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ホトトギスの啼き声が、何処からともなく聞こえてきた。澄み切った、そして割合大きな声は、小さな宿の薄い壁など容易く通過し、すぐ傍にいるかのように思わしめるほどだ。
独特のテンポを刻む啼き声は、聞き手である青鳥に様々な感情をもたらした。無機質な摩天楼が隣接する場所にも、山間に暮らす鳥がいるのだと思うと、心が和んだ。一方で、ホトトギスの声にある種の不吉さを感じてしまったのも事実だ。
ホトトギスは死者の魂の化身である――先輩格の神仙や妖怪仙人が口にしていた俗説が、どうしても脳裏を掠めてしまうのだ。
「青鳥さん。さっきからずぅっと鳥の啼き声が聞こえるんですけれど、何て言う鳥が啼いているんですかね」
認識阻害の札を手にした劉氏が振り返り、何処か気だるげな様子で問いかける。この宿にチェックインしてからというもの、彼は札を部屋の四方に貼り付けていたのだ。劉氏の言動に対し、あれこれ考えないように意識しながら、青鳥は答えた。
「あれはホトトギスですよ。地上ではよく見かける鳥ではあるんです。と言っても、こんな街中で見かけるのは珍しい事ですが」
「地上には、本当に色々な鳥獣がいますよねぇ。ウサギと月棲獣と土星猫くらいしかいない月世界とは大違いですよ」
しまった。劉の言葉を耳にした青鳥は、自分が失言してしまったのではないかと咄嗟に思った。劉が月世界で生まれ育った事、複雑な出自を持つ事を青鳥は知っていたためだ。
一人でおろおろする青鳥の事などお構いなしに、劉は一人思案しているようだった。
「一応、地上の生物についても、本で勉強しているので知ってはいますよ。それでも、本で見るのと実際に見聞きするのとでは違うなぁと思いますけどね」
思案の後に紡がれた言葉は、拍子抜けするほど当たり障りのないものだった。劉はそのまま一歩ずつ進み、青鳥の側へとやって来た。使わなかった護符をひとまとめに揃え、青鳥に手渡した。
護符を受け取りつつ、青鳥は呟く。
「劉さんもお強いのに用心深いんですね。この宿の人間たちは、僕らが人間に化身している事など気付かないでしょうに」
厳密に言えば、青鳥たちが変化しているモノである事を見抜けない人間たちが営んでいる宿泊施設を探し出したと言った方が正しいであろう。すぐ傍には摩天楼が立ち並ぶような街中である。宿泊施設ならば他にもあった。しかし他の場所だと、勘の鋭い者が少なからずいたので、選択肢から外しただけだ。
劉は微笑みながら、しかし何処か物悲しさを滲ませながら首を振った。
「人間たちの事なんて別に良いんです。私は同胞たちが、いや月棲獣たちに気付かれないかと気が気でないんです」
人は見かけによらない。何処となくガマガエルのような風貌の劉は、その見た目からガマガエルの妖怪仙人ではないかと思われる事がしばしばある。
しかし実際には、劉はガマガエルの妖怪ではない。
玉兎の父と月棲獣の母から産まれた混血児。それが劉の本性だった。本来であれば不倶戴天の怨敵である者同士の混血が何故誕生したのか。父母と劉とはどのような関係だったのか。青鳥はその辺りの事は何も知らなかった。青鳥自身は若輩者であるし、何より劉自体が沈黙して語ろうとしないのだ。
だが語ろうとしないからこそ察する事も出来た――劉の出自は仄暗く、祝福されたものではないのだろう、と。今でこそ月棲獣の血を引いたり月棲獣の因子を持ったりする玉兎の存在も珍しくは無い。しかし劉が産まれた時代は、そうした存在すらも異端だった。
月棲獣の群れからも捨てられ、玉兎たちからもいついびり殺されてもおかしくない状況の中で、劉は育ってきたのだ。玉兎連中に較べれば幾分思慮深さや慎重な気質が目立つのも、無理からぬ事であろう。
青鳥は二、三度瞬きをしてから、なだめるような口調で告げた。
「ああ、認識阻害の護符はそのためだったんですね。効力も強めなので、四隅に貼っているのなら大丈夫だと思いますよ。それに僕たちも、宿に滞在するのもせいぜい三、四日ほどですし」
「雉鶏精一派の皆さんが、月世界に出向くまでここで待機しているって事ですよね」
劉の顔からは、物憂げな表情は既に消え去っていた。明るく、軽口でも言うような調子でもって青鳥の言葉に応じている。
青鳥たちがそれぞれ自分の持ち場――青鳥ならば西王母の住み家、劉ならば月世界の役所だ――に戻らなかったのは、雉鶏精一派から更なる連絡が来る可能性を見越しての事だった。
月世界ならばいざ知らず、天界の時間は地上の時間の流れと大きく異なっている。天界に引き戻って一息ついている間に、地上では既に何カ月も何年も経っている可能性とてあるのだ。
特に雉鶏精一派は、月世界へどのように出向くかについて、考えあぐねている。出立の日も未定であるほどなのだ。青鳥は一応月世界への転移術を知っているので、向こうの準備が整えば、幾らでも助力するつもりでもあった。
一方で、彼らの気が変わり「やっぱり月世界への遠征は取りやめにする」と言い出す可能性があるとも青鳥は思っていた。そう言っても構わないのに、と思う程度の話ではあるけれど。
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「やぁ青鳥に劉君。面白そうだからちょっと立ち寄ってみたよ」
「だ、大鵹《だいり》様……!」
思いがけぬ来訪者は、さも呑気な様子で青鳥たちに声をかけ手を振り、微笑みかけている。三青鳥の第一位たる大鵹《だいり》(八代目)は、青鳥が借りている部屋に面した小さな庭に佇立していた。無論彼女も大陸の女道士めいた衣裳を身にまとっているのだが、周囲の風景から浮き上がっているようにすら見えた。庭もまた、部屋と同じく和風の物寂しい気配が漂っているからだ。
何故お見えになったのか。問いの言葉を頭の中でこねくり回している間に、大鵹は再び口を開いていた。
「小鵹《しょうり》君の役目を奪い取ってまで、君は雉鶏精一派の伝令に出向いたんだよね。しかもすぐに舞い戻る気配もないみたいだし。劉さんも一緒だし、下界で何をしているのかなぁと、少し気になっちゃったんだ」
「……胡琉安様の、雉鶏精一派の皆様の最終的な意見を確認したいと思っているだけです」
説教を受けているような気分になりながら、青鳥は告げた。在野の妖怪上がりだから、下界にばかり興味を持つんじゃあないか。大鵹からも小言か厭味を言われるのではないかと身構え、思わず首を縮めてしまう。
大鵹はしかし、穏やかな笑みを浮かべたままだった。
「ふふふ。青鳥君は下界の妖怪たちに優しいもんね。それに、君が下界で何日か留まっていたとしても、西王母様たちは特に咎め立てしないだろうさ。真っすぐ戻ってこようが、少し留まっていようが、タイムラグなんて殆ど無いんだから、ね」
君だって、天界と下界では時間の流れが違う事は解っているだろう――言い添えられた大鵹の言葉に、青鳥は黙って頷いた。下界の方が時間の流れは格段に速い。下界にて数日ほど留まっていたとしても、天界では数十分しか経っていないのだ。出張しているのだと考えれば、数十分など誤差の範囲内だ。
「それに君は、雉鶏精一派の事で色々と気をもんでいるんだろう。小鵹がその事で何やら苛々していたみたいだけれどね」
大鵹は尚も言葉を重ねる。笑みの形に目を細めているが、青鳥を見据える眼差しは鋭い。猛禽に狙われた鳩のような気分になっていた。
青鳥はだから、素直におのれの心中を吐露した。
「――気の毒だと思うんです。確かに彼らは、西王母様の威光に縋り、利用しようとした節があるかもしれません。しかし、ただそれだけの事で、嫦娥様たちが抱えているような闘いに巻き込むのはお門違いではないかと、僕はどうしても思ってしまうのです」
一通り話を聞き終えた大鵹は、鼻を鳴らして笑った。
「お門違いというのは、むしろ君の考えだよ青鳥君」
「何ですって」
「それってどういう意味ですか」
青鳥と劉は、ほぼ同時に疑問を口にした。両者を軽く見下ろしつつ、大鵹は言葉を続けた。
「青鳥君。君は雉鶏精一派が西王母様たちに利用され、月世界の抗争に巻き込まれたと思い込んでいるようだね。しかしその前提自体が
彼らこそが、今回の月世界の抗争を激化させた遠因なんだぞ。もちろん、彼らはその事を知らないし、直接的に月世界に干渉した訳じゃあないけどね」
「それって、一体どういう――」
「質問するのは良い事だ。だけど質問すれば全てを知る事が出来ると思うのはいただけないなぁ」
言い終えるとともに、大鵹の周囲の空気が変質した。彼女の身体から、妖気が湯気のように立ち上ったのだ。変質しているのは空気だけではない。大鵹自身もまた、女同士から半人半鳥の姿を経て、一羽の巨鳥へと変じた。
「君はまだ下界に留まるんだろう。そうなれば、この近辺で起きているひずみも解るだろうね。もっと知りたいのなら、それこそ雉鶏精一派の皆と共に、月世界に赴けば良いじゃないか。君の事だから、転移術を教えるとか何とか言って、一緒について行くつもりだったんだろう」
大鵹もまた、天界のやんごとない面々と同じく、言いたい事を一方的に言い募るだけだった。彼女もまた鳳凰や鸞に通じる神鳥だから、やんごとない身分である事には変わりなかろう。
呆然とする青鳥をそのままに、大鵹は舞い上がってしまった。青鳥たちにちょっかいをかけ、用事が済んだから天界に引き戻ったのだろう。
隣では、劉がむっつりとした表情で屈みこみ、抜け落ちた大鵹の羽を拾い上げていた。