いえ、そんな事は無いです。それどころか、虎狼ですら紅藤様を見れば尻尾を巻いて逃げてしまうかもしれません」

 

 言いながら、雪羽はハッとした表情を浮かべた。萩尾丸が言わんとしている事に気が付いたらしい。

 

「多分、私がウサギを怖いなって思ったのは、カチカチ山の影響かもしれないんです。あれ、全体的に不気味な話ですし」

 

 化け狸の佐伯は、取り繕うように呟いた。残念な事に、萩尾丸や雪羽は彼女の言葉に意識を向けていなかったらしい。そう言う考えもあるのだと、源吾郎は感心し目を丸くした。思えばカチカチ山は狸とウサギの物語である。であれば、狸が件の話を聞けば、人間や狐とはまた異なる感想を抱くのも、ごくごく自然な事であろう。

 

「待たせてしまってすみません……」

 

 そうこうしているうちに、玉蘭が早歩き気味に戻って来た。白い顔は頬が火照ったように色づいており、ブドウ色の瞳はせわしく周囲を見渡している。少し具合でも悪かったのだろうか。玉蘭はしかし、合流した一行に遅れることなく付いて来た。

 佐伯と別れる所で、源吾郎は彼女に一礼した。得意先の視察が終わった現場責任者のように、彼女の顔に安堵の色が広がっていく。

 

 一行が工場棟を出たのは、あと二十分ほどで昼休憩に入るという頃だった。萩尾丸が欲張ってあちこちのセクションを回ったので、見学といえどもそこそこ時間を使ったのだ。

 もしかしたら、各工程の説明を、源吾郎たちだけに任せなかったのも、時間を使う遠因かもしれない。萩尾丸は気まぐれに社員を捕まえては、自分がやっている仕事や機械について玉蘭に説明するように命じたのだ。しかも社員たちは、化け狸の佐伯のように、へどもどしながら語る事が殆どだった。萩尾丸に急に命じられたからだろうか。

 

「おっ。いつの間にか晴れてるやんか」

 

 ふいに雪羽が口を開いた。つられて源吾郎も視線を上に向ける。朝方は空を覆っていた分厚い雲は、とうに何処かへ消えたらしい。目が痛くなるほどに澄んだ青空が広がっていた。晩春の陽光は思いがけないほどに熱く、そのせいでアスファルトを割って伸びている雑草たちがそよぐようだ。

 ほんとだねぇ。源吾郎もまた、呼応するように呟いた。

 

「朝方は雨でも降るんかなってくらいに曇っていたから、晴れたのにはびっくりしたよ。最近雨が多かったし。洗濯物を干すのにはうってつけだなぁ」

「洗濯物って、なんか主婦みたいな言い方っすね」

「何、俺は結婚したら兼業主夫になるつもりだぞ。玲香さんは仕事一筋だからさ」

「哎呀、島崎君って恋人がいたんですね。そう言う雰囲気が無かったから……」

「あはは、島崎先輩は大分堅物ですからねぇ。望小姐さんが勘違いされるのも無理ないっすよ」

 

 何やら会話が妙な方向へと向かっているような気もしたが、源吾郎は深く追求しなかった。米田さんと交際している事、そろそろ結婚を考えている事は、別段隠すような事では無いからだ。

 いずれにせよ、平和で長閑な瞬間だった。春の終わりの日差しを浴びて、他愛のない事を言い合って盛り上がる。何か意味のある事をしている訳ではない。だが得難く貴い瞬間であるように思えた。

 だからこそ――源吾郎は異変に気付くのが遅れてしまった。

 

「たたた、助けて、上官殿!」

 

 少年めいた切羽詰まった悲鳴と共に、何かが弾丸のように駆け込んでくる。あまりにもすばしっこいために、源吾郎の目にはクリーム色の毛玉の残像にしか見えなかった。

 何でウサギが入って来てるんだ。雪羽が戸惑ったように声を上げる。その時には、毛玉の弾丸はド派手な国産車のボンネットの上に着地していた。うっすらとバンパーが凹んでいるのは気のせいだろうか。

 雪羽の言葉通り、闖入者はウサギだった。クリーム色の毛皮は、所々血で汚れている。彼(彼女?)の身体から、うっすらと妖気らしきものが立ち上っている事に、源吾郎は気付いた。

 ああしかし、妖怪ウサギの侵入ですら、些事としか思えなかった。錯乱し、怯えた素振りを見せるウサギの隣に、何かが投げつけられた。それは半分になったウサギの下半身である。まろび出た臓物と血が、磨き上げられた車体を汚らわしく彩っていた。

 

「……全く、威勢のいい兵隊ウサギかと思っていたら、旗色が悪くなったら尻尾を巻いて逃げやがって。それでも月面でデカい面出来るのかよ!」

「はは、はは。その方が、拷問した時に楽しいじゃないか。我らの神も、さぞやお喜びになるに違いない。」

 

 冒涜的な言葉を吐きながら、ウサギを追ってそれらは堂々と研究センターの敷地に足を踏み入れた。尻尾や横っ腹に返り血を浴びた極彩色の毛皮を纏う四足獣と、山羊めいた角と蹄を持つ矮躯の人型だ。山羊人間は簡素な造りの槍を携えており、その先にはウサギの骸がぶら下がっていた。

 闖入者が何者であるかは解らない。しかし、良くないものである事は明らかだった。

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