峰白の言葉に、八頭衆の面々は互いに顔を見合わせたり、ひそひそと話し合ったりし始めた。戸惑い、狼狽しているのは言うまでもない。
幹部勢が狼狽えている理由は二つある。一つ目は。幹部勢の中で発言権の大きな峰白が、月世界への闘いに加勢すると断言したからだ。そして二つ目は……西王母ないし嫦娥と言った面々が、月世界への闘いに雉鶏精一派を巻き込もうとしているであろう事が仄めかされたからだろう。
ざわめく幹部勢とは対照的に、峰白はしばし無言を貫いていた。口許には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。それを見て源吾郎は唐突に悟った。峰白は思案するために黙っているのではない。他の幹部勢がああだこうだと話し合う様を見て愉しんでいるだけなのだ、と。
源吾郎の想定は正しかった。数十秒ぶりに口を開いた峰白の顔には、さも愉快そうな表情が浮かんでいたのだから。
「さてあんたたち。親しい者同士でピーチクパーチクさえずっているけれど、本当にそれで良いの。意見があるなら言いなさいな。そうでないと、あんたたちは私の意見に無条件に賛同したって事になるわよ?」
煽るような峰白の言葉に、灰高や萩尾丸と言った面々の顔色が変わる。
意見があるなら言ってみなさい。峰白の言葉が、親切心や好奇心によって放たれたものではない事は、源吾郎ですら解っていた。何せ相手は、冷徹で用心深い圧制者なのだ。相手の意見を聞いたうえで丸め込み、圧迫し、自分の意見を受け容れさせることは目に見えていた。
そうした事が出来るほどの話術と知性、そして並々ならぬ狂気を具えているからこそ、峰白は第一幹部として君臨できているのだ。しかも他の幹部よりも妖力の保有量が
「雉仙女どの」
異様な空気が漂う中で、声を上げる者がいた。第四幹部の灰高だ。若手幹部や幹部に付き従う重臣たちが、彼に期待の眼差しを向けている事に源吾郎は気付いた。
それも自然な事であろう。何せ灰高は、雉鶏精一派の古参幹部でありながらも、元々は雉鶏精一派に敵対していた組織の長なのだ。ゆえに峰白や萩尾丸たちからは外様と見做されている。灰高もその事はきちんと心得ており、野党のように振舞うのが常だった。
そういう意味では、いの一番に声を上げたのが彼であるというのは大きな意味がある。紅藤や萩尾丸は、峰白に意見しても本心から対立する事は無いのだから。
「あなたにもあなたのお考えはあるのだと、私も考えてはおります。しかし今一度問います。あなたの先程の言葉は、冷静に考えて判断した上での言葉なのですか。月のウサギたちが妹分の飼い狐を殺そうと画策している事、ウサギたちの飼い主である仙女が胡琉安どのを小鳥呼ばわりした事に激昂して、それで思わず口を突いて出たなどと言う事はありませんよね――?」
ああ、峰白が冷徹で怜悧な圧制者であれば、灰高は老獪で冷笑的な反逆者だったのだ。先程まで浮かんでいた不敵な笑みはもはや無い。能面のような無表情を経て、憤怒を押し殺したような顔つきへと変貌している。顔は紅く、メンドリながらもオス雉が持つ肉垂めいた様相を示していた。
「仙女様にブチ切れたんなら、むしろ月棲獣とかの味方になるって言いだすんじゃないのかい?」
「三國君。今はしょうもない事を言わない方が良い。いかな君だって、首が飛べばお陀仏だろうから」
三國と双睛鳥が何事か言い合っていたが、特段気に留める者はいなかった。
顔を紅くしていた峰白も、少しすると落ち着きを取り戻したらしい。悔しそうな、恨めしそうな表情を灰高に向けつつも、言葉を紡いでいく。
「ええ。正直に言うと、それもあるわね。私たちの頭目である胡琉安様を、馬鹿にされたままでいるなんて事は、私たちには出来ないもの」
語る峰白の顔には、自嘲めいた笑みが浮かんでいた。だがそれも数秒足らずの事である。彼女はすぐに表情を引き締め、冷徹さを孕んだ顔でもって周囲を睥睨した。普段通りの、見慣れた顔つきと振る舞いだった。
「だけどそれだけじゃあないわ。私たちの存在は、既に西王母たちに知られているわ。それも一定以上の力を持つ、妖怪仙人を擁する組織としてね。だからこそ、虎の子である自身の遣いを派遣して、その上で私たちを利用しようとしたのでしょうね。そうでなければ、西王母の側近である青鳥が、わざわざ詫びを入れるためだけにやって来るなんて事もないでしょうから」
峰白の言葉に、青鳥が全身を震わせた。彼女は関心が薄そうにそれを一瞥してから、更に言葉を続ける。
「私が思うに、ここで私たちが素直に従わなければ、連中はもっと過激な事をしでかす可能性があるわ。最悪の場合、私たちが天界に歯向かったという事にして鏖にでもするんじゃあないかしら。胡喜媚様を頭としていたんですから、それ位やっても構わないと思っているでしょうね。
……
三白眼ぎみの峰白の瞳が、今度は伯洋児に向けられた。
「そこの仔山羊だって、元々は羊力小仙の弟分だったわ。だけどまぁ、彼女たちも当局にマークされていたって事で、西王母のもとに生贄として提供されたんじゃあなくて。饕餮の血を引いていたという話も聞いていたしね」
「あ、いや。僕の場合は少し事情が違うんです。ええと、玄三羊兄様に殺された、五代目の埋め合わせという事で……」
「伯洋児! 今はその話をする時じゃあないだろう。ただでさえ、皆さん戸惑っていて気が立ってらっしゃるんだから」
いささか厳しい口調でもって、青鳥は伯洋児を諫めた。それからやおら向き直り、申し訳なさそうな表情を浮かべながら言葉を続ける。
「皆さま。伯洋児の来歴については、後々説明いたします。入り組んだ話ゆえに、唐突に彼の話だけしても、皆様戸惑うでしょうし」
「別に構わないわ」
峰白が言うと、青鳥は少し安堵した表情を見せた。一、二度ばかり瞬きを繰り返すと、彼は言葉を続ける。
「峰白様。大きな声では申し上げられませんが、我々の、というよりも上層部の思惑は、あなたの推察通りです。僕としても、あなた方が承知したうえで、月世界への闘いへ赴いて下さるのならば、嬉しい限りです。実を言えば、今回は小鵹《しょうれい》様がお見えになる予定だったんです。それを無理を言って、僕が伯洋児と共に出向く事になった訳なのですが……」
鋭利な峰白の言葉とは対照的に、青鳥の言葉はフワフワとしており、掴みどころが無かった。本心を押し隠し、ありきたりな言葉を美辞麗句で飾っているような気配を、どうしても感じ取ってしまうのだ。
青鳥様。今までほぼ黙っていた緑樹が声を上げた。
「西王母様や嫦娥様から直々に、僕たちに力添えを行って欲しいと仰っていただくのは、誠に名誉な事だとは思っています。ですがやはり、天界の武神たちに月棲獣退治を依頼しなかったのは、這い寄る混沌を刺激しないようにするためでしょうか」
「ええ、ええ」
緑樹の問いに、青鳥はやや口早に応じる。返答する態度や表情を見るに、想定済みの事だったらしい――先程放たれた問いも、これから口にするであろう返答も。
「もちろん、そうした側面もございますが、もう一つ理由があるのです。緑樹様。天界の一日は下界の一年に相当します。仮に月世界の仙女や玉兎たちが天界に援助を要請したとしても、実際に兵が派遣されるまでには、数か月から数年のタイムラグが発生してしまいます。その間、敵は悠長に待ってはいないでしょう」
そうよ! 玉蘭がここで声を上げた。
「月棲獣たちはここ最近、特に一、二か月ほど前から勢いづいているんです。尋問した仲間によると、何かから逃れようとしていると言っていたみたいなんですけどね」
ここ一、二か月前。この言葉が脳裏に引っかかった。奇妙な夢を見たというネット上の投稿と重なっている事を、源吾郎はふいに思い出してもいた。
玉蘭の言葉に何度か頷きつつ、青鳥が言葉を続ける。
「それに天界の上層部は、月世界に巣食う邪神の眷属たちは、嫦娥様や玉兎たちが一掃して欲しいとお考えなのです。そのために西王母様が一計を案じ、嫦娥様を玉兎たちと共に月世界に定住させたと考えていますからね。それでいて、天界の方々は、月世界も自分たちの庭として活用したいと思っておいでなのですが」
だからどうという事までは、青鳥は口にしなかった。源吾郎にはしかし、彼が心の中で嘲笑を浮かべているのをはっきりと感じ取った。
ここで紅藤が、腑に落ちたという表情を浮かべながら口を開いた。
「だからこそ、私たちに月棲獣たちとの闘いに協力して欲しいという話に繋がるのですね。ご存じの通り、私たちもまた、邪神の眷属に連なる者を何匹か従えておりますので」
「しかも私たちは野良妖怪で、仮に私らが全滅したとしても、あんたたちには損害もないものねぇ」
「ええ、まぁ……」
紅藤の話が一段落した所で、何を思ったか峰白が言葉を挟んだ。相変わらず彼女の言葉は皮肉に満ち満ちている。皮肉を口にしているのは峰白だけではない。真琴や灰高の言葉にも、皮肉や棘がふんだんに込められていた。小桂娥の振る舞いが、余程腹に据えかねたのだろう。
流石の青鳥も、たじろいだような表情を見せていた。しかし不思議な事に、峰白たちの皮肉にたじろいでいるようには見えなかった。
青鳥は無言のまま、紅藤たちを眺めていた。視線が震えている。何がしかの懊悩を抱え込んでいるかのような眼差しだった。
「――ここからは、西王母様の遣いとしてではなく、僕個妖《ぼくこじん》の質問になります。雉仙女様。いえ雉鶏精一派の皆様。あなた方は本当に、玉兎たちの闘いに力添えして下さるんですか?」
「力添えしてくれるも何も、私たちにはそうするしか選択肢なんて無いはずよ」
天界におわす神仙らしからぬ言葉を吐き出した青鳥に対し、峰白は淡々と告げた。
「小桂娥とかいう仙女の考え通り、私たちは胡喜媚様にお仕えしていた妖怪たちの集団よ。そして今は残念ながら……胡喜媚様に匹敵するような力を持つ妖怪は存在しないわ。ここであなたたちの機嫌を損ねたとしても、メリットなんて何もないわ」
「ですが、要求を呑んで月棲獣と闘う事になっても、得られるメリットは少ないのではありませんか?」
またしても青鳥が声を上げる。こちらを見やるその瞳には、峰白たちを気遣うような気配が宿っていた。
次に口を開いたのは紅藤だった。
「青鳥様。もはやメリット云々について考える段階は過ぎていると私は思っているのです。西王母様は、初めから私どもを月棲獣の闘いに利用するために交流を許可して下さった。今となってはそんな風に思えてならないのです。
ですがそうであったとしても、やはり私たちは西王母様たちの要求を呑んだ方が良いと思うのです」
紅藤の言葉に、青鳥も雉鶏精一派の上層部たちも何も言えなかった。痛みを堪えるかのような表情を浮かべながら、紅藤は続ける。
「胡喜媚様の義妹だった万聖公主様は、西王母様の小間使いでありながら、あのお方が丹精していた霊芝を盗み出すという罪を犯しました。私どもが月世界に赴いて西王母様の敵と闘う事が、胡喜媚様の義妹が仕出かした悪事の埋め合わせになると、私は思うのです」
胡喜媚様の義妹だった万聖公主。紅藤の言葉に、源吾郎と雪羽はそっと目配せを交わした。胡喜媚の義妹と言えば王鳳来ではなかったか。脳裏に疑問や違和感が一瞬浮かぶが、すぐに何を言わんとしているか気が付いた。
万聖公主と言えば、八頭怪もとい九頭駙馬の妻に当たる龍女だ。義妹というのは何も妹分だけを示す言葉ではない。弟の妻もまた、義妹と呼べる存在なのだ。
して思うと、紅藤が青鳥に対して恭順な態度を貫くのも納得がいく。万聖公主は、西王母の霊芝を盗み出したという罪過ゆえに、孫悟空や二郎真君たちに攻め入られ、親族共々殺されている。龍王の姫君が窃盗に手を染めただけで、そんな末路を辿ったのだ。在野の妖怪が西王母の要求を呑まないとなれば、どのような目に遭うか解った物ではない。
相変わらず、青鳥の態度には尊大さは見受けられない。それどころか、申し訳なさを一層濃く滲ませてすらいた。今度は緑樹が、不思議そうな表情を見せつつ問いかけた。
「それにしても青鳥様。あなたは西王母様のお遣いで神鳥という事ですが、先程おいでになった小桂娥様や玉兎の皆様とは考えが違うのですね。まるで在野の妖怪に近いような気もするんです。ああすみません。今の言葉で気を悪くされたら申し訳ないです」
慌てて謝罪の言葉を付けたし、緑樹は目を伏せた。青鳥は憤慨しなかった。むしろ同情するような目つきでもって周囲を一瞥し、ゆっくりと口を開いた。
「いえいえ緑樹様。あなたの仰る通り、僕も元々は在野の鳥妖怪でした。故郷が西王母様の別荘に近かった事と、先代の青鳥様が引退した直後だったために、たまたま僕が七代目青鳥に抜擢されただけです」
彼曰く、西王母の許に侍る三青鳥と呼ばれる神鳥たちには、遥か昔から代替わりするシステムがあるという。元々は生贄を西王母の許に運ぶ任務を具えていた者たちである。神鳥と言えども、生贄たる魔獣を狩る際に負傷し、生命を落とす事もままあったという。それゆえの代替わりシステムだったそうだ。
もっとも、時代が下った現在では、青鳥たちが自発的に引退したり、西王母の許から独立して別個の妖怪仙人や神仙になる事もあるそうだが。
目の前にいる七代目の「青鳥」は、つい最近抜擢されたばかりなのだという。それ故に在野の妖怪の感性に近いのだろうと述懐していた。だからこそ、月世界の玉兎や仙女たちの振る舞いに違和感を覚え、わざわざ雉鶏精一派へフォローを入れたのかもしれない。
とはいえ彼も上層部には逆らえないため、メッセンジャーとして機能したに過ぎないだろうけれど。
「そうだったんですね。言われてみれば、伯洋児君も五代目がどうとかって言っていた気もしますし」
思い出したように双睛鳥が告げると、青鳥は渋い表情で頷いた。それから彼は、五代目青鳥の顛末と伯洋児が西王母に召し抱えられた理由について教えてくれた。
五代目の青鳥は、神鳥である事に嫌気がさして転生し、化け蛤として下界で生きていたらしい。だが数年前に玄三羊なる妖怪に殺害され、化け蛤としての生も打ち切られてしまった。
玄三羊と言えば、黒山羊姫の弟分であり、伯洋児を作り出した張本妖でもある。ゆえに西王母は、玄三羊への罰として伯洋児をおのれの配下として召し抱える事になったそうだ。
小桂娥は玉兎について「前世のこだわりを持つ因業な輩」などと評していたが、前世の因縁をあれこれ考えるのは、何も玉兎たちだけでもないのだ。