話を聞き終えた源吾郎は、ぼんやりとした気持ちになってしまった。話が四方八方に取っ散らかっている事にまず戸惑いを覚えた。一方で、取っ散らかった情報が思わぬ形で収束していく奇怪さも感じていた。
犬と月世界、そして土星猫の関係性が、妙に壮大なドラマとして絡み合っている様を聞かされたからだ。
犬を冠する者たちと月世界との関係は十分解った。ならばイヌ科である狐は、何故月世界に赴く事が出来るのか? 双睛鳥の側近たるハルピュイアの女性が問いかけた。これは源吾郎も疑問に思っていた事だった。
イヌ科である犬と狐の違い。生物学的にも難しいであろう質問に対し、灰高は得意げな様子で解説を行った。
「狐はイヌ科だがその身体的特徴はむしろネコ科の獣に通じる所がある。それ故に、犬のくくりに入らなかった。犬と狐と狸を示す語が狐狗狸とある事からも明らかであろう」
「そもそも妖狐の最終形態たる天狐は、鋭角の猟犬が襲来するよりも前から月世界に勤務していたので追放できなかったのだろう」との事だ。
灰高は更に、狐は
彼の説明は、いかにも鴉天狗らしい物だった。よくよく聞いてみれば、彼は断定的な事は一つも口にしていない。全て推測に基づく仮説だった。だが徹頭徹尾自信たっぷりに話すものだから、いかにも真実であるかのように聞こえてきたのだ。
「従って、妖狐は月世界に出向く事そのものは問題は無いのです。ただ――」
灰高は言うと、意味深な様子で周囲を見渡す。彼の視線はミツコや他の妖狐たちや源吾郎に向けられ、最後に玉蘭や側にいる玉兎たちへと注がれた。
「妖狐は五行属性で言えば
「えっ、そうなんか……!」
灰高の言葉に、雪羽が驚きの声を上げる。切羽詰まった様子でこちらを見つめる雪羽と目が合う。源吾郎は曖昧な表情で頷くだけだった。
妖怪仙人の許で修行している源吾郎だから、五行属性の事は知っていた。妖狐が――火焔の術を操る事を得意とするにも拘らず――土の属性である事も、ウサギが卯に通じるために木属性である事も、朧気ではあるが知っている。
また玉兎たちが、金毛九尾の一族を疎み、ついで他の無関係な天狐たちを迫害している事も先日聞かされたばかりだ。草食獣であるはずのウサ公連中が、お狐様相手に強気に出ているのも、木剋土の相剋関係があるためだと思えば納得のいく部分も大いにある。
しかしそれでも、キツネがウサギに弱いという説を、すんなりと受け入れる事は難しかった。獣としてのキツネとウサギの力関係は、先程の話とは真逆だからだ。
自然界では、ウサギはキツネの食料として狩られる事がしばしばある。妖狐に変じた者たちですら、ランチやディナーとしてウサギの肉を口にするシーンがあるほどなのだ。また日本の伝承では、ウサギが狐を畏れるという話もあったはずだ。
無言のままに、源吾郎は頭の中で疑問をこねくり回していた。
不思議に思った事を、正直に口にするという真似はしなかった。三國や幹部の側近たちなどが、源吾郎に先んじて同じ事を行っていたからだ。場合によっては失笑を買い、赤っ恥をかかされる事すらあった。
だから源吾郎は黙っていた。客妖《きゃくじん》として、叔母である桐谷いちかが出席している事もあったけれど。
話はいつの間にか、月世界と相性の良い妖怪についての解説となっていた。その中には、猫又や化け猫などと共に、雷獣も含まれている。なればこそ、三國と雪羽は月世界への遠征に出向くよう命じられたのだ。
その話から派生して、大きな一悶着が生じてしまったのだが、その辺りは後で話そう。
※
参加者も客妖《きゃくじん》も多かったためか、打ち合わせは二時間半にも及んだ。既に午後一時を過ぎている。本来の昼休憩の時間を突き抜け、休憩明けにまで悠々と喰い込んでいた。参加者は皆昼休憩がずれ込んでしまうのは言うまでもない。緑樹や三國などは、部下たちにどこどこで外食をしようなどと相談している所だ。客妖たちもいるから、彼らをもてなすために食事に連れて行かねばならないだろうし。
そんな中で、源吾郎は雪羽と並んで廊下に立っていた。数メートルほど離れた所には、望玉蘭《ぼう・ぎょくらん》も控えている。紅藤と青松丸が戻って来るのを待っていたのだ。紅藤も雉鶏精一派の幹部であり、妖怪仙人でもある。客妖《きゃくじん》が同業者であった場合は、積もる話も出てくるだろう。
源吾郎は半ば穏やかな気持ちで、紅藤たちが戻って来るのを待っていた。長く生きた妖怪の例に漏れず、紅藤が相当な話たがりである事はよく知っている。
更に言えば、昼食が遅くなる事への苛立ちも特に無かった。源吾郎は緊張が高じると、食欲が引っ込む気質の持ち主だ。しかも打ち合わせの中盤では、末端の鳥妖怪たちが出席者に茶と点心を配ってもいた。むろん源吾郎も茶を飲み点心を齧った。なおさら腹ペコとは遠い状況だった。
結局戻っても仕事の続きとか、議事録作成とかがあるんだし。呑気に考える源吾郎の肩が軽く突かれた。雪羽が翠の瞳を瞠り、源吾郎をじっと見つめている。
「お腹空いちゃったわ」
「お昼も過ぎちゃったもんなぁ」
源吾郎が軽く受け流すと、雪羽は信じられない物でも見るような眼差しを向けていた。妖狐と雷獣だから食事のスタイルや代謝は違うはずなのだが、その辺は余り気にしないのだろうか。
打ち合わせの場で貰った点心を食べずにとっておけば、分ける事も出来たかもしれない。ほんのりと未練がましい考えが浮かぶ。源吾郎はしかし、その代わりになる物があったのを思い出した。
源吾郎はポケットの奥をまさぐり、目当ての物を雪羽へと渡した。昨日米田さんから分けてもらったレーションの欠片だ。味はさておき、齧れば少しは空腹もマシになるだろう。
「それにしても、雷園寺君の食欲にゃあ驚かされてばかりだぜ。さっきの打ち合わせの場でも、色々と言われたのに食欲が落ちないなんてなぁ」
「昔から食い力って言うじゃないか」
ともすれば厭味ともとられかねない言葉に対し、雪羽は朗らかに笑って頷くだけだ。雪羽は半ば反射的に、差し出されたレーションを受け取った。アルミ箔で包まれたものだったのだが、市販のものとは違っている事に目ざとく気付いたらしい。
「手作りの品みたいだけど、先輩が作ったの?」
「いや。玲香さんの作ったレーションだよ。昨日うちに泊まった時に、何本か分けて貰ってね」
「え、マジかよ。愛妻料理じゃんか」
手渡したものの正体を知るや、雪羽は急に狼狽え始めた。愛妻料理という大げさな単語に源吾郎は僅かに顔を赤らめ、玉蘭が軽く吹き出していた。
「良いんだよ別に。玲香さんも雷園寺君に分け与えるのは禁止だとか、そんな事は仰らなかったんだからさ。それに味も保障するよ。昨日レーションをお湯で溶かしてスープにしたら美味しかったし。見ての通り、水気は少ないけれど」
「…………」
雪羽は、黙って源吾郎の説明に耳を傾けていた。やや考え込むような素振りを見せてから、受け取ったレーションをそのままポケットの奥へとしまい込んだのだ。
「良いのか雷園寺君。お腹空いていたんじゃあないか。紅藤様も、早くても戻ってくるまでにあと二十分位はかかるだろうに」
「……考え事していたら、お腹が空いていたのもなんかマシになっちまったからさ」
そう言って、雪羽は静かに微笑む。心の裡に生じたものを押し隠すような笑顔だった。源吾郎もまた、苦く粘っこいものが、胃の腑から喉元に掛けて滲み出てくるのを感じてしまう。
雷園寺家の事を考えているんだな。そして思っていた事を、かくもあっさりと口にした。自分でも愚かしいと呆れるほどに。
それでも言葉は止まらなかった。
「萩尾丸先輩や他の幹部勢の妖たちは、雷園寺君が迂闊だの何だのって言ってたけどさ。でも俺は、雷園寺が悪い事をしたとは思ってないよ。穂村君たちの事が心配で、それで用心するようにと思って、今回の事を伝えただけなんだからさ」
打ち合わせの中盤にて、月世界への遠征には雷園寺家は関わらせない方向で行くという話が持ち上がった。雷園寺雪羽は次期当主候補ではある。しかし彼が、雷園寺家の次期当主候補として月世界に遠征する事が公表されたらどうなるか。雷園寺家の当局は、本家の有力者を月世界の遠征へと派遣する恐れがあった。その中に、もう一人の次期当主候補・雷園寺時雨が含まれる可能性も考えられた。
雉鶏精一派としては、雷園寺家の有力者や時雨が月世界遠征のメンバーに加わる事態を避けたかった。雪羽の異母弟である時雨は、戦闘能力の高い妖怪とは言い難い。血筋ゆえに既に二尾の持ち主であるが、次期当主のお坊ちゃまとして甘やかされて育っているために、他の妖怪と本気で闘った事は殆ど無い。仮に戦闘員として参加しても、早々に敵に捕まって犬死するのが関の山だろう、と幹部勢は考えていた。
そして時雨が、月世界の遠征に参加して玉砕したとなれば、その責任を雉鶏精一派が背負わねばならぬ事も自明だった。
だからこそ、雉鶏精一派は雷園寺家には何も知らせずに、事を進めようと画策したのだ。月棲獣や土星猫の出現は吉崎町近辺を中心としていた事、大阪市内などそこから離れた部分では、まだ月棲獣の暗躍が進んでいなかった事もまた、先の判断を補強する材料となった。
そうした上層部の判断が総崩れになったのは、誰あろう雷園寺雪羽の電話によるものだった。雪羽は昨日の夕方、実弟である穂村に月世界遠征の事を伝えてしまったのだ。
雉鶏精一派が、雷園寺家には秘匿しておかねばならぬと判断した月世界への遠征や魔獣が跋扈する現状は、雷園寺家次期当主候補たる雪羽によってリークされていたのだ。皮肉極まりない顛末に、さしもの幹部勢も驚きの声を上げ、悪態をつく者まで出てしまった。
結局のところ、雪羽の月世界遠征は取りやめになった。仮に雷園寺家当局が援軍の有無を確認した時に「こちらの次期当主候補は現地に居残っているから必要ない」と言い張るためにだ。
なお、雪羽の叔父にして第八幹部の三國は、当初の予定通り月世界への遠征に出向く事となっている。彼もまた雷園寺家の関係者には違いないのだが……彼ほどの戦力を月世界という未知のフィールドに投入する方が良いと当局が判断したためだ。
更に言えば、雷園寺家も彼を利用する事は無く、むしろ放置しているスタンスであるのも決め手だった。
ともあれ、源吾郎が月世界へ赴く間、雪羽は居残って研究センターを護ったり、配下になりそうな若妖怪を指導したり、その他もろもろの仕事をこなす事となったのだ。
話の一部始終を見聞きしていた源吾郎は、複雑な思いで雪羽の所業と彼の処遇を聞くだけだった。雪羽は悪い事をした訳ではない。ただ純粋に、穂村たちや時雨たちが心配で、月世界の遠征や月棲獣の事を教えたのだ。
雷園寺家を巻き込みたくない。上層部が抱いていた思惑を察知できなかった事や、迂闊に何でも話し過ぎたという事は、流石に咎められても仕方がない。むしろそうした事をリークしないようにと、雪羽に念押ししなかった上層部にも責任があるかもしれないし。
あれこれ思案していると、雪羽がふいにこちらを向いた。思いつめたような表情に、源吾郎は生唾を飲み込む。俺の言った言葉が、雷園寺の心のささくれを刺激したのだろうか。
雪羽はとうとう口を開いた。
「気遣ってくれてありがとう。だけどな島崎先輩。俺が今考え込んで憂鬱だなぁって思っているのは、萩尾丸先輩からの小言と反省文の宿題を出される事さ。ただそれだけだよ」
「んだよ、思っていた以上にしょうも無い事を考えていたじゃあないか」
思わず毒づく源吾郎だったが、その顔は笑っていた。雪羽が、思っていたよりも深刻に悩んでいる訳では無い事を悟ったからだ。
紅藤たちが源吾郎たちの許に戻ってきたのは、このやり取りの五分後の事だった。