またぞろ闖入者が研究センター内にやって来た事は、四尾に過ぎない源吾郎にもすぐに解った。何しろ相手は、妖気とも何ともつかぬものを隠すなどと言う小細工をせずに、敷地内に舞い降りてきたのだから。
「島崎君に雷園寺君! 事務所から出ちゃ駄目。誰が来たのか、わたしが確認するから」
言うや否や、サカイ先輩は身を翻して事務所を後にした。転移術などを使わずに、歩いてドアから出て行ったのは、結界術を行使したためだろう。紅藤も源吾郎や雪羽の身を案じるが、サカイ先輩も同じような所がある。ペットは飼い主に似るというが、従業員は雇い主に似るという事かもしれない。
雪羽と顔を見合わせる中で、望玉蘭は呑気に耳を動かすだけだった。
「サカイさんは用心なさっているようだけど、別に月棲獣や彼らの眷属が攻め入った訳じゃあありませんので、警戒しなくても大丈夫ですわ」
「もしかして、望小姐さんは誰が来たのかご存じなんですか」
戸惑い混じりに放たれた雪羽の問いに、望玉蘭は頷く。それから顔を斜め下に向け、小さな鼻を小刻みに震わせた。
「雰囲気からして西王母様のお遣いね。きっと、小桂娥様の件でこっちに駆け付けたのだわ」
望玉蘭の推理が正しかったのは、数秒後に明らかになる。サカイ先輩がおっとり刀で戻ってきて、同じ事を報告したのだから。その時には、源吾郎と雪羽を護るための結界は、既に解除されていた。
※
西王母の遣いたちが来ているという報せを受けた源吾郎は、雪羽や玉蘭と共に会議室に出向く事になった。来訪者たちが、源吾郎たちと共に会話する事を望んだためだ。雉鶏精一派の中では若狐の平社員扱いの源吾郎であるが、これでも金毛九尾の末裔である。しかも玉兎側が金毛九尾の末裔に因縁をつけている節もあるのだから尚更であろう。
促されるままに駆け付けた源吾郎は、上司たちと同じく西王母の遣いたちと相対する事となった。
やって来ていたのは二名。どちらも唐風の衣裳を身にまとっている。一人は青を基調とした衣裳であり、首周りや袖周りには羽毛を想起させる房飾りで彩られていた。匂いや妖気の質からして鳥妖怪だろう。もう一人は白を基調とした衣裳を身にまとっていたのだが、角を具えた怪羊の伯洋児その妖だった。
伯洋児との思いがけぬ再会に、源吾郎は小さく声を上げてしまった。羊力大仙の生まれ変わりとして玄三羊に作られた彼が、何故西王母の遣いをやっているのか。今考えるべき事ではないのに、沸き上がった疑問で頭が一杯になってしまった。
「あ、あの。これで皆さんお揃いでしょうか」
声を上げたのは鳥妖怪の青年だった。やんごとなき身分と在野の妖怪とは桁違いの妖力を持つはずの彼は、しかし何処かおどおどした様子で源吾郎たちを眺めている。
萩尾丸が皆揃ったと告げると、鳥妖怪は畏まった様子で自分たちの自己紹介を行った。伯洋児はやはり伯洋児であった。そして鳥妖怪の方は、
青鳥というのは、西王母の伝令ないし生贄の調達係として侍る化鳥たちの一羽である。三青鳥とも言われる化鳥たちの中での序列は最下位だが、西王母の側近中の側近である事には変わりない。
そんな彼が、在野の妖怪たる紅藤たちを前にして、おどおどとした態度を取るのが不思議でならなかった。少し前に、無邪気に無意識のままに尊大に振舞っていた小桂娥の姿が脳裏にちらつくから尚更だ。七代目、という言葉も気になるし。
源吾郎があれこれ考えているうちに、青鳥は再び口を開いていた。
「雉鶏精一派の皆様方。本日は誠にお忙しい所、私どもとの面会の時間を作っていただき、本当にありがとうございます。そして、そして僕たちの身内が失礼な事をしてしまって本当に申し訳ない所です」
「数時間前に私らの許にやって来た、小桂娥とかいう仙女は、本当にあんたの身内なの? あの仙女とあんたは大違いだけれど」
「峰白様……」
忖度も何もない、率直な峰白の言葉に、緑樹が狼狽えたように声を上げる。伯洋児は興味深そうに青鳥と峰白とを交互に眺めていた。
当の青鳥はというと、営業スマイルを薄く顔に貼り付けながら頷いた。峰白の限度に対する憤慨や不満の念は、一切見られなかった。
「峰白どのが仰る通り、私と小桂娥様は確かに異なる種族同士ではあります。ですが、西王母様の管轄である事には変わりないので、身内といっても過言ではないのです」
「ああ成程。そういう事だったのね」
「青鳥様の仰った身内という言葉は、血縁関係というよりも同じ組織に属しているか否かという意味合いだったようですね」
「そういう意味なら、俺ら雉鶏精一派とも似ているのかな」
青鳥の説明に、問いを発した峰白が納得の声を上げていた。彼女以外にも、八頭衆の面々がおのれの考えを口にするのがチラホラと聞こえてくる。
萩尾丸が咳払いすると、八頭衆たちのざわめきがぴたりと止んだ。どうやら彼が司会進行役を務めているらしい。幹部としての序列は低いものの、古参メンバーであるために、萩尾丸をないがしろにする存在は少ないのだ。
「すみませんね青鳥様。お話を続けて下さい」
「ありがとうございます。この度私どもが参りましたのは、小桂娥様の件についての謝罪と……雉鶏精一派の皆様へ、月世界の現状を説明するためでございます。小桂娥様にしろ望玉蘭どのにしろ、まともな説明は行っていないようなので」
「月世界の現状についての説明ですって」
青鳥の言葉に、またしても峰白が喰いついた。
「随分とまだるっこしい話ねぇ。要は月世界で蠢く化け物連中を打ち滅ぼすために、私たちに助力して欲しいって事でしょう」
躊躇いも何もない峰白の言葉に、青鳥の身体がびくっと震えた。さしもの伯洋児も、心配そうに青鳥を眺めている。
源吾郎だって驚いてしまった。何せ彼女は、外部の戦争に加担するという事について、期待と喜びの色を滲ませていたのだから。
「峰白のお姉様」
いつになく真剣な声音で紅藤が呼びかける。ある種の凄味を見せながら、紅藤は言葉を続けた。
「急いては事を仕損じると、昔から言うではありませんか。月世界の闘争に助力するか否かは、青鳥様のお話を聞いてから判断しても良いのではなくて?」
「ええ、ええ。私も雉仙女殿と同じ考えですよ。今回は、の話ですが」
「僕もお二人と同じ考えです」
紅藤が峰白を諫め、更に灰高と緑樹が賛同した。緑樹の反応はさておき、中々に珍しい光景である。普段であれば、大雑把な考えを口にした紅藤を、峰白が諫める事が多いのだから。
峰白も冷静さを取り戻したらしい。尊大な態度は崩れないが、青鳥に続きを言うようにと促したのだった。
畏まった様子で、青鳥は言葉を紡いでいった。時たま、伯洋児による解説や補足説明も差し挟みながら。
「――とまぁ、月世界の今の情勢はこのような感じになります」
青鳥と伯洋児は、二十分ほどの時間をかけて、月世界の情勢について説明してくれた。大まかな部分、特に玉兎と月棲獣どもが抗争を繰り広げているという部分については、先だって望玉蘭が話した内容と重なっていた。
とはいえ、同じ話を玉蘭から聞かされたなどと、野暮な事を言う者はいなかった。むしろ西王母の遣いからも同じ話を聞かされた事によって、玉蘭の話が真実であると確認できたような物だ。そんな風に源吾郎は思っていた。
しかも青鳥が語ったのはそれだけではない。何故玉兎(時には仙女たちもだ)と月棲獣どもが殺し合いを続けているのか。何故玉兎たちは、金毛九尾を忌み嫌い、それ以上に警戒しているのか。その理由についても、青鳥は仄めかしてくれた。
彼曰く、月世界とは初めから女神たちのおわす神聖な場所ではなかったらしい。月世界の先住民族は月棲獣であるのだが、彼らは這い寄る混沌を信仰していた。
邪神たちと言えば、隙あらば地球を含めた星々を侵略し、その星に住まう人妖に混乱をもたらそうと画策するような手合いである。実際問題、上位の神仙や龍神たちも、邪神連中に利用されたり利用したりという丁々発止のやり取りをずっと続けてきた。
そんな中で、月世界はどのような状況であるのか。一言で言えば、這い寄る混沌の信奉者と西王母ないし嫦娥の眷属の二大勢力がせめぎ合っている場であった。月世界の先住民族は月棲獣である。彼らは這い寄る混沌を崇め、その一方で他種族を奴隷とし、拷問して弄ぶ事を好んでいた。
加えて月棲獣は、鈍重な体躯に見合わぬ知性と技術力の持ち主でもある。そのまま彼らの好きなようにさせていれば、とうに地球上にも侵略していただろう。彼らが信仰する這い寄る混沌が、月棲獣どもを唆す可能性も、十分あった。
その侵略を喰いとめるべく暗躍したのが、西王母であり嫦娥であった。元より西王母は、ヒトの生死や疫病、そして刑罰を司る女仙人である。拷問を好み這い寄る混沌を奉る月棲獣を御するには、うってつけの存在だった。
だがその西王母も、当時すでに仙人たちの女あるじという重大な立場に就いてしまっていた。立場が行動を縛るというのは、西王母にも当てはまる。彼女に生贄を運んでいた三青鳥ですら、伝令係へと転身していたくらいなのだ。恐ろしい魔獣を屠り喰い散らす役割は、西王母にはそぐわないものだと判断されていた。
しかも月棲獣の背後に這い寄る混沌がいる事も、当局としてはややこしかった。這い寄る混沌は侵略者でありながら、神仙や人妖の守護者としての側面も持ち合わせていたからだ。西王母などと言った、高位の神仙が下手に出張れば、邪神との全面戦争になりかねない。
西王母はだから、一計を案じた。不老不死の薬を服用した嫦娥を、月世界へ逃亡するように仕向けたのだ。その際に、従者として優秀かつ勇猛な玉兎たちを連れて行く事を忘れずに。
月世界に連行された時から、件の玉兎たちは嫦娥の従者となった。しかし彼らの真のあるじは西王母である。嫦娥に仕えながらも、月棲獣と手を組んだり謀反を起こしたりしないように監視する任務をも担っていた。
それだけではない。蘇妲己と名乗る金毛九尾によって惨殺された伯邑考の肉片が三羽のウサギになった時も、女媧の計らいで玉兎となり、月世界へ向かう運びとなった。
金毛九尾と言えば、這い寄る混沌の因子を取り込んだ妖狐である。這い寄る混沌を信仰する月棲獣を蹴散らし、一掃するにはうってつけの存在だった。
女神たちの思惑通り、伯邑考だった三羽の玉兎たちは、月棲獣狩りを意欲的にこなした。彼らの子孫もまた、這い寄る混沌を通じて月棲獣への憎悪と敵意を育んでいったのだ。
無論、その後順調に月棲獣を討ち滅ぼして終わり、という訳でもない。月棲獣も土星猫と同盟を組むようになったり、玉兎たちの間で金毛九尾どころか天狐へのヘイトが募ったりと、まぁ色々と難儀な事が起きているそうだ。
成程なぁ。青鳥が話を終えて少ししてから、誰ともなく声が上がる。何とも言い難い話だと思っていると、やにわに三國が声を上げた。
「青鳥さん。大昔からの小難しい話を、わざわざ俺たちに教えてくれてありがとさん。月世界も、地球上と同じくらい物騒なんだなぁ」
「三國様。月世界が物騒で争いが絶えないのは、月棲獣が存在しているからに過ぎません。彼らを鏖にし、打ち滅ぼしてしまえば、月世界には平和が訪れますわ。もちろん、地球上の皆様にとっても、侵略者の脅威が一つ減る事になるのですよ」
納得した様子で呟く三國に対し、玉蘭がいくらか憤慨した様子で告げる。彼女の言いたい事や熱意は十分伝わってきた――彼女の言葉に同意できるか否かは別問題だけれど。
次に口を開いたのは真琴だった。眷属かおのれの子孫と思しきネズミを肩の上で遊ばせつつ、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「私たちは玉兎の事を調べていたんですけれど、何故彼らがああも傍若無人で横柄な態度を取っているのか、少しばかり疑問に思っていたのです。ですが先程、青鳥様のお話を聞いて腑に落ちました。望玉蘭どの。あなた方玉兎たちは、地上にいる時も忌むべき侵略者と闘う大義を持つ者だと思っておいでなのですね。ええ、ええ。それならば、あなた方の態度にも納得がいきますわ」
真琴の口調は穏やかだったが、皮肉が込められている事に源吾郎は気付いてしまった。無論玉蘭も気付いていて、だからこそ神妙な面持ちとなっているのだ。
戦闘員が、故郷ではない土地で傍若無人に振舞う事など、特段珍しい事でもない。そんな風に認識してしまっているのも問題なのだが。
さて青鳥はと言うと、真琴の言葉を耳にして、うっかり頷きかけていた。西王母の遣いであるから、玉兎を皮肉ったような言葉には(形式的にも)怒るのではないかと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
「青鳥様。もしかして先程こちらにお見えになった小桂娥様も、実は玉兎が変じた存在なのでしょうか。思えばあのお方も、玉兎に似た振る舞いだったので」
「いえそんな、滅相もありません。小桂娥様は、確かに仙女であらせられるお方ですよ」
灰高の言葉にも、やはり青鳥は気を悪くした素振りは見せていない。源吾郎には、それがいよいよ気になってきた。
と、ふいに峰白が高い声で告げた。
「青鳥さん。遠路はるばるご苦労様。あんたは長々とさっきまで話していたけれど、私たちが月世界の闘いに加勢するかどうか。その答えがあんたは欲しいんでしょう」
「ええ、まぁ、そうなります」
峰白の言葉に気圧されたのか、たどたどしい様子で青鳥は頷く。
その様子を眺めながら、峰白は微笑んだ。獰猛な光を両目に宿したまま。
「月世界の闘いとやらに、我々雉鶏精一派は力を貸すわ。但し勘違いしないで。あんたたちの意見に共感したから、力を貸すと言ったんじゃあない。そうせざるを得ない状況であると判断したからよ」
峰白の言葉に、流石の八頭衆もどよめいた。それもそのはずだ。雉鶏精一派の幹部には明確な序列があり、発言の重みが序列によって異なっている。そして第一幹部たる峰白の言葉は、他の幹部たちによって覆すのが難しいからだ。
こいつはとんでもない事になってきたぞ。他人事のように考えつつも、早くも源吾郎は胃の腑が痛むのを感じていた。