穏やかな口調で玉兎への処遇について語った青鳥は、今度は雉鶏精一派に問い返した。
「胡琉安様、そして雉鶏精一派の皆様。最終確認になりますが、月世界への闘いに、
青鳥の問いは、何を今更と思わしめるような物であった。しかし敢えて口にするような野暮な手合いは存在しない。青鳥はだから、申し訳なさそうな表情を浮かべつつも言葉を続ける事ができた。
「僕個妖《ぼくこじん》としては、今回の件は非常に申し訳ない事をしたと思っているんです。何せあなた方を利用して、何のメリットも無い闘いに巻き込んでしまったのですから。
お嫌ではありませんか? 僕に力と権限があれば、どうにかあなた方が闘いに巻き込まれる事を回避したり、あなた方をお護りする事も出来たのですが……」
「闘いを回避したり私たちを護ったりするですって? できもしない事を、さも出し惜しみしてやっていないだけのように偽装するのはやめて欲しいわ」
不機嫌そうに眉を上下させ、峰白が言い捨てる。不遜な彼女の言動に、紅藤や灰高と言った古参幹部や胡琉安までもが狼狽えた。いかな胡喜媚と胡琉安しか尊ばぬ気質であると言えども、相手は西王母の遣いだ。その上こちらに好意的な態度を取ってはいるものの、あまりに非礼が過ぎれば怒りを買う恐れとてあるはずだ。
非難がましい古参幹部の視線を受けつつも、峰白は余裕を崩さない。と、その面に含みのある笑みを浮かべた。
「言うまでもなく、私たちの腹は決まっているわ。月世界への遠征にも出向くつもりよ。とはいえこれは、あんたや西王母様たちのためじゃあない。私たちのためでもあるのよ。西王母様のために闘ったとあれば、
それに――西王母様や嫦娥様は、やんごとない神仙であらせられるわ。私どもが下賤な妖怪と言えども、華々しい功績を上げたというのに、何一つご褒美を持たせずに終わるなんて事もないでしょうし」
源吾郎はまたしても、雪羽と顔を見合わせた。雪羽もまた似たような表情を浮かべているため、少しだけ気分が落ち着いた。鏡で自分の顔を確認する行為に、ひどく似通っていた。
ふてぶてしいものの、峰白の言葉は正しくもあった。西王母や嫦娥と言った高位の仙女たちが、気位が高く名誉や面子を重んじる事を、彼女は聡明にも見抜いていたのだ。その上で何がしかの褒美を強請ろうと考えている所が、在野の畜生の限界ではあるけれど。
そして西王母からの褒美という所で、にわかに紅藤や灰高が湧きたってしまった。紅藤は純粋に西王母から何を下賜されるのかと期待しており、灰高が面白がって焚きつけている気配がある。
だが話が脇道に逸れたのもほんの短い間だ。頭目の胡琉安が咳払いし、やはり申し訳なさそうな表情でもって口を開いたのだ。
「青鳥様。わが重臣たる峰白の非礼をお許しくださいませ。更に言えば、月世界へと赴くのは雉鶏精一派の全軍ではないのです。実は私も峰白も、月世界へは出向きませんし」
「――すでに我々の方で、月世界に出向く者とそうでない者を振り分けているのです。末端の者たちは言うに及ばず、我々八頭衆の方でもね。例えば幹部陣で月世界に出向くのは、雉仙女殿、緑樹殿、真琴殿、そして末席の三國君の四名です。あとの幹部は、私も含めてこちらに留まります。まぁ、自分は出向かずとも部下を月世界の遠征に派遣する者もいますがね」
青鳥が何か言い出す暇を与えぬ間に、灰高は告げる。青鳥たちとは異なり、彼は堂々とした態度で言葉を続ける。
月世界に出向く者とそうでない者を振り分けているのは、自分たちの縄張りを護る戦力も充てねばならないと判断したためである事、雉鶏精一派が月世界への遠征に怖気付いている訳では無い事などを灰高はまず語った。
「そしてその上で、我々と月世界やその住民たちとの相性も、考慮しなければならなかったのです」
相性。灰高の放った言葉に、打ち合わせの場は一瞬どよめいた。青鳥もまた、驚きの声を上げた一羽である。
「普段ならば、敵との相性について私どももそれほど神経質に考える事はありません。我々は十分に強いのでね。ですが――今回の舞台は月世界であり、我々にとっては未知の領域です。故に月世界や玉兎、ひいては月棲獣などの敵たちとの相性の良しあしが、どうしても影響してしまうのです」
ひとまずは、月世界や月棲獣と言った魔獣たち、そして玉兎と相性の悪い存在について説明しましょうか。灰高が言うや否や、会議室の前方に垂らされたスクリーンに映像が浮き上がる。ややデフォルメされた妖獣たちが、赤紫や緑や青色で区切られたスペースに収まっている。
「残念ながら、我々天狗は月世界とは相性の悪い存在なのです。鴉天狗や狗賓天狗と言った特定の種族だけではありません。天狗と呼ばれるほぼ全ての種族に当てはまる傾向なのです」
「そうだったのか」
「ああ、だから灰高様も萩尾丸さんも、月世界の遠征に行かずに居残り組になったんですね」
「ついでに言えば雉天狗の峰白様もね」
どよめく妖怪たちの言葉は様々だった。戸惑う者もあれば納得する者もいた。先に発言した者の意見で、足りぬ所を補強するかのように発言する者すらいた。
そうしたどよめきは、しかし一瞬で途絶えた。でも、と三國が声を上げたからだ。八尾の雷獣たる彼の声はよく通るのだ。彼自身単に呟いているだけでも、かなりの声量である。声が大きい事を逆手にとって、相手の注目を惹くべく声を上げた可能性もあるけれど。
「でも灰高様。天狗というのは元々流れ星を示すという事ではありませんでしたか。流れ星であれば、月とは相性が良いようにも思えるのです。あるいは、流れ星だからこそ相性が悪いという事なんですかね」
「天狗がかつて流れ星であるという事を示していたのは、今回の件では特に関係は無いんだよ。問題は、天狗を構成する鳥獣としての種族と、六道輪廻を度外視した存在であるという事なのです」
妖怪社会にいる者なら周知の事実だが、「天狗」と呼ばれる存在は単一の種族で構成されている訳では無い。ハシブトガラスが変じる鴉天狗、狼や犬を源流とする狗賓天狗や白狼天狗、そして人由来の大天狗などと言った面々が、主だった天狗たちと言える。
天狗は複数の系統から構成されているのに、全ての天狗が月世界と相性が悪いとはどういう事なのだろうか。そう思っている間に、灰高は説明を始めていた。
「まずは鴉天狗から説明いたしましょう。もうお気づきかと思いますが、鴉天狗は鴉そのもの、つまりは
鴉が太陽と結びつきがあるという話は有名だ。大陸の伝承ではかつて太陽は十個あり、その中に金色の鴉が宿っていたという。日本における神性を持つ烏と言えば八咫烏であろう。八咫烏もまた、太陽の化身であるとされている。
して思えば、鴉天狗が月世界とは相性が悪いと断言するのも、ごく自然な事であるように思えた。大陸の伝承では、嫦娥の夫が十個あるうちの太陽のうち、九個までを射落としたというのだから尚更だ。
灰高は更に、鴉ではないにしろ鶏もまた太陽を示す存在である事を告げた。それ故に彼らもまた月世界とは相性が悪いとの事だ。従って、雉鶏精一派に存在する鶏由来の妖怪と、コカトリスの双睛鳥も、月世界に出向くのは良くないと判断されたのだという。
特に双睛鳥は、コカトリスでありながらも神性を持つ鶏の名を冠してしまっている。それが
「次に犬系の天狗について……というよりも、犬や狼妖怪全般について説明しましょう」
そこまで言うと、灰高は一度深く息を吐き出した。義手と生身の手でぎこちなく指を組み、思案に思案を重ねながら言葉を紡ぐ。
「厳密に言えば、犬や狼そのものというよりも、彼らに似た姿の獣、鋭角の猟犬がまず月世界と相性が悪いのです。曲面を突き破る鋭角が無い限り顕現できぬ彼らは、並の存在であれば玉兎にすら干渉する事が出来ない――確かそうでしたよね、萩尾丸さん」
ここに来て灰高は、萩尾丸に呼びかけた。画面の向こうから密やかなため息が漏れ、その数瞬後に萩尾丸が言葉を続けた。
『灰高様の仰る通りです。実は望玉蘭どのが傷を負った際に、サカイさんが傷を塞ぐべく術を展開しかけたそうです。ですが術は行使されず、
「……サカイさんでしたっけ。彼女も突飛な登場の仕方をなさったものですから、あの時は味方かどうか解らずに術を弾いてしまいました」
淡々とした萩尾丸の証言に被さるように、玉蘭もさらりとした口調で告げる。両者ともに大した事ではないと言わんばかりの物言いに面食らってしまった。流石に、サカイ先輩が傷を塞ぐ術を心得ているという事には驚かなかったけれど。
『更に言えば、土星猫もまたサカイさんの干渉を弾いたんだ。玉兎は前も灰高様が仰った通り、玉の名を冠しているから、鋭角の猟犬から身を護る術を持っているというのも何となく解るんだ。しかし土星猫が何故鋭角の猟犬から身を護れるのか、その辺りはまだ謎に包まれているんだけどね』
萩尾丸が新たな情報を提供してくれたが、今回はどよめきが起きなかった。土星猫もまた、玉兎と同じく鋭角の猟犬の干渉を受けない存在である。それが何故なのか、どのようなメカニズムによってもたらされているのか。そうした事を考えるのに頭が一杯になっていると言った風情である。
そんな中で口を開いたのは、何と青鳥だった。隣に座る蛙めいた面相の男も、何やら知っている風の表情を見せているではないか。
「萩尾丸様。生憎と、私どもも何故土星猫が鋭角の猟犬の干渉を弾く事が出来るのか、その理由は存じておりません。ですが鋭角の猟犬と土星猫が、月世界の歴史を語るうえで重要な存在であるのもまた事実なのです。この話は、劉さんの方がお詳しいので、説明をどうぞ」
青鳥はそこまで言うと、隣に座る蛙男を見やった。劉と呼ばれた彼は一つ頷くと、何処か自信たっぷりな様子で語り始めた。
「と言っても、やはり遠い昔の出来事なので、私も詳しい事までは知りませんがね。
ともあれ本題に入りましょう。今でこそ、月棲獣たちの勢力と玉兎たちの勢力が相争っていますが、そうした小競り合いがちっぽけに思えるような脅威が、月世界そのものに迫っていたのです。
灰高殿が先程から言及なさっている鋭角の猟犬。その親玉とも呼べる存在が、月という天体ごと月世界を飲み込まんと迫った事がありました。それも一度や二度ではなく、幾度も起きていたのです」
言い終えた劉の瞳孔はぐっと引き絞られ、人間とも猫とも狐ともつかぬ形状を示していた。やはり彼が異形である事をまざまざと見せつけられ、源吾郎は少したじろいだ。例によってどよめく声も、何時もより遠くから聞こえてくるようだ。
その中で、源吾郎の耳は双睛鳥の声を拾った。
『鋭角の猟犬が月を飲み込もうとしたのですね。僭越ながら、似たような話を僕は存じています。確か北欧では、ハティと呼ばれる狼が、月を喰らうべく追いすがっているという伝承がありました。そしてハティはフェンリルの息子であるという説もあるのですが……』
その通り。劉氏は言い澱む双睛鳥の言葉に頷いた。
「いずれにせよ、月を狙っていた鋭角の猟犬は、生半可な存在ではなかったようです。大君主そのものではありませんが、影響力の強さを鑑みれば、直系の係累であろうと当時から言われていました。
……話を戻しましょう。月世界そのものに迫る脅威に対し、月棲獣も玉兎もなすすべはありませんでした。相争う事を辞めて、共闘して件の猟犬を追い返そうとしても敵いませんでした。当時は玉兎も、鋭角の猟犬を弾く権能を具えていなかったのです。そもそもそうした敵を想定していませんでした。
しかしある時、一部の月棲獣が土星から土星猫を召喚しました。彼らは猫でありまた土星の輪の加護を持っていたためか、鋭角の猟犬の攻撃を弾く事が出来たのです。そうして、月世界最大の脅威は去りました。また月棲獣たちは、故郷たる月世界の脅威を打ち払った存在として、土星猫を盟友と見做すようになったのです。
これこそが、月世界と鋭角の猟犬たちとの物語なのです」
劉氏の語る長い物語は、ここで一度終わった。様々な意味で興味深い話だった。多くの生物を奴隷とし拷問に掛ける事を好む月棲獣が、何故土星猫だけは優遇しているのか。そうした事すら明らかになったのだから。
ついでに言えば、劉氏が月棲獣に対して好意的な物言いだったのも、気になると言えば気になる所だった。