桐生院先生の日常〜生徒たちが良い子すぎて困る 作:二足歩行型信号機
「先生! 一緒に走りませんか!」
「先生こんにちは……ってスペちゃん!?」
珍しく仕事が早く終わって職員室を出たところでジャージを着た生徒たちに声をかけられた。
元気な声と物静かで、また戸惑った声。
……スペシャルウィークとサイレンススズカだったかな。
名前は知ってるんだけど名馬としては馬券を紙くずにしたゴールドシップ以外は分からない。……いや、サイレンススズカは……聞いたことがあるかもしれない。
覚えてないから結局分からないんだけどさ。
生徒としてのスペシャルウィークとサイレンススズカならよく知っている。
スペシャルウィークは真面目で頑張り屋さん。トレーナーは居ないがポテンシャルが高く人当たりの良さもあり教師や教官の間で高く評価されている。んだけど一方勉強面は乏しくちょくちょく赤点が目立つらしい。
最近は赤点回避の為に個人的に勉強を教えることもある。赤点取ったら補習でトレーニングの時間が無くなるから本人も気が気じゃないんだろうね。
分からないことは直ぐに聞いてくれるから教えやすいし先生としてはとても接しやすい。
サイレンススズカは物静かでクール……だと思っていたんだけど実際は走ることが大好きなだけで普通の女の子。普通じゃないか……天才って言えばいいのかな。
スペシャルウィークと同じくトレーナーは居ないらしいけど選抜レースや模擬レースで初めから最後まで先頭を走り続ける大逃げでトレーナー達を戦慄させたとか。
本来ならトレーナーが居てもおかしくないんだけど、ね。話を聞いたらスカウトを全て断っているんだって。
誰よりも走ることが大好きな彼女がレースの参加条件であるトレーナーのスカウトを断りづけている理由は分からない。
……レースでも大逃げを見せて欲しいな、と先生として願っとこう。
しかし走る、かぁ。
仕事漬けで運動してなかったし丁度いい。タバコを吸い始めたし適度に運動しないと困るからね。
……それはまぁいいんだけど。
「そうだね。少し走ろっかな……っとと」
「ありがとうございます!」
「ス、スペちゃん……! …はしたないわ」
スペシャルウィークはぱぁと笑顔を咲かせると勢いよく抱きついてきた。ぶんぶんとしっぽを振っている。
サイレンススズカはスペシャルウィークの大胆な行動に驚きながらも恥ずかしそうに注意を促していた。
ん、んー。純粋すぎる故かこういうスキンシップが多い。……先輩教師たち曰くこういうことをする子ではないらしいんだけどなぁ。
じゃれあいのつもりとか? ……もしかして先生として見られてなかったり?
……普通に有り得そうだよ。
舐められてるってわけでも無さそうだし若造なりに少しずつ教師としての威厳をつけていけば大丈夫だろう。
お返しに頭を撫でると擽ったそうに耳をぴくぴくと揺らした。
「ジャージを取りに行ってくるね」
「はい! 待ってます!」
「……あ、はい。待ってます」
先に行ってても……無理か。
早く取りに行こう。
ソワソワと落ち着きのないスペちゃん。
飼い主を待つ子犬のように今か今かと待ちわびていた。
なにより出会って間もないのにスペちゃんの懐きようは異常だった。私が知る限りじゃ桐生院先生以外の大人に密接なスキンシップをしたところを見たことがない。
「スペちゃん、先生にそういうことしたらだめよ」
「うっ……今度から気をつけます」
二度目の注意でペタンと耳としっぽをだらりと下げる。
幾ら桐生院先生でも男性だし…歳もそんなに離れている訳じゃない。下心はないし生徒に変なことは絶対にしないから大丈夫。だけど……やっぱり……男の人、だし。
ちょっと……ほんのちょっとだけスペちゃんが羨ましいと思ったのは内緒。私にそんな勇気はこれっぽっちもないから。
スペちゃんの純粋で真っ直ぐなところ。好きだし尊敬するわ。
桐生院先生はどんな些細な事でも真摯に受け止め向き合ってくれる。本来先生が私たちウマ娘と一緒に走るなんてありえないこと。
教官やトレーナーだってそう。ヒト族とウマ娘の身体能力を考えれば当たり前。だけど嫌な顔一つせずこうやって桐生院先生は付き合ってくる。必ず手を取ってくれる。
家族や友人には話せないことも桐生院先生なら話せる……そんな子もいる。
……殆どのウマ娘が喉から手が出るほど欲する存在。それほど桐生院先生はウマ娘たちの中心にいる。
こんなお兄ちゃんがいたら、と思ってしまうこともあったわ。……桐生院先生には妹さんがいてトレセン学園のトレーナーをやっている。
一緒に住んでいるらしく噂は直ぐに広まり同時に羨みや嫉妬が溢れている。家族なのだからおかしくない。
それでも中高生。まだまだ夢を見たいお年頃。先生と生徒の関係。……それだけでも十分幸せじゃない? と言えれば良かった。
これがもしトレーナーと担当ウマ娘の関係ならば……変わっていたのかもしれないわ。その時、は……。ほら、私も夢を見ている。
「そういえばなんでスペちゃんは桐生院先生に抱きつくのかしら?」
落ち着くために前々から気になっていたことを聞くことにした。スペちゃんは桐生院先生と出会うと必ず抱きつくの。
人目もはばからずさっきのように私がいてもお構いなし。
初めはスペちゃんだから、で片付けていたけど毎日一回は桐生院先生に抱きつくのは流石に……。
「え、と……その……」
ピコンっと耳を立ち上げるとお手本みたいに人差し指をくっつけ恥ずかしそうにモジモジと……。え…っ…。
「まさかスペちゃん……?」
「ち、違いますよ! …その……先生…お母ちゃんと同じ良い匂いがするんです」
「……匂い?」
確かに桐生院先生は良い匂いがする。最近はちょっとだけ変な匂いも混じっている。よく分からないけど不快…とは思わない不思議な匂い。
「はい。…だから先生がお母ちゃんと重なって見えて…つい……」
「……スペちゃん」
そっか。スペちゃん……北海道から来てるものね。何時でも家族に会えるわけじゃない。
「あ! スズカさんも先生に抱きつきましょう! そしたら分かりますよ!」
少しでも多くスペちゃんの隣にいよう。と心の中で決心をしたところなのにスペちゃんが突拍子もないことを言い出す。
「……え?」
一瞬頭の中が真っ白になった。……え!? 桐生院先生にだ、抱きつく!?
「お待たせ。どうせだから着替えてきたよ」
……あっ。
タイミングが良いのか悪いのかまるで私たちの会話を聞いていたように職員室から出てきた。
キッチリとしたスーツからラフなジャージに着替えた桐生院先生。……?? スーツの時よりも不思議な匂いが強くなった。……何かを燃やしたような少し苦い匂い。
「先生!」
「どうしたんだい?」
「スズカさんを抱きしめてください!」
……? …スペちゃん……?
あ、えと……ウソでしょ……?
私に言ったことと
「……」
スペちゃんの言葉に目が点になった桐生院先生は油の切れたブリキの玩具みたいにぎこちなく私に顔を向ける。
困惑がこれでもかと含まれた顔。……うぅ……。
「あ……あの…」
「……あー…後でいいかな?」
桐生院先生!?
「それでお願いします!」
スペちゃん!?
練習場には練習に勤しむウマ娘と担当ウマ娘を見極めるトレーナー。放課後だし当たり前だよね。
「あれは桐生院先生とサイレンススズカ……なにをしているんだ?」
「あ、先生! …………え? スズカ先輩…? え? え?」
俺……達を見るとざわざわと騒ぎ出す。
そりゃそうだ。逆の立場ならそうなる。
……なんでこんなことになったんだろうか。着替えている間に何があったっていうんだ。
「どうですかスズカさん?」
その観衆の中でスペシャルウィークだけは真っ直ぐな笑みを浮かべていた。
「……あ、え……分からないわ…」
顔を俯かせたサイレンススズカ。大丈夫だよ俺も分からないし。
「先生はどうですか?」
矛先が俺に向いた。……あの…。
「……ど、どういう意味かな?」
何がどうなのか分からないよ。
「え? ……えーと…スズカさんの抱き心地はどうですか!」
「ス、スペちゃん……!」
サイレンススズカの真っ赤にした顔が容易に想像できる。
いや、ね? これ普通にセクハラになっちゃうからさ。……そもそも、ね。
なんで
一緒に走ろうと誘われたからついてきたのに練習場に来て直ぐにこれだよ?
やってしまった俺も俺だけどさ。
……えぇ…。
なんて答えればいいんだ、これ。
抱き心地最高です! とか言えばいいの?
普通にセクハラからの懲戒処分だよ?
桐生院家の面汚しからの勘当されて路頭に迷うことになるよ?
ふ、普通? …普通ってなんだよ。
人生で抱きしめた相手なんて両親と妹しかいないわ!!
……悲しくなってきた。
こうなるなら断れば良かった。
失敗した……なぁ。
でも断るのは、なぁ。
……失礼、というか。
まるでサイレンススズカに魅力がない、と言ってるみたいな感じがして……。
……ああああああぁ!!!
こうなれば自棄だ!!!
「そうだね。とても抱き心地が良いよ。髪もサラサラで良い匂いもするしずっと抱きしめていたいくらいだよ」
ギュッと強く抱きしめる。
はい……終わった。絶対に嫌われたよ。
恐る恐る観衆を見れば顔を真っ赤にして怒っているし。……気持ち悪い発言をしたらそうなる。
このまま生徒やトレーナーに虐め倒されるのかなぁ。
まぁ悪くない、か。その時はその時…。寧ろ異動する理由ができたと思えば……ね。
異動する前に人生終わりそうだけど。
「そうですよね! スズカさん凄く良い匂いがするんですよ!」
解釈の一致が嬉しいスペシャルウィークはしっぽを振りながらうんうんと頷いた。
そうだねー……ははっ……。
「…ぇ……せ、先生ぃ……?」
サイレンススズカの震え声。耳まで真っ赤になってキレていますはい。
本当にごめんよ。クソキモ教師でごめんよ……。
……バイト、探さなきゃなぁ。
で、どのタイミングで降ろせばいいんだろ。
体……熱い。
全身が脈を打つ。
良い匂い…好きな匂いが染みこんでいく感覚。
バクバクと鳴り止まない心臓の鼓動。
熱い息が髪を靡かせる。
……私、抱き心地……いいんだ。
先生は…私をずっと……抱きしめていたいんだ。
……不味いわ。嬉しくて顔のニヤけがとまらない。……私にもこんな気持ちがあったのね。
「ずっとこうしてるのもなんだし走ろうか」
んっ…ふっ、先生の息……くすぐったい。
「はい!走りま…スズカさんどうしました? 顔赤いですよ?」
「っ…な、なんでもないわ。……あ…」
先生の腕が解ける。先生が立つと同時に半ば立たされた。
思わず声が漏れる。……恥ずかしかっただけなのに…名残惜しい、そう思ってしまう。
「はいはい。時間は有限。走る走る」
「はーい! 行ってきます!」
スペちゃんは勢いよくターフへ駆け出した。……先生、と二人きり。
「あ? え…? ……一緒に走るんじゃないの?」
呆然とスペちゃんを見送る先生。……今日はスペちゃんに振り回されっぱなしね。
私も……先生、も。
「はは…全く。……元気だなぁ」
愛しそうにスペちゃんを見つめる。
慈愛に満ちた女神みたいな……見るもの全てを惹きつける綺麗な瞳。
「……先生…」
「っ…どうしたの?」
「…あの……先生…私、どうでしたか?」
「……え?」
自分で何を言ってるのか理解できない。
口が勝手に……理性を捨てて……。
本能に身を任せている。
「あ、あー……うん、良かったよ」
「っ…先生が…良ければ……また…抱きしめても…いいです…から…っ」
「…………へ?」
惚けた声が後ろから聞こえた。
どんな顔をしてるのか分からない。
私は逃げるようにターフを駆けているから。風が冷たく感じる……。
どうしよう。……顔はまだ熱い。
あ、明日からどんな顔して会えばいいの……。
「……え?」
「…………え?」
もう出しときます。
-
ライスシャワー
-
ミホノブルボン
-
セイウンスカイ