腹に抱えている物を洗いざらい話したまえ。萩尾丸の脅しめいた言葉を受けても、玉蘭は相変わらず冷静さを保っているようだった。
「ええ、ええ。他の方もお見えになろうとしているみたいですし、本当の事は語りますわ」
サカイ先輩から受け取った替えの衣裳に袖を通しつつ、玉蘭は言う。落ち着いてはいるが、ある種の諦観が籠った表情も浮かんでいる。
「ですが萩尾丸さん。少しだけお時間を頂けますでしょうか」
隠蔽工作をするなら承知しないよ。冗談とも本気ともつかぬ萩尾丸の言葉に、玉蘭は慌てて首を振った。彼女曰く、お腹が空いているから何か口にしたいとの事だった。萩尾丸は、あっさりと玉蘭の申し出を受け容れた。
玉蘭はホッとしたような笑みを浮かべると、なんと近くに横たわる山羊男の骸に手を伸ばしたのだ。源吾郎たちが呆然としている間に、彼女は山羊男の脇腹の傷に手を差し入れた。傷口を拡げ、中に納まっていた臓物を引きずり出す。血の滴る、肝臓と思しきそれを鷲掴みにし、大口を開けて喰らおうとしているではないか。
玉兎が――月のウサギが、である。
「待ちたまえ」
萩尾丸も、流石に玉蘭の挙動に驚いたようだ。彼女の行動を制する彼の声には、慌てた様子が多分に含まれていた。玉兎が斃した異形のはらわたを喰らおうとしているのだから、そりゃあ驚いたり慌てたりするのも自然な事だろう。
「望玉蘭どの。今から紅藤様や他の幹部陣に現場の状況を見て頂いて、その上で何が起きたか説明しようと思っていたんだ。だから、現場を荒らすような真似は謹んでくれたまえ」
指摘するのは
源吾郎と雪羽が戸惑っている間に、サカイ先輩が玉蘭の許に近付いた。玉蘭は既に、掴み取った山羊男の肝臓を地面に放り捨てていた。彼女もまた、臆せず薄茶色のブロックが入ったチャック袋を玉蘭の方に差し出した。
「望玉蘭さん。お、お肉がお好きなら、こちらの蛇ブロックをどうぞ。小麦粉とかドライフルーツとかも使ってるし、何よりお師匠様が作った物だから、お、美味しいよ」
「ありがとうございます、サカイさん。やはり野菜ばかりだと、お腹に溜まらないのでどうしようもないですもの。特に今は、闘って再生した後なのですから」
言うや否や、玉蘭はサカイ先輩から蛇ブロックを受け取り、そのまま猛然と食べ始めた。草などは喰った気がしないという、
サカイ先輩は、今度は源吾郎たちの方へと来ていた。玉蘭に手渡したものと同じ蛇ブロックの袋を、丁寧に二つ携えてだ。
「あ、あの。雷園寺君と島崎君もいるかな? 多分きっと、お昼だからお、お腹も空いているだろうし……」
「ありがとうございます! 俺、そろそろお腹が空いてきたところだったんすよ」
人型に変化し直した雪羽は、嬉しそうな様子で蛇ブロックを受け取っていた。獣妖怪である雷獣にとって、蛇や昆虫の類も動物性たんぱく源でしかない。ついでに言えばきちんと加熱調理されてあるので、雪羽が拒絶する理由は何一つない。
それにしても。周囲を一瞥し、雪羽に視線を戻しながら、源吾郎は静かに思った。流血の乱闘を終え、死骸が未だ散乱する状況下で、空腹を覚えたり食欲がわいたりするものなのだろうか、と。
源吾郎は食欲など吹き飛んでいた。元より妖狐であるから食い溜めも出来る。一食抜いても生命に関わる事はまずない。
だが結局のところ、源吾郎も蛇ブロックを受け取った。場の空気を読んでの事だ。
それにしても。思念とも呟きともつかぬものが零れ落ちる。玉蘭と萩尾丸の視線がこちらに向いたから、思っていた事を口にしたのかもしれない。
続きを言いたまえと、萩尾丸が目で促す。源吾郎は続けた。
「玉兎である望小姐《ぼうしゃおじぇ》さんが、まさかお肉を、それも斃した相手のはらわたを食べようとなさったので、びっくりしましたよ」
「ウサギはウサギでも月のウサギだからね。僕たちが知っているウサギとは食性が違うんだよ。月面で暮らしているような連中だし、何より玉兎は餅を搗いて食べているとも言うじゃないか。して思えば、玉兎はウサギと言えども雑食性の強い妖獣だろうね」
言うまでもない話だが、普通のウサギは基本的に草食である。かつては飼育小屋にいたウサギに野菜と共にパンを与えていたという話もあるが、炭水化物の多い食材は、ウサギの身体に適しているとは言い難い。
炭水化物の塊とも言える餅を搗き、食材としている。そう思えば、確かに玉兎の食性は、源吾郎の知るウサギと違ってしかるべきであろう。月のウサギとは、草食ではなく雑食なのかもしれない。
成程それならば一理あるなと納得していると、萩尾丸は更に言葉を続けた。
「それにね島崎君。獣を襲い肉を喰らう魔物のウサギの伝承も、各地には残っているんだよ。角を具え猛獣すら逃げ惑うアルミラージュや、勇猛な騎士や冒険者の首を落とすという首狩り兎などが有名かな。そうでなくとも、普通のウサギだって出産後は後産を食べたり、ストレスで仔ウサギを喰い殺す事もあるんだ。月のウサギが肉を喰らう程度で、狼狽えなくても良いだろう」
「萩尾丸さん。あなたの言うアルミラージュや首狩り兎は、やはり私たちの
蛇ブロックを貪っていた玉蘭が、顔を上げて言った。萩尾丸は笑みを深めた。新たな知見を得られたと喜んでいるのか、戸惑う若妖怪を納得できると思ったのか。若妖怪たる源吾郎には、彼の腹の底など解らなかった。
※
地上の者からは穢れなき楽園と思われている月世界であるが、それは単に、かぐや姫や嫦娥と言った月を司る女神や仙女の居住区であるからに過ぎない。
月世界に暮らすのは、穏当な月の女神と彼女の配下である仙女や玉兎を筆頭とした妖獣たちだけではない。女神や仙女たちと敵対する、冒涜的で邪悪な存在もまた、月世界には存在した。
月棲獣《げっせいじゅう》は、月世界の邪悪な存在の筆頭格であろう。連中は月世界に古くから暮らしているものの、月に移り住んだ神々を崇拝せず敵対視していた。また月棲獣は自分以外の種族を捕らえて奴隷とし、おのれが信仰する這い寄る混沌の供物として捧げる事もままあった。その上連中は自身の娯楽のために拷問を行う事もあるという。老いも若きもオスもメスも、月棲獣は残忍で冷酷な連中ばかりなのだ。
その月棲獣が同盟を結び、(比較的)拷問を施さずに友好的な関係を構築している種族というのが土星猫であるが、こいつもまた厄介極まりない存在である。土星出身の癖に月世界にも出入りする、極彩色の肉体と宝石めいた器官をもつ土星猫は、地球に生息する猫と敵対しており、地球上の猫を殲滅せんと考えているという。いや最近は地球在住の猫どころか、地球に暮らす獣たちを一掃すれば良いのではないかという考えに傾倒しているらしい。彼らが地球に舞い降りたら、猫だけではなく他の哺乳類も、絶滅の憂き目に遭う恐れがあるのだ。
そんなろくでもない怪物と猫畜生の存在を、嫦娥が疎ましく思うのは言うまでもない。ゆえに嫦娥や他の仙女たちに仕える玉兎は、月棲獣と土星猫の連合軍と日夜戦争を繰り広げているという次第だ。玉兎も玉兎で地球上の猫たちの力を借りる事もあるという。そのせいか、玉兎と月棲獣の闘いは、長らく続いているのだそうだ。時に勝ち戦となり、時に負け戦となりながら。
「……土星猫というのは俺も見た事があるよ。雷獣だからさ、上空一万メートル以上の所も飛び回ったりするわけ。その時に、六本脚のやつとかそこに転がっているカラフルなやつとかを見かけるんだよ。最近兄貴たちから、危険だから飛ぶのは五千メートルまでにしておけって言われてるし。
それで……月棲獣って言うのはあの山羊みたいなやつの事かい?」
望玉蘭の説明を打ち切ってまで質問を投げかけたのは、第八幹部の三國だった。さも当然のように上空一万メートルを飛び、ごく自然に土星猫に遭遇したと彼は言っている。何処に驚けば良いのか、源吾郎には解らなかった。
玉蘭が応じるよりも先に、重臣であり妻である月華が口を開いた。
「あなた。あの山羊みたいな半獣は月棲獣じゃあないわ。確かレンの人と言って、月棲獣の労働奴隷とかそんなものだったはずよ」
「ええ、ええ。月華どのの言う通りですわ」
玉蘭はここで、ようやく口を開いた。彼女は説明を遮られたにも拘わらず、気を悪くしたという雰囲気は見せていない。
「月棲獣は、月世界では何処であれ我が物顔で闊歩しているのですが、月の外に出て自身の姿を晒す事を極端に嫌うのです。それ故に、地球を訪れる時は、土星猫や奴隷であるレンの人を遣う事がままあります。今回は、それでも月棲獣が一匹同行していたようですが」
三國夫妻や他の幹部たちは、未だ散らばる骸や玉蘭を交互に眺めながら、納得したような表情を見せた。
第一幹部の峰白が、小さく頷きながら口を開いたのはこの時だった。
「望玉蘭。玉兎であり月世界の構成員であるあんたが、厄介な敵と日夜殺し合いを繰り広げている事はよぉく解ったわ。だけど、それならば何故私たち雉鶏精一派をその闘争に巻き込もうとしたの?」
一度言葉を区切ると、峰白は目を細めた。玉蘭を睨む峰白の瞳孔は、大型爬虫類やある種の恐竜のように、縦に裂けているのではないか――そんな考えが、源吾郎の胃の腑からせり上がって来る。
いやむしろ、峰白自身の姿が太古に滅びたという恐鳥類や大恐竜の姿に変じてもおかしくない。そんな荒唐無稽な考えを呼び起こさせるような気配が、峰白の全身から放出されていた。端的に言えば、敵意と殺意だ。
「しかも聞いた話だと、あんたは紅藤に対して西王母の眷属で研修を行いたいなんて嘘を言って研究センターに潜入したそうじゃない。その上で敵である月棲獣や土星猫を呼び込んだなんて……あんた本当はうちを潰そうと目論んでいるんじゃあなくて?」
「そんな、そこまで大それた事は考えていません」
峰白の殺気には流石に恐れをなしたのだろう。叫んだ玉蘭の声は震え、顔は僅かに引き攣っていた。
「ええ。ええ。確かに私が、密命を受けてこちらの雉鶏精一派に潜り込んだ事は事実です。その上で、あなた方が月棲獣たちを敵対するように仕向けた事もまた変わりありません。ただ……ここまで派手な大立回りになる事は、想定外でしたが」
玉蘭は言うと、居並ぶ八頭衆と彼らの重臣たちから視線を外した。彼女はまず傍らに侍るウサギを見やり、次に悪趣味な現代アートよろしく半壊した国産車を見やった。
玉蘭への尋問は、まだ始まったばかりだ。