「おいコラァ、地球外生物どもが、ヒトの庭でドタバタやってんじゃねぇ!」
長らく工房の一角を飾っていた槍を掴んだ玄三羊《げんぞうひつじ》は、そのまま庭へ出ると大音声で喚き始めた。
案の定、庭では地球外から飛来した畜生共が殺し合いを繰り広げていた。だが唐突な闖入者を無視して闘いを続けるような度量は無かったらしい。
突如として姿を現した闖入者に、彼の放つただならぬ殺気に、畜生共は動きを止め、玄三羊に視線を向けた。
一方は玉兎と猫の軍勢だった。玉兎は思い思いの武器を携えており、猫たちは爪を剥き出しにしている。よく見れば、ドリームランドとこちらの世界を行き来する、触手を生やした化けネズミ・ズーク族の姿もちらほらと見受けられた。
他方は土星猫と角を頂く半獣の軍勢だ。矮躯《わいく》の半獣の頭部から生える角は、短いものの山羊めいており、サテュロスに何となく似ていた。土星猫は身体の側面から触手を伸ばし、半獣は槍を携えている。触手の先や槍には血の痕や肉片がこびりついていた。
「おうおう。何か出てきたと思ったら、くっさい山羊野郎じゃあねぇか」
「おい、おい。我らの神を敵に回したくなければ、大人しく家に戻るんだな」
サテュロスめいた半獣と土星猫は、澱んだ瞳を玄三羊に向けて嗤った。嘲笑を浮かべる彼らの顔には、黒い仔山羊に対する畏敬の念などひとかけらも無い。何となれば侮蔑の念と共に、敵意や悪意すら滲ませていた――植物たちの放出する瘴気よりも禍々しい。
しかし玄三羊も、有象無象の脅しに怯えるような手合いではない。確かに、若い彼は浅慮な側面もあるにはある。だが邪神の眷属であり、仙術を学んでいる訳だから、個体としての強さは十分具えている。
雉仙女が可愛がっている四尾の飼い狐など敵のうちではない。何となれば、陽キャな八尾の雷獣や、内気で用心深いコカトリスと殺し合ったとしても、何とか勝利できるほどの実力の持ち主だ。そんな事はさせないけれど。
従って、土星猫であれ玉兎であれ、地上くんだりで小競り合いを行っているような連中などは、敵にすらならないのだ。玄三羊にとっても、羊力小仙にとってもだ。
だから彼は、土星猫や半獣の言葉に不愉快そうに鼻を鳴らしただけだった。
「山羊野郎って言うのは別に否定しない。俺らは黒い仔山羊なんだからな。しかしそこのお前の言葉は頂けんなぁ」
半獣に槍の先を突き付けながら、玄三羊は続ける。
「お前は俺たちの眷属のサテュロスなんじゃあねぇのかい。だったら妙だなぁ。俺らの眷属だったら、共に母上を信仰している身分じゃあないか。それとも違う神を――」
「玄三羊! 角頭たちはサテュロスじゃあないわよ」
弟分が思い違いしている事に気付いた羊力小仙は、思わず声を上げた。角頭の半獣が、下品に笑ったような気がした。
「当ててあげるわ。あんたたちはレンの民でしょう。そしてあんたたちの言っている神は月棲獣《げっせいじゅう》の事ね。あるいは――這い寄る混沌かしら」
「よく解っているじゃあないか」
驚きと悔しさに唇を噛む玄三羊とは対照的に、レンの民は感心したような表情を浮かべていた。但し相手への敬意は無い。遊び甲斐のある玩具を見つけたとでも言いたげな表情だった。あるじたる月棲獣の影響か、はたまた元々からの気質なのか、レンの民は仲間ではない者をいたぶるのを好むのだ。
現に彼らの槍の先には、猫の首やら半分に引き裂かれたズークやらがぶら下がったり突き刺さったりしているではないか。
レンの民や土星猫を眺めながら、羊力小仙は僅かに顔をしかめた。彼らの残忍な振る舞いを不快に思ったからではない。そもそも彼らがこの森にいる事が奇妙に思えたのだ。レンの民と言えば、月棲獣共々ドリームランドの存在であるはずだ。
そうでなくとも、ここまで騒々しい輩が羊力小仙の縄張り付近を闊歩しているのならば、ずっと前に気付いていてもおかしくないというのに。
思案に暮れる羊力小仙を尻目に、レンの民と土星猫は顔を見合わせ、またしても笑った。
「そうだ。そうだとも。泥くせぇ、孕んでばかりの山羊ビッチとは、我らの信仰する神は段違いって事さ」
「はっははは。全くもって下人共の言う通りだぜ。そもそもこの地上にいる獣たちは必要ないんだがな。我らが暮らすにあたり、一掃するのが一興だろうさ――」
「おい、貴様ら」
飛ぶ鳥を落とさんばかりの殺意を迸らせながら、玄三羊は呟いた。レンの民と土星猫、そして逃げるべきかどうか考えあぐねているらしい玉兎たちが、怯えたように身を震わせる。
羊力小仙は玄三羊を止めなかった。無言のままに、彼が成そうとしている事を見守った。
「俺たちの母上が孕んでばかりの淫売だと? 地上に住む獣たちを一掃するだと? 本気で言っているのか、貴様ら」
ぶち殺す。その言葉を皮切りに、玄三羊の姿が変貌した。人ないし妖としての姿をかなぐり捨て、黒い仔山羊としての本来の姿を露わにしたのだ。黒々とした巨大な蕪に蹄の生えた脚と棘だらけの触手を生やし、緑の唾液に濡れた口を付け加えたような姿こそが、玄三羊の黒い仔山羊としての姿だった。
本性を現した玄三羊が吠える。梟の啼き声に似た、それよりも大きな声が、周囲の空気を震わせる。奇怪な姿だと、同胞以外の人妖ならば思うだろう。しかし黒い仔山羊とは、母ナル黒山羊の眷属であり、彼女の神意を伝える司祭でもある。羊力小仙や玄三羊はその任務をまともに担っているとは言い難いが……いずれにせよプライドが高く、おのれの神を侮辱する者には容赦しない事は言うまでもない。
黒い仔山羊と化した玄三羊の体躯は、人間たちよりも遥かに大きい。全貌を見るために、顔を上げて見上げなければならないほどだ。それ故に、彼が軽く足踏みしただけで、レンの民も土星猫も踏みしだく事ができた。
レンの民に関しては、一度で脳漿を撒き散らして肉味噌のようになった。しかし土星猫の方はやや硬かったらしく、動かなくなるまでに何度も踏みつけていた。途中で玉兎が「腹に傷があるからそちらを狙え」と助言してくれた事もあったが。
レンの民と土星猫を踏み殺した所で、玄三羊の動きが止まる。それでも未だに黒い仔山羊の姿のままである。山羊めいた蹄は血と臓物の欠片で濡れ、毛先には土星猫の表面を覆う宝石めいた器官が絡み付いていた。
残っているのは地上の猫と月のウサギだ。ああ、ズークの生き残りもいただろうか。彼らをどうするか、玄三羊は考えあぐねているのだろう。
羊力小仙はだから、玄三羊に声をかけた。
「もう良いだろう、玄三羊。猫やウサギたちには、私らへの敵意は無さそうだ」
「……言われてみれば、そうだな」
声に応じ、玄三羊が変化し直した。本性に戻っていたのだから獰猛な感情に全てを支配されていると思ったのだが、まだまだ理性的な部分も残っていたらしい。羊力小仙は少しだけ安堵した。
黒い仔山羊の気質がいかなるものか、羊力小仙ももちろん知っている。人妖に近い姿の時はそれらの脳構造に近しい思考回路になる事、本来の姿になれば、そうしたくびきから外れる事も。
羊力小仙も玄三羊も、黒い仔山羊ながらも半獣半人の姿でいる事がずっと多い。その時の思考形態の方がデフォルトだと思ってすらいる位だ。そうした所も、他の兄弟姉妹から異端だと思われる一因だった。
見れば玄三羊は、術で着物を作る事もなく、全裸で佇立している。興奮が極まっているために、胸の先端からは乳まで分泌していた。ぼんやりとそれを眺める弟分に変わり、居残っている獣たちの様子を窺う。
「ああ、ああ、あんたらは、シュ※=ニ※※ス様の黒い仔山羊だな」
「すみませんすみません。どうか見逃してください……」
「おい待てや。てめぇだけ逃げようとしてんじゃねぇよ。それでもズーク族の誉れ高い貴族かい?」
獣たちに敵意は無かった。猫たちはこちらの正体を知った上で平伏している。好奇心旺盛な割に気の小さいズークは逃げ出そうとしている。猫又に恫喝され、肩に爪を立てられ逃れられないようにホールドされていたが。
そんな中で、月のウサギたちは無言でこちらをじっと見つめるだけだ。武装している点からも解るように、他の獣たちとは佇まいが違う。
その中でも、特に力の強そうな玉兎に視線を向け、羊力小仙は問うた。
「あんたたちは、見た所闘う意思は無いようだね」
「闘うか否かは、諸君の出方次第ではあるけどね」
羊力小仙の視線の先で、リーダー格の玉兎が告げる。こちらが優位であるかのような物言いに、斜め後ろの玄三羊がいきり立つのを感じた。手で制したものの、いい気分ではない。妖狐で言えばせいぜい五尾か六尾に相当する程度の強さしかない。しかも先の戦闘で、部下と思しき玉兎やズークも玉砕させていた。偉そうな物言いではあるが、羊力小仙にしてみれば彼もまた
無傷の、あるいは軽傷で済んだ玉兎たちがリーダーに寄り集まる。こちらは人型ではなく、ウサギ本来の姿だった。妖狐で言えば一尾から三尾ほどの強さだろうか。
値踏みするような、僅かに見下すような眼差しに不快感を抱きつつ、羊力小仙は傲然と告げた。
「気付いていると思うけれど、私たちは確かに黒い仔山羊だ。弟の振る舞いが君たちを怖がらせたのなら謝るよ。ただここは、私たちの家であり庭でもあるんだ。野良猫なり野良犬なりが庭で大暴れしていたら、君らだって追い払おうとするだろう。ただそれだけの事だよ」
「そうか。そういう事だったのだな」
若い将軍に扮した玉兎は、そう言って微笑んだ。
「別に我々も、黒い仔山羊に喧嘩を売るつもりはないさ。諸君らも豊穣神に仕える身分だろう。我らのあるじたる西王母様も豊穣を司っているのだから、同輩と呼んでも差し支えは無いだろう。
ただ、我々は月世界から地球や他の土地に侵略しようと目論む輩を斃す任務を帯びている、放っておけば、土星猫や月棲獣はこの地を制圧してしまう所を排除しているのだから、我々に感謝しても構わないのだがな」
「この、ウサ公が、黙って聞いていればぬけぬけと……」
「言葉が過ぎるよ」
敢えて主語を口にせずに、羊力小仙は呟く。玄三羊はハッとした表情を浮かべ、口を閉ざした。血の気の多い弟分をたしなめたとでも思っているのだろう。玉兎将軍はニタニタと笑っていた。
「玉兎殿も、月世界のみならずこの地球上の平和も保とうと奮闘なさっているんだね。大任を果たす働きぶりは実にあっぱれなものだと思うよ。ただ……現地民への接し方がまだまだだね。まぁ君も、見ればまだ兔崽子《クソガキ》みたいだから仕方ないか」
羊力小仙の言葉に、玉兎の顔が赤らみ歪んだ。西王母の配下である玉兎将軍に喧嘩を売るのは、確かに危険な事ではある。それでも先達として、思い上がった若造に、皮肉の一つや二つはぶつけたかった。
「姉上。流石に言葉が過ぎますよ。相手は西王母様の眷属なのですから」
玄三羊もようやく落ち着きを取り戻したらしく、彼から注意されてしまった。というよりも、彼は伯洋児の身を案じているだけなのだろうけれど。
羊力小仙はため息をつくと、今度はズークたちに問いかけた。
ズークにしろレンの民にしろ、元来であればドリームランドから離れる事のない者たちである。その彼らが、何故ドリームランドではないこの地に姿を見せているのか。それだけでも聞いておかねばならなかった。
※兔崽子:本義は「ウサギの子」を意味する中国語であるが、「畜生」「ろくでなし」「ガキ」と言った意味の罵倒語である(筆者註)