結局のところ、三國は苅藻を見かけた場所から数十メートルほど先にあるコンビニに車を停めた。苅藻の姿を見た直後に、源吾郎が停めて欲しいと申し出たためだ。ちらとこちらを見つめる苅藻の眼差しに、何処か切羽詰まった物を感じたのだ。話さねばならないと思わしめるほどに。
但し、往来に車を停めると路駐になってしまう。ゆえに近くにあるコンビニに入らざるを得なかった。もっとも、三國もまた苅藻に話したい事があるそうなのだが。
エンジンが止まったのを確認してから、一行は車から出た。源吾郎と米田さんは三國と並んで苅藻が来るのを待ち、堀川たちはコンビニの店内へと足を運ぶ。
幸いな事に、苅藻も三國の挙動の一部始終を見ていたらしい。探すまでもなく、悠然とした足取りでこちらに向かっていた。
近付いてきた苅藻に声をかけたのは三國だった。話したい事があったから車を停めた事、コンビニに入ったのは買い物のためではなく路駐対策である事、とはいえ何も買わないでいると店に悪いので部下に買い物をさせている事などを、三國は語った。
話を聞いている間、苅藻は微妙な表情を浮かべてはいた。スーツ姿で駆け寄り、息を弾ませる三國の姿に、ある種の異様さを感じたのかもしれない。私服姿の源吾郎と米田さんも、異様さに拍車を掛けているのかもしれないが。
「……そうか。別に話を聞くだけなら大丈夫だぞ。俺も三件目の仕事が終わって、事務所に戻ろうとしていた所だからさ」
それよりも。苅藻は三國から視線を外し、源吾郎と米田さんを見やった。今しがた存在に気付いたなどと言う表情を見せながら。
やや不思議そうな表情を見せながら、何故源吾郎たちと一緒にいたのか三國に問う。デートの最中にいたのを見つけたから連れてきた。包み隠さず、あっけらかんとした調子で三國は告げる。何と苅藻も、三國のこの説明に納得したらしい。
三國は今一度表情を引き締め、半歩ほど苅藻に近付いてから言葉を紡ぐ。
「それで苅藻の兄貴。俺が伝えたい事なんだけれど……まぁ何と言うか、地球外生命体に気を付けて欲しいって事なんだよ。月のウサギとか月棲獣とかいうヒキガエルもどきとか、土星猫なんぞが、最近地上で悪さをしているんだ。だからさ、苅藻の兄貴やいちか姐さんも気を付けて欲しいと思ってな」
たどたどしさを伴う三國の言葉に、源吾郎と米田さんはそっと目配せした。
玉兎も月棲獣も土星猫も厄介な存在と一括りにしているが、玉兎は(少なくとも)自分たちとは敵対していないはずだ。苅藻からも情報を提供してもらいたいと思っているだろうに、兄貴分相手だからそこまでは言わなかったみたいだ。三國の様子を見ながら、源吾郎はあれこれと思案していた。
苅藻はと言うと、意外にも驚いた様子は見せなかった。むしろ納得した様子で頷き、三國や源吾郎を見つめ返している。
「ああ。その話なら俺もうっすらとではあるけど把握しているよ。月のウサギは玉兎で、月棲獣は、色々な魔獣や魔族や妖怪を奴隷にしている月の先住民族か何かだろう。元々は土星とか月世界にいるような存在なのに、地球くんだりまで闘うとはご苦労なこった」
言い終えると、苅藻は皮肉げな笑みを浮かべていた。しかしそれもほんの僅かな間だけである。真剣な、何処か切羽詰まった面持ちでもって、三國たちを順繰りに眺めていた。
「気を付けるのはお互い様だぞ三國君。実を言えばな、十数分前にこの近くで事故があったばかりなんだよ」
この言葉を皮切りに、苅藻は起きたばかりだという事故について教えてくれた。単なる車両事故ではない事は、話を聞いているうちに解ってしまった。というのも、事故現場には極彩色の大型犬ほどの獣がいただとか、毛深い小柄な人物が、道路上に大きなウサギ――柴犬ほどの大きさだったらしい――を放り投げていたという証言もあると聞いてしまったからだ。
明らかにレンの人や土星猫が関与したがゆえに発生した事故であった。ウサギの死骸があるのだから、玉兎も無関係では無かろう。
更に驚くべきは、この事故が発生した道が、三國や源吾郎たちが通っていた可能性のある道だったのだ。
「三國さんは、私たちの姿を見て何か胸騒ぎがすると仰っていたんです。もしかしたら、苅藻お兄様が教えて下さった事故を、予見されていたのかもしれませんね」
思案顔で米田さんが告げると、三國は何故か気まずそうな表情を浮かべて頬を掻いていた。
「いやいや米田さん。まさか俺も、そんな事まで気付いていた訳じゃあないんだよ。しかしやつらもどうしようもないな。ウサ公たちの話を聞いていて薄々感じていたんだが、地球上の人妖を巻き込んでも全くお構いなしか――そう思えば、月世界にカチコミを掛けて、月棲獣や土星猫どもを打ち負かすのもやぶさかじゃあないな。そうすれば侵略戦もいくらか
月世界へのカチコミなどと言う言葉は、通常であれば耳にしないような物であろう。苅藻はしかし、ここでは三國に何を言ったのか追求しなかった。代わりに、源吾郎と米田さんに視線を向けた。
「……とまぁ、そんな訳だから、今はこの街も物騒だ。源吾郎も折角の休みだろうけれど、もう早めに帰って部屋に引きこもっておいた方が良いぞ。米田ちゃんも、今日は源吾郎の
そこまで言ってから、何かに気付いたと言わんばかりに苅藻は首を傾げた。
「ああ、米田ちゃん。源吾郎の部屋に泊まっていけというのは、あくまでもそうした方が安全だって意味だからな。もしも今日明日と何か用事があって、それで自分の家に戻らないといけないというのなら、無理しなくても良いんだが」
「いえ、それも大丈夫ですわ」
妙な所で気遣いを示す苅藻の言葉に、米田さんは朗らかな調子で応じる。
「強いて言うなら、明日の午後に車の点検とタイヤ交換を考えているんですが、それは明日の昼前に出発しても何も問題ありませんので」
「そうか。それなら大丈夫だな」
さも安心した様子で苅藻は頷いた。それでも念のためにと、防御術を内包した護符を、米田さんに渡したのだ。実の甥である源吾郎にも。
源吾郎たちが護符をポケットや財布に収めたのを見届けてから、苅藻は三國に話しかけていた。
「三國君。君がさっき話していた月世界のカチコミ云々も気になる話ではあるな。しかしそういう話は、こんな所で世間話の延長として行うもんじゃあないだろう」
「……明日は本部で社内外の妖《ひと》が集まって、打ち合わせを行う予定なんです。苅藻の兄貴も予定が空いていれば、参加していただきたいんですが」
「生憎と、明日は予定が詰まっているかな。とはいえ、気になる事は気になるしな。妹にも声をかけてみるわ」
雉鶏精一派が月世界へカチコミをかけるというのは、やはり苅藻も気になる事柄なのだろう。明日行われるという打ち合わせに参加できない事について、心底悔しそうな表情を浮かべていた。
源吾郎たちはここで辞去した。
※
電車とバスを乗り継いで研究センター内の居住区へと舞い戻った源吾郎と米田さんだったが、その道中は特におかしな事は何も起こらなかった。これもまた、苅藻の護符のお陰なのだろうと思う事にした。
平日ではあるものの、敷地内は閑散としていた。本来であれば連休前の大掃除にあてられている日であるし、数日前に大騒動が起きた所であるから、誰も彼も仕事どころではないのだろう。
「あら」
二人して居住区へ向かおうとした丁度その時、若い女の声が聞こえてきた。声の主は望玉蘭《ぼう・ぎょくらん》だ。萩尾丸に吸い取られたはずの妖力が戻っているのか、ウサギの姿ではなく人型を保っている。しかし髪は本来の色を反映して淡い金髪であるし、頭頂部の両脇には、ウサギ本来の長い耳が、垂れ下がった状態で露わになっている。
源吾郎はしばし固まってしまった。玉蘭にこんな所で出会うなどとは想定していなかった。
戸惑っている間にも、玉蘭はジロジロとこちらを見つめている。源吾郎の隣にいる米田さんの存在が気になって仕方がないのだろう。
ひとしきり米田さんの姿を観察してから、玉蘭は源吾郎に視線を向けた。
「島崎さん。今日は非番だという事ですが、お戻りになられたのですね。隣の方は見かけない顔ですが、雉鶏精一派の関係者でしょうか?」
事もあろうに、玉蘭は米田さんを見てそんな質問を投げかけたのだ。
全身の血が逆流し、顔や胸が火照っているようにも冷え切っているようにも感じられた。値踏みするような眼差しをこちらに向けているのも、余計に腹立たしい。
米田さんの肩に腕を回し、やや強引に抱き寄せつつ言い放った。
「確かに米田さんは……彼女は雉鶏精一派の正式な構成員ではありません。ですが、紅藤様からは、敷地内を行き来に関してきちんと許可を頂いているんです!」
源吾郎の言葉は真実だった。米田さんと交際が進んだ所で、紅藤に事情を話して手続きをしたのだ。
二人の今後――同棲や結婚が控えているのだ――を思えば、大切な手続きだった。
研究センターの敷地内には、結界で不審者や悪心を持つ者を弾くという術は施されていない。余人ならば意外に思うかもしれない。しかし紅藤は、何かしら善からぬ者が侵入すれば、都度自分たちで対応すれば良いと思っているのだ。一番合理的で手っ取り早いと、彼女は考えているらしい。
そして侵入者の排除する際には、紅藤たちの一存で抹殺される事も十分に考えられた。先日土星猫やレンの人が侵入した際に、萩尾丸たちが悉く斃してしまったように。
善からぬ想像が脳裏を掠め、源吾郎は身を震わせる。それでも気をしっかりと保ち、言葉を続ける。
「それに彼女は、今や僕の対象《フィアンセ》なのです。だから玲香さんが出入りする事をあなたにとやかく言われる筋合いは……」
「ぼ、望小姐さん。あんまり島崎君たちをからかったら駄目よ。真面目な子だから、からかわれると本気で怒りかねないんだから……」
源吾郎が話している最中に、すきま女のサカイ先輩がふっと姿を現した。何の前触れもなく玉蘭の隣に現れたのだが、まぁ彼女だからそういう事もあるだろう。
いずれにせよ、彼女は研究センターの番犬役として、玉蘭の監視も行っているらしかった。
※対象:中国語で「婚約者」に相当する意味。
従って、恋人を指す「情侶」「女(男)朋友」よりも意味は重い(筆者註)
源吾郎君、興奮すると時々中国語を喋る模様。