九尾の末裔なので最強を目指します   作:斑田猫蔵

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閑話:あなぐらの狐たち

 扉の内側と外側では、まるで空気が違う。源吾郎が日々過ごしている一室に足を踏み入れた米田玲香は、思わず目を見開いてしまった。

 靴を脱ぎ、玄関へ向かおうとする源吾郎の動きが止まる。玲香が茫洋としている事に気付いたらしい。取り繕う間もなく、源吾郎が問いかけてきた。

 

「どうされましたか玲香さん。少しお疲れのようですが」

「いいえ、私は大丈夫よ」

 

 源吾郎は気遣わしげに、しかし真っすぐこちらを見つめている。玲香も思わず背筋が伸びた。内心ではそろそろ変化を解いて、打ち上げられたナマコのように腹ばいになろうと思っていたにも関わらず。

 ともあれ玲香は、源吾郎の問いに応じる事にした。

 

「部屋の中、いいえ扉の向こうとこちら側では空気が大分違うから、それで少し驚いちゃっただけ」

「空気が違うって事は……もしかして、この部屋臭いですか。男やもめの部屋と言えども、ちゃんと掃除とかはやっているつもりだったのですが」

 

 玲香の言葉に、源吾郎は目に見えて狼狽え始めた。しまった。言葉が足りなかったから困らせてしまったわ。玲香は慌てて訂正した。

 

「ああ、ごめん。そういう意味じゃあないのよ。空気というか、扉の向こうとこちら側で、妖気の質とか濃さが違うって事を言いたかったの。部屋の外は、色々な妖《ひと》たちの妖気が充満していたけれど、ここだとそれほどでもないから」

 

 玲香が感じ取ったのは、部屋に籠っている匂いとやらではない。研究センターの敷地内と部屋の中での妖気の濃さの違いだ。部屋の外では、濃密な妖気が充満していた。その妖気の濃さたるや、魑魅魍魎が集う伏魔殿めいたものだった。大妖怪が研究センターを運営しているのだから、伏魔殿《パンデモニウム》というのも間違いでは無かろう。

 一方で、部屋にわだかまる妖気は、しごくささやかなものに留まっていた。部屋全体か壁に、外の妖気の干渉を弾く術が施されているのだろうと玲香は推察した。

 

「妖気の質、ですか……」

 

 少しばかり腑に落ちた表情で、源吾郎は周囲を見渡した。視線を玲香に戻した時には、気恥ずかしそうな笑みを浮かべていたけれど。

 

「ええと、確かに部屋の中と外では違うかもしれませんね。と言っても、玲香さん程敏感に感じ取っていた訳でもないんです。よく上司からも『君は妖気の濃さや相手の強さに鈍感だ』と言われるので……」

「それって、細々とした妖気を気にしたり警戒したりする必要が無いほど()()って事になるのよ。ゴロー君。私たちが妖気を感じ取ったりそれを警戒したりするのは、あくまでも本能的な反応に過ぎないんですから」

 

 妖怪たちは大抵他の妖怪の妖気を感じ取る事ができる。妖気のセンサーの敏感さは、感じ取る妖怪の強さに反比例していた。弱い妖怪ほど他者の妖気や妖気に込められた悪意に敏感である。弱者の生存戦略と言えるだろう。彼らは強い相手に襲われたり、喰い殺されたりするリスクに怯えながら日々過ごしているのだから。

 逆に言えば、一定以上の妖力を具えた妖怪になると、雑多で取るに足らない妖気に気付きにくくなる。細々としたものにまで反応していたら脳が休まらないためであろう。

 いずれにせよ、妖気の察知は本能的な機構に根差していると言えるだろう。

 そして源吾郎は――既に強い妖怪に入る。半妖で、しかも二十数年しか生きていないにもかかわらず、既に四尾に到達しているのだ。妖力の保有量だけで言えば、三、四百年生きた妖狐に匹敵するのだ。

 並程度の妖力と、一般的な常識を持ち合わせた平凡な妖怪が、おいそれとちょっかいを掛けられるような相手ではない。

 研究センターの中では弱いだの未熟だのと指摘され、源吾郎自身も気にしている節がある。しかし玲香にしてみれば、そこまで深く思いつめる事は無いと思っていた。何しろ研究センターにいる妖怪たちは、あらゆる面で普通から()()しているのだから。あるいは源吾郎も、その事に気付いていないのかもしれないが。

 玲香は今一度、源吾郎の顔をそっと見つめた。強いと口にしてみたものの、相変わらず彼は気恥ずかしそうな表情を見せている。

 少しばかり考えてから、玲香は今一度源吾郎に声をかけた。

 

「ねぇゴロー君。さっき研究センターで金髪の女の妖を見かけたでしょう。彼女は玉兎よね」

「ええ、そうですよ玲香さん。元々は研修生って事でやって来たんですが、今ではすっかり捕虜扱いですけれど」

 

 そう言った源吾郎の顔には、微妙な笑みが浮かんでいた。この状況は笑うしかないと思っているような、仄暗い笑みだった。

 源吾郎の姿を見ながら、玲香は玉兎の姿を思い浮かべた。流石に源吾郎たちを前にして、敵意を露わにしていた訳でもない。しかしあの玉兎の言動には、一分の隙も無かった。こちらが迂闊な事をしでかせば、すぐにでも襲い掛かる準備すら出来ていた。

 そうした事は、玲香には手に取るように判った。これもある種の職業病と言えるだろう。源吾郎はもしかしたら、「俺もそういう勘を鍛えないといけないんだ」などと呑気な事を言うかもしれない。

 

「ゴロー君も、本当に色々と大変よね」

 

 慰めでも世辞でもない、本心からの言葉が、玲香の口からこぼれ出る。源吾郎は円く目を見開き、じぃっと玲香の言葉を聞き入っている。出会ったばかりの幼げな雰囲気が、色濃く漂っているように感じられた。

 だからだろうか。本心からの言葉はさらに続いた。

 

「やっぱり血筋とか、雉鶏精一派の立ち位置とか、色々としがらみとかやらないといけない事が、ゴロー君にはあるのよね。だけど、その中でもゴロー君は頑張ってると思うわ。本当に立派な事だと、私は思うの」

「……ありがとうございます、玲香さん」

 

 源吾郎はそう言って微笑んだ。笑みの中には気恥ずかしさは無い。何かを赦された事に対する安堵の念が、笑みの中には混じり合っている。玲香にはそんな風に見えた。

 ふと思い立ち、玲香は源吾郎に問いかける。

 

「そう言えばゴロー君。あの玉兎に出会った時、私の事を対象って言ってたわよね。あれってどういう意味かしら」

 

 大陸出身だった曾祖母を意識しているのか、源吾郎は時々中国語を口にする事がある。中国語の習得は今でも妖狐の嗜みだから、玲香も中国語はある程度は解る。それでも少し悪戯心が沸き上がってきて、故に聞いてみたのだ。

 源吾郎は少し顔を赤らめながら、玲香の問いに応じた。

 

「対象というのは、()()()()中国語で恋人って意味です。中国語では他にも恋人を示す単語はあるんですが、対象は婚約者って、意味もあるんですよ。お堅い言葉だから、あんまり話し言葉では使わないそうですが」

 

 源吾郎はそこまで言うと俯いてしまった。流石にからかい過ぎただろうか。玲香は少しだけ反省した。

 

 部屋は所有者の心を反映するという。そういう観点で見てみると、この部屋は源吾郎らしさが十分滲み出ていた。

 全体的には、都会で働く身綺麗なOLの部屋のように整い、しかも洒落っ気まで具えている。源吾郎は男であるが、女性的な美意識と洒落っ気の持ち主でもあった。

 ベッドの脇の棚には、白鷺城の小さなジオラマと大陸風の意匠の屏風が鎮座し、その間に白い毛玉が転がっている。

 本棚やその付近に点在する書物は、ビジネス書に大衆小説、はたまた妖術仙術に関する本などと多彩だ。以前よりも青少年向けの漫画や、ライトノベルと思しき文庫本――しかもどう見ても、源吾郎好みのジャンルではない――が増えているのも気のせいでは無かろう。

 窓際の日当たりが良い場所には、小さなサボテンやコダカラベンケイソウの植わった鉢が並べられている。ホームセンターで購入したり雪羽から苗を貰ったものだと聞いていたが、いずれもきちんと手入れされている。鉢の下に置かれた水受け用のトレイには、何がしかの術式が記されていた。すぐ傍には、小鳥が二羽ほど入れる大きさの巣が置かれてもある。

 そして窓から離れた壁沿いには、四十センチ角の鳥籠が置かれていた。止まり木にエサ入れや水入れと言った必需品以外は、ブランコとつぼ巣とイカの甲のみという簡素なレイアウトだ。このレイアウトのために、中で小鳥が気ままに飛び回る姿は、玲香も何度か見た事がある。

 但し今は、中に入っているべき小鳥の姿は無い。何故いないのだろう。玲香は気になり、じっと鳥籠を凝視した。

 

「玲香さん。ホップの鳥籠をじっと見つめていますが、どうされました?」

 

 思案する玲香に対し、源吾郎が問いかけてくる。彼は読みかけていた結婚情報誌を脇に置くと、さも不思議そうな表情で玲香を見つめていた。

 源吾郎と鳥籠を交互に見やりながら、玲香は問うた。

 

「ゴロー君。鳥籠の中は空っぽよ。ホップ君はどうしたの?」

「ホップなら今、鳥園寺さんの所です」

 

 少しばかり狼狽えていた玲香とは対照的に、源吾郎は落ち着いた調子で言葉を続ける。

 

「ほら玲香さん。僕たちは休みを満喫していましたけれど、今日はまだ平日ですから……」

「ああそうね。そう言えばそうだったわ」

 

 玲香は思い出した。短時間とはいえ人型に変化できるようになったホップは、今や鳥籠の中にずっと留まっているような存在ではない事を。源吾郎も度々、ホップが人型を取れるようになった事や、それが妖怪として成長した証である事などを、玲香に対して伝えていたではないか。

 それでも、玲香にはホップが鳥籠の中にいるというステロタイプがまとわりついていた。それはきっと、彼女が土日に源吾郎の部屋を訪れる事が多いからだろう。

 源吾郎は壁に掛けられた時計に視線を向けて、ぽつりと呟く。

 

「とはいえ、鳥園寺さんの所での修行、いえ勉強も夕方の四時半までなんです。あと二、三十分もしたら戻ってきますよ。小学校の学童保育と似たような物です」

 

 言いながら、源吾郎はふわりと微笑んだ。化け十姉妹とでも言うべきホップは、立場上は確かに源吾郎の使い魔である。しかし両者の間に、厳格な上下関係や主従関係は無い。ただただ源吾郎がホップを養育し、兄のように振舞っているだけだ。

 しかしそれもまた、源吾郎らしい振る舞いであると玲香は思っていた。

 だからこそ、空の鳥籠に面食らったし、その理由を聞いて安心もしたのだ。

 それならば、ホップが戻ってくる間、少しばかり昼寝していて問題は無いだろう。そもそも自分は、今まさに変化を解いて狐姿に戻っているのだ。そんな風に思いつつ、玲香は緩くとぐろを巻いた。目を閉じる前に、源吾郎がそっと自分の背中や尻尾の毛に手を伸ばしていた。




 源吾郎君は女子力高そうだから、部屋もOLっぽい感じがしそう(ド偏見)
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